日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日… 日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日 - 2017年〈平成29年〉5月15日)は、日本の俳優、声優である。本名は日下 孟。東京都豊島区出身。劇団四季の創設者のひとり。身長168cm。体重60kg。愛称は「ギョブツ」。 2年遅れで慶應義塾普通部に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)とあだ名された。慶應義塾高等学校在学中に浅利慶太と出会い、当時同校の英語教師だった劇作家の加藤道夫に師事したことが機縁となって演劇の道を志す。実際の演劇活動は慶應義塾大学文学部仏文科在学中からである。1953年、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し、同じ仏文科の浅利慶太、水島弘、藤野節子、井関一らと劇団四季を結成する。
大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 -… 大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 - 2022年2月28日)は、日本の小説家、推理作家。本名、大谷一夫。 大阪府東大阪市にて出生、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒、慶應義塾大学国文科中退。 小説家に憧れていた母親によって、子供のころから新聞小説を読まされていたが、当初は小説家になる気は起きなかったという。大学時代は純文学に傾倒。終戦後、アメリカ音楽に心酔し、スチールギターを弾くようになる。父の破産後はバンドマンとなり、芸能界入り。大学在学中にプロミュージシャンとしてデビュー。後、「秀和プランニング」で克美しげるのマネージャーを務めた。 だが、「浮草稼業」から脱却するために小説を書き始めて江戸川乱歩賞に応募するようになる。
関口 欽也(せきぐち きんや、1931年2月16日 - 20… 関口 欽也(せきぐち きんや、1931年2月16日 - 2000年2月18日)は、日本の経営者。日本短波放送社長を務めた。 長野県出身。1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1981年3月に取締役に就任し、1984年3月に常務、同年6月に日本短波放送専務を経て、1986年6月には社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月から相談役を務めた。 1995年4月に藍綬褒章を受章。 2014年3月11日腎不全のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日… 久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日 - 1998年〈平成10年〉12月13日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の日本の初代会長、国際勝共連合の日本の初代会長。そのほか、世界日報社会長、世界平和連合会長、リトルエンジェルス芸術団理事長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長などを歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。「久保木亮光(りょうこう)」と名乗っていたこともある。本名は久保木脩夫。 1931年に中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任。
稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31… 稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31日 - 2020年(令和2年)7月12日)は、日本の実業家。稲森パーキング創業者。元静岡県ハンドボール協会会長。元日本体育協会理事。旭日小綬章受章。 1943年(昭和18年)、静岡県立静岡中学校入学、1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。同年、慶應義塾大学経済学部入学、ハンドボール部に所属。3,4年生時、関東学生選抜、4年生時、主将。この間、地元静岡県立静岡城北高等学校の技術指導を行い、同校が数年に亘り全日本高校選手権、国民体育大会で優勝する黄金時代の基礎づくりに貢献した。 大学卒業後は食品原料卸商、富士農商事に入社、1959年(昭和34年)、総理府より皇太子御成婚記念行事として実施された、日本青年海外派遣団員として米国に3ヶ月滞在。
薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000… 薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000年3月24日)は、日本の詩人、翻訳家、作詞家、放送作家。 童謡『まっかな秋』の作詞で知られる。 東京出身。慶応幼稚舎(小学校)で菊池知勇に学ぶ。慶應義塾大学仏文科卒。堀口大學、藤浦洸に師事。『風』『新詩潮』『詩帖』同人。1962年昆虫詩集『蝶の道』を刊行。1964年『海の誘惑』で室生犀星詩人賞受賞。昆虫など小動物を題材とした詩が多く、海外児童文学の翻訳・再話などもある。放送作家としてラジオの音楽番組の構成を担当したほか、シャンソンの訳詞も多く手がけた。 その他アンデルセン、グリムなどの再話 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 晃(なかむら あきら、1931年1月27日 - 200… 中村 晃(なかむら あきら、1931年1月27日 - 2005年7月14日)は、日本の実業家。北海道国際航空(AIRDO)社長。東京都出身。 1931年1月27日東京都で生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部入学。1952年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本航空株式会社に第一期の大学卒社員として入社。1957年、ロサンゼルス支店に栄転。1973年、日本航空株式会社を退社。翌年の1974年に、渡辺音楽出版に入社。1985年から西武セゾングループ・ヴィーヴルに入社。1988年に、ヴァージン・アトランティック航空日本支社長に就任。1994年に、ヴァージン・アトランティック航空を退社。1997年には、北海道国際航空(AIRDO)社長に就任。
