半田 南十(はんだ みなと、2007年5月10日 - )は、… 半田 南十(はんだ みなと、2007年5月10日 - )は、神奈川県横浜市緑区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校時代は横浜DeNAベイスターズジュニアでプレーした。中学校時代はクラブチームに所属。 日本大学藤沢高等学校では入学直後の練習試合から本塁打を量産したことが相まって、1年生から一桁の背番号をもらった。もともとはスイッチヒッターであったが、高校より左打に専念した。監督の山本秀明は、高校に入ってから守備が格段にうまくなったと評している。高校通算24本塁打。 2025年のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズからドラフト4位で指名を受けた。11月10日に入団交渉に臨み、契約金3500万円、年俸530万円で入団に合意した(金額はいずれも推定)。
小針 大輝(こばり だいき、2006年10月10日 - )は… 小針 大輝(こばり だいき、2006年10月10日 - )は、東京都調布市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 中学校在学中は調布リトルシニアに所属。日本大学鶴ヶ丘高等学校に進学すると1年次から中軸として出場し、2年夏の西東京大会決勝の日本大学第三高等学校戦では5番打者として一塁手でスタメン出場したが、試合には敗れている。3年夏は西東京大会4回戦で駒澤大学高等学校に敗れており、春夏通じて甲子園出場経験はなし。高校通算20本塁打。 2024年度育成選手選択会議で横浜DeNAベイスターズから外野手として育成選手ドラフト1位で指名され、同年11月22日に叙々苑店内で入団合意し仮契約を結んだ。
谷端 将伍(たにはた しょうご、2004年3月17日 - )… 谷端 将伍(たにはた しょうご、2004年3月17日 - )は、石川県白山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 白山市立東明小学校1年から松任ブルーウイングスで野球を始める。星稜中学校時代は軟式野球部に所属。 星稜高等学校時代は2年秋から三塁手のレギュラー。3年夏の石川県大会では部員のコロナ感染により出場辞退を経験、甲子園には縁がなかった。高校の2学年先輩に奥川恭伸、山瀬慎之助、1学年先輩に内山壮真、寺西成騎、2学年後輩に武内涼太がいる。 日本大学では1年時からベンチ入り。東都大学野球連盟1部リーグで首位打者2回、ベストナイン3回を受賞した。4年時には第45回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、第4戦で先発し3安打3打点を記録した。
髙谷 舟(たかや しゅう、2003年7月27日 - )は、北… 髙谷 舟(たかや しゅう、2003年7月27日 - )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 札幌市立円山小学校在学中の小学3年で学童野球チーム「円山スターズ」に加入し、野球を始めた。円山スターズは円山小の児童を中心に構成される少年野球チームで、平日には同校グラウンドまたは体育館で練習が行われている。 札幌市立向陵中学校に進学後、クラブチーム「T・TBC」(軟式)に所属し、外野手としてプレーした。2017年に開催された「スーパースポーツゼビオ杯 秋季空知中学校野球選手権」では最優秀選手賞(MVP)を受賞している。 札幌日本大学高等学校では控え投手としてベンチ入りした。
菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、… 菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、山形県南陽市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 南陽市立赤湯小学校3年時に赤湯ワイルドキッズで野球を始める。南陽市立赤湯中学校では軟式野球部に所属。 中学卒業時は、日本大学山形高等学校か山本学園高等学校(※現 惺山高等学校)のどちらに進学するか迷っていたが、「指導が合いそうなのでプロに行ける可能性が高まる」とし、山本学園への進学を決意。同校では1年夏からベンチ入りし、秋からエースナンバーを背負う。3年夏の山形大会では3回戦で羽黒と対戦して敗退するが、15イニングを投げ30個の三振を奪った。 プロ志望届を提出し、2021年10月11日に開催された2021年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成3巡目で指名を受けた。
長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は… 長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は、栃木県塩谷郡氏家町(現:さくら市)出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 さくら市立氏家中学校時代は硬式野球の『栃木さくらボーイズ』でプレーした。 佐野日本大学高校では2年夏ごろから球速が大幅に向上し、2年秋はエースナンバーを背負い、県大会では自己最速の143km/hを計測したが、青藍泰斗との準決勝で敗退。その後は新型コロナウイルスの影響で部活動の自粛を余儀なくされ、寮を離れて自宅で過ごすよう指示され、自主練習の時間を十分に確保するのも難しい状況で、本人は「環境のせいにしてはいけない。自分の甘さが出てしまって、努力が足りなかった」と当時を振り返り、3年時の球速は140km/h前後で停滞した。
