スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮下 朝陽(みやした あさひ、2004年1月26日 - )は… 宮下 朝陽(みやした あさひ、2004年1月26日 - )は、北海道寿都郡黒松内町出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 黒松内小2年から軟式チームで野球を始め、小学6年生の時に北海道日本ハムファイターズジュニア入りを果たした。黒松内中時代は余市シニアで全国を経験。 北海高等学校では主将と4番打者を務め、3年春の第93回選抜高等学校野球大会、夏の第103回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、いずれも初戦で阪上翔也擁する神戸国際大附に敗れた。2学年先輩に辻本倫太郎、同学年に木村大成、大津綾也、工藤泰己、江口聡一郎がいた。 高校卒業後は東洋大学へ進学。当時2部リーグながら1年生から主力を務める。
江口 聡一郎(えぐち そういちろう、2003年11月22日 … 江口 聡一郎(えぐち そういちろう、2003年11月22日 - )は、北海道札幌市のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 札幌市立真栄小学校1年次に真栄ビクトリーで野球を始めた。 札幌大谷中学校では札幌大谷リトルシニアでプレーした。 北海高等学校では高校2年の6月に右胸郭出口症候群になり7月に手術をし50kgあった握力は8kgまで下がり右手で箸を持てないほどになった。7月に手術をしてから県秋季大会よりスタメンを勝ち取った。秋季大会では万全ではなかったが人生初アーチを含む打率.364を記録し第93回選抜高等学校野球大会への出場に貢献した。特に決勝の旭川実業高等学校戦では田中楓基から本塁打を放ちそれが決勝点となった。
工藤 泰己(くどう たいき、2003年9月29日 - )は北… 工藤 泰己(くどう たいき、2003年9月29日 - )は北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 札幌市立常盤小学校3年時に常盤ハリケーンで捕手として野球を始め、札幌市立常盤中学校在学時は軟式クラブチームのT・TBCでプレー。中学時代は髙谷舟とともにプレーした。 中学卒業後は北海高等学校に進学。2学年先輩に辻本倫太郎、同級生に木村大成、大津綾也、宮下朝陽、江口聡一郎らがいる。1年時からベンチ入りを果たし、最初は捕手として木村と公式戦で1年生バッテリーを組むことがあったが、やがて外野手を経て投手へとポジションを変える。チームは第93回選抜高等学校野球大会、第103回全国高等学校野球選手権大会に出場するも木村の控えで登板なし。
木村 大成(きむら たいせい、2003年9月12日 - )は… 木村 大成(きむら たいせい、2003年9月12日 - )は、北海道北広島市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 北広島市立東部小学校1年生の時に軟式野球を始め、北広島市立東部中学校では軟式野球部に所属した。 北海高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2年秋からエースとなり、北海道大会で優勝。3年春の第93回選抜高等学校野球大会に出場し、開幕戦となった阪上翔也擁する神戸国際大附との1回戦に先発したが、1点リードの9回裏に同点に追い付かれ、延長10回裏に適時打を打たれサヨナラ負けを喫した。同年夏の南北海道大会では苫小牧中央との1回戦にて、視察に訪れたスカウトのスピードガンで自己最速を更新する150km/hを記録した。
大津 綾也(おおつ りょうや、2003年5月28日 - )は… 大津 綾也(おおつ りょうや、2003年5月28日 - )は、北海道久遠郡せたな町出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 せたな町立北檜山小学校1年の時に北檜山ラウドネスで野球を始め、6年時には松浦慶斗らとともに北海道日本ハムファイターズジュニアのメンバーに選出されている。せたな町立北檜山中学校時代は軟式野球部でプレー。 北海高等学校では1年春から遊撃手としてベンチ入りし、1年秋から捕手に転向。2年夏から正捕手。3年春には第93回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦の神戸国際大附戦はエース木村大成をリードし8回まで2-1と勝ち越していたが、9回裏に自らの捕逸でピンチを招いて追いつかれ、延長10回にサヨナラ負けを喫した。
辻本 倫太郎(つじもと りんたろう、2001年8月11日 -… 辻本 倫太郎(つじもと りんたろう、2001年8月11日 - )は、富山県富山市生まれ、北海道札幌市白石区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 富山県富山市で生まれ、2歳の時に北海道札幌市へ引っ越した。札幌市立東札幌小学校で3年生の時に東札幌ジャイアンツで野球を始め、6年時には北海道日本ハムファイターズジュニアでプレーした。札幌市立日章中学校在学時は硬式野球のクラブチームである札幌南シニアでプレーし、3年春に全国大会に出場した。 北海高等学校では2年夏から遊撃手のレギュラーに定着し、同年秋から主将を務めた。3年夏は南北海道大会準々決勝で札幌国際情報に敗れた。その後、北海高校が阪神甲子園球場で行われた全国高等学校野球選手権大会で初めて勝利した高校であることから、令和初の第101回全国高等学校野球選手権大会にて、開会式の入場行進の先導役を務めた。
大窪 士夢(おおくぼ じゆ、2000年8月2日 - )は、北… 大窪 士夢(おおくぼ じゆ、2000年8月2日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 北海高等学校ではチームは1年夏と2年夏の甲子園に出場したがベンチ外。3年時は控え投手として全て救援投手として登板したが、甲子園出場はなかった。高校の1学年先輩に川村友斗、阪口皓亮、鈴木大和、1学年後輩に辻本倫太郎がいる。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから育成ドラフト2位で指名され入団。背番号は126。 2019年はイースタン・リーグ公式戦2試合に登板し、5回を投げ防御率7.20の成績だった。同年秋より西武に三軍制が敷かれ、大窪も三軍選手として指導を受けるようになる。
阪口 皓亮(さかぐち こうすけ、1999年8月15日 - )… 阪口 皓亮(さかぐち こうすけ、1999年8月15日 - )は、大阪府大阪市大正区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 大阪市立三軒家東小学校2年から野球を始め、大阪市立大正東中学校時代には大正ボーイズに所属し、投手兼外野手としてプレー。比嘉賢伸とは小中でチームメイトであり、小学校時代にはバッテリーを組んでいた。DeNAに同期入団した山本祐大は中学校の1つ先輩にあたる。 北海高等学校では2年春に背番号15でベンチ入りするも、2年夏はベンチ外。同校はこの年大西健斗を擁し、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場し準優勝。阪口は甲子園に帯同し、初戦で対戦した松山聖陵のエース・アドゥワ誠対策として打撃投手を務めた。
川村 友斗(かわむら ゆうと、1999年8月13日 - )は… 川村 友斗(かわむら ゆうと、1999年8月13日 - )は、北海道松前郡松前町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 北海高校では2年時に打線の中軸を任され、夏の甲子園大会での準優勝に貢献。当時のチームメイトに阪口皓亮と鈴木大和、1学年後輩に大窪士夢、2学年後輩に辻本倫太郎がいる。 高校卒業後は、仙台大学に進学。大学4年時の2021年度プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスより育成選手ドラフト2位指名を受け、入団。背番号は132。 2022年、二軍公式戦に39試合出場し、打率.193、1本塁打、5盗塁、9打点、三軍戦では54試合に出場し、打率.261、4本塁打、12盗塁、22打点を記録する。
鈴木 大和(すずき やまと、1999年4月27日 - )は、… 鈴木 大和(すずき やまと、1999年4月27日 - )は、北海道北広島市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 北広島市立大曲東小学校2年から野球を始め、6年時には北広島イーストグローリーで高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントに出場。北広島市立大曲中学校では札幌豊平ボーイズに所属し、3年時にジャイアンツカップに出場している。 北海高等学校では2年夏に第98回全国高等学校野球選手権大会に出場。「9番・中堅手」で全5試合に出場して27打数14安打、打率.519の好成績を残し、チームの決勝進出に貢献。決勝では作新学院のエース今井達也から2安打1打点を放ったが、1-7で敗れて準優勝に終わった。
佐藤 龍世(さとう りゅうせい、1997年1月15日 - )… 佐藤 龍世(さとう りゅうせい、1997年1月15日 - )は、北海道厚岸郡厚岸町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 スピードスケート選手で2018年の平昌オリンピック女子団体パシュート金メダリストの佐藤綾乃は従姉にあたる。 厚岸町立真龍小学校2年生から「真龍ファイターズ」で野球を始める。厚岸町立真龍中学校時代は「釧路中央シニア」でプレーしていたが、廃部になり「釧路シニア」でプレー。 高校は全国選手権への最多出場回数を誇る札幌市の北海高等学校に進学し、4番打者を担った。しかし、佐藤の代は一度も甲子園出場を果たせず、特に2年夏と3年夏は南北海道大会の札幌支部予選で初戦敗退を喫した。この結果から一度は野球に対する気持ちが折れ、厚岸に戻って漁師か消防士の仕事に就くことを考えていたが、高校の監督に説得され、富士大学経済学部経営法学科への入学を勧められた。
