スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
堀川 桃香(ほりかわ ももか、2003年7月10日 - )は… 堀川 桃香(ほりかわ ももか、2003年7月10日 - )は、日本のスピードスケート選手。 北海道広尾郡大樹町出身。大樹町立大樹小学校から大樹町立大樹中学校を経て、白樺学園高等学校卒。 兄弟の影響でスピードスケートを始め、小学校5年では釧路市の大会で2位入賞するなどしている。 中学校へ進学すると、全国中学校スケート大会では2年次、3年次に女子3,000mで2連覇を達成している。 高校はスケート界の名門たる白樺学園高等学校へ進学。高校進学後、1年生にして第69回全国高等学校スケート競技選手権大会にて女子1,500mと3,000mを制覇。2年となっても第70回全国高等学校スケート競技選手権大会で前年同様に1,500mと3,000mの二冠を制覇した。
長谷川 翼(はせがわ つばさ、1994年2月8日 - )は、… 長谷川 翼(はせがわ つばさ、1994年2月8日 - )は、日本のスピードスケート選手。北海道中標津町出身。 中標津町立中標津中学校、白樺学園高等学校、日本大学卒業。日本電産サンキョー所属。2018年平昌オリンピック日本代表選手。
羽賀 亮平(はが りょうへい、1988年9月17日 - )は… 羽賀 亮平(はが りょうへい、1988年9月17日 - )は、日本のスピードスケート選手。バンクーバーオリンピック日本代表。 北海道帯広市出身。両親もスピードスケート選手であり、自身は6歳の時にスケートを始めた。帯広市立第八中学校、白樺学園高等学校、日本大学を経て現在日本電産サンキョー所属。小学校時代に所属していた陸上競技クラブには福島千里がいた。中学時代から短距離種目で好成績を残し、特にインカレでは史上3人目の500m4連覇を達成、1000mでも3連覇した。日本大学在学中の2009年にワールドカップにデビュー。現在までの総合の最高成績は2009/10シーズンの500m11位である。2010年のバンクーバーオリンピックでは1000mに出場したが29位に終わった。
郷 亜里砂(ごう ありさ、1987年12月12日 - )は、… 郷 亜里砂(ごう ありさ、1987年12月12日 - )は、北海道別海町出身のスピードスケート選手。山梨学院大学卒業。イヨテツスピードクラブ所属。 平昌オリンピックに出場して、女子500mで8位入賞を果たし、女子1000mでは13位に入った。北京オリンピックでは女子500mで15位となった。 3歳からスピードスケートを始める。ホテルを営む自宅の前にスケートリンクがある環境で育った。小学5年生からは、スピードスケートとショートトラックの両立に取り組んだ。 高校のとき、親元を離れて白樺学園高等学校に進学。しかし高校時代は、3年生のときに出場した全国高等学校総合体育大会で、女子500mで4位になった以外は、目立った成績を残せなかった。
石野 枝里子(いしの えりこ、1985年12月1日 - )は… 石野 枝里子(いしの えりこ、1985年12月1日 - )は、北海道帯広市出身の日本の女子スピードスケート選手である。日本電産サンキョー所属。2006年トリノオリンピック日本代表。 ※ちなみに中学校は帯広市立南町中学校で講演会などを行った事もある。
大津 広美(おおつ ひろみ、1984年5月22日-)は、北海… 大津 広美(おおつ ひろみ、1984年5月22日-)は、北海道河西郡更別村出身の元スピードスケート選手。身長165cm、体重59kg。 2003年3月白樺学園高等学校卒業。高校卒業後、富士急行スケート部に入部。社会人3年目となる2005年、同年のワールドカップトリノ大会のチームパシュートで3位となる。 初めてのオリンピックとなるトリノオリンピックでは1500mとチームパシュートに出場、1500mでは2分4秒77の33位に終わった。 チームパシュートではロシアとの3位決定戦でレース途中で転倒、4位に終わる。ロシアをリードしていた状況での転倒について大津は「チャンスを逃したのは私の責任。本当に何があるか分からない」とコメントした。
土井 槙悟(どい しんご、1983年8月23日 - )は、北… 土井 槙悟(どい しんご、1983年8月23日 - )は、北海道河西郡芽室町出身の日本のスピードスケート選手。開西病院所属。身長177cm、体重75kg。 スピードスケートの名門白樺学園高等学校に入学し、2年時には世界ジュニアスピードスケート選手権大会で総合優勝を達成。 早稲田大学進学後も全日本ジュニア連覇を達成し、ワールドカップのメンバーにも選ばれる。 卒業後は開西病院に進み、2010年バンクーバーオリンピック代表に選出され男子1500mで30位となった。
杉森 輝大(すぎもり てるひろ、1982年9月15日 - )… 杉森 輝大(すぎもり てるひろ、1982年9月15日 - )は、北海道広尾郡大樹町出身の元スピードスケート選手で、現在は競輪選手。日本競輪選手会茨城支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第103期生。177cm、77kg。 小学校からスケートを始め、中学2年で1500m北海道王座に輝く。 高校はスケートの名門、白樺学園高等学校、大学は明治大学に進学、大学4年で初の日本代表としてワールドカップを転戦。ユニバーシアードにも出場。 卒業後は就職先がなく、フリー(後に吉羽木材所属)となるが、国内トップ選手との合宿を積み、2005年全日本選手権で1500m優勝、トリノ五輪出場を手にした。 2006年の五輪本大会は1500mとチームパシュートで出場。