北原 勇(きたはら いさむ、1931年1月 - )は、マルク… 北原 勇(きたはら いさむ、1931年1月 - )は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 東京府巣鴨町生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業。1956年慶應義塾大学経済学部副主。1959年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学経済学部助手、1962年専任講師、1964年助教授、1972年教授。1979年「独占資本主義の理論」で経済学博士(慶應義塾大学)。1994年日本学術会議第16期会員。1996年慶應義塾大学を定年退職。 妻は井村喜代子(慶應義塾大学名誉教授)。慶應義塾大学経済学部のゼミ生に黒瀬直宏(嘉悦大学経営経済学部教授)、池上彰(ジャーナリスト)がいる。
海原 峻(うみはら しゅん、1931年 - )は、日本の政治… 海原 峻(うみはら しゅん、1931年 - )は、日本の政治評論家。専攻は欧州問題研究。
田辺 寿(たなべ ひさし、1931年ないし1932年 - )… 田辺 寿(たなべ ひさし、1931年ないし1932年 - )は、日本の経営者、登山家。ダイエーグループの役職を歴任し、オ・プランタン・ジャポン社長や福岡ダイエーホークス球団社長などを歴任した、登山家としては、ヒマラヤ遠征に3度参加し、ヒマルチュリ (Himalchuli) 初登頂を果たすなどの実績を残している。 慶應義塾大学法学部在学中にマナスル登山隊への参加を希望し、卒業を延長して第3次遠征隊の派遣準備に関わったが、派遣は叶わなかった。1956年に大学を卒業し、三越に就職した。 1959年、日本山岳会のヒマルチュリ (Himalchuli) 遠征隊に参加。翌1960年には、山田二郎が率いた慶應ヒマルチュリ登山隊に参加して、原田雅弘とともに初登頂を果たした。
河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月2… 河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月24日)は、京都府出身の元アマチュア野球選手(投手)。 西京高等学校では、1949年夏の甲子園府予選準々決勝で桃山高からノーヒットノーラン(7回コールド参考記録)を達成。決勝に進むが、杉山真治郎のいた平安高に2-3で惜敗、京津大会には出場できなかった。1年上には甲子園で活躍した北本重二がいる。 1950年、慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグ戦では1951年、主将平古場昭二投手を中心に春は早稲田に次ぐ2位と留まるも、秋に優勝し早稲田の4連覇を止め、翌1952年春までリーグ戦2連覇(2季連続優勝)を達成した。同年秋は早稲田に次ぐ2位に留まる。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
松井 博光(まつい ひろみ、1930年12月5日 - 201… 松井 博光(まつい ひろみ、1930年12月5日 - 2012年11月1日)は、日本の中国文学者、旧・東京都立大学名誉教授。近現代中国文学が専門。 宮城県仙台市に生まれる。慶應義塾大学を卒業した。旧・東京都立大学助教授、教授を務め、1990年に定年退官して、名誉教授となる。
三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 20… 三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 2021年5月11日)は、日本の演出家、番組制作者、音楽家、舞踊評論家。 九代目岩井半四郎の養女の福の子女である日本舞踊岩井流宗家の五代目岩井紫若を妻とし、実業家でプロデューサーの三枝孝臣は長男。 慶應義塾大学経済学部を1952年(昭和27年)に卒業後、NHKに入社した。1963年(昭和38年)にNHKを退職、1964年(昭和39年)に東京12チャンネル(テレビ東京)の開局に伴い移籍した。後にテレビ東京常務、制作社長を歴任する。 1996年(平成8年)に松竹の子会社として設立された伝統文化放送の初代代表取締役社長に就任し、歌舞伎チャンネルの運営を行った。
鳥谷部 恭(とやべ たかし、1930年11月1日 - 202… 鳥谷部 恭(とやべ たかし、1930年11月1日 - 2026年1月22日)は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1954年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に千代田火災海上保険に入社。1977年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1983年7月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1997年6月から2001年3月末までに副会長を務めた。 1995年11月に藍綬褒章を受章。
津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 20… 津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 2013年7月24日 )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 山口県山口市出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三越に入社。1981年2月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年5月に専務を経て、1995年5月に社長に就任。1998年1月取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅井 慶三郎(あさい けいざぶろう、1930年10月5日 -… 浅井 慶三郎(あさい けいざぶろう、1930年10月5日 - 2016年9月25日)は、日本の経営学者。 東京出身。1953年慶應義塾大学経済学部卒、1963年同大学院博士課程満期退学。1966年慶大商学部専任講師、1967年助教授、1974年教授。1996年定年、名誉教授、常葉学園浜松大学教授、1998年校名変更で浜松大学教授。2001年退職。2000年「サービスとマーケティング パートナーシップマーケティングへの展望」で慶大商学博士。
甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年… 甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年11月30日)は、日本の絵本作家。広島県出身。京都府京都市右京区在住。 広島県の田畑が広がる農村地帯で、姉と弟三人とともに育った。広島県立高等女学校(府中高等女学校とも)3年のころから、疎開してきていた清水良雄(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事する。清水の没後上京し、慶応義塾大学精神神経科に教授秘書として勤めていたが、やがて画家になることを決意する。帯の絵付けや、子どもに絵を教える仕事などさまざまなアルバイトをしながら、鈴木寿雄に童画を学んだ。 1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』(童心社)を出版し、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。
泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本… 泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本の実業家。元・東映アニメーション株式会社代表取締役社長、元・東映株式会社副社長、元・一般社団法人日本動画協会顧問。 東京都新宿区出身。1955年、慶應義塾大学文学部卒業後、東映入社、自ら希望し東映東京撮影所助監督部に配属された。初仕事は1956年、高倉健のデビュー作『電光空手打ち』でのカチンコ係。過酷な撮影現場にたちまち身体を壊して1年余りで本社計画本部に異動。映倫審査係に配属され、2年後本社企画本部芸文課(脚本課)に異動して、ここで捨てかけられていた『謀反』(『十七人の忍者』)を読み、映画化を進言。これが「東映集団抗争時代劇」を生む切っ掛けとなった。
高橋 高望(たかはし たかもち、1930年9月26日 - 1… 高橋 高望(たかはし たかもち、1930年9月26日 - 1981年1月30日)は、日本の政治家。民社党所属衆議院議員(3期)。民社党神奈川県連副会長。 1930年、東京府北豊島郡岩淵町(現在の東京都北区岩淵町)生まれ。1943年、東京府東京市王子赤羽国民学校(現在の東京都北区立赤羽小学校)卒業後、陸軍幼年学校に進学。東京都立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)を経て、1955年、慶應義塾大学文学部卒業。大学卒業後、啓愛社に入社。1958年、啓愛社製作所を設立し、社長に就任。1973年、民社党入党。1974年、第10回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区に民社党から立候補し、落選。1976年、第34回衆議院議員総選挙神奈川4区から民社党から立候補し、初当選。
前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 20… 前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 2016年1月7日)は、日本のアマチュア野球選手、野球指導者。慶應義塾大学野球部で選手、監督を務めた。 高知県高知市出身。高知県立高知城東中学校のエースとして戦後初となる1946年夏の甲子園に出場。これは高知県勢で春夏通じて初めての全国大会出場だった(この年甲子園球場はGHQが接収中のため、阪急西宮球場で開催)。1回戦で芦屋中を降すが、続く2回戦で松本市立中に敗退。翌1947年春の選抜にも出場。2回戦では田辺中の岩本尭との投手戦となるが延長11回サヨナラ勝ち。3回戦では引地信之のいた下関商を降す。準決勝では小倉中の福嶋一雄と投げ合うが0-1で惜敗。
