青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )… 青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
東海大学:119人
青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )… 青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静… 井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
伊藤 寿文(いとう としふみ、1959年5月14日 - )は… 伊藤 寿文(いとう としふみ、1959年5月14日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。右投右打。広島時代は捕手、ダイエー時代は内野手登録。
津末 英明(つすえ ひであき、1958年10月16日 - )… 津末 英明(つすえ ひであき、1958年10月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)。
市川 和正(いちかわ かずまさ、1958年10月9日 - )… 市川 和正(いちかわ かずまさ、1958年10月9日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)。
原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、日… 原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手)。元プロ野球監督。解説者。読売ジャイアンツ球団特別顧問。読売ジャイアンツ前監督、WBC第2回大会(2009)日本代表監督を務めた。福岡県大牟田市生まれ、神奈川県厚木市育ち、相模原市(現南区)出身。
石井 昭男(いしい あきお、1955年9月26日 - )は、… 石井 昭男(いしい あきお、1955年9月26日 - )は、神奈川県三浦市出身の元プロ野球選手(外野手)。
遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )… 遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者、野球評論家。現役時代は横浜大洋ホエールズのエースとして活躍した。元プロ野球選手の遠藤政隆とは従弟にあたる。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。 学法石川高校では1972年、2年生時に中堅手、控え投手として夏の甲子園予選東北大会決勝に進出。東北高と対戦し6回からリリーフに立つが3-6で敗退。翌1973年にはエース、四番打者として福島大会決勝に進むが双葉高に1-2で惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後は東海大学工学部に進学。原辰徳は野球部の3年後輩にあたり、在学中は共にプレーしている。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本のアマチュア野球指導者、体育学者(国際武道大学教授)である。 1955年4月6日、千葉県銚子市出身。 1971年に千葉県立銚子商業高等学校に入学。銚子商時代には斎藤一之の指導を受け、3年生だった1973年の第55回全国高等学校野球選手権大会では六番・一塁手として出場。大会2回戦では江川卓擁する作新学院高等学校と対戦して、雨中の熱戦の末に延長戦で勝利した試合にフル出場した選手でもあった。 高校卒業と同時に東海大学に進学し、硬式野球部に入部。同期には遠藤一彦、石井昭男がいた。大学3年及び4年時には首都大学野球リーグ戦の2年連続春秋連覇を経験した。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本の体育学者(国際武道大学教授)、アマチュア野球指導者である。
田倉 雅雄(たくら まさお、1955年 - )は、東京都町田… 田倉 雅雄(たくら まさお、1955年 - )は、東京都町田市出身の日本の高校野球指導者。東海大学付属相模高等学校元保健体育科教諭。 町田市立堺中学校時代にエースとして活躍。 原貢率いる東海大相模高校に憧れ、入学。3年夏には投手として、甲子園大会に登板。 高校卒業後は東海大に進み、野球部に所属。1976年の大学選手権で日本一を経験している。 高校時代の恩師の原が東海大の監督に就任するのに伴い、東海大の投手コーチに就任。 1979年春からは24歳にして、東海大相模高校の監督に就任。1980年には自身による不祥事(後述)で夏の大会を辞退し、その後一時的に監督から退任。1984年に監督に復帰。1980年、1986年、1988年の春の県大会で優勝。