戸川 大輔(とがわ だいすけ、1996年4月29日 - )は… 戸川 大輔(とがわ だいすけ、1996年4月29日 - )は、北海道沙流郡日高町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 日高町立厚賀小学校2年生の時に投手として野球を始め、日高町立厚賀中学校時代は札幌グロウィングス(現・札幌北広島ボーイズ)でプレーした。北海高等学校では1年生時の秋に背番号「1」でベンチ入りし、2年生時の秋に投手から外野手に転向した。3年生時の第96回全国高等学校野球選手権大会・南北海道大会札幌予選では2回戦で北海道札幌南高等学校に敗れている。高校通算13本塁打。同期に佐藤龍世がいる。 2014年10月23日に行われたドラフト会議で、埼玉西武ライオンズから育成選手ドラフト1位指名され、支度金350万円、年俸300万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は… 川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は、北海道札幌市豊平区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立豊平小学校2年生の時に野球を始め、札幌市立八条中学校では札幌豊平東シニアで投手としてプレーした。当時のチームメイトには1歳下に水野滉也がいる。 北海高等学校では、3年生の第83回選抜高等学校野球大会で3試合に「4番・右翼手」として先発出場し、1回戦・対創志学園高等学校戦では同点の8回に決勝本塁打を放つなど、計12打数6安打、1本塁打、2打点、打率.500の成績だった。第93回全国高等学校野球選手権大会・1回戦の対明徳義塾高等学校戦では「4番・右翼手」として先発出場し、4打数1安打1打点、打率.250の成績でチームはサヨナラ負けした。
鍵谷 陽平(かぎや ようへい、1990年9月23日 - )は… 鍵谷 陽平(かぎや ようへい、1990年9月23日 - )は、北海道亀田郡七飯町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 妻は女優の青谷優衣。 小学1年生から野球を始め、5年時に内野手から投手へ転向した。七飯町立七飯中学校時代は、軟式野球部に所属。野球推薦の話があったことと、野球を続けるなら親に甘えたくないという理由から札幌市にある北海高校に進学。 高校時代は1年時の夏からベンチ入し、2年時の秋からエースとなる。3年時の夏に南北海道予選を制し、第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場するが、1回戦の東邦高校戦で先頭打者本塁打を含む14被安打12失点と打ち込まれ、7回途中で降板しチームも10-15で敗退。
瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は… 瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校4年生の時に野球を始め、もみじ台中学校時代は「札幌白石シニア」でプレーした。北海高校では1年秋からエースとなる。1試合27奪三振なども記録したが甲子園出場経験はない。 高校卒業後は、社会人野球・クラブチームの室蘭シャークスに入団し、働く傍らプレーした(ドラフト指名時は日鉄住金テクノロジーで勤務)。入団当初は制球難に苦しみ、伸び悩む時期が続いたが、投球フォームの改善や、監督の庫田雄平のアドバイスなどもあり、徐々に才能が開花。第39回社会人野球日本選手権大会道地区予選の対航空自衛隊千歳戦では、7回を1失点に抑え、さらに翌日の対JR北海道戦では8回から救援し、延長10回までの3イニングを7奪三振・無失点と好投し、本大会進出に貢献した。
堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は… 堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は、北海道十勝支庁広尾郡広尾町出身の元プロ野球選手(外野手)。 北海高校時代、夏の甲子園に出場。 中央大学では4年間二部リーグであったが主将として、4年春に東都大学リーグ二部三冠王に輝く。また、4年時には東都大学リーグのプロ・アマ交流戦に出場し、安打を放つ。 1996年のドラフト6位で読売ジャイアンツへ入団。 走攻守3拍子揃った選手として注目され、細身の体型ながら打撃はパンチ力があり、1998年にはフレッシュオールスターゲーム出場果たすも、一軍ではなかなか結果を残せなかった。二軍では2002年に本塁打王、2003年に首位打者に輝くなど毎年のように本塁打、盗塁は常に上位に名を連ねた。
