スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
欠端 光則(かけはた みつのり、1963年〈昭和38年〉1月… 欠端 光則(かけはた みつのり、1963年〈昭和38年〉1月10日 - )は、岩手県二戸郡福岡町(現:二戸市)出身の元プロ野球選手(投手)。 岩手・福岡高では、1年秋の県大会準決勝では盛岡工の田鎖博美と投げ合って救援を受けるも勝利したが決勝は登板せずに敗退。1979年の2年生の時に夏の県大会決勝に進むが、久慈高に敗れ甲子園出場を逸する。秋は県大会を制して東北大会で高山郁夫が先発した秋田商戦で救援登板したが敗れた。翌1980年の春季東北大会でも決勝に進出し、途中救援で東北高の中条善伸と投げ合うが惜敗。しかし同年夏は県予選決勝で水沢高を降し、福岡高を19年ぶりの甲子園に導く。夏の甲子園では1回戦で大分商業高に敗退。
岩崎 哲郎(いわさき てつろう、1933年3月9日 - 20… 岩崎 哲郎(いわさき てつろう、1933年3月9日 - 2000年1月3日)は、岩手県二戸市出身のプロ野球選手(捕手)。 福岡高校卒業後、盛岡鉄道管理局を経て、1955年に国鉄スワローズへ入団。 1961年限りで、現役を引退。 引退後は、1963年から1965年と1976年にコーチを務める。スコアラーも20年間担当し、1996年からヤクルト球団の戸田寮の寮長として活躍した。 2000年1月3日、心不全のため66歳で亡くなった。
白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - … 白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - 2015年7月8日)は、岩手県二戸郡一戸町野田坂出身のプロ野球選手(内野手)・二軍監督・スコアラー。 一戸町で広大なリンゴ園を営む農家の三男として生まれる。兄が通っていた福岡中学に進み、野球部に入部。在学中は甲子園出場はならなかった。卒業後、仙台鉄道局へ就職するが、1年勤務したのち、先輩の誘いで華中鉄道に移籍。その後応召され、近衛歩兵第1連隊に配属となり、北支戦線で5年ほど軍隊生活を送った。復員後はかつて在籍していた仙台鉄道局盛岡に復帰し、投手として活躍。のち沢藤光郎(後に近鉄パールスに入団)が入団すると、遊撃手に転向した。 1948年のシーズン中に大阪タイガースに入団。
小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 201… 小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 2013年9月)は、岩手県二戸郡一戸町出身のプロ野球選手(外野手)。1938年から1942年まで投手も兼任した。 岩手県二戸郡一戸町の生まれ。小学校時代に少年野球の全国大会に出場し、その活躍が認められて福岡中学に進学。 福岡中学時代に第17回全国中等学校優勝野球大会に出場した。その後、青森営林局、仙台鉄道局を経て、1938年に阪急軍へ投手として入団。同年に応召され、1942年にプロに復帰し外野手へ転向。青森営林局時代に、東京ジャイアンツの沢村栄治と対戦した(三球三振)。肩を壊す前の全盛期の沢村と対戦した貴重な証人である。ちなみに川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はライトフライ)。
鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1… 鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1959年8月13日)は、岩手県出身のプロ野球選手。ポジションは三塁手。 1929年に旧制岩手県立福岡中学校(現在の岩手県立福岡高等学校)を卒業後、明治大学などを経て、1950年に発足したばかりの広島東洋カープへ入団。しかし当時すