窪 全亮(くぼ ぜんりょう、1847年9月28日(弘化4年8月19日)- 1913年5月11日)は、日本の教育者。明治および大正時代に、現在の東京都稲城市で活動した。号は「素堂」。「稲城」の地名の命名者という説がある。 1847年に長沼村(現稲城市)に生まれる。若い頃江戸に出て、大沼枕山に学ぶ。 1871年に郷里の長沼村に作られた東長沼郷学校「博文学舎」の教員となる。翌年、学制が発布されると尋常小学校の教員に就任した。 1880年(明治13年)に私塾「奚疑塾」(けいぎじゅく)を自宅に開いた。この塾は尋常小学校卒業者を対象とし、広く生徒が集まった。奚疑塾の名は、帰去来辞の「樂夫天命復奚疑」に由来する。
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