片野 寛理(かたの ひろみち、1982年4月6日 - )は、… 片野 寛理(かたの ひろみち、1982年4月6日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションはDF。 船橋市立高根東小学校、船橋市立高根中学校、松戸矢切高等学校、順天堂大学卒業。 大学卒業後、栃木SCに入団。佐川印刷SCを経て、ギラヴァンツ北九州(当時ニューウェーブ北九州)へ移籍する。2010年シーズン終了後、ギラヴァンツとは契約不更新となり、移籍先を求めタイ・プレミアリーグのオーソットサパー・サラブリーFCに入団する。 2015年、香港ファーストディビジョンリーグの香港流浪足球会へ移籍。 その後はタイに戻りタイ・リーグ1のスコータイFC、タイ・リーグ2のトラートFC、シーサケートFCでプレー。
ディエゴ・加藤・マラドーナ(ディエゴ・かとう・マラドーナ、本… ディエゴ・加藤・マラドーナ(ディエゴ・かとう・マラドーナ、本名:加藤 謙太郎(かとう けんたろう)、1980年10月31日 - )は日本のお笑いタレント、サッカー選手。通称「カトケン」。神奈川県横浜市出身。 特技はサッカー。中学時代は横浜マリノスジュニアユースに所属。帝京高等学校在学中は全国高校サッカー選手権大会にて2度の準優勝。後に順天堂大学に進学し、サッカー部に所属。 大学卒業後、ワタナベコメディスクールに6期生として入学。帝京高サッカー部の1学年後輩にあたる岸本拓也と「ダイヤモンズ」を結成。帝京高サッカー部のユニホームを着用してコントを行なっていた。コンビ時代はメントレGの「メントレ地球貢献プロジェクト」に出演。
青葉 幸洋(あおば ゆきひろ、1979年7月26日 - )は… 青葉 幸洋(あおば ゆきひろ、1979年7月26日 - )は、埼玉県東松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。
藤田 芳正(ふじた よしまさ、1979年7月23日 - )は… 藤田 芳正(ふじた よしまさ、1979年7月23日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 中学校時代に高円宮杯の埼玉県大会3位、高校時代にサッカー部で全国高校総合体育大会準優勝2回、第76回全国高校サッカー選手権大会準優勝の経験がある。 帝京高校時代は、2学年上に松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、木島良輔、貞富信宏がいる。順天堂大学時代には、全日本大学選抜として東アジア競技大会、ユニバーシアードの優勝経験もある。 2002年に順天堂大学からモンテディオ山形に加入。2年間在籍し、2002年にJ2リーグで21試合に出場し、怪我のため2003年の終了後に退団した。
中村 太(なかむら ふとし、英:NAKAMURA Futos… 中村 太(なかむら ふとし、英:NAKAMURA Futoshi、1978年11月1日 - )は、埼玉県出身のサッカー審判員。VARおよびAVAR担当審判員。埼玉県サッカー協会所属。 大宮市立大宮南中学校、開智高等学校を経て順天堂大学体育学部に進み、蹴球部(サッカー部)に所属し、卒業を持って現役引退。埼玉県立学校の非常勤講師を経て2005年からは埼玉県立三郷北高等学校で教鞭を執りながら審判員資格を取得、2007年に2級、2009年に1級審判員の資格を取得。その後、埼玉県立与野高等学校を経て埼玉県庁に異動後もサッカー審判員としての活動を続けた。 2022年1月20日、同年4月1日付けで日本サッカー協会 (JFA) とプロフェッショナルレフェリー契約を結ぶ(埼玉県庁は退職)ことがJFAから発表された。
石原 克哉(いしはら かつや、1978年10月2日 - )は… 石原 克哉(いしはら かつや、1978年10月2日 - )は、山梨県韮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー 2001年のプロデビュー以来、ヴァンフォーレ甲府一筋のバンディエラ。 順天堂大学卒業後の2001年のシーズン開幕直後の4月にヴァンフォーレ甲府に加入し一年目から30試合に出場。以降もレギュラーに定着し、地元出身選手ということもあり名実ともに甲府の中心となっていく。2005年はJ2リーグ戦、入れ替え戦全試合に出場しチームの初昇格に大きく貢献。 J1初挑戦となった2006年、第2節のジェフユナイテッド市原・千葉戦(千葉2-2甲府、フクダ電子アリーナ)では右サイドからのクロスが流れたところを中央に折り返し堀井岳也の得点をアシスト。