稲垣 吉彦(いながき よしひこ、1930年9月10日 - 2… 稲垣 吉彦(いながき よしひこ、1930年9月10日 - 2013年4月8日)は、日本の言語学者、評論家、アナウンサー。 神奈川県生まれ。本名・文男。慶應義塾大学経済学部卒業。NHKアナウンサー、NHK放送文化研究所主任研究員、文教大学情報学部教授を歴任。2001年退職。流行語などについて著作を多く著し、1971年から2013年まで『現代用語の基礎知識』の執筆にも携わった。2013年4月8日、肺炎のため死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 200… 海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 2009年7月21日)は、日本の西洋美術史・美学者、慶應義塾大学名誉教授。 1951年慶應義塾高等学校卒業、1955年慶應義塾大学文学部卒業。1960年同大学院博士課程単位取得満期退学。大学院では守屋謙二に師事した。1965 - 1966年スイス・バーゼル大学に留学する。慶應義塾大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1973年から同教授となる。1986年「ドイツ美術と人文主義 著述者像としてのエラスムスの肖像」で、慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。 1994年、任期を2年残して退職、慶應義塾大学名誉教授。同年4月から2001年3月まで、東亜大学大学院教授を務めた。
高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991… 高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991年1月7日)は、日本の奇術研究家・アマチュアマジシャン。東京生まれ。 1935年頃、新橋演舞場で松旭斎天勝のイリュージョン(人体浮揚や美女の胴体切り)を見て奇術に興味を持つようになった。1952年、慶応義塾大学経済学部卒業、1954年、慶応義塾大学法学部卒業。 衆院事務局参事を経て、国立国会図書館参考書誌部索引課主査。1986年4月退官。 1950年代~1960年代ごろ、日本国外の奇術の書籍・雑誌があまり日本に流通していなかったころから、日本国外の専門書の翻訳や解説書の執筆を精力的に行って日本の奇術界に貢献した。特に専門季刊雑誌『奇術研究』を通じてのクロースアップ・マジックの紹介は、当時の日本では非常に貴重なものだった。
門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年… 門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年11月30日)は、日本のジャーナリスト。福島県出身。
石井 陽一(いしい よういち、1930年7月28日 - )は… 石井 陽一(いしい よういち、1930年7月28日 - )は、日本の国際政治学者、神奈川大学名誉教授。専門はラテンアメリカ地域研究。NPO法人トランスペアレンシー・ジャパン事務局長。 東京生まれ。1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒、1955年同経済学部卒業。海外移住事業団(のち国際協力事業団=JICA)に17年勤務。スペイン留学、サンパウロ、リオデジャネイロ、サンフランシスコ勤務を経て、1973年神奈川大学外国語学部教授、2001年定年退任、名誉教授。
小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は… 小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は、日本の商学者、文筆家。千葉商科大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業後、明治生命(現:明治安田生命)入社(1983年3月まで)。 1983年より千葉商科大学助教授となり、1989年から千葉商科大学教授となる。1991年、「日本保険思想の生成と展開」で中央大学商学博士。2002年、千葉商大退任、名誉教授。 生命保険を研究したが、その他寺田寅彦などの人物伝を執筆する。
鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - … 鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - 1989年1月16日)は、日本の英文学者・詩人・音楽評論家。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て慶應義塾大学文学部英文科卒。慶應義塾大学法学部助教授、教授。現代英米文学を専攻し、「エリオット詩集」「ウィリアムズ詩集」などの翻訳や研究書を発表。西脇順三郎門下の詩人で、西脇の全集編集にも携わる。 現代美術・現代音楽、ジャズにも造詣が深く、エッセイも多数執筆、「コーシンさん」の愛称で親しまれた[要出典]。
谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は… 谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、法務大臣(第49代)、防衛庁長官(第41代)などを歴任した。「谷川和穂」の戸籍上の正式表記は旧字体の「穗」。
牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 200… 牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 2005年1月29日)は、日本の作曲家。 東京都出身。作曲を山田耕筰に、ピアノを豊増昇、井口基成、レオ・シロタに師事。主に現代邦楽の分野で活躍した。1960年に芸術祭大賞を受賞、1961年に芸術祭奨励賞を受賞、1995年には国際エミー賞および紫綬褒章を受章、2004年4月には旭日小綬章を受章。彼の功績をたたえ、「牧野由多可の会」が設立されている。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
