五十嵐 力(いがらし ちから、1874年(明治7年)11月2… 五十嵐 力(いがらし ちから、1874年(明治7年)11月22日 - 1947年(昭和22年)1月11日)は、日本の国文学者。号は巴千。修辞学・国文学・国語学の領域で多くの業績を残した。 日本の近代修辞学史上、最も多くの修辞学関係書を著した人物である。 山形県米沢市生まれ。米沢中学校を経て、1894年7月、東京専門学校卒業。翌年『早稲田文学』記者に就任。近松同人研究会の一員として、坪内逍遙の指導を受ける。卒業後10年ほどは国文学から離れるが、逍遙の勧めで国文学研究に戻る。1901年、東京専門学校講師。1920年、新たに設置された早稲田大学文学部国文科主任教授に就任。後に文学部学部長を勤めた。1945年、自宅の甲鳥園が空襲によって焼失し、早稲田大学文学部内の五十嵐記念文庫も焼失した。
繁野 天来(しげの てんらい、1874年〈明治7年〉2月16… 繁野 天来(しげの てんらい、1874年〈明治7年〉2月16日 - 1933年〈昭和8年〉3月2日)は、日本の詩人、英文学者。早稲田大学で4人目となる博士号授与者。本名は繁野 政瑠(しげの まさる)、他の筆名に繁野 狂美がある。 1874年2月16日、現在の徳島市下助任町に、徳島藩士の繁野傑()・イサ夫妻の長男として生まれる。 徳島市立助任尋常小学校、川島尋常小学校、公立寺島小学校、徳島市立徳島高等小学校を経て、1889年に徳島県立徳島尋常中学校に入学。祖母の死を機に大阪に移り、1891年に大阪市立尋常中学校に転学。在学中に熊本謙二郎から英語を教わる。1893年9月に第三高等学校に入学するも、後に病気退学。
桂 湖村(かつら こそん、1868年11月29日(明治元年1… 桂 湖村(かつら こそん、1868年11月29日(明治元年10月16日) - 1938年4月3日)は、日本の中国文学者。現在の新潟県新潟市新津の出身。湖村は故郷近くの福島潟に由来する号で、本名は五十郎。雷庵など、他の号も使用した。 生家は国学や漢学を修めた学者の家系で、自身も幼少から漢籍等に触れて育った。東京専門学校専修英語科(現・早稲田大学)に進学し、1892年に卒業。日本新聞に客員社友として属したのち、中国に渡航して陶芸や書画について学ぶ。帰国後は東洋大学・國學院大學で教壇に立ち、その後母校の早稲田大学教授に就任した。 1905年(明治38年)、『漢籍解題』を明治書院から刊行した。近年刊は『湖村詩存』(村山吉廣編、明徳出版社、2017年)がある。
永井 一孝(ながい ひでのり、1868年9月23日(慶応4年… 永井 一孝(ながい ひでのり、1868年9月23日(慶応4年8月8日) - 1958年(昭和33年)12月16日)は、日本の国文学者。旧姓は池谷。号は空外。 信濃国筑摩郡福島(長野県木曽郡木曽町福島)出身。1893年東京専門学校文学科第1回卒業生。英文学・演劇学をめざすが、坪内逍遥の勧めで訓詁を関根正直に学ぶ。1895年東京専門学校講師、1907年早稲田大学教授、高等師範部、高等予科で国文学を担当。1943年定年退職して名誉教授。門下に山口剛、竹野長次、佐々木八郎らがいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中野 京子(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家、ドイ… 中野 京子(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家、ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家。 北海道生まれ。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する。早稲田大学講師。 『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた。 2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した。
田中 寿美(たなか すみ、旧姓:勝浦)は、日本のアメリカ文学… 田中 寿美(たなか すみ、旧姓:勝浦)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京工科大学教授。専門分野は、アメリカ研究、ヤングアダルト文学の翻訳など。 1986年に早稲田大学第一文学部英文学科を卒業する。1988年に同大大学院文学研究科修士課程修了。その後、産業能率大学、神奈川大学、武蔵工業大学(現・東京都市大学)兼任講師を務める。1990年より東京工科大学勤務となる。2009年に同大応用生物学部教授に就任後、2010年より同大デザイン学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山路 平四郎 (やまじ へいしろう、1905年(明治38年)… 山路 平四郎 (やまじ へいしろう、1905年(明治38年) – 1992年(平成4年)は、日本の国文学者。早稲田大学教授・同名誉教授。 山路愛山の三男として東京で生まれた。旧制早稲田大学の予科である第一高等学院(現、早稲田大学高等学院)を経て、早稲田大学を卒業。讀賣新聞の記者をしたのち母校早稲田大学の教授となり、定年後に名誉教授となった。 国文学専攻で、多数の著作をなしたが、父である愛山の著書にも身内ならではの裏話を含んだ校注を『基督教評論・日本人民史』など(『山路愛山集』)に残している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。