羽石 架苗(はねいし かなえ、1978年5月16日 - )は… 羽石 架苗(はねいし かなえ、1978年5月16日 - )は、神奈川県出身の女子サッカー選手・指導者である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。 神奈川県内のクラブチーム、FCすすき野レディースで中学2年よりサッカーを始める。栃木県立宇都宮女子高等学校を卒業後順天堂大学に入学。在学中に当時関東女子サッカーリーグ所属のジェフユナイテッド市原レディースに入団し、リーグ戦の他関東女子サッカー選手権大会 (皇后杯全日本女子サッカー選手権大会の関東地区代表決定戦) に出場した。2000年、大学4年時に市原レディースはL・リーグに参入した。羽石は10試合 (リーグ戦全試合) に出場したが、同年度終了後に退団した。
岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )… 岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身の元サッカー選手。
迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広… 迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広島県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現Jリーグ・横浜F・マリノスヘッドコーチ。 順天堂大学で主将を務め、2000年にJ1昇格初年度を控えるFC東京へ入団。大卒即戦力ルーキーとしてFW戸田光洋と共に期待されての入団であった。しかしJ1を戦うFC東京ではレギュラー獲得には至らず、J2への期限付き移籍も経験。レンタル先では、2001年・2002年には横浜FCでセンターバックとしてフル回転し、2004年にはモンテディオ山形で右サイドバックのレギュラーをつかみ実力を発揮したが、レンタルから復帰したJ1の舞台では「貴重なバックアッパー」の域を脱する事が出来なかった。
山口 伸一(やまぐち しんいち、1976年7月29日 - )… 山口 伸一(やまぐち しんいち、1976年7月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。
堀田 利明(ほった としあき、1975年4月29日 - )は… 堀田 利明(ほった としあき、1975年4月29日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
須永 純(すなが じゅん、1975年4月27日 - )は、群… 須永 純(すなが じゅん、1975年4月27日 - )は、群馬県出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 前橋商業高校を卒業。須田剛史は高校の後輩にあたる。順天堂大学を経て1998年に水戸ホーリーホックに入団し、全試合にフル出場するが1年で退団しそのまま現役を引退した。 引退後には、市川三中サッカークラブコーチ、順天堂大学蹴球部コーチ、ジェフユナイテッド市原・千葉育成部コーチ、明海大学監督などを歴任し、2003年より千葉の育成部に復帰。 2006年より、U-21日本代表やJFAアカデミー福島でGKコーチを務めた。 2016年、千葉に再び戻りU-18コーチとなる。
只木 章広(ただき あきひろ、1975年4月16日 - )は… 只木 章広(ただき あきひろ、1975年4月16日 - )は栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 栃木SC時代は、「栃木の皇帝」「ミスター栃木SC」 と称された。 御幸サッカースポーツ少年団、宇都宮市立鬼怒中学校を経て1991年に栃木県立真岡高校に進学。2学年上に上野優作が、同級生には堀田利明がいた。高校時に1991年・1992年と高校選手権出場を経験した。高校卒業後は順天堂大学に進学。大学時代の同級生には堀田の他川口信男がいた。川口とは卒業後も電話で話をする仲であると語っている。3年次の1996年度大会で総理大臣杯優勝を経験した。 大卒後の1999年より栃木SCに入団。
川口 信男(かわぐち のぶお、1975年4月10日 - )は… 川口 信男(かわぐち のぶお、1975年4月10日 - )は、新潟県三条市出身(出生は隣接している加茂市)のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。 小学生の時に兄の影響でサッカーを始めた。高校時代には新潟県選抜として国体に2度出場。1994年に順天堂大学に進学し、先輩・名波浩のパスからゴールに迫る活躍で 同年の関東大学リーグ新人賞を受賞。スピードを活かした突破力を武器に快足ストライカーとして名を馳せた。同期に鈴木悟、鳥羽俊正。1997年には大学選抜に選出され、ユニバーシアードに参加。 1998年、名波が在籍するジュビロ磐田に入団。