富田 蓮(とみだ れん、2001年9月6日 - )は、岐阜県… 富田 蓮(とみだ れん、2001年9月6日 - )は、岐阜県養老郡養老町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 養老町立東部中学校時代は硬式野球チーム「大垣ボーイズ」に所属していた。岐阜県立大垣商業高校では1年秋からベンチ入り。2年春の大会では背番号1を身に着け、夏の大会では県大会準優勝を経験した。3年夏の大会では準決勝へ進むも、前年夏の県大会決勝で敗れた大垣日本大学高等学校の前に再び敗れた。 2年夏の大会には当時三菱自動車岡崎で監督を務めていた野波尚伸が大垣日大に所属する長男の応援のため観戦に来ていた。この試合で富田の投球に目を付けた野波は3年夏の大会前に富田を三菱自動車の練習に招待し、高校卒業後は同社に入社することとなった。
杉田 健(すぎた たける、2001年8月28日 - )は、静… 杉田 健(すぎた たける、2001年8月28日 - )は、静岡県三島市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 三島市立佐野小学校で1年生の時に三島ノースタイガースで野球を始める。三島市立北上中学校在学時は硬式野球のクラブチームである三島シニアでプレーしていた。 日本大学三島高等学校に進学し、2年春からベンチ入り。3年春からエースを務めた。高校時代は甲子園大会への出場はなく、3年夏は静岡大会初戦で藤枝北に敗れた。 高校卒業後は日本大学国際関係学部へ進学。右肘の疲労骨折などもあり3年間は登板がなく、4年春にリーグ戦初登板した。同年秋のリーグ戦では5試合に先発登板して5勝、防御率0.26を記録し、優勝に貢献。
井上 広輝(いのうえ ひろき、2001年7月17日 - )は… 井上 広輝(いのうえ ひろき、2001年7月17日 - )は、神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生の時に「恩名ソフト」でソフトボールを始めた。厚木市立南毛利中学校入学後に「海老名南リトルシニア」で野球を始め、中学3年時には日台国際野球大会の南関東選抜に選ばれた。 日本大学第三高等学校では2年時に甲子園春夏連続出場。春の第90回記念選抜高等学校野球大会では、1回戦の由利工業高校戦では、救援投手として6回を投げて勝利投手となったが、2回戦の三重高校戦は、先発し6回3失点で敗戦投手となった。夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では2試合に登板。ベスト4に進出するが、吉田輝星を擁する金足農業高校に1-2で敗れた。
廣澤 優(ひろさわ ゆう、2001年4月27日 - )は、東… 廣澤 優(ひろさわ ゆう、2001年4月27日 - )は、東京都世田谷区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 日本大学第三高等学校では2年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会に控え投手として出場。龍谷大平安との3回戦で大会初登板初先発し、5回2失点の好投で勝利に貢献した。また、この試合で当時の自己最速を更新する148km/hを計測している。金足農業との準決勝でも先発して4回途中1失点だったが、試合は敗れた。3年夏は西東京大会準々決勝で桜美林に敗れた。同学年に井上広輝がいた。 高校卒業後はJFE東日本へ入社。4年間在籍して最速を158 km/hまで伸ばしたものの、都市対抗野球大会、日本選手権大会では一度もベンチ入りすることができなかった。
勝又 温史(かつまた あつし、2000年5月22日 - )は… 勝又 温史(かつまた あつし、2000年5月22日 - )は、東京都狛江市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。愛称は苗字からとって「かっちゃん」。 狛江市立狛江第六小学校に入学し、小学校3年の時から軟式チーム・狛江ロッキーズで野球を始める。野球を始めたきっかけは友達の誘いで、それまではサッカーをやっていたという。狛江市立狛江第二中学校に進学し、野球は狛江ボーイズに所属した。 日本大学鶴ヶ丘高等学校に進学。そのきっかけは小学5年生の時に全国高等学校野球選手権西東京大会で日本大学第三高等学校と善戦しながら敗れた試合を見て、強い日大三高を倒したいという思いを抱いたことだった。