平子 裕基(ひらこ ひろき、1982年8月6日 - )は、北… 平子 裕基(ひらこ ひろき、1982年8月6日 - )は、北海道音更町出身の日本の男子スピードスケート選手。 白樺学園高等学校を経て明治大学1年時に2002年ソルトレークシティオリンピック5000mに出場。結果は17位に終わった。在学中全日本スピードスケート距離別選手権大会5000mで連覇。2003年アジア冬季競技大会(日本、青森)10000mで金メダルを獲得した。 大学卒業後は2006年から帯広市の開西病院に勤務。全日本スピードスケート選手権大会で3連覇を果たす。2007年アジア冬季競技大会(中国、長春)5000m金メダル。 2009年は世界距離別選手権10000m9位、アジア選手権総合2位となる。
渡邊 ゆかり(わたなべ ゆかり、1981年4月28日 - )… 渡邊 ゆかり(わたなべ ゆかり、1981年4月28日 - )は、北海道稚内市出身の女子競輪選手、元女子スピードスケート選手。 競輪選手としては、日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)102期生、日本競輪選手会新潟支部所属(登録地は山梨県)。また、選手登録名は渡辺ゆかりとしている。 白樺学園高等学校を経て、富士急行に所属していた。2009-2010シーズン終了後、富士急スケート部を退部した。
大菅 小百合(おおすが さゆり、1980年10月27日 - … 大菅 小百合(おおすが さゆり、1980年10月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手、元自転車競技選手。北海道標津郡標津町出身。マネージメント会社はボリバレント 幼少期は習い事として空手・水泳・習字・算盤をチャレンジした。空手は小学生の時に選手権大会に出場、妹の淳子も出場している。スピードスケートの強豪である白樺学園高等学校を卒業した後、1999年に三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)に入社。2002年ソルトレークシティオリンピックで五輪初出場を果たした。 その後、トレーニングの一環で行っていた自転車競技・トラックレースでも頭角を現し、2002年の釜山アジア大会500mタイムトライアルで、当時同種目世界記録保持者の江永華に次いで2位。
妹尾 栄里子(せお えりこ、1979年3月12日 - )は、… 妹尾 栄里子(せお えりこ、1979年3月12日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道帯広市出身。 白樺学園高等学校を卒業後王子製紙に入社、その後松本電気鉄道(のちのアルピコ交通)へ移籍した。アルピコが廃部となった後再び王子製紙所属となった。 2002年ソルトレイクシティオリンピック代表に選ばれ、女子3000m19位となった。 2006年トリノオリンピック代表に選ばれ、女子3000m20位タイとなった。 2007年-2008年シーズン終了後、現役を引退した。
糸川 敏彦(いとかわ としひこ、1974年9月20日 - )… 糸川 敏彦(いとかわ としひこ、1974年9月20日 - )は、北海道斜里郡清里町出身の元スピードスケート選手である。とかちチームAA所属。 清里町立光岳小学校、清里町立清里中学校から白樺学園高校に進み、1992年アルベールビルオリンピックに最年少で出場。 専修大学在学中にも1994年リレハンメルオリンピック出場を果たし、5000mで6位に入賞するとともに日本新記録をマークした。 卒業後はコクドに入社。1998年長野オリンピック出場は逃したが、2002年ソルトレークシティオリンピックで2大会ぶり出場を果たした。 2014年ソチオリンピックと2018年平昌オリンピックではコーチを担当した。 2003年、コクドを退社。
清水 宏保(しみず ひろやす、1974年〈昭和49年〉2月2… 清水 宏保(しみず ひろやす、1974年〈昭和49年〉2月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手、医学者、スポーツキャスター、タレント、実業家。学位は博士(医学)(弘前大学・2023年)。 北海道帯広市出身。有限会社Shimizu所属 兼取締役。1998年長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、2002年ソルトレークシティオリンピックで銀メダルを獲得した。身長は162cm。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 実家は建設会社。葵幼稚園、帯広市立栄小学校、帯広市立帯広第一中学校、白樺学園高等学校、日本大学文理学部卒業。三協精機、NECを経て、現在は株式会社コジマに所属するプロのスケーターである。
