内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。明治文壇を代表する批評家として知られ、旺盛な好奇心と広範な知識は文学を超えて、民族学や文明論的な拡がりを持った。江戸下谷車坂六軒町(現・東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 旧幕臣の子・貢(幼名・貢太郎)として下谷車坂三軒町に生まれる。父・正には7人の妻がおり、魯庵は最初の妻との子。はじめは政治・実業に関心を持ち、1882年(明治15年)に15歳で築地の立教学校(現立教大学)に入学して英語を学んだほか、東京専門学校(現早稲田大学)英語部などでも英語を学び、東京大学予備門にも入ったが、家が貧しく結局どこも中退し、文部省編輯局翻訳係であった叔父(継母の姉妹の夫)・井上勤のもとで下訳や編集の仕事をする。
出典:ウィキペディア「内田魯庵」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