島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )… 島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )は、北海道北広島市出身(札幌市生まれ)の大学野球指導者、政治家。北広島市議会議員(3期)。 北海道札幌市白石区にて生まれ、3歳の時に札幌郡広島町(現在の北広島市)へ転居。 広島町立若葉小学校(現在の北広島市立双葉小学校)、広島町立広葉中学校(現在の北広島市立広葉中学校)を経て北海高等学校に入学し、野球部に入部。同期に平川敦(現在の北海高等学校監督)、松浦吉仁(日本製紙石巻元監督、松浦慶斗の父)。野球部では投手として大西昌美監督の指導の下で甲子園を目指し、練習に打ち込む。1989年、高校3年次の第71回全国高等学校野球選手権大会(1989年)に出場、初戦(2回戦)の山口県桜ヶ丘高等学校戦でリリーフ登板し、憧れの阪神甲子園球場のマウンドに立ったが、試合は2-6で敗れる。
平川 敦(ひらかわ おさむ、1971年4月6日 - )は、北… 平川 敦(ひらかわ おさむ、1971年4月6日 - )は、北海道根室市出身の高校野球指導者、元アマチュア野球選手。次男はプロ野球広島東洋カープの平川蓮。 北海高等学校では投手として1989年夏の第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。同期には島崎圭介(現・北海学園大学野球部監督)、松浦吉仁(元・日本製紙石巻野球部監督、松浦慶斗の父)がいた。 高校卒業後は北海学園大学へ進学したが、「選手としては上を目指せない」として、野球部には所属しなかった。在学中の1990年に母校の北海でコーチを務めた後、3年間の百貨店勤務を経て、1998年より北海の監督に就任した。 2016年夏の第98回全国高等学校野球選手権大会では、初戦(2回戦)でアドゥワ誠擁する松山聖陵にサヨナラ勝ちし、監督として夏の甲子園大会初勝利となった。
有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は… 有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は、北海道上川郡鷹栖町出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者。 小学6年生から投手として活躍し、北海高では2年秋からエースとなった。 1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名されるも拒否して、首都大学野球連盟の日本体育大学に入学(専攻は体育学部体育学科)、4年春に5勝1敗防御率1.50の好成績を記録し最優秀投手・ベストナインを獲得する。秋は明治神宮大会の初戦で先発するが、東北福祉大・金本知憲のサヨナラ本塁打で敗れた。 その後、1989年にプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 長身からのフォークボールを武器に入団1年目の1990年から16試合に登板し4勝を挙げる。
佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)… 佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)、1959年9月13日 - )は、北海道札幌市白石区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 北海高では、エースとして1977年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、札幌商に完封を喫し甲子園出場を逸する。 同年のドラフト5位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。 1979年に内野手に転向する。 1986年には、水上善雄の欠場もあって遊撃手、三塁手、二塁手を兼ねて活躍、同年は初の規定打席(22位、打率.283)に達する。翌年以降もユーティリティプレイヤーとして起用され、堅実な守備と勝負強いバッティングを見せた。 1989年には、開幕直後に故障欠場を余儀なくされるが、その後は遊撃手に定着し打率.297の好成績をマーク。
竹口 幸紀(たけぐち ゆきのり、1955年6月16日 - )… 竹口 幸紀(たけぐち ゆきのり、1955年6月16日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 北海高等学校では、上手から投げおろす本格派。落差の大きなドロップやシュートが武器で、1試合平均10奪三振をマークしていた。2年秋の全道大会では準決勝で先発したが降板後にチームは延長15回の末に惜敗。翌春の全道大会では先発の機会はなかったが決勝ではエース・佐藤博正を擁する兄弟校の札幌商と対戦、救援登板して優勝に貢献。同年夏の大会はチームの不祥事で1年間の活動停止により出場辞退。 1973年のドラフトで日本ハムファイターズから6位で指名され入団。日本ハムを1975年に自由契約となり、ヤクルトスワローズに入団したが、一軍公式戦に出場することはなく、1976年引退した。
