石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 202… 石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 2022年7月26日)は、日本の俳優。石浜朗とクレジットされる作品もある。最終所属はミズキ事務所。血液型はB型。身長172cm、体重68kg。 東京府(東京都)出身。立教大学文学部英文科卒業。 1951年、高校在学中に姉に薦められて応募した『少年期』にて16歳でデビュー。演技が好評だったため、そのまま松竹専属になる。 木下惠介、野村芳太郎、小林正樹などの作品に出演していた。 1961年からは『若い季節』に出演。テレビドラマでの助演も務めた。 2009年より日本映画俳優協会の理事長を務める。 2014年3月12日、東京・池袋の新文芸坐での特集「有馬稲子と十八人の監督たち」のトークショーに出演。
御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - … 御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - 2002年8月5日)は、石川県金沢市出身の日本の俳優。本名は鈴木 脩一(すずき しゅういち)。 石川県生まれ。出生地については、羽咋郡押水町とするものと、金沢市高岡町とするものがある。 一男一女の長男で、日舞藤間流名取の姉がいる。父方の鈴木家は、代々加賀前田家の御殿医を務めた家柄。父の武も医師だったが、太平洋戦争末期には、海軍に徴用されていた日本郵船所有の貨客船筥崎丸に機関士として乗船していた。1945年3月19日、筥崎丸はアメリカ海軍の潜水艦による雷撃を受けて沈没し、父は戦死。長唄の師匠だった母・喜美の稽古料が遺された家族の生活の支えとなるが、1950年には母も病死し、祖母と姉との生活になった 。
佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] -… 佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] - 1983年2月9日)は、日本の俳優。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。劇団手織座に所属していた。 1981年、舞台「楢山節考」で芸術祭賞奨励賞を受賞。 1982年、「楢山節考」の名古屋公演中に倒れ、1983年2月9日に死去。52歳没。
池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 … 池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 - 2010年〈平成22年〉10月8日)は、日本の俳優、随筆家。 東京市大森区(現・東京都大田区)出身。身長174センチメートル。立教大学文学部英文科卒業。昭和中期の代表的な映画スターの一人。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。 大学では富田彬などから学ぶとともに、映画監督になるのを夢見て在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入り、1941年に卒業すると同時にシナリオ研究所を卒業して東宝に入社する。監督希望だったが、戦時下の作品制作数の大幅減少で助監督の空きがなく、文芸部に配属されて早々部長に面食いだからと言われ、当時は子役の大スターだった中村メイコの子守を命じられ、彼女の大絶賛を聞いた映画監督・島津保次郎に請われて『闘魚』に脇役で出演する。
佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 19… 佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、日本の俳優。本名は関口 正三郎(せきぐち しょうざぶろう)。 昭和初期から後期(1930年代後半〜1970年代)に活躍した二枚目スターの一人である。関口宏、佐野守の父で、関口知宏の祖父に当たる。上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」といわれ、松竹大船の第一号スターとされた。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に鳶職の父·亀次郎と母·マサの四男六女の6番目にあたる三男として生まれた。1925年に今川尋常小学校、1930年に成立商業、1933年に立教大学経済学部予科を卒業。大学時代は水泳部で、オリンピックの候補だった。
浮田 佐武郎(うきた さぶろう、1909年12月25日 - … 浮田 佐武郎(うきた さぶろう、1909年12月25日 - 1987年3月27日)は、日本の俳優、著作家。八丈島に配流となった宇喜多一族の流れを汲む。 東京府北豊島郡板橋町出身。立教大学卒業。新築地劇団に入団後、榎本健一一座などを経て、戦時中は移動劇団の瑞穂劇団に所属した。 エノケン一座の一員だった関係から1939年の1年間に東宝の『エノケンの鞍馬天狗』、『エノケンの森の石松』、『エノケンの弥次喜多』の3本の映画に出演した。瑞穂劇団の時代から戯曲も書き、戦後はテレビに出演、演劇関連の文筆家としても活躍した。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
上原 謙(うえはら けん、1909年11月7日 - 1991… 上原 謙(うえはら けん、1909年11月7日 - 1991年11月23日)は、日本の俳優。戦前戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人である。本名は池端 清亮(いけはた きよあき)。
ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10… ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は、徳島県徳島市出身の日本人ジャズ・ブルース・流行歌歌手、ギタリスト、俳優、タレント。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(みね こういち)と名乗った。創成期のテイチクレコードの立役者で、日本のジャズ・シンガーの嚆矢として数多くの名演を残すとともに、日本の創成期の流行歌においても多くのヒットを飛ばした。また、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画にも多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。結婚は3回、初婚相手は死別、2回目と3回目の女性は姉妹。
岡 譲司(おか じょうじ、1902年5月25日 - 1970… 岡 譲司(おか じょうじ、1902年5月25日 - 1970年12月17日)は、日本の俳優である。本名は中溝 勝三(なかみぞ かつぞう)。旧芸名は美濃部 進(みのべ すすむ)、岡 譲二(読み同じ)。 1902年(明治35年)5月25日(日曜日)、東京府東京市京橋区越前堀(現在の東京都中央区新川)に生まれる。深川区で硝子腐食工場を営む中溝兵三郎の次男として生まれ、三十銀行の頭取兼支配人、中溝秀周の養子となった。祖父は佐賀藩の勘定方を務めていた。義父秀周は安政元年1月12日に生まれ、慶応2年12月に兄の権之助の後に家督を継いだ。維新後に実業家となり、千寿製紙破産後の整理委員も務めた。義母は同藩士で江藤新平の部下であった馬渡雅一の長女のうき。
山口 太郎 は、日本の俳優、声優。東京都出身。青二プロダクシ… 山口 太郎 は、日本の俳優、声優。東京都出身。青二プロダクション所属。
川久保 拓司 は、日本の俳優、タレントである。東京都大田区出… 川久保 拓司 は、日本の俳優、タレントである。東京都大田区出身。立教大学経済学部経営学科卒業。
高村絵里(たかむらえり)は、日本の舞台俳優、演出家。東京都出… 高村絵里(たかむらえり)は、日本の舞台俳優、演出家。東京都出身。演劇ユニット キングスメン主宰・演出。演出家名として「篁エリ」、俳優名では「絵里」を使用することがある。日本演出者協会会員。 立教大学文学部を卒業した後、同大学大学院博士前期・後期課程に進学する。専門は源氏物語。大学院在学中は、私立中学校高等学校で国語の教師をして学費を稼いだ。教員時代は演劇部の顧問をしていた。 退職後は文筆業と並行して、舞台に出演し始める。共演した俳優から2019年に劇団シェイクスピアシアターの出口典雄に紹介され、出口の指導を受けるようになる。同劇団に出演の話があったが、2020年に出口が死去し劇団が活動休止となる。