宗像 記子(むなかた のりこ、1974年1月30日 - )は… 宗像 記子(むなかた のりこ、1974年1月30日 - )は、スピードスケート選手。北海道新得町出身。 白樺学園高等学校卒業。1992年に富士急行に入社。全日本実業団スピードスケート競技会で3000mで優勝、1994年の世界スピードスケート世界選手権で総合4位となった。1998年の長野オリンピックでは3000mに出場し18位だった。 夫はカナダ代表のマイク・アイルランド(英語版)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
堀井 学(ほりい まなぶ、1972年〈昭和47年〉2月19日… 堀井 学(ほりい まなぶ、1972年〈昭和47年〉2月19日 - )は、日本の政治家、元スピードスケート選手、元1000m世界記録保持者。1994年のリレハンメルオリンピックで銅メダルを獲得した。 衆議院議員(4期)、内閣府副大臣、外務大臣政務官、北海道議会議員(2期)、北海道オリエンテーリング協会会長などを歴任。 北海道室蘭市輪西町に市役所の職員だった父・治年と、母・和子の長男として生まれる。小学4年からスピードスケートを始める。室蘭市立白鳥台小学校、本室蘭中学校を卒業後、白樺学園高等学校に入学。その後専修大学商学部へ進学。1994年3月、専修大学商学部商業学科を卒業し同年4月に王子製紙入社。
島崎 京子(しまざき きょうこ、1972年1月7日 - )は… 島崎 京子(しまざき きょうこ、1972年1月7日 - )は北海道河東郡音更町出身の元スピードスケート選手。現姓名は杉山 京子(すぎやま きょうこ)。身長159cm、体重57kg。
三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は… 三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は、北海道河東郡音更町出身の元スピードスケート選手で、元競輪選手。日本競輪学校第67期生。師匠は穴田勝彦(13期)。競輪選手時代は日本競輪選手会北海道支部所属。ホームバンクは函館競輪場。 白樺学園高等学校時代、第11回全日本スプリントスピードスケート選手権大会において、当時日本の第一人者である黒岩彰の同大会3連覇を阻んで総合優勝。また、法政大学時代の第13回も総合優勝を果たす。 1986年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では総合6位。 1987年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では、1000mで1位を記録した他、総合でも3位(優勝は黒岩彰)に入る。
篠原 雅人(しのはら まさひと、1961年5月10日 - )… 篠原 雅人(しのはら まさひと、1961年5月10日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道幕別町出身。 白樺学園高等学校を経て王子製紙に入社。 インターハイでは1年時に1000m、2年時に10000m、3年時に5000mと10000mを制した。 1983年の第52回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。1984年サラエボオリンピックに出場、5000m24位、10000m26位となった。また1986年アジア冬季競技大会5000mで金メダルを獲得した。
川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は… 川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道本別町出身。白樺学園高等学校を経て三協精機所属時代にインスブルックオリンピック、レークプラシッドオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは5000m24位、1980年のレークプラシッドオリンピックでは1000m23位、1500m20位、5000m25位だった。現役引退後は帯広市教育委員会に所属し小中学生のスケート指導に当たった。 2010年バンクーバーオリンピックにコーチとして参加。
大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - … 大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。白樺学園高等学校を経て王子製紙所属時代にインスブルックオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは500m18位、1000m24位だった。1977年と1978年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会を連覇。 現役引退後は王子製紙スケート部でコーチ・監督を務め、ソルトレイクシティオリンピック代表チームのコーチも務めた。