小峯 隆幸(こみね たかゆき、1974年4月25日 - )は… 小峯 隆幸(こみね たかゆき、1974年4月25日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック)。 兄の影響でサッカーを始める。帝京高校では古沼貞雄の下、2年次に全国選手権優勝。2学年上には森下仁志、同学年には阿部敏之、松波正信、丸山良明、時岡宏昌、2学年下に熱田眞がいた。1993年に順天堂大学に進学し、総理大臣杯とデンソーカップで優勝を経験。順大の2学年上には名波浩がいたが、小峯は自らスパイク磨きの担当を買って出るほど名波を慕っていた。 大学卒業後もサッカーを続けることを希望していたが進路が決まらず、母校である帝京高校の練習に参加していた。その後練習生として東京ガスサッカー部に加入し、1998年より正式に東京ガス(後のFC東京)へ入団した。
森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は… 森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は、和歌山県海南市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー(MF)。 帝京高校では、2学年上に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、1学年下に日比威、清野乙彦と清野公彦兄弟、2学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌がいた。 順天堂大学卒業後の1995年にガンバ大阪に入団。2001年7月に、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、翌2002年には完全移籍となった。2002年にはチームキャプテンを務めた。 2004年には大学時代の同期・名波浩が在籍していたジュビロ磐田に完全移籍 するが、若返りを進めるチームにあって出場機会にはあまり恵まれなかった。
藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京… 藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京都府城陽市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。 順天堂大学では名波浩と同級生。体を張ったハードでタイトな守備を得意とした。またキャプテンシーに優れ、セレッソ大阪では選手会長、アビスパ福岡ではキャプテンを務める。現役引退後は古巣セレッソなどでコーチを務めた。
平岡 靖成(ひらおか やすなり、1972年3月13日 - )… 平岡 靖成(ひらおか やすなり、1972年3月13日 - )は、日本の元サッカー選手(ディフェンダー)、サッカー指導者。栃木県矢板市出身。 兄の影響でサッカーを始め、後年医師となった兄の後を追うべく進学校に入学したが、サッカーの道を選択した。現役時代は長身のセンターバックとして活躍し、またチームのムードメーカーとしても貢献していたが、2007年シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退した。 2007年1月21日に『Ole!アルディージャ』(テレ玉)の元レポーターと入籍した。2018年現在は大宮アルディージャアカデミーコーチを経てアカデミーダイレクターに就任。
千葉 泰伸(ちば やすのぶ、1971年4月11日 - )は宮… 千葉 泰伸(ちば やすのぶ、1971年4月11日 - )は宮城県石巻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1994年、順天堂大学を卒業しジャパンフットボールリーグの東芝サッカー部に加入。1996年にブランメル仙台に移籍した。1999年、J2第3節・ヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ初出場を果たすと延長Vゴールを決めて自身のJリーグ初得点とクラブのJ2初勝利を記録した。同年限りで現役引退。 引退後は2000年からジェフユナイテッド市原の育成部コーチを務め、2001年からはベガルタ仙台育成部コーチを務めた。2012年、東日本大震災の影響で休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼを移管して発足したベガルタ仙台レディースの初代監督に就任。
遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈… 遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈読み同じ〉、1970年8月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元日本代表。 実子はサッカー選手の遠藤雅己。 松戸市立新松戸北中学校、帝京高等学校、順天堂大学を経て、1993年、当時旧JFLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田)に入団。帝京高校サッカー部では岩本三郎、巻田清一は2学年上、飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行は1学年上、同期に池田伸康、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。 元々はフォワードとしてプレーしていたが、磐田が1994年にJリーグ昇格後、就任したハンス・オフト監督により左サイドバックにコンバートされる。
平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手… 平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 花巻中時代から注目を集め、東北の名将・斎藤重信の誘いで、盛岡商高に入学(当初は同県のライバル校・遠野高進学を希望していた)。 全国高校サッカー選手権では、1年生だった第65回で国見高(同大会準優勝)からゴールを奪うなど、早くからエース級の活躍をみせた。3年生のとき第67回でベスト8まで進出したが、準々決勝で藤田俊哉、三浦文丈、山田隆裕など後に日本代表となる選手たちをそろえた清水市立商高(同大会優勝、現静岡市立清水桜が丘高)に0-0と善戦したが、PK戦は1-3で敗退(最後にPKを外したのは平だった)。
小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )… 小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は金沢星稜大学サッカー部で監督を務める。 甥はサッカー選手の山岸祐也。 大学卒業後、当時のチームメイトと同様に富士通の社員として入社し、社業の傍らでジャパンフットボールリーグに参加する同社サッカー部でプレー。 その後、富士通サッカー部が川崎フロンターレとなってプロ化した後も小松崎は会社に籍を残し、アマチュア契約の社員選手としてプレーしたが、1999年に川崎を戦力外となりコンサドーレ札幌へ移籍。その際には富士通を退社し、プロ契約選手となる。 2001年には横浜FCへと移籍、移籍初年度から活躍するも、2年目に長期離脱などがあり出場試合数が激減し、シーズン終了後に戦力外となる。
小村 徳男(おむら のりお、1969年9月6日 - )は、島… 小村 徳男(おむら のりお、1969年9月6日 - )は、島根県松江市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 空中戦の強さとハードなプレーを売りに活躍したディフェンダー。 松江市立乃木小学校、松江市立湖南中学校出身。島根県立松江南高等学校時代からセンターバックとしてプレーするものの、当時は無名の存在だった。 順天堂大学へはスポーツ推薦ではなく学業推薦で入学、サッカー部に所属するものの当初は実質3軍に所属した。大学2年時に1軍に抜擢され、大学3年でレギュラーとなる。この年は、順天堂大学蹴球部黄金期で数々のタイトルを獲得した。大学卒業の翌年にJリーグ開幕を控え、当時JSLに所属しJリーグ参加を表明していたマツダ(サンフレッチェ広島)、松下(ガンバ大阪)、三菱(浦和レッドダイヤモンズ)、住金(鹿島アントラーズ)、日産(横浜マリノス)などからオファーが届いた中で、大学時代から代表で共にプレーした井原正巳とのプレーを選択する。
棚田 伸(たなだ しん、1969年7月25日 - )は、広島… 棚田 伸(たなだ しん、1969年7月25日 - )は、広島県広島市安佐北区口田(高陽町)出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。1994年の柏レイソルのJリーグ昇格をもたらした名選手である。サンフレッチェ広島の棚田遼は甥。 広島県立工業出身。2学年後輩に桑原裕義、梶山洋一がいる。1年からレギュラーに据えられ、テクニックのあるレフティーとして広島のマラドーナと呼ばれた[誰によって?]。1985年高校総体ベスト4、1987年高校選手権では準決勝まで勝ち進んだ室蘭大谷高校に初戦、PK戦で敗れた。この時唯一外したのが棚田である。順天堂大学を経て1992年に日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)入団。