寺尾 誠(てらお まこと、1930年6月4日 - 2015年… 寺尾 誠(てらお まこと、1930年6月4日 - 2015年6月1日)は、日本の経済史学者。 東京・渋谷生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒。同大学院をへて、1961年慶大経済学部専任講師、1963年助教授、1972年教授。1996年定年退職、名誉教授。
宮澤 浩一(みやざわ こういち、1930年5月23日 - 2… 宮澤 浩一(みやざわ こういち、1930年5月23日 - 2010年7月23日)は、日本の法学者。専門は刑法・刑事政策・ドイツ刑法。被害者学の大家。東京出身。「宮沢浩一」とも表記される。 1948年3月旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園)卒業。1953年3月慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1955年3月同大学院法学研究科修士課程修了(指導教授:宮崎澄夫)。1955年4月同法学部助手。1960年10月同法学部助教授。1966年4月慶應義塾大学法学博士、論題は「被害者学の基礎理論」。1966年4月同法学部教授に就任。1977年に西独・テュービンゲン大学、1988年ザールブリュッケン大学から、それぞれ名誉博士号を授与される。
木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930… 木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930年5月8日 - )は、日本の芸術舞台演出家である。 元国立劇場演出室長。同劇場を拠点に日本の儀礼音楽を芸術音楽に再構造化する音楽運動を展開。定年退職後は札幌大学、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として活躍の場をグローバルに拡大し、一層先鋭化した音楽、舞台芸術運動を演出家としても国内外公演で展開してきた。その成果は数多くセンセーショナルな実績を残してきた。2005年〜創造する伝統実行員会委員長就任。2011年以降は全ての公職を離れて、「日本文化が内包する美学」を物質に可視化する運動(文右衛門工房)を設立し、新たな日本文化の息吹を吹き込んでいる。
関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は… 関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は、日本の経営者。服部セイコー(現在のセイコーグループ)社長を務めた。 東京都出身。1955年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年7月に専務、1991年4月に副社長を経て、同年6月に社長に就任。1997年6月に取締役相談役に就任。
小島 三郎(こじま さぶろう、1930年5月4日 - 198… 小島 三郎(こじま さぶろう、1930年5月4日 - 1984年7月8日)は、日本の経営学者。 東京市本郷区(現・文京区)白山生まれ。都立小石川高校(現都立小石川中等教育学校)卒業後、1953年慶應義塾大学経済学部卒業、1958年同大学院博士課程満期退学、同商学部助手となり、1962年助教授、1968年経済学博士。1969年教授、1979年商学部長となるが53歳で死去した。
佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年… 佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年7月6日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長、会長を務めた。 静岡県出身。1953年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務、1988年2月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任。1988年9月にアサヒビール飲料製造社長に就任し、1990年9月にアサヒビール飲料社長に就任し、1996年7月にこれらの2社が統合して発足したアサヒ飲料社長に就任。1999年1月に会長に就任し、2000年10月には社長も兼任し、2001年3月に社長の座を植松増美に譲り、自身は取締役相談役に退き、2002年3月に相談役に就任。
鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本… 鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本の実業家。味の素代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、ダイエー代表取締役社長を務めた。 1955年慶應義塾大学大学院経済学研究科修了、味の素入社。1981年取締役に昇格。1985年常務取締役。1987年代表取締役専務。1989年から代表取締役社長として「WE-21」計画を推し進めた。後任の代表取締役社長には江頭邦雄を推したが、創業家の反対で叶わず、1995年代表取締役副会長に退き、1996年にはダイエーに顧問として移った。1999年からダイエー代表取締役社長を務めて経営再建にあたった。
北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月1… 北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月14日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、大阪府出身のレスリング選手・レスリング指導者。 旧制大阪市立中学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)から慶應義塾大学へ進学し、1952年ヘルシンキオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級で出場して銀メダルを獲得した。その後、レスリング世界選手権(1954年・東京)、1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)に出場していずれも銀メダルを獲得。 1960年ローマオリンピックではレスリング日本代表監督を務めた。また実業家として相撲茶屋初富を経営していた。 2016年2月27日、心筋梗塞により死去。
