松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月… 松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。族籍は東京士族。 1866年11月(慶応2年9月)、広島県広島市猿楽町(のち広島市中区大手町)生まれ。有隣の長男。広島尋常中学(広島国泰寺高等学校の前身)で、柴野登一(中村是公)、玉井喜作らと同級。1880年父親の転勤で丸亀に移り、翌1881年上京。獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)、東京大学予備門(第一高等学校)を経て1893年東京帝国大学法科大学独法科卒業、引き続き法科大学研究科で警察法を研究。 日清戦争直前の1893年内務省入省。警視庁四谷警察署長を振り出しに香川県警察部長、警保局警務課長、警視庁第二部長兼任内務書記官、兼任消防署長(のちの消防総監)などを経て1905年、警視庁第一部長となり日比谷焼打事件の鎮圧指揮にあたった。
柴原 亀二(しばはら かめじ、慶応2年8月4日(1866年9… 柴原 亀二(しばはら かめじ、慶応2年8月4日(1866年9月12日) - 昭和10年(1935年)3月)は、明治から昭和にかけての官僚・翻訳家・弁護士。養父は龍野藩士で明治維新後千葉県令・貴族院議員などを務めた柴原和。号は楫川(いつせん)。 龍野藩士・森井栄の長男として播磨国龍野(現在の兵庫県たつの市)に生まれる。18歳の時、叔父の柴原和の養子となった。明治21年(1888年)に東京帝国大学法科を卒業、翌年からヨーロッパに留学してケンブリッジ大学を卒業し、イギリス・フランス・ドイツなどで法律学を学ぶ。留学中に明治24年(1891年)に帝国大学卒業者の資格によって法制局に試補される。明治28年(1895年)に帰国後、一旦弁護士を開業するが、翌年台湾総督府参事官となり、後に台南県鳳山支庁長に転じる。
木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1… 木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1866年1月26日) - 大正14年(1925年)1月9日)は、戦前日本の官僚・政治家。
笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年… 笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本の内務官僚・政治家。貴族院議員。 静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。静岡県立静岡中学校、第一高等学校を経て、1892年、帝国大学法科大学を卒業した。 1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。その後、警保局監獄課長、山形県参事官、岩手県警察部長、高知県書記官、台湾総督府事務官、台南県書記官、岐阜県書記官、新潟県書記官、同県第一部長、熊本県第一部長などを歴任。 1907年1月、岩手県知事に就任。1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。1914年6月、岡山県知事に転じた。
石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4… 石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。 備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。 1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。
濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日〈嘉永2年4月… 濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日〈嘉永2年4月20日〉- 1925年〈大正14年〉9月25日)は、日本の文部官僚、政治家。旧豊岡藩士。位階勲等爵位は従一位勲一等子爵。 文部省専門学務局長、元老院議官、第8代東京帝国大学総長、文部大臣、高等教育会議議長、東宮大夫、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院副議長・議長、内大臣を歴任した。 嘉永2年4月20日(グレゴリオ暦1849年5月12日)、但馬豊岡藩士・濱尾嘉平治の子として、豊岡(現在の兵庫県豊岡市)に生まれる。初名は貞次郎。 1869年(明治2年)9月に藩費遊学制度により、21歳で芝新銭座慶應義塾(現在の慶應義塾大学)に入学する。同窓に、中上川彦次郎、村尾真一、吉村寅太郎、矢野文雄、藤野善蔵、魔野巻蔵、秋山恒太郎、名児耶六都、小林雄七郎、城泉太郎、森下岩楠、坪井仙次郎、後藤牧太、鮫島武之助、日高壮之丞、近藤良薫、田尻稲次郎、穂積寅九郎、永田健助、中村貞吉など)慶應義塾に在学中、慶應義塾の派遣教員となって一時高島学校(藍謝堂)に赴任する。
鶴田 皓(つるた あきら、天保6年12月26日(1836年2… 鶴田 皓(つるた あきら、天保6年12月26日(1836年2月12日) – 明治21年(1888年)4月15日)は、明治時代の法制官僚。元老院議官。字は玄縞、通称は弥太郎、号は斗南。佐賀藩多久邑出身。父は多久家家臣鶴田斌。東京帝国大学法学部講師。明治法律学校名誉校員。諸法典編纂に参加。正三位勲二等。実業家・炭鉱技術者の高取伊好は弟。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本… 藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本県立玉名中学校(1908年卒業)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1915年に高等文官試験に合格し、逓信省に入省する。 満州国建国後には郵務司長として赴任した。その後、名古屋逓信局長、大阪逓信局長を経て、1938年に初代航空局長官に就任した。