古賀 琢磨(こが たくま、1969年4月30日 - )は、静… 古賀 琢磨(こが たくま、1969年4月30日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手(ディフェンダー)、サッカー指導者。元サッカー選手の古賀正人は実弟。女性ボーカルグループLittle Glee Monsterのかれんは実娘。 ヤマハからジュビロ磐田へとプロ化したチームの創生期を支えたひとり。オフト監督時代のJリーグ昇格直後の磐田でディフェンスのレギュラー格としてシーズンを通して活躍した。
大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )… 大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 実弟は元セレッソ大阪所属の大嶽真人。 東海大学第一高校の主将として1986年の第65回全国高校選手権優勝に貢献、自身も決勝の長崎県立国見高校戦で2点目の得点を決め勝利に貢献。大会終了後には優秀選手に選出された。 1987年に順天堂大学に入学して蹴球部に所属。インカレで3連覇(1987、1988、1989)、総理大臣杯優勝3回(1987、1989、1990)、関東大学リーグ優勝1回(1990)に貢献する。
赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、… 赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 国見高等学校3年生だった1986年度、高校総体の同校初優勝、冬の高校サッカー選手権の準優勝に貢献。 卒業後は、順天堂大学に進む。 その後、住友金属工業蹴球団に入団し、そのまま鹿島アントラーズに1992年と1993年の2シーズン在籍したがJリーグ発足後にトップチームでの出場機会はなかった。 1994年、コスモ石油サッカー部に移籍。 引退後は、会社員として働きながら、FMかしまのアントラーズ・スピリッツ(水曜日午後6時から午後7時)のサッカーコメンテーターをつとめる。 2022年4月から、かみす防災アリーナの定期教室「大人の室内サッカー(ビギナー)」で指導者をつとめる。
須田 芳正(すだ よしまさ、1967年8月22日 - )は、… 須田 芳正(すだ よしまさ、1967年8月22日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(FW)。 慶應義塾大学法学部卒。順天堂大学大学院修士課程スポーツ健康科学研究科及び弘前大学博士課程医科学研究科修了。 暁星小学校在学時にサッカーを始める。暁星中学校・高校と進学し、1984年にはU-16日本代表に選出された。 1990年に慶應義塾大学を卒業し、東京ガスに入社。強化を図っていた同社サッカー部(現 FC東京)に社員選手として所属し、同年の関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝。日本サッカーリーグへの昇格を果たした。 1992年、翌年から開幕するJリーグでのプレーを目指して、同リーグに参加する浦和レッズに練習参加し、プロ契約を結んだ。
杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は… 杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 順天堂大学在籍時に日本代表Bとして参加した第9回アジア・カップの予選全4試合(国際Aマッチに相当する公式戦だが、日本代表Bとしての出場のため日本サッカー協会は記録から抹消)に出場 したほどの小柄だが運動量豊富なテクニシャン。 大学卒業後は、ヤマハ発動機に正社員(総合職)で入社し、GHP営業部に配属された。また同期入社の中山雅史と同じくヤマハ発動機サッカー部に入部した。しかし、Jリーグ開幕の1993年にJリーグ参加の叶わなかった為、ヤマハ発動機を退社。 清水エスパルスに移籍し、1996年を最後に引退した。
阪倉 裕二(さかくら ゆうじ、1967年6月7日 - )は三… 阪倉 裕二(さかくら ゆうじ、1967年6月7日 - )は三重県四日市市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 四日市中央工業高校、順天堂大学を経て、日本サッカーリーグの古河電工(現-ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団、1994年まで在籍した。1995年からは名古屋グランパスエイト、1996年から1997年まではブランメル仙台(現-ベガルタ仙台)、1998年はマインドハウスTC(現-TSV1973四日市)でプレーし、1998年限りで引退した。1990年から1992年にかけては日本代表にも選ばれ、国際Aマッチ6試合に出場した。 引退後は1999年から横浜FCのコーチに就任。