後藤 信幸(ごとう のぶゆき、1930年4月7日 - 201… 後藤 信幸(ごとう のぶゆき、1930年4月7日 - 2017年8月)は、日本のフランス・ドイツ文学者、詩人、翻訳家。亜細亜大学教養部助教授、教授。 大分県竹田市(当時の住所は、大分県直入郡竹田町古町575番地)に生れる。 1936年熊本県玉名郡弥富村の尋常小学校、1942年竹田中学校、1944年学徒勤労動員(北九州の軍需工場)を経て、1947年広島高等師範学校文科に入学。10代後半はロシア文学、ドイツ文学に親しみ、18歳ころより短歌を創作、手書き歌集『昼の夢』(200首)を宮柊二に送る。19歳頃より詩作。1960年、慶應義塾大学の通信教育で学ぶ。1965年慶應義塾大学文学部仏文科卒、学部論文は「シュペルヴィエルにおける詩的体験 - 記憶と忘却 -」。
和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年… 和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年7月6日)は、英文学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県生まれ。1958年慶應義塾大学大学院修士課程修了(英文学専攻)。慶應義塾大学教養部助教授、教授、95年定年、名誉教授、埼玉短期大学教授・学長。文芸誌『同時代』同人。2020年、7月6日死去。叙従四位。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
日野 哲也(ひの てつや、1930年3月16日 - 2024… 日野 哲也(ひの てつや、1930年3月16日 - 2024年6月23日)は、日本の経営者。ノリタケカンパニーリミテド社長を務めた。東京都出身。 1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本陶器(のちのノリタケカンパニーリミテド)に入社。1977年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格した。1999年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 2001年6月から2005年6月まで中部生産性本部会長を務めた。 2024年6月23日に老衰のために死去。94歳没。
松原 秀一(まつばら ひでいち、1930年(昭和5年)3月7… 松原 秀一(まつばら ひでいち、1930年(昭和5年)3月7日 - 2014年(平成26年)6月5日)は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学名誉教授。 1930年、外交官・言語学者の松原秀治の長男としてフランスのグルノーブルに生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学経済学部予科を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。1952年に卒業。同大学大学院に進み、1954年に仏文学修士号を取得。 慶應義塾大学文学部教授をつとめた。1993年に慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となった。フランス国立ポワティエ大学名誉博士。高等実習学院(第四部)客員教授も勤めた。 学界では、国際アーサー王学会会員、国際七賢人協会会員、日仏会館常務理事を長く務めた。
山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 200… 山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 2005年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家である。兵庫県神戸市出身。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。愛称はヤマタケ。 次男の山下透も作曲家で、父親のリスペクト・アルバムやリスペクト本に係わっている。 幼少期からフルートに親しみ、ジャズ、ハワイアンの手法を独学で学ぶ。大学在学中に作曲を始め、ラジオ放送で賞を獲得し、その才能を発揮する。同じころに影絵作家の藤城清治と出会い、NHK『学生の時間』の音楽を担当。後にビクターレコード専属となり、1960年(昭和35年)にLP『黒猫』、翌年に『黒い足音』を発表。 主としてラジオ、テレビドラマ、アニメ、CMの音楽を数多く作曲し、『七人の刑事』の主題歌で1962年(昭和37年)第4回日本レコード大賞新人作曲賞を受賞した。
井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、… 井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1947年石川県立金沢高等女学校卒業。1950年津田塾大学教養課程修了、慶應義塾大学3年に編入学。1952年慶應義塾大学経済学部卒業。1955年慶應義塾大学経済学部副手。1958年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程退学。慶應義塾大学経済学部助手、1961年専任講師、1963年助教授、1972年教授。1979年「恐慌・産業循環の理論」で経済学博士(慶應義塾大学)。1986年4月~1992年3月経済理論学会代表幹事。1995年慶應義塾大学を定年退職。 父は井村徳二(金沢のデパート「大和」創業者、勁草書房創業者、政治家)、兄は井村寿二(大和社長・会長、勁草書房社長)。
