武藤 将胤(むとう まさたね、1986年11月23日 - )… 武藤 将胤(むとう まさたね、1986年11月23日 - )は、日本の実業家、DJ、コミュニケーションクリエイターである。難病ALS(筋委縮性側索硬化症)患者。既婚・1児の父。 EYE VDJ MASA(アイ・ブイ・ディージェイ・マサ)のアーティスト名で、視線入力を用いてパソコンを操作しDJ、VJ(音楽に合わせて映像表現も行う)の音楽活動も行っている。 國學院大學経済学部卒業後、博報堂に入社。 2013年26歳でALSを発症、2014年27歳でALSの宣告を受ける。 一般社団法人WITH ALSを2016年に代表理事として立ち上げる。「ALSの課題解決を起点に、全ての人が自分らしく挑戦出来るBORDERLESSな社会を創造する」をミッションとする。
荻原 猛(おぎわら たけし、1973年8月24日 - )は、… 荻原 猛(おぎわら たけし、1973年8月24日 - )は、栃木県宇都宮市出身の日本の実業家。ソウルドアウト株式会社の創業者。現在はロケットスター株式会社代表取締役社長。 國學院大學法学部卒業後、什器等の販売を手がける会社を自ら起業するも失敗し、その過程でインターネットビジネスの可能性に着目した。2000年6月、株式会社オプト(現・デジタルホールディングス株式会社)に入社し、広告運用・デジタルマーケティング業務を担当。2006年4月には広告部門の執行役員に就任した。在籍中に積んだデジタルマーケティングの知見が、後のソウルドアウト創業の基盤となった。2009年12月、在籍中にソウルドアウト株式会社を設立し、翌2010年より本格的な営業を開始した。
貞方 邦介(さだかた くにすけ、1967年12月20日- )… 貞方 邦介(さだかた くにすけ、1967年12月20日- )は日本の実業家、起業家。ホテル、飲食店など10店舗以上を経営するアルカサバの代表取締役社長。福岡県久留米市出身。くるめふるさと大使を務める。 小学生の頃、スーパーカーブームでフェラーリに憧れたのが、社長を志したきっかけ。 20代でフェラーリを手に入れ、30歳で豪邸を建て、40歳でホテルオーナーになるのを夢見て福岡から単身上京し、國學院大学に入学。 家賃6万円のアパートに住み、大学生向けのパーティーイベントを催す学生サークルを立ち上げる。 そして、コネも資金も無い22歳の大学在学中に学生向けの広告代理店を設立。 ところが2年後、仲間はみんな卒業し、借りていた広尾のオフィスをたたみ、住居兼事務所にて一人で再出発。
杉野 庸介(すぎの ようすけ 1966年 - )は、日本の編… 杉野 庸介(すぎの ようすけ 1966年 - )は、日本の編集者、元出版社社長。漫画雑誌『コミックZERO-SUM』『月刊ComicREX』など(一迅社)の初代編集長。 石川県金沢市出身。國學院大學卒業後に編集者の道に進む。高河ゆんとは新人時代よりの仲。エニックス出版部にて、月刊少年ガンガン編集部員、月刊Gファンタジー編集長を務めた後、峰倉かずや、遠藤海成、高河ゆんら同誌看板・主力作家陣を連れて独立し、スタジオDNAの支援を受けて一賽舎を設立。詳しい経緯についてはエニックスお家騒動を参照。 同社より『コミックZERO-SUM』『月刊ComicREX』などを創刊した。編集長ののち、一迅社の代表取締役社長に就任[いつ?]。
沼尾 ひろ子(ぬまお ひろこ、1964年3月29日 - )は… 沼尾 ひろ子(ぬまお ひろこ、1964年3月29日 - )は、日本のアナウンサー、実業家、ナレーター。医療コミュニケーション学講師、脳梗塞患者と家族のための自立支援の会代表理事、とちぎ未来大使、株式会社AXIS DO代表取締役。栃木県宇都宮市出身。 高校ではマスコミに憧れて、新聞部所属。 大学の時、女子大生ブームに乗りバラエティー番組に出演して、テレビの面白さを知りアナウンサーを目指すきっかけとなる。國學院大學文学部卒業。 「ひるおび!」(TBS)「ブロードキャスター」(TBS)「2時ッチャオ!」(TBS)「ジャスト」(TBS)「吉田照美のやる気MANMAN」(QR)等デイリー生放送番組を三十余年に渡り担当。
嶋田 謙司(しまだ けんじ、1963年5月5日 - )は、日… 嶋田 謙司(しまだ けんじ、1963年5月5日 - )は、日本の実業家、テレビ・イベント・CMの企画構成作家、プロデューサー、芸能プロモーターである。 ほかテレビ電話芸能オーディションシステム開発者、ジャパンパーソナルファィル開発者、芸能オークション企画運営。 東京都出身、慶応義塾大学法学部中退、國學院大學法学部法律学科卒業後、法学研究員(芸能広告の著作権及び肖像権の管理)。 島田オフィス、GSグループ山前五十洋、株式会社ボンド企画などに所属し、子役モデル時代の倉木麻衣・観月ありさ、1980年代『お笑いスター誕生?』(日本テレビ)初代グランプリのB&B(島田洋七)戸崎事務所後に芸能マネージメントをはじめ数多くの芸能人 (アイドル・タレント・俳優&女優・歌手・モデル) に携わる。
浅沼 誠(あさぬま まこと、1963年4月23日 - )は、… 浅沼 誠(あさぬま まこと、1963年4月23日 - )は、日本の実業家。サンライズ代表取締役社長等を経て、バンダイナムコフィルムワークス代表取締役会長、バンダイナムコミュージックライブ代表取締役社長、バンダイナムコホールディングス取締役、アニメ特撮アーカイブ機構理事。 東京都出身。1986年(昭和61年)に國學院大學法学部を卒業後、同年4月に株式会社ネットワークスに入社した。 2000年(平成12年)10月にバンダイネットワークス株式会社に入社し、2004年(平成16年)4月に同社モバイル事業部部長に就任した。2005年(平成17年)6月にはバンダイネットワークス株式会社取締役事業本部副本部長兼コンテンツ事業部長に昇任した。
設楽 元文(したら もとふみ、1962年〈昭和37年〉10月… 設楽 元文(したら もとふみ、1962年〈昭和37年〉10月29日 - )は、日本の実業家、ヤマハ発動機代表取締役社長・CEO(最高経営責任者)、日本自動車工業会副会長。埼玉県出身。 1986年、國學院大學経済学部卒業後にヤマハ発動機入社。 2018年にヤマハモーターインディア社長に就任。2022年に取締役上席執行役員、2024年に代表取締役副社長執行役員、2025年に代表取締役副社長執行役員(CFO)を経て、2025年に代表取締役社長・CEO(最高経営責任者)に就任。。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山田 裕朗(やまだ ひろあき、1962年7月11日- )は、… 山田 裕朗(やまだ ひろあき、1962年7月11日- )は、日本の実業家。山田食品産業社長。 埼玉県所沢市生まれ。國學院大學経済学部卒。 大学卒業後は一般企業に就職し、経理部門に配属されるも3年で退職、実家が経営する山田食品産業に就職。2006年、先代である父親の跡を継ぎ4代目社長に就く。 現在は埼玉県を中心に山田うどんを関東一円に展開している。 埼玉西武ライオンズのファンでもある。
河名 秀郎(かわな ひでお、1958年11月24日 - )は… 河名 秀郎(かわな ひでお、1958年11月24日 - )は、日本の実業家・篤農家。自然栽培と6次産業化の実践者。自然栽培全国普及会会長。ナチュラル・ハーモニー代表。映画『降りてゆく生き方』の原点にもなった本の著者でもある。また三好基晴と「菌匠会」を立ち上げ、天然菌の発酵醸造食を『発酵遺産』と命名して復活活動をしている。 東京都世田谷区出身。芝学園高等学校卒業、姉が骨肉腫で亡くなったことから18歳の時に自然栽培に出会う。國學院大學卒業後に千葉の自然栽培農家で1年修行し、自然栽培野菜の引き売りを開始。1986年(昭和61年)、世田谷区下馬に八百屋を開店。ナチュラル・ハーモーニーを設立。1991年、港区青山にレストランを開店。
河野 義勝(こうの よしかつ、1958年4月3日 - )とは… 河野 義勝(こうの よしかつ、1958年4月3日 - )とは、武蔵野興業株式会社代表取締役社長及び日本の中国武術家。八卦掌第四世伝人。 18歳より王樹金より太極拳・形意拳・八卦掌、一貫道(天道)を学び、入門し拝師門徒(内弟子)となる。王樹金が来日中は、自宅に泊め衣食住にわたり世話をした。 國學院大學法学部卒。妻に優子がいる。 現在は事業を続けながら、義誠国術館を設立し王樹金より学んだ中国武術と一貫道(天道)を伝えている。
藤原 浩(ふじわら ひろし、1957年9月 - )は、日本の… 藤原 浩(ふじわら ひろし、1957年9月 - )は、日本の実業家。コダック合同会社 代表執行役員社長。元フィリップスジャパン社長兼COO。 愛媛県生まれ。國學院大學法学部卒。 大学卒業後は日本電子に入社、本社経営企画部配属後10年間の米国駐在を経て帰国。1995年から2006年までSAPジャパン株式会社において、代表取締役COO兼CFOを歴任。同社在職中に、INSEADエグゼクティブMBAを取得。2007年からフィリップスエレク卜ロニクスジャパン(現フィリップスジャパン)のヘルスケア部門代表執行役社長、COO等を歴任。 2011年、コダックにおいて常務取締役に就任。2012年に代表取締役社長 就任。