赤星 優志(あかほし ゆうじ、1999年7月2日 - )は、… 赤星 優志(あかほし ゆうじ、1999年7月2日 - )は、東京都世田谷区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 世田谷区立池尻小学校1年生の時に野球を始め、6年生の時に投手になる。世田谷区立三宿中学校時代は上馬クラブに所属。 日本大学鶴ヶ丘高等学校では2年夏は西東京大会ベスト16。2年秋からエースとなる。3年春には球速が145km/hまでアップし、好投手として注目されたが、3年夏の西東京大会は4回戦で敗退した。その後、プロ志望届を提出した上で3球団の入団テストを受験し、うち1球団は合格するも、ドラフトでは指名されなかった。高校時代の1学年下に勝又温史がいた。 進学した日本大学では1年からベンチ入りを果たし、冬には球速が150km/hに到達。
ブライト 健太(ブライト けんた、本名:アドゥ ブライト 健… ブライト 健太(ブライト けんた、本名:アドゥ ブライト 健太、英: Kenta Bright Ado、1999年5月7日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれる。足立区立弘道第一小学校では柔道をしていたが、6年生のときに軟式野球を始める。中学時代は、足立区立第十一中学校野球部と並行し軟式野球チームの「シニアクラーク」に所属。 東京都立葛飾野高等学校へ進学し、一塁手のレギュラーに定着。高校時代の甲子園出場はなく、最高成績は東東京大会2回戦。3年春は大会直前に右足首靱帯を損傷したものの、日本大学第三高等学校戦ではベンチ入りし、コールド負け直前に代打として左足だけで内野安打を放った。
田中 美羽(たなか みわ、1998年6月19日 - )は、神… 田中 美羽(たなか みわ、1998年6月19日 - )は、神奈川県川崎市川崎区出身の女子野球選手(内野手、外野手)・代表選手、ベースボール5選手・代表選手。右投右打。2023年から読売ジャイアンツ女子チーム所属(主将)。 兄の影響で小学1年生の時に野球を始める。川崎市立川崎中学校に進学後の2011年には、地元で活動しているクラブチーム「オール京急」に入団し本格的に硬式野球を始める。チームでは副主将を務めた。2014年に横浜隼人高等学校女子硬式野球部に入部し、主将を務めるなど春の大会でベスト4・夏の大会でベスト8などの結果を残した。 2017年、日本大学文理学部体育学科に進学。準硬式野球部が女子選手も受け入れていたことで、平日のトレーニングを男子部員と行いながらアサヒトラストに所属し、2020年に創設された埼玉西武ライオンズ・レディースに移籍。
坂倉 将吾(さかくら しょうご、1998年5月29日 - )… 坂倉 将吾(さかくら しょうご、1998年5月29日 - )は、千葉県印旛郡酒々井町出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 酒々井町立酒々井小学校時代には、1年時から酒々井ビッグアローズに所属。当初は捕手だったが、5年時に投手へ転向すると、6年時に千葉県大会へ出場した。長年投手としてプレイ 酒々井町立酒々井中学校への進学後は、八千代中央シニアに所属しながら捕手へ復帰。中学3年の春には、八千代中央シニアの正捕手として、シニアリーグの全国大会で優勝を経験した。 高校への進学に際しては、県内外の30校近い野球強豪校から勧誘されたが「3年間寮で生活しながら、野球だけではなく人間力も磨きたかった」という思いから、日本大学第三高等学校への進学を決めた。
吉村 貢司郎(よしむら こうじろう、1998年1月19日 -… 吉村 貢司郎(よしむら こうじろう、1998年1月19日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 足立区立興本小学校2年生の時に野球を始め、足立区立第八中学校在学中は硬式野球のクラブチームである足立ベルモントボーイズでプレーした。 日本大学豊山高等学校に進学し、1年秋からエースを務めた。3年夏の東東京都大会では決勝まで進出したが、オコエ瑠偉らを擁する関東第一高等学校に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなし。 國學院大學に進学し、2年春からリーグ戦に登板したが怪我に苦しみ、4年秋のリーグ戦では1試合の登板に留まった。プロ志望届を提出したが、2019年のドラフト会議では指名がなかった。
橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、… 橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 高浜町立高浜小学校3年生の時から野球を始めた。高浜町立高浜中学校時代は若狭高浜ボーイズで活躍した。高校は岐阜県の大垣日本大学高等学校に在学していた若狭高浜ボーイズの1年先輩から勧誘を受け、同校へ進学した。 高校1年の夏には、高校野球岐阜県大会決勝戦で胴上げ投手となり、監督の阪口慶三から賛辞を受けた。試合に集中するあまり、チームメイトがマウンドへ集まるまで、甲子園出場が決定したことに気付かなかった。夏の甲子園大会では開幕戦の有田工業高等学校戦で救援登板するも、1回3失点で敗戦投手となった。
片岡 奨人(かたおか しょうと、1997年11月16日 - … 片岡 奨人(かたおか しょうと、1997年11月16日 - )は、北海道二海郡八雲町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 札幌日本大学高等学校時代は2年秋の全道大会にベスト4に進出したのが最高成績で、甲子園出場経験はない。 高校卒業後は東日本国際大学に進学し、3年の秋季リーグから主将を務め、同大学を初の明治神宮野球大会出場に導いた。3年時と4年時には全日本大学野球選手権大会に出場しており、14打数6安打を記録。4年の春季リーグではMVPを受賞した。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、11月14日に契約金2000万円、年俸700万円(推定)で仮契約を結んだ。
