スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、… 西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、日本の実業家。オエノンホールディングス代表取締役社長、合同酒精代表取締役社長。 北海道小樽市出身。実家は酒屋。1983年北海道小樽潮陵高等学校卒業。1988年小樽商科大学商学部卒業、証券会社勤務を経て合同酒精(現オエノンホールディングス)入社。2005年富久娘酒造取締役経営管理部長。2007年合同酒精執行役員経営企画部長、総務部長。2008年オエノンホールディングス経営戦略企画室部長。2010年オエノンホールディングス取締役経営戦略企画室長、合同酒精取締役経営企画部長。2011年オエノンホールディングス中期経営戦略策定委員会事務局長。2015年からオエノンホールディングス代表取締役社長を務め、2016年からは合同酒精代表取締役社長。
川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日… 川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日 - )は、日本の実業家。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、東京理科大学理工学部卒業。大学では体育会テニス部に所属した。三菱HCキャピタル株式会社代表取締役会長、元日立キャピタル執行役社長 兼 CEO。北海道小樽市出身。実家は米屋。リース事業協会副会長。
北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11… 北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の官僚、経営者。元経済産業審議官。株式会社INPEX相談役。元石油鉱業連盟会長。北海道小樽市出身。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、通商産業省入省(鉱山石炭局石炭部炭政課)。貿易経済協力局、製造産業局、通商政策局各局長を歴任し、2006年(平成18年)に経済産業審議官となり、2007年(平成19年)に退官する。 退官後は東京海上日動火災保険顧問、早稲田大学大学院客員教授をへて、2009年(平成21年)に国際石油開発帝石副社長に就任。2010年(平成22年)から同社社長を務める。
田尻 稲雄(たじり いなお、1948年5月20日 - )は、… 田尻 稲雄(たじり いなお、1948年5月20日 - )は、日本の実業家。メディカルシステムネットワーク創業者・代表取締役社長。北海道バーバリアンズ設立者。北海道ラグビーフットボール協会会長。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、小樽商科大学卒業。1974年一の山形薬業入社。1981年メディカル山形薬品入社。1989年メディカル山形薬品代表取締役社長。1991年親会社・秋山愛生舘の取締役に就任。 1999年秋野治郎、沖中恭幸とメディカルシステムネットワークを設立し、代表取締役社長に就任。医薬品ネットワークの整備等を進め、2010年には東京証券取引所一部上場を実現。また、高校の友人5人と社会人ラグビークラブの北海道バーバリアンズを設立し、北海道ラグビーフットボール協会理事長を経て、2019年北海道ラグビーフットボール協会会長。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月2… 辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本の放送局経営者。エフエム富士(FM-FUJI)初代社長。 北海道小樽市生まれ。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校(旧制。のちの静岡大学)、東京大学国文科を卒業後、日本放送協会へ入局。 民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍し、TBSラジオの番組編成・制作業務に従事。ラジオの編成課長だった1963年(昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て、1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)へ出向。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り、最終的には取締役専務を務めた。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 -… 諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを務めた。 小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。 1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、1964年(昭和39年)11月常務を歴任。1969年(昭和44年)11月28日社長に昇格、1977年(昭和52年)6月29日会長に退き、山西由之に社長を譲る。 1983年(昭和58年)相談役、1986年(昭和61年)山西が死去したため3月25日会長に復帰し、1989年(平成元年)6月29日特別顧問。
伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年… 伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年9月3日)は、1920年代に活躍した元スキージャンプ選手、実業家。後に全日本スキー連盟の会長を務めた。京都府出身。 父親の伴房次郎は小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)第二代校長(在職期間1921年11月28日-1935年4月2日) 京都府生まれで小学3年生の時父親の転勤に伴い小樽へ移り住んだ。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校) - 北海道帝国大学農学部 - 日本製粉(現・ニップン)株式会社。 1926年の第4回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。 1928年のサンモリッツオリンピックにスキージャンプ日本代表として出場するが、コーチも通訳もいない孤独な参戦を強いられたことに加え、台の規模や技術、道具など何もかもが自分たちがやってきたことと違うことに戸惑い本来のジャンプが全く出来ず、転倒もあって(元々、伴は着地は得意な選手であった)最下位に終わった。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
東海林 武雄(しょうじ たけお、1900年1月14日 – 1… 東海林 武雄(しょうじ たけお、1900年1月14日 – 1988年9月20日)は、日本の実業家。元旭電化工業社長、元日本専売公社(現・日本たばこ産業)総裁。 秋田県生まれ、北海道小樽市育ち。旧制小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1925年早稲田大学政治経済学部を卒業。旭電化工業に入社する。1953年に社長に就任し、主に工業用マーガリンの製造販売を中心に業績を伸ばす。早大時代は浅沼稲次郎も加入していた左派学生団体「建設者同盟」で活動していたこともあり、修正資本主義派の論客としても知られ、1952年から1955年まで経済同友会代表幹事も務めた。 1962年、中山素平(日本興業銀行頭取)、佐々木直(日本銀行副総裁)らに請われ、経営不振に陥っていた藤山コンツェルンの中核企業日東化学工業の社長に就任、再建に尽力する。
岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962… 岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。 大阪府大阪市に生まれ、北海道小樽市で育つ。小樽中学校から三浪を経て、第一高等学校に入学。5年間在籍し、その間全寮委員長として、関東大震災後の同校移転問題などに関係する。その後東京帝国大学工学部鉱山学科に入学。在学中はボート部で活躍し、1929年(昭和4年)の卒業後も後輩の指導に当たった。 東京帝大学生課嘱託などを経て、1931年(昭和6年)に名古屋合板支配人として財界に入る。以後明治製革常務、満鉄調査部嘱託、興中公司広東事務所長などを歴任する一方、昭和研究会に所属し、各界に広く人脈を持つようになる。
野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9… 野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9月18日 - 1972年〈昭和47年〉2月11日)は、日本の実業家。2015年(平成27年)まで北海道小樽市に存在した酒造会社・北の誉酒造の2代目社長であり、同社創業者である野口吉次郎の次男。北海道小樽市出身。 小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)卒業後、間もなく旭川市の第7師団に入隊した。除隊後の1908年(明治41年)、父の経営する野口吉次郎商店(後の北の誉酒造)を継ぎ、社長として酒造部門を拡張させた。 1924年(大正13年)、アルコール4社合併の合同酒精に相談役で迎えられ、1929年(昭和4年)から1958年(昭和33年)まで同社社長、1964年(昭和39年)まで会長を務めた。
堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 -… 堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 - 1976年(昭和51年)10月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。北海道庁立小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業した。 小樽市の醸造業者で経験を積んだ。1924年(大正13年)不況のため経営不振となった北海道内4酒造業者を救済する合併事業に参画し、合同酒精が設立され専務に就任。1945年(昭和20年)同社長となる。1946年(昭和21年)旭川商工会議所会頭に就任した。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区から出馬して当選。以後、第3回、第5回通常選挙でも当選し、参議院議員を連続3期務めた。