隼田 登志夫(はやた としお、1955年7月19日 - )は… 隼田 登志夫(はやた としお、1955年7月19日 - )は、日本の実業家。マツモトキヨシ代表取締役社長を務めた。 1979年國學院大學法学部法律学科卒業、マツモトキヨシ入社。商品部長、店舗運営部長を経て、2002年取締役店舗運営部長に昇格。2003年取締役薬粧本部長。2004年取締役店舗運営本部長。2005年取締役営業本部長。2007年取締役ファーマシー事業本部長。2008年常務取締役。2009年から代表取締役社長を務め、新業態「H&B Place」の展開などにあたった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大久保 秀夫(おおくぼ ひでお、1954年10月2日 - )… 大久保 秀夫(おおくぼ ひでお、1954年10月2日 - )は、株式会社フォーバルの創業者、代表取締役会長。通信事業者を自動的に選択するLCR(Least Cost Routing)機能を搭載した「NCC BOX」の販売を手がけた。 東京都出身。1977年國學院大學法学部卒業。1980年新日本工販株式会社(現在の株式会社フォーバル)を設立。元東京商工会議所副会頭。
滝山 正夫(たきやま まさお、1951年 - )は、日本の実… 滝山 正夫(たきやま まさお、1951年 - )は、日本の実業家。AXN取締役会長、アニマックスブロードキャスト・ジャパン代表取締役社長、衛星放送協会会長。東京都出身。「滝山 雅夫」と表記されることもある。 國學院大學卒業後、1973年にジャパンアメリカプレス入社。1975年にフジエイト(現:フジクリエイティブコーポレーション(FCC))入社。フジエイト・FCCでは虫プロダクション制作のテレビアニメを中心にアジア圏にテレビ番組の販売を手掛け、1981年に設立された国際部で全世界のマーケットに進出。当時民放テレビ局が開局したばかりのヨーロッパ各国に日本のテレビアニメを販売した。 1998年、ソニー・ピクチャーズテレビジョン・ジャパン(2001年12月SPEJと合併)入社。
岩古 良春(いわこ よしはる、1950年11月 - )は、日… 岩古 良春(いわこ よしはる、1950年11月 - )は、日本の実業家。タリーズコーヒージャパン代表取締役社長を務めた。 東京都出身。1974年國學院大學経済学部経済学科卒業、伊藤園入社。伊藤園には営業職として勤務し、千葉管理地区部長、商品部長を経て、2007年タリーズコーヒージャパン取締役営業本部長。2008年タリーズコーヒージャパン常務取締役。2010年タリーズコーヒージャパン専務取締役。2016年からタリーズコーヒージャパン代表取締役社長を務め、大阪城公園駅前店などの新規店舗開設等にあたった。2018年タリーズコーヒージャパン取締役相談役。
田中 孝顕(たなか たかあき、1945年1月6日 - )は、… 田中 孝顕(たなか たかあき、1945年1月6日 - )は、日本語クレオールタミル語説の研究者、日本の自己啓発書の著者、翻訳家、実業家。 「脳力開発」を提唱し、自己啓発書などを出版したりイベントを行ったりした。 東京都江東区深川永代生まれ。 直後米軍の絨毯爆撃を避け中野区鷺宮に転居、若宮小学校(現・中野区立美鳩小学校)、中野区立第八中学校より國學院原宿校を経て1966年國學院大学法学部卒業後、総理府事務官、公正取引委員会事務局景品表示課、東急不動産企画部・総務部を経て、マカイバー・カウフマン・クリステンセン法律事務所に入所し、かたわら法律の勉学を続けたのち、株式会社エス・エス・アイを創業。代表取締役社長に就任。
大塚 勤(おおつか つとむ、1944年1月 - )は、日本の… 大塚 勤(おおつか つとむ、1944年1月 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。エイアンドジー顧問プロデューサー、國學院大學院友経済会会長、湘南出版白扇会メンバー。 1966年に國學院大學政経学部国際経済学科(74期)を卒業。1967年4月に所属会社の合併に伴い徳間書店に入社。加藤博之常務の大映移籍後に取締役映像事業局長、更に加藤の後任だった尾形英夫常務が1994年に退社しアニメの統括プロデューサーとなる。その後海外事業局長を経て、1997年12月にディレクTV放送の為設立された子会社である徳間デジタル放送(後のスーパーデジタル放送)代表取締役社長に就任。2000年8月28日にエイアンドジーを設立。