柳 理菜(やなぎ りな、1997年5月11日 - )は、神奈… 柳 理菜(やなぎ りな、1997年5月11日 - )は、神奈川県出身の元女子プロ野球選手。日本大学卒。ポジションは投手。血液型B型。 2020年、埼玉アストライアに入団。同年の新人選手8人の中で唯一の大卒選手。 2021年7月21日、自身のツイッターにて女子プロ野球を退団したことを発表。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
上川畑 大悟(かみかわばた だいご、1997年1月12日 -… 上川畑 大悟(かみかわばた だいご、1997年1月12日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校4年生の時に倉敷市の学童軟式野球チーム「粒江ビッグスター」で野球を始める。 岡山県立倉敷商業高等学校に進学し、1年夏の第94回全国高等学校野球選手権大会にベンチ入り。 高校卒業後は、日本大学生産工学部に進学する。大学野球部の2学年上には京田陽太がおり、二遊間を組んだ。2年秋にリーグ優勝、ベストナインを受賞。4年侍ジャパン大学日本代表に選出され、2018 ハーレムベースボールウィークに出場。 大学卒業後、NTT東日本に所属し、1年目から遊撃手のレギュラーを獲得。
田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃… 田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 父親の影響を受け、小学校から宝木ファイターズで軟式野球を始め、6年時にエースとして県大会で優勝をする。中学校では硬式野球の鹿沼ボーイズに所属し、3年に世界大会に出場した。 佐野日本大学高等学校では1年夏からベンチ入りして、1年秋から背番号11ながら主戦を任され秋・春連続で関東大会進出。2年秋から背番号1を背負い、2年秋の関東大会では淺間大基・髙濱祐仁を擁する横浜高校を破り関東大会ベスト4に進出し、選抜出場を決める。3年春の選抜大会に出場すると、1回戦の鎮西戦で完封勝利。
奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )… 奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )は、滋賀県湖南市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)。コーチ。 小学校1年生の時に「三雲東スポーツ少年団」で野球を始め、甲西中学校時代には「リトルシニア草津パンサーズ」に所属していた。中学校の同級生に西村凌がいる。 中学卒業を機に地元の滋賀県を離れ、日本大学山形高校へ進学。1年生の春から正二塁手に起用された。主将を務めた3年夏には、1学年後輩の中野拓夢と二遊間を組み、第95回全国選手権大会に出場すると準決勝にまで進出。自身は全4試合で4番・遊撃手で先発出場、11打数3安打3打点・打率.273という通算成績を残したほか、日大三高との2回戦では本塁打を打っている。
甘露寺 仁房(かんろじ まさふさ、1995年〈平成7年〉2月… 甘露寺 仁房(かんろじ まさふさ、1995年〈平成7年〉2月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手)。 甘露寺重房・圭郁夫妻の息子として、東京都港区に生まれる。出身の甘露寺家は名家の家格を有した堂上家の家系かつ維新後は伯爵に叙された家であり、仁房自身も小学校の課題で調べて「すごい家に生まれたんだなあ、と」思ったという。 両親がテニスプレイヤーであったことから幼少期よりテニスラケットを握っていたが、父重房がテニスボールを投げたところから野球が好きになり、中学時代に硬式クラブチームに入った。その後、吉永健太朗を追って日本大学第三高等学校に進学するが、高校三年間は公式戦に出られなかったのだという。
京田 陽太(きょうだ ようた、1994年4月20日 - )は… 京田 陽太(きょうだ ようた、1994年4月20日 - )は、石川県能美郡寺井町(現:能美市)出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 寺井町小杉の家庭で長男として出生。生後11か月から歩き出し、1歳を迎えたころには上手に歩けるようになっており、また好き嫌いもせず何でも食べていた。能美市立寺井小学校の2年時に、寺井学童野球クラブで軟式野球を始めた。小学校卒業後の2007年4月、能美市が主催した同市出身の松井秀喜(当時、ニューヨーク・ヤンキース)応援ツアーに応募し、当選。旧ヤンキー・スタジアムにて松井と握手をした(試合は雨で中止)。能美市立寺井中学校への進学後に白山能美ボーイズへ所属すると、日本少年野球選手権大会全国大会での準々決勝進出を経験した。
弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木… 弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 身長は193cmで、2021年に阿部剣友に抜かれるまではNPBの日本人左腕投手で歴代最長身であった。 実家では祖父から2代にわたってラーメン店を経営。佐野市立吉水小学校で野球を始め、佐野市立田沼東中学校時代は佐野シニアに所属。佐野日本大学高校に進学すると2年春からベンチ入りし、3年春からはエースを務めたが、甲子園球場の全国大会とは無縁であった。野球部の2年後輩に田嶋大樹がいる。 日本大学への進学後は肩や肘の故障もあり、入学から2年間での公式戦登板はわずか1試合のみであった。4年になると頭角を現し、4年秋では初の完封勝利を挙げるなど2勝0敗・防御率1.93という好成績で敢闘賞を受賞し、チーム25季ぶり(2004年春以来)となる東都大学1部リーグ優勝に貢献した。
山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 -… 山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた。 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。
柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は… 柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 市立松代小学校時代は「松代ブルーサンダース」、市立手代木中学校時代は「つくばリトルシニア」に所属していた。中学3年時点で身長が163cmと小柄で強豪校からは声が掛からず高校は知人の紹介で誠恵高校に進学する。 高校では4番で臨んだ3年夏の県大会3回戦で延長11回逆転サヨナラ負け。 日本大学国際関係学部では、2年の春に肘を痛めトミー・ジョン手術を受け、1年間試合に出場出来ない日々を送る。4年生の時の東海地区大学野球秋季選手権大会では敗者復活1回戦で完全試合を達成した嘉代誠をリード、続く第11回東海・北陸・愛知三連盟王座決定戦でも「4番・捕手」として先発出場した。
野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は… 野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は48。 日本大学第一高等学校から日本大学へ進み、学生コーチを務めた。同期に山崎晃大朗、1学年上に森脇亮介、戸根千明、1学年下に京田陽太がいた。2017年1月1日に日本野球機構審判部に入局。 (記録は2025年シーズン終了時点)
阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )… 阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )は、大阪府出身(宮崎県西都市育ち)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 プロフィール上の出身地は大阪府だが、実父が宮崎スポーツ振興会の職員であることから、実際には大阪府内で出生後に宮崎県内で生活していた。西都市立三財中学校時代は、宮崎情熱ボーイズ(現在の宮崎西部ボーイズ)に所属。中学3年時には、日本代表チームの一員として、第18回世界少年野球大会で優勝を経験した。 中学校からの卒業後に、阪口慶三を慕って岐阜県の大垣日本大学高等学校へ進学。1年時の春季岐阜県大会では、準々決勝で先発デビューを果たした。2年時の夏にエースとして選手権岐阜大会に臨んだが、登板試合で序盤に降板するなど本調子に程遠く、3回戦で県岐阜商に敗れた。
戸根 千明(とね ちあき、1992年10月17日 - )は、… 戸根 千明(とね ちあき、1992年10月17日 - )は、京都府綴喜郡田辺町(現在の京田辺市)出身のプロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ所属。
青山 誠(あおやま まこと、1991年11月1日 - )は、… 青山 誠(あおやま まこと、1991年11月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。両親はともに台湾出身。 小学校3年から野球を始める。中学時代は、神戸中央シニアに所属。中学3年次にはシニアの同期が先に進路が決定する中、チームで最後に進路が決まった。 その後育英高等学校に進学し、3年生の春には県大会優勝も経験した。しかし高校3年間で甲子園には行けず、進路も未定だったために当時日本大学の監督代行であった衣川隆夫が同校出身という縁もあり、日本大学の練習に参加する。そのきっかけもあり卒業後は日本大学へ進学が決まった。 大学進学後は2年春まではリーグ戦の出場がなく、2年秋からようやく出場機会を得るも代打や指名打者での出場が中心であった。