山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よ… 山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よしみ〉、1930年(昭和5年)2月25日 - 1965年(昭和40年)2月20日)は、日本の小説家。 東京都生まれ。慶應義塾大学仏文科卒。父は日本画家山川秀峰。 「三田文学」を編集し、その後自らも筆を執り『日々の死』『その一年』『海岸公園』などの短編集を発表。繊細で都会的な作風によって、敗戦後の青春と死の不条理を自伝的に描いた。『お守り』の翻訳が米「LIFE」誌に掲載されるなど将来を嘱望されたが、交通事故により34歳で死去。没後『愛のごとく』などが出版された。 ショートショートでも活躍し、『お守り』のほか、国語教科書に採用されることの多い『夏の葬列』がとりわけ知られている。
内山 秀夫(うちやま ひでお、1930年2月13日 - 20… 内山 秀夫(うちやま ひでお、1930年2月13日 - 2008年4月6日)は、日本の政治学者。専門は政治学。学位は、博士(法学)(慶應義塾大学・論文博士・1999年)(学位論文「比較政治の方法に関する研究」)。慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学法学部に学士入学し、1958年に卒業。経済学部時代は、前田祐吉と同級生だった。 アメリカ合衆国連邦議会研究員を経て、1967年同大学法学部助教授就任、1973年より教授。1988年慶應義塾福澤研究センター所長。その後1994年から1998年まで新潟国際情報大学学長を務める。1995年慶應義塾大学名誉教授。1999年「比較政治の方法に関する研究」で慶應義塾大学より博士(法学)の学位を取得。
小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2… 小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2003年9月21日)は、日本の医学者・精神科医、精神分析家。学位は、医学博士。慶應義塾大学環境情報学部教授、東京国際大学教授を歴任。 青年が大学を留年しつづけ、その後も定職につかない傾向の増加を分析し、彼らを人生の選択をさけていつまでも可能性を保ったまま、大人になることを拒否して猶予期間にとどまる「モラトリアム人間」と呼んだ。 1930年東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1954年慶應義塾大学医学部卒業。1960年「自由連想法の研究」で医学博士の学位を取得。1972年慶應義塾大学医学部助教授。1990年慶應義塾大学環境情報学部教授。
松平 康隆(まつだいら やすたか、1930年1月22日 - … 松平 康隆(まつだいら やすたか、1930年1月22日 - 2011年12月31日)は、日本のバレーボール全日本選手。位階は正五位。 バレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任。 2008年3月から“心の東京革命”推進協議会(東京都青少年育成協会)会長を務めた。 1930年(昭和5年)1月22日、東京府東京市荏原区(現・東京都品川区) 出身。松平は旧加賀藩士で家老職をつとめ、幕末には数年間小松城代をつとめた松平大弐家の血を引く家系であった。 東京府立第二十二中学校から東京都立城南高等学校(現・東京都立六本木高等学校)に改称した時の城南一期生で、この時の同級生であり親交の深かった友人が大平透(声優・ナレーター)であった。
新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2… 新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2021年8月23日)は、日本のアメリカ詩研究者、翻訳家。明治学院大学名誉教授。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 神奈川県三浦郡葉山町出身。1951年、慶應義塾大学法学部卒。明治学院大学大学院修了、フルブライト留学でミネソタ大学大学院修了。明治学院大学教授。1976年、文学部長。1981年、日本エミリ・ディキンソン協会会長。西脇順三郎に師事した。 日本エズラ・パウンド協会理事も務め、ディキンソン、パウンドなどのアメリカ詩人の研究者の育成を行った。エドワード・リアのノンセンス詩などを研究、翻訳もある。 2021年8月23日午前8時10分、老衰のため神奈川県逗子市の自宅で死去。
内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16… 内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16日 - 2005年6月22日)は、日本の実業家。群馬銀行元常務取締役。群馬ビジネスサービス元社長。藤田エンジニアリング元監査役。第89代警視総監を務めた樋口建史の義父。孫に東京都千代田区長(第9代)の樋口高顕。 群馬県出身。高崎市在籍。田島商店社長や安中町会議員などを務めた田島錦一郎の次男として生まれ、1955年(昭和30年)内田まさの養子となる。実家の田島家は安中町有数の素封家であり、名望家として多くの名士を輩出した。 1952年(昭和27年)慶応義塾大学経済学部を卒業し、同年4月群馬銀行に入行。1971年(昭和46年)6月大阪支店長、1975年(昭和50年)2月県庁支店長、1976年(昭和51年)8月大宮支店長、1978年(昭和53年)3月新宿四谷支店長、1979年(昭和54年)11月東京支店長を経て、1982年(昭和57年)6月取締役に就任。