三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2… 三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2021年7月7日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。宮崎県東諸県郡国富町出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年4月に宮崎日日新聞社に入社。 1998年に取締役に就任し、常務を経て、2006年6月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2021年7月7日誤嚥性肺炎のために死去。78歳没。
宇佐美 通(うさみ とおる、1942年5月20日 - )は、… 宇佐美 通(うさみ とおる、1942年5月20日 - )は、日本の経営者。大鵬薬品工業社長を務めた。茨城県出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年に大鵬薬品工業に入社。2001年9月に社長に就任。2012年4月に取締役に退いた。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
佐久間 進(さくま すすむ、1935年9月26日 - 20… 佐久間 進(さくま すすむ、1935年9月26日 - 2024年9月20日)は、日本の実業家。株式会社サンレーの名誉会長及び、サンレーグループ名誉会長を務めた。 作家の一条真也(本名=佐久間庸和)は長男である。 1935年、千葉県富津市生まれ。國學院大學文学部に入学、樋口清之教授の影響で民俗学に関心を抱く。大学卒業後、大手自動車販売会社勤務を経て、ホテルサービス業の経営を学ぶため国際ホテル学校に入学。同校を卒業後、1962年に小倉市(現:北九州市小倉北区)にある松柏園ホテルに入社。岳父となる栗田光十郎とともにホテル経営を行う。 1966年に北九州市冠婚葬祭互助会の看板を掲げ、冠婚葬祭互助会事業をスタートさせる。
中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - … 中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - 2018年11月25日)は、東京放送(TBS、現・TBSホールディングス / TBSテレビ)演出部、映画部に所属した監督、テレビディレクター。 1931年(昭和6年)、洋画家の中川一政の次男として生まれる。1953年(昭和28年)、國學院大學文学部を卒業。1955年(昭和30年)、東京放送の前身であるラジオ東京(KRT)に入社する。1985年(昭和60年)、テレパックへ出向し晩年まで東京放送ホールディングス社友であった。 2018年11月25日に肺炎のため死去した。87歳没。墓所は雑司ヶ谷霊園。 1966年(昭和41年)、中川は1月より放映開始された円谷特技プロダクションが制作するTBSテレビの特撮テレビ番組『ウルトラQ』のコイン怪獣カネゴンが登場する話「カネゴンの繭(まゆ)」を監督した。
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 20… 高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 2009年6月30日)は、日本の実業家、予備校経営者。國學院大學院友会第10代会長。「代々木ゼミナール」の創業者として知られる。北海道出身。 北海道滝川市に生まれる。生家は御嶽山神社で、高宮家は出雲の神官の係累である。 1938年に國學院大學神道学部を卒業し、太平洋戦争中は札幌歩兵第二十五連隊で連隊旗手を務めた。1943年に、東京都内でキャバレー、質屋、パチンコ屋チェーンなどを経営していた増田商事の社長増田亀吉の娘と結婚する。 義父に見込まれて経営に携わり1953年に開設した予備校「不二学院」で会計を担当したが、義父と離反して学院の支配権を掌握する。
鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27… 鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27日 - 1994年〈平成6年〉5月8日)は、日本の実業家。旺文社元副社長。日本英語検定協会元専務理事。國學院大學マスコミ院友会元副会長。鳥居耀蔵の養玄孫にあたる。鳥居支家十三代目。 東京府出身。杉並区堀ノ内在住。鎌田福寿の四男に生まれ、花園神社社司・鳥居成功の養子となる。養父・成功は鳥居耀蔵の曾孫にあたる。実妹は声優の鎌田弥恵。 1938年(昭和13年)國學院大學国文科を卒業後、旺文社に入社。1942年(昭和17年)国漢部次長となり、1946年(昭和21年)取締役書籍部長、1960年(昭和35年)専務を経て、1967年(昭和42年)副社長に就任。
野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 … 野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の実業家。株式会社岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送株式会社取締役相談役などを歴任した。弟である野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。 岡山県総社市真壁出身。國學院大學卒業。新聞聯合社に入社する。1936年、同盟通信社に入社する。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社(のちに岡山日日新聞社)代表取締役に就任する。 岡山日日新聞社代表取締役社長、会長、岡山放送取締役相談役のほか、岡山通信土木代表取締役、フジボーリング代表取締役、日本シール販売代表取締役、フジビル取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事などを歴任した。
石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ … 石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ 1977年2月20日)は、日本の映画監督、映画プロデューサー、実業家。 東京出身。第一映画社で伊藤大輔、溝口健二の劇映画の編集を担当。鈴木伝明、中野英治が出演した劇映画『名物三人男』『ある駅の出来事』『与太者サーカス』を監督。芸術映画社で長期ロケを刊行した記録映画『雪國』を監督し、文部大臣賞を受賞。日本映画社ジャカルタ撮影所次長兼製作部長をへて、戦後、人員整理が始まっていた日本映画社でSF劇映画『空気の無くなる日』を製作。日映科学映画製作所を設立した後、記録映画『結核の生態』、『せんたく』、『火と炎』ほかの製作に対して、第3回ブルーリボン賞受賞。
猪狩 安往は、日本の実業家。銀座ルノアール社長。 東京都出身… 猪狩 安往は、日本の実業家。銀座ルノアール社長。 東京都出身。國學院大學経済学部卒。 大学卒業後は、 ジョナサン (ファミリーレストラン) を運営する株式会社ジョナサンに入社し、のちに退職。 1998年、株式会社銀座ルノアール入社。 同社運営の「New Yorker’s Soup Café」店長、開店担当、スーパーバイザーや、「Café Miyama」開店担当などの経験を重ねる。 2012年、銀座ルノアールの子会社でブレンズコーヒーを運営する株式会社ビーアンドエムの代表取締役社長に就任。 2015年6月、先代・小宮山文男の跡を継ぎ、銀座ルノアール3代目社長に就く。 座右の銘は「至誠通天」としている。
近藤 薫明(こんどう しげあき)は、日本の教育者、学校経営者… 近藤 薫明(こんどう しげあき)は、日本の教育者、学校経営者である。旧制東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)教諭、城北中学校・高等学校学校長・理事長、及び城北埼玉中学・高等学校を創立するなど中等教育機関の教育と経営・創立に携わった。 國學院大學卒業。旧制東京府立四中(現:都立戸山高校)歴史科教諭から転じて、深井鑑一郎が1941年(昭和16年)に創設(再興)した旧制城北中学校(現:城北中学校・高等学校)で教鞭をとり、1943年(昭和18年)に同校第2代学校長となる。深井鑑一郎の教育理念に感銘を受け、のちに埼玉県川越に城北埼玉中学・高等学校を設立し、初代理事長を務めた。 1976年(昭和51年)に國學院大學院友会第8代会長。