庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 - 1952年5月27日)は、昭和時代戦前の日本の作詞家、歌人、旧制中学校教諭。号は春鳥(しゅんちょう)。大分県出身。 1893年(明治26年)2月、大分県西国東郡朝田村(現在の杵築市大田地区)の農家に四人兄弟の長男として生まれる。小学校を卒業後、田原村の準教員養成所を経て西国東郡高田町(現在の豊後高田市)で代用教員を務め、大分師範学校へ進学する。 大分師範学校を卒業した後は日本大学へ進み国語と漢文を学んだ。帰郷後は県立臼杵高等女学校(現県立臼杵高校)や徳島師範学校、旧制宮崎中学(現在の宮崎県立宮崎大宮高等学校)で教諭を務める。旧制宮崎中学在職中の1933年(昭和8年)、宮崎市で開催された祖国日向産業博覧会のテーマ曲募集で応募作「祖国日向の四季」が一等入選となる。
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