板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、… 板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、栃木県栃木市出身の日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。日米の複数の独立リーグ球団でプレーした。 佐野日本大学高等学校を経て日本大学に進むが、中退した。2010年にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のトライアウトを受験し、信濃グランセローズから12月のリーグドラフトで指名を受ける。 2011年は43試合に出場して打率.271の成績だった。翌2012年のシーズン開幕後に信濃を退団、5月21日に同じリーグの富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)に入団した。 2013年シーズン開幕前にアメリカ合衆国のテキサス・ウィンターリーグでテキサス・サンダー(英語版)に派遣され、首位打者を獲得した。
吉田 一将(よしだ かずまさ、1989年9月24日 - )は… 吉田 一将(よしだ かずまさ、1989年9月24日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 愛称は「カズ」、「キリン」。 鴨公小学校2年時から鴨公クラブで野球を始める。八木中学時代は香芝ボーイズに所属し、3年次に全国大会に出場。同年次に青森山田中学校に転入した。 そのまま内部進学した青森山田高校では硬式野球部に所属。2年先輩に柳田将利がいた。同校は2年夏と3年夏の全国高等学校野球選手権大会に出場するも、身長の急速な伸びに体全体の成長がついていけないが故に慢性的に故障を抱えており、1年先輩の野田雄大や同期の石井裕大らの陰に隠れた控え投手であり甲子園での登板機会はなかった。 日本大学入学後リハビリと本格的なウェートトレーニングが功を奏し、基礎体力が付き怪我もなくなった。
阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、… 阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年時に大牟田イーグルスで軟式野球、5年時に投手を始める。6年時には、エースとして福岡県大会へ出場した。 田隈中学校への進学後に軟式野球部に所属すると、2年時の秋にチームを福岡県大会準決勝へ導いた。当時から県内屈指の好投手として評価されていたため、複数の高校から入学を勧誘されたが、実際には地元の大牟田高等学校へ進学。1年時の夏からエースとして活躍した。2年時の秋に福岡県大会優勝・九州大会準優勝を成し遂げたことから、3年時の春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場。佐野日本大学高等学校との1回戦では、先発で8回3分の1を投げて7失点で敗れたものの、自責点は0であった。
荒木 郁也(あらき ふみや、1988年4月25日 - )は、… 荒木 郁也(あらき ふみや、1988年4月25日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 中学時代は東京都江東区ポニーリーグの江東ライオンズに所属し、全国3位。日本大学第三高等学校では2年夏に内野手兼外野手として第87回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年夏は西東京大会決勝にて斎藤佑樹率いる早稲田実業学校高等部に延長戦の末敗れ、甲子園出場はならなかった。 卒業後は東京六大学野球連盟所属の明治大学経営学部に進学。2年春よりレギュラーに定着。11盗塁を記録し遊撃手としてベストナインに選出された。3年秋には二塁手としてベストナインに選出。リーグ戦通算71試合出場、255打数72安打、打率.282、2本塁打、31打点、36盗塁。
黒滝 将人(くろたき まさと、1988年4月21日 - )は… 黒滝 将人(くろたき まさと、1988年4月21日 - )は、北海道留萌郡小平町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小平小3年時に同小学校の野球少年団「小平ファイターズ」に所属し野球を始める。小平中学校では、エースで4番を務め、札幌日本大学高等学校に進学。高校時代は2年秋からエースを務め、駒大苫小牧の田中将大と北照の植村祐介の3人で、北海道右腕三羽烏と呼ばれ周囲の注目を集めていた。高校野球での成績は、2006年春の北海道大会準決勝で駒大苫小牧に敗れたのが最高で、春・夏ともに甲子園への出場はかなわなかった。 2006年、千葉ロッテマリーンズに高校生ドラフト3巡目で指名を受け、入団。最速146km/hの速球が魅力。
十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 - )は、愛知… 十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 - )は、愛知県豊田市出身出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズに所属。