村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北… 村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 札幌市立南小学校および札幌市立柏中学校を経て、1965年に進学した北海高校では主将兼外野手を務める。3年次の1967年には夏の甲子園南北海道予選決勝で苫小牧東高を降して甲子園に進むが、村井は予選で骨折したため本大会出場はならなかった。同年のドラフトで南海ホークスから15位指名を受けるも拒否し、卒業後の1968年には電電北海道へ入社。捕手として1971年から1973年まで3年連続で都市対抗に出場。ヤクルトの若松勉は2歳年上で、北海高校、電電北海道で一緒にプレーした。 1973年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。
若松 勉(わかまつ つとむ、1947年4月17日 - )は、… 若松 勉(わかまつ つとむ、1947年4月17日 - )は、北海道留萌市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。 現役時代はヤクルトアトムズ・スワローズで長きにわたって活躍し、引退後はヤクルトで打撃コーチ・二軍監督・監督を務めた「ミスター・スワローズ」。広角に打ち分ける巧みなバッティングで高打率を残し、公称168cmと小柄な体格ながらも通算220本塁打、2173安打を放つなど、数々の記録を打ち立てたことから「小さな大打者」、「小さな巨人」などの異名を持つ。 2020年終了時点で、NPBで通算6000打席以上の中で打率1位(4000打席以上では3位、日米通算では4位)。年間打率3割12回は川上哲治と並んで歴代3位。
谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - … 谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 北海高では2年次の1962年、中堅手として甲子園に春夏連続で出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退するが、夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、同期の吉沢秀和が急遽リリーフするが、9回に3点を取られ逆転負け。他のチームメートに1年上の中村之保遊撃手がいた。 3年次の1963年には春の選抜で吉沢の好投もあって準決勝に進み、優勝候補の早実にサヨナラ勝ち。決勝では下関商の池永正明に抑えられ0-10で大敗するが、初めて準優勝旗が津軽海峡を越えることとなった。
吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2… 吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2025年1月2日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。1967年までの登録名は吉沢 勝。 実家は長野県で農家を営んでおり、親族がいたことから下宿して進んだ北海高等学校では2年生の時、控え投手として1962年の春夏の甲子園に出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退、吉沢の登板はなかった。夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、吉沢は急遽リリーフに立つが、9回に3点を取られ逆転負け。苦い甲子園デビューとなった。同年の岡山国体では1回戦で先発。作新学院の八木沢荘六、加藤斌に投げ勝ち完封勝利を飾る。
中村 之保(なかむら ゆきやす、1944年9月11日 - )… 中村 之保(なかむら ゆきやす、1944年9月11日 - )は、元プロ野球選手である。ポジションは内野手(主に二塁手を守った)。北海道出身(ただし、森岡浩著『プロ野球人名事典』では、1990年版から2003年版まで一貫して神奈川県出身とされており、同書を出典にしたと見られるその他の資料でも神奈川県出身とするものが多い。なお、著者の森岡はこの記述に関しての出典を全く示していない) 札幌市立啓明中学校から北海高校(北海道)に進み、甲子園に3回出場。1961年の第33回選抜高等学校野球大会では、1回戦で御坊商工に延長10回サヨナラ勝ち。2回戦は同期の今井義則投手が先発するが、この大会に優勝した法政二高の柴田勲に抑えられ敗退。
佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、… 佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、北海道札幌郡豊平町豊羽鉱山(現札幌市南区)出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は卓球の選手。北海高校ではエース、四番打者として1960年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では準決勝まで勝ち上がるが、高松商の左腕エース松下利夫(明大-四国電力)に抑えられ0-2で完封負け。高松商には山口富士雄がおり、この大会で優勝している。夏の選手権は準々決勝で静岡高に惜敗。しかし秋の熊本国体では、決勝で米子東高の宮本洋二郎に3-0で投げ勝ち初優勝を飾る。高校の1年上には荻野一雄、茅野智行がいた。 高校卒業後は、社会人野球の富士製鐵室蘭に入団。1963年の都市対抗に出場。
茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は… 茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。 北海高等学校では1959年にエース荻野一雄を擁し、夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け。卒業後は芝浦工業大学へ入学。東都大学リーグでは1961年秋季にリーグ初優勝を経験。同季の最高殊勲選手であった岩下光一が卒業した後の正遊撃手となり、1963年秋季リーグでは打率.389で首位打者を獲得、全試合連続安打や無失策も記録した。ベストナイン(遊撃手)2回選出。 1964年に西鉄ライオンズに入団。同年はトニー・ロイの控えながら、遊撃手として13試合に先発出場する。
荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、… 荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、北海道紋別郡西興部村出身の元プロ野球選手(投手)。 西興部中時代から速球派投手として知られ、北海高校では2年からエース。2年生時の1958年秋季北海道大会札幌地区予選決勝では、千歳高に対して北海道高校野球史上初の完全試合を達成。秋季北海道大会準々決勝に進むが函館工に敗退。1959年春季北海道大会の対歌志内高戦では、初回先頭打者から13連続三振を記録。同年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け、甲子園出場を果たすことはできなかった。同期には茅野智行(芝浦工大 → 西鉄)・八木沼陽一(立教大 → 河合楽器)、1期下には佐藤進(富士鐵室蘭 → 国鉄・産経 → 中日)などのメンバーを擁していた。
工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 20… 工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 2011年5月13日)は、北海道出身のプロ野球選手。 北海高校では1953年選抜高校野球大会から4季連続で甲子園に出場した。 1955年に読売ジャイアンツへ入団。1959年に退団し、その後は地元の電電北海道でプレーした。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北… 浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 北海高校から立教大学へ進学し、1951年に中退して国鉄スワローズへ入団 1953年に退団し、1956年から1962年まで電電北海道でプレーした。
田原 基稔(たはら もととし、1929年1月1日 - 199… 田原 基稔(たはら もととし、1929年1月1日 - 1996年)は、北海道出身のプロ野球選手(投手)。 弟は元中日ドラゴンズ投手の田原藤太郎。 北海中から社会人野球の札幌鉄道局を経て、1950年に新たに創立された国鉄スワローズに参加。 1年目は56試合に登板し、負けは22敗と多かったものの勝ち星は4完封を含める13勝を挙げ、チーム投手陣の中で1番の成績だった。1951年は31試合に登板するが4勝12敗と成績は振るわなかった。1952年は完封勝利の1勝しか挙げられず、1953年は1軍での登板がなかった。 1954年は中日ドラゴンズでプレーするが1軍登板は1試合に終わり、同年限りで現役を引退した。
飛沢 栄三(とびさわ えいぞう、1903年3月11日 - 1… 飛沢 栄三(とびさわ えいぞう、1903年3月11日 - 1967年6月21日)は、北海道古平郡古平町出身の高校野球指導者。 北海中学校・北海高等学校の野球部部長・監督を長く務め、「北海道高校野球の父」と呼ばれた。 北海中学時代の1920年、第6回全国中等学校優勝野球大会に外野手として出場。卒業後早稲田大学に進み、法律家を目指す傍ら母校北海中学のコーチを務めた。卒業後は大蔵省志望だったが、北海中学側の強い懇請により、1929年母校の教員となり、同時に野球部の部長に就任。 以来、緻密な野球をスローガンに、戦前・戦後を通じ38年間部長の地位にあり(断続的に監督も兼任)、春は8回、夏は18回甲子園に出場。