申 鉉碻(シン・ヒョンファク、シン・ヒョナク、しん けんかく、1920年12月29日 - 2007年4月26日)は大韓民国の政治家、実業家。本貫は平山申氏。創氏改名時の日本名は平林佑國、号は于湖(ウホ、우호)。 元国務総理室政策次長の申喆湜(朝鮮語版)は1人息子。 慶尚北道漆谷郡出身。大邱高等普通学校から京城帝国大学を経て、1943年に高等文官試験に合格して農商務省に入省し、商務系官僚を務めた。終戦時は軍需省の軍需管理官として働いた。 韓国独立後は、大邱大学校教授を経て1951年に商工部工業局工程課長として官界に復帰し、商工部電気局・鉱務局・工業局局長を務めた。1957年には復興部次官兼外資庁長官代理となり、1959年に復興部長官となるが、四月革命で逮捕され官界を追放。
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