江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広… 江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。実弟は千葉ロッテマリーンズコーチの江村直也。 福山市立常金中学校から栃木県の佐野日大高に進み、3年時の夏は背番号1を背負うも登板機会はなく、チームは栃木県予選2回戦で國學院栃木高に敗退した。甲子園出場経験はなし。1学年下に澤村拓一、2学年下に金伏ウーゴがいる。 日本大学に進学すると東都大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。3年時の秋からリーグ戦に登板。同期に十亀剣がいる。 大学卒業後は、広島の社会人野球・ワイテックに入団。1年目の2010年から公式戦に登板し、3年目の2012年、第83回都市対抗野球大会に伯和ビクトリーズの補強選手として出場。
麻生 知史(あそう ともふみ、1987年6月28日 - )は… 麻生 知史(あそう ともふみ、1987年6月28日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
縞田 拓弥(しまだ たくや、1987年1月22日 - )は、… 縞田 拓弥(しまだ たくや、1987年1月22日 - )は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。
篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )… 篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は広島東洋カープの一軍マネージャーを務めている。 横浜市立生麦小学校1年時に、横浜市鶴見区軟式少年野球連盟・生麦中部スターズで一塁手兼投手で野球を始める。野球を始めたきっかけは、「近所で野球をやっていた友達から誘われたから。本当はサッカーと迷っていたが、1番仲のいい友達の勧めだったので…。」と述べている(出典:プロ野球ai2008年9月号)。中学から前橋市へ転居し、前橋市立第五中学校を経て、前橋商業高校に進学する。 4番・一塁手で出場し、投手も務めた3年夏の県大会決勝で久米勇紀(元読売ジャイアンツ)を擁する桐生第一高校に敗れて全国高等学校野球選手権大会出場はならなかった。
長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )… 長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )は、佐賀県三養基郡基山町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 妻はテレビ朝日アナウンサーの下平さやか。 基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム「基山バッファローズ」に入部。6年生時に主将を務める。基山町立基山中学校時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の「筑紫野ドリームズ」に在籍。筑陽学園高校へ一般入試で入学し、2002年の春季九州大会では準決勝に進むが本多雄一のいた鹿児島実業高校に敗退。同年夏の甲子園県予選も準々決勝で柳川高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 プロの誘いはあったが、日本大学生産工学部マネジメント工学科へ進学、硬式野球部(東都大学野球連盟加盟)へ所属。
岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、… 岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、栃木県塩谷郡高根沢町出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。左投左打。 2011年にはリーグ新記録となる「外野手のシーズン連続守備機会無失策」359を樹立したことにより、特別表彰を受けた。一方、プロ入り以来本塁打が無く、2014年には初打席以来1773打席連続本塁打無しの新記録を達成し、2018年に現役を引退するまで全2501打席で無本塁打だった。 作新学院高等部では、2年夏は「1番・中堅手」として栃木県予選に出場。同大会の決勝で会田有志(のち巨人)擁する佐野日大高校に敗れる。2年秋から主将を務め、俊足の一番打者として活躍。チームは秋季県大会で準優勝、春季県大会では優勝したものの、本命として迎えた3年夏の栃木県予選では4回戦で那須拓陽高に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。
石田 淳也(いしだ じゅんや、1984年5月21日 - )は… 石田 淳也(いしだ じゅんや、1984年5月21日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属していた元プロ野球選手(投手)。愛知県名古屋市出身。
長井 功一(ながい こういち、1984年5月14日 - )は… 長井 功一(ながい こういち、1984年5月14日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は2。栃木県出身。 栃木県立宇都宮商業高等学校、日本大学卒業。 2007年は独立リーグ・BCリーグの審判員として活動。2009年1月1日にパシフィック・リーグ審判員となる。同期入局の芦原英智とともに、BCリーグ経験者初のNPB審判員採用者となった。 2013年9月10日のヤクルト対広島第20回戦(明治神宮野球場)で三塁塁審として一軍初出場。 2020年10月18日のDeNA対巨人第20回戦(横浜スタジアム)の2回無死一・二塁の場面にて、巨人の大城卓三が放った二塁への小フライを二塁手のネフタリ・ソトがグラブに当てて落球。