石井 正忠(いしい まさただ、1967年2月1日 - )は、… 石井 正忠(いしい まさただ、1967年2月1日 - )は、千葉県市原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF、DF。 千葉県立市原緑高等学校から、一般入試で順天堂大学に進む。当時は「高校の教員になる」つもりだったが、本人曰く「教員採用試験の願書受付期間を勘違い」してしまい試験を受験できなくなってしまう。ところが、蹴球部の監督から「実はNTT関東から誘いが来ている」ことを聞かされ、1989年に当時日本サッカーリーグ2部所属だったNTT関東(現 大宮アルディージャ )へ入団。1年目から出場機会を得た。 1991年、既にプロ化に向けて動き始めていた住友金属工業へ移籍。鹿島アントラーズの創設メンバーとなり、鹿島の主力として1993年のサントリーシリーズ制覇などに貢献した。
堀池 巧(ほりいけ たくみ、1965年9月6日 - )は、静… 堀池 巧(ほりいけ たくみ、1965年9月6日 - )は、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。現役時代はディフェンダーとして活躍、日本代表にも選ばれた。 清水東高校時代は大榎克己、長谷川健太とともに「清水東三羽烏」として知られ、日本サッカーリーグ(JSL)の読売クラブ(現東京ヴェルディ)を経て1992年、Jリーグ発足に備えて設立された清水エスパルスに入団。エスパルス草創期の中心的な選手として活躍した。セレッソ大阪への期限付き移籍を経て、1999年シーズン限りで引退した。 主に右サイドバックを務め、日本代表や清水エスパルスでもこのポジションが多かったが、読売クラブ時代の1988年に守備的MF、1989年から1992年までセンターバックとして加藤久とコンビを組み、セレッソ大阪に移籍した晩年にもこのポジションを務めるなど守備のユーティリティープレーヤーとして活躍した。
和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、… 和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。次男の和田篤紀および三男の和田倫季もサッカー選手である。
平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、… 平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元サッカー日本代表。ポジションはDF(左サイドバック)、MF(左ウイングバック)、FW(左ウイング)。愛称は「デンさん」。 元プロサッカー選手の平川元樹は実子。 若い頃から俊足フォワードとして名を馳せ、順天堂大学在籍時の1985年に日本代表に選出。同年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。スーパーサブとして最終予選進出に貢献した。 1987年に日本サッカーリーグの日産自動車サッカー部に入部。当時のポジションは左ウイングであったが、1988年に横山兼三日本代表監督の下で左ウイングバックにコンバート、後に日産でもこのポジションを務めた。
斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は… 斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は、岩手県盛岡市出身のサッカー指導者。岩手県立盛岡商業高校や岩手県立大船渡高校のサッカー部監督として、両校を全国の強豪校に育て上げ、多くの選手を指導した。第85回全国高等学校サッカー選手権大会の優勝監督。 1947年5月6日生まれ。岩手県盛岡市で生まれ育ち、盛岡市立厨川中学校から盛岡商業高校に進学する。この間、中学校時代は休み時間のサッカーに加わるくらいであったが、高校で先輩から「入れ」といわれたことがきっかけでサッカー部に入部し、新潟国体に出場した。 高校卒業後の1966年、順天堂大学に入学し、1年生の時から試合に出場した。大学の同期に、のちに流通経済大学付属柏高校などの監督を務める本田裕一郎がいる。
本田 裕一郎(ほんだ ゆういちろう、1947年5月1日 - … 本田 裕一郎(ほんだ ゆういちろう、1947年5月1日 - )は、サッカー指導者。千葉県立市原緑高校、習志野市立習志野高校、流通経済大学付属柏高校の3校を監督としてサッカー強豪にし、多くのサッカー選手を指導している。 1947年に、4人兄弟の長男として静岡県に生まれる。静岡県立静岡東高等学校で赴任してきた教師の影響で高校2年の終わり頃に本格的にサッカーをはじめ、順天堂大学に進学してサッカーを続けた。順天堂大学にはのちに岩手県立盛岡商業高校などのサッカー部監督を務める斎藤重信が同期におり、本田と斎藤は長年の親友となった。 大学卒業後は市原市教育委員会に所属する。ここでサッカーの普及をかねた巡回指導に従事しているうちに現場に出たくなり、市原市立五井中学校に赴任。