大八木 治(おおやぎ おさむ、1953年10月12日- )は… 大八木 治(おおやぎ おさむ、1953年10月12日- )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の高校野球監督である。 原貢のいた東海大相模高校に進学し、1970年には控え捕手として夏の甲子園で全国優勝を経験している。その後東海大学に進学。 卒業後は東海大相模コーチ・東海大助監督を経て1977年に東海大甲府高校に赴任した。当初はコーチとして指導していたが1979年に監督に就任し、13年間の在任期間中に夏の高校野球で7回、センバツ大会で4度山梨代表として出場、うち夏に1度、センバツで2度のベスト4進出を果たした。 1991年を最後に東海大甲府監督を退任し、その後は東海大高輪台高校部長、さらに相洋高校監督に就任するも甲子園出場を果たせず、2000年には夏の第1シード校として神奈川大会に臨んだものの、初戦(2回戦)で鶴嶺高校に大敗。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
相本 和則(あいもと かずのり、1949年4月22日 - )… 相本 和則(あいもと かずのり、1949年4月22日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 三池工業高校では1965年夏の甲子園でチームの初優勝を経験するが、1年生であり出場はできなかった。高校同期に猿渡寛茂がいる。 高校卒業後は東海大学へ進学。首都大学野球リーグでは在学中に6回優勝。二塁手、一番打者として活躍する。1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会に首都大学野球リーグ代表として出場。決勝ではエース上田二郎が東京六大学野球リーグ代表の星野仙一らと投げ合い完封勝利、優勝を果たす。1969年の第18回全日本大学野球選手権大会でも決勝に進み、上田が日大の佐藤道郎と互いに無失点で投げ合う。
田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和… 田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
穴見 寛(あなみ ひろし、1947年 - 2021年12月5… 穴見 寛(あなみ ひろし、1947年 - 2021年12月5日)は、福岡県出身の日本の高校野球指導者。 三池工業高校時代には原貢監督の下でプレー。1965年夏の甲子園大会には8番・捕手で出場し、2年生エースの上田卓三をリードし、同校の初出場初優勝に貢献。また、かつての活況を失っていた「炭鉱の町」・三池を湧かした。 高校卒業後は首都大学野球の東海大学に進学。同期に上田次朗、1学年下には高校からの後輩である林田俊雄がいた。 大学卒業後は、恩師の原が監督を務めていた東海大相模高校のコーチとして赴任し、原が東海大の監督に就任後には同校の監督を引き継いだ。1977年には夏の甲子園に出場。 その後は地元の福岡に戻り、系列校の東海大第五高校の監督に就任。
小川 茂仁(おがわ しげひと、1946年10月16日 - )… 小川 茂仁(おがわ しげひと、1946年10月16日 - )は、和歌山県海南市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 海南高等学校では遊撃手として活躍し、同期のエース・山下慶徳らと甲子園に3度出場した。高校卒業後に東海大学に進学して硬式野球部に所属し、全日本大学野球選手権で優勝した経験もある。同期のエースに渡辺孝博がいた。 大学卒業後は、社会人野球の日立製作所のチームでプレーし、東海大学でコーチ、監督を務めた。1992年10月に宮崎県の日南学園高等学校の監督に就任。2007年まで務め、春4回、夏5回で甲子園への出場に導き、1998年秋の明治神宮野球大会で全国優勝を果たし、寺原隼人、赤田将吾、井手正太郎などを育成した。
渡辺 孝博(わたなべ たかひろ、1946年7月21日 - )… 渡辺 孝博(わたなべ たかひろ、1946年7月21日 - )は、ヤクルトアトムズ・ヤクルトスワローズに所属した元プロ野球選手(投手)。東京都立川市出身。 東京都立八王子工業高等学校から1965年に東海大学へ進学すると、1964年に創設された首都大学野球のリーグ戦で、1学年後輩の上田二郎投手と共に活躍。在学中に7度のリーグ優勝を果たしたほか、全日本大学野球選手権大会でも準決勝に2度進出した。在学中には、リーグ戦で通算40試合に登板。26勝3敗、防御率0.86、213奪三振を記録したほか、最高殊勲選手に3回、最優秀投手に2回、ベストナインに3回選ばれている。 さらに、大学4年時の1968年に催された明治維新百年記念明治神宮野球大会では、上田とともに首都大学選抜チームのエースとして出場。
成瀬 脩人(なるせ しゅうと)は、愛知県あま市出身のプロ野球… 成瀬 脩人(なるせ しゅうと)は、愛知県あま市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 5歳から野球を始め、あま市立甚目寺西小学校では甚目寺キングナインズでプレー。あま市立甚目寺中学校に進学し、稲沢リトルシニアに所属。3年次にはシニアの日本代表に選出された。 高校時代は東海大学菅生高等学校でプレー。1年秋に正二塁手としてスタメンに定着。3年間で甲子園大会への出場はなかった。2学年上に松本健吾、川口冬弥、1学年上に田中幹也・戸田懐生らがいる。 高校卒業後は系列校である東海大学に進学したが、4年間で1度も規定打席に到達することができなかった。 2024年にNTT西日本へ入社。