村山 太朗(むらやま たろう、1983年8月30日 - )は… 村山 太朗(むらやま たろう、1983年8月30日 - )は、東京都出身のプロ野球審判員。審判袖番号は2006年から2010年まで46、2011年以降は42。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学卒業。 日大鶴ヶ丘高校、日本大学を卒業後にジム・エバンス審判学校での研修を経て2006年にセントラル・リーグ審判員となる。 2017年にはオールスターゲーム初出場を果たし、第2戦(7月15日、ZOZOマリンスタジアム)では球審を務めた。 ストライクコールの際に高い声を出しながら横向きに指を指すのが特徴である。 2019年4月30日の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)では三塁塁審を務めた。この試合の1回裏一死一、二塁の場面で打者石川慎吾がレフトフェンス際へ打球を放ち、レフトの伊藤康祐が好捕したようにも見えたが、これをフェンスに当たってからの捕球と正しく判断し、ノーキャッチのジェスチャーを出した。
片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )… 片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。右投右打。 プロ入り初年度の2005年から2012年までの登録名は片岡 易之、2013年から2021年までの登録名は片岡 治大(以上、いずれも読み同じ)で、2022年より活動名義を本名に戻している。愛称は「ヤス」。マネジメント事務所は吉本興業。 兄は元社会人野球選手で日本大学硬式野球部監督の片岡昭吾。妻はタレントのベッキー。 3人兄弟の末っ子。小学校時代は作新ヤンキースの4番打者兼投手として活躍。中学時代は千葉北シニアリーグに所属し、2年からレギュラーで活躍。
那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、… 那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)。 子供のころは少年野球チームの千早タイガースに所属。野球チームと並行して、中学ではサッカー部に所属し、試合が重なったときはサッカーを優先していた。ただし、サッカーより野球の方が実力が突出していたと自覚し、職業として考えても野球の方が現実的と考え、駒場学園高では野球部に所属。しかし、スポーツ推薦ではなかったため、迷った末の入部であった。一般クラスだったこともあり、1年生の間はボールにも触れない期間が続いた。そんな時期を経て、中学時代は外野か一塁を守っていたが、地肩の強さから投手の練習を始めるようになる。
桑原 義行(くわはら よしゆき、1982年6月15日 - )… 桑原 義行(くわはら よしゆき、1982年6月15日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(外野手)・指導者。 日大豊山高校時代、3年時の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後は、日本大学へ進学。東都大学リーグ通算60試合出場、210打数64安打、打率.305、0本塁打、18打点。2003年春季のリーグ戦で首位打者になる。ベストナイン3度受賞。4年生の時に全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球日本代表に選ばれる。 2004年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから8巡目指名を受けて入団。二軍で好成績を残していたが、9月1日に左膝前十字靭帯断裂の手術を受けた。 2006年、シーズン終盤に骨折で登録抹消となった小池正晃との入れ替えで初昇格の機会が巡って来ると、10月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打。
吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - … 吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代には横浜ベイスターズに所属。『暫定大魔神』という愛称が付けられた。現役引退後は、OA機器販売会社のオフィス24に勤務しながらシッティングバレーボールの普及活動に携わった後に、焼き鳥屋を経営。 日大豊山高校3年生の夏に、東東京大会の2回戦で、6回参考ながらノーヒットノーランを記録。日本大学への進学後は、1年春にリーグ戦で先発勝利したが1学年上に館山昌平、堤内健、1学年下に那須野巧がいて登板機会は限られ、東都大学野球のリーグ戦で19試合1勝3敗を記録した。高校からの1学年後輩に桑原義行、大学では1学年上に大野隆治、村田修一らがいた。