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櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日… 櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日 - )は、日本の政治家。元青森県弘前市長(2期)。 青森県弘前市生まれ。元弘前市長の櫻田清芽は祖父。弘前市立桔梗野小学校、弘前市立第四中学校、青森県立弘前高等学校卒業。1年浪人後、弘前大学人文学部経済学科に入学。1983年3月、同大学卒業。同年4月、弘前市役所に入庁、弘前市観光振興部長。 2018年4月8日に行われた弘前市長選挙に、市職員労組連合会の推薦を得て立候補。3選を目指す現職の葛西憲之は地元青森3区選出の木村次郎衆議院議員に再三にわたり応援依頼をするが、木村は「中立」を貫いた。櫻田は、葛西の進める「箱物行政」への批判票を取り込み、初当選を果たした。
佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、… 佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、自由民主党の元参議院議員(2期)。広島県生まれ。青森県立弘前高等学校、東京大学農学部農業工学科卒業。血液型はB型。 1966年、農林水産省入省。北陸農政局長や構造改善局次長を歴任。1998年の第18回参議院議員通常選挙に全国土地開発事業団を支持団体として比例区より出馬し当選。第1次小泉内閣第1次改造内閣では防衛庁長官政務官をつとめた。政治家の年金未納問題では1年7か月分が未納だった。 2010年の第22回参議院議員通常選挙には出馬せず、引退。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 200… 山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 2006年6月30日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇(2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。 青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した。1959年に弘前地方労働会議議長となった。1967年に青森県議会議員に初当選した。1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区から立候補し当選。1期務める。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選した。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月… 藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月8日 - 1984年〈昭和59年〉8月30日)は日本の政治家。青森県弘前市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる。1946年に青森県庁に入り、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した。
奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 … 奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・成田。 青森県北津軽郡六郷村胡桃館(現鶴田町)で、成田治の二男として生まれる。1923年(大正12年)青森県立弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)を卒業した。 中津軽郡新和村(現・弘前市)種市の奈良家の養子となる。新和村農業会長、(有) 北隆造船鉄工所取締役社長、北日本化学工業取締役社長、新和村農業協同組合長、同村農業共済組合長、青森県農業共済保険組合理事、同県利用農業協同組合連合会長などを務めた。 政界では1930年(昭和5年)新和村会議員に選出された。
大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月… 大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月10日 - 1999年(平成11年)3月13日)は、日本の政治家。初代福島県いわき市長。旧平市(現・いわき市)長。 福島県出身。弘前高校を経て、1927年、高等文官試験(行政科)に合格。1928年、京都帝国大学法律学科卒。卒業後は関東庁に勤務する。1936年、関東庁警察部長となり、1939年、帰国。帰国後は岩手、鳥取、茨城、京都、福島の各府県に勤務する。この間、司政官としてシンガポールに派遣される予定だったが、出発直前に終戦となり、派遣は取りやめになった。 終戦後は福島県総務部長となり、1947年、福島県副知事に就任。1953年の第3回参議院議員通常選挙において福島地方区から自由党公認で立候補したが落選した。
岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 -… 岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 - 1956年〈昭和31年〉1月14日)は、日本の実業家、政治家。青森県弘前市長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科卒。卒業後は弘前電燈株式会社に就職し、会社支配人となる。その後、陸奥鉄道支配人、津軽鉄道常務となった。 1945年暮れに弘前市長の葛原運次郎が死去、1946年1月にその後任の市長に就任した。翌1947年、弘前市長選挙に立候補して当選した。4年後の市長選挙には不出馬、1955年の市長選挙に立候補して市長に返り咲いた。しかし、病気に倒れ、1956年、在職中のまま死去。
乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月1… 乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月10日 - 1977年(昭和52年))は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 青森県弘前市出身。1906年(明治39年)3月、青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業後、南津軽郡注目小学校の教員となる。1912年(明治45年)6月、官界に転じ、青森県属となり、ついで福島県書記、栃木県属、栃木県警部、秘書課長、地方事務官学務部教育課長、知事官房主事を経て、1929年(昭和4年)7月に休職。 1931年(昭和6年)9月に弘前市助役に就任。翌年1月に辞任後、宇都宮市主事、社会課長、職業紹介所長、水道課長などを経て、1936年(昭和11年)2月に再度弘前市助役に就任した。
笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5… 笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は政治学士、剣道範士。東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。 青森県中津軽郡弘前町弘前若党町(現:弘前市若党町)に旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し、小野派一刀流剣術を学ぶ。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。 1910年、早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院を修了。
櫻田 清芽(さくらだ きよめ、1885年(明治18年) - … 櫻田 清芽(さくらだ きよめ、1885年(明治18年) - 1958年(昭和33年)12月31日)は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 青森県津軽郡弘前植田町(中津軽郡弘前植田町を経て現:弘前市植田町)に生まれる。弘前中学校を卒業後、明治大学予科に学ぶ。帰郷後は教員などを経て、1910年(明治43年)陸奥日報社に入社し、編集長、弘前新聞主筆兼社長を歴任する。 その間、弘前市会議員を26年、青森県会議員を20年務め、1951年(昭和26年)4月、弘前市長に就任した。中津軽郡11箇村との合併などを実現し、1955年(昭和30年)4月に満期退官。その後は、1957年(昭和32年)より県公安委員長を務めたが、任期中に急逝した。
工藤 十三雄(くどう とさお、1880年(明治13年)5月1… 工藤 十三雄(くどう とさお、1880年(明治13年)5月16日 – 1950年(昭和25年)12月17日)は、衆議院議員(政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 弘前市出身。東京帝国大学法科大学独法科を中退後、時事新報の記者となった。東洋拓殖株式会社嘱託を経て、郷里で陸奥日報社や弘前新聞社の経営にあたった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。6期連続当選を果たした。その間、平沼内閣で鉄道政務次官を務めた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。戦後、公職追放となる。1951年(昭和26年)追放解除。 その他、石川島飛行機製作所顧問を務めた。
中野 浩(なかの こう、1876年(明治9年)6月3日 -… 中野 浩(なかの こう、1876年(明治9年)6月3日 - 没年不明)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、明治大学法科を卒業する。卒業後は台湾総督府官吏となったが、風土病により短期間で辞職した。その後は、時事新報、東京毎日新聞の各記者を経て、東京市に入り、赤坂(1920年4月から1925年8月まで)、深川(1925年8月1日から1926年8月7日まで)の各区長を務めた。 1926年、青森市長に就任。在任中に東津軽郡滝内村と造道村の一部を編入。練兵場の移転と青森港の拡張問題には苦慮した。1930年に市長を退任。東京に戻り、碑衾町最後の町長(1931年10月17日から1932年9月30日まで)を務めた後に淀橋(1932年10月1日から1933年11月2日まで)、板橋(1933年11月から1934年6月まで)の各区長を務めた。
小田桐 政信(おだぎり まさのぶ、慶応2年10月5日〈186… 小田桐 政信(おだぎり まさのぶ、慶応2年10月5日〈1866年11月11日〉 - 1945年〈昭和20年〉5月)は、明治から昭和時代戦前の実業家、政治家。青森市会議長。 青森県士族の小田桐伊三郎の長男として生まれ、1897年(明治30年)家督を継ぐ。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業し、1895年(明治28年)青森警察署に出仕する。 青森製材製柾社長、青森製氷・函館運送社・青森運送合同・運送相互保証各取締役、青森薪炭監査役などを歴任し、のち推挙され青森市参事会員となる。ほか、1941年(昭和16年)8月に青森県会議員に当選した。のち青森市会議長在任中に死去した。
岡田 華子 は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(1期)。
木村 次郎 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(… 木村 次郎 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。