光永 圓道(みつなが えんどう、旧姓:星野、1975年 - … 光永 圓道(みつなが えんどう、旧姓:星野、1975年 - )は、千葉県出身の天台宗の僧侶で、北嶺大行満大阿闍梨(千日回峰行満行者)。比叡山覚性律庵住職。 1975年に東京都に生まれる。1997年に花園大学を卒業。 2003年より千日回峰行と十二年籠山行に入る。2007年10月13日午後1時すぎ、無動寺谷明王堂において行の最難関である堂入りに入り、10月21日午前3時頃に満行。 堂入りを達成した行者としては、2001年の藤波源信師以来6年ぶりで戦後12人目。「当行満阿闍梨」と称され、生身の不動明王とされる。 2009年9月18日に千日回峰行を満行し「北嶺大行満大阿闍梨」となった。 2012年11月2日から9日まで十万枚大護摩供を行い、結願。
中尾 良信(なかお りょうしん、1952年 - )は、日本の… 中尾 良信(なかお りょうしん、1952年 - )は、日本の仏教学者・僧侶。花園大学教授。専門は日本禅宗史(中世)、仏教と人権。曹洞宗清久寺住職。 兵庫県生れ。1971年兵庫県立加古川東高等学校、1975年駒澤大学仏教学部仏教学科卒業。1977年同大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。1980年博士後期課程単位取得満期退学。1980~1989年曹洞宗宗学研究所に勤務。1989年花園大学文学部仏教学科専任講師、1991年助教授を経て、1996年教授に就任。2009年花園大学人権教育研究センター所長(2017年3月まで)。花園大学文学部国際禅学科教授。兵庫県の曹洞宗清久寺住職。 著書に「日本禅宗の伝説と歴史」「図解雑学・禅」「道元の戒律観と〈没後作僧〉」など。
河野 太通(こうの たいつう、1930年 - )は、日本の臨… 河野 太通(こうの たいつう、1930年 - )は、日本の臨済宗の僧侶、師家、臨済宗妙心寺派の元管長(2010年-2014年)、全日本仏教会前会長(2010年 - 2012年)。室号は又玄窟(ゆうげんくつ)。道号は太通、法諱は祖玄。俗姓は河野。姫路市網干にある、不生禅で有名な盤珪永琢国師ゆかりの臨済宗妙心寺派の龍門寺住職。大分県出身。
加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - … 加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - 2009年9月8日)は、臨済宗の僧、仏教学者。京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)出身。臨済学院中学部を経て、1954年花園大学仏教学部卒。その後、臨済宗妙心寺派円福僧堂に掛搭。1956年(昭和31年)より天龍寺塔頭の慈済院の稲葉心田に師事した。そして1972年には立命館大学大学院日本史学修士課程修了。1964年禅文化研究所研究員、花園大学文学部教授。2000年名誉教授。天龍寺塔頭金剛院住職。2009年9月、京都市内の病院で遷化。。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2… 平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2日 - 2002年〈平成14年〉7月6日)は、臨済宗の僧、仏教学・仏教文学研究者。道号は華翁、法諱は宗浄。室号は素雲軒。 大阪府堺市少林寺町生まれ。17歳で京都真珠庵山田宗憲について得度。花園大学仏教学部卒。1955年(昭和30年)4月、神戸祥福僧堂に掛搭、山田無文老師に参じる。その後、松島瑞巌僧堂にて修行、加藤隆芳老師に嗣法。大津市祥瑞寺住職、禅文化研究所研究員・花園大学文学部教授、1999年同名誉教授。1988年瑞巌僧堂師家に就任。2000年禅文化研究所所長。一休、大燈国師について研究した。
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
稲葉 心田(いなば しんでん 1906年 - 1986年1月… 稲葉 心田(いなば しんでん 1906年 - 1986年1月19日)は、日本の臨済宗の僧。道号は心田、法諱は元明。室号は蟠龍窟(ばんりゅうくつ)。俗姓は稲葉。1964年(昭和39年)から亡くなる1986年(昭和61年)まで、臨済宗国泰寺派管長並びに国泰僧堂師家を兼任した。1986年(昭和61年)、京都市で遷化。世寿81。 1906年(明治39年)、愛知県に生まれた。1916年に10歳にして台湾に渡り、長谷慈円(台湾臨済寺住職)の徒弟として得度。しかし14歳の時、1918年(大正7年)慈円はスペインかぜにて遷化。そしてその後を継いだ山崎大耕の弟子となった。 その後は台湾で中学校を卒業し、1921年(昭和10年)に得度後初めて日本に帰還した。
市川 白弦(いちかわ はくげん、1902年(明治35年)2月… 市川 白弦(いちかわ はくげん、1902年(明治35年)2月28日 - 1986年(昭和61年)6月7日)は、臨済宗の僧侶、社会運動家。 哲学者市川浩は長男。
山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 198… 山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は、日本の臨済宗の僧侶。道号は太室、法諱は素圭、のち無文。室号は通仙洞。俗姓は山田。花園大学名誉学長・臨済宗妙心寺派管長。
梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-198… 梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-1981年2月10日)は、臨済宗の僧侶。愛知県出身。臨済宗大学(現花園大学)卒。法諱は宗実。室号は霧隠軒、正眼寺関栖後は梅熟軒と号す。俗性は梶浦。臨済学院専門学校校長、1944年岐阜県正眼寺住職、69年妙心寺派管長。正眼短期大学を創立。禅の海外普及に努めた。世寿八十六。
柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11… 柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11月30日 - 1974年(昭和49年)8月29日)は昭和期日本に活躍した臨済宗の禅僧。 愛知県葉栗郡浅井町に生まれる。室号は寒松軒、道号は文明。法諱は全慶、俗姓は柴山。花園大学・大谷大学教授を務めた。また8回に渡って渡米し、諸大学で禅学を講義した。1931年(昭和6年)に日本仏教エスペランチスト連盟を起こしたエスペランティストでもある。また、詩『花語らず』でも知られている。1959年(昭和34年)臨済宗南禅寺派管長(1959-1974)に就任し、管長在位のまま1974年遷化。世寿81。 父・悦太郎、母・いと、七人兄弟の次男として生まれ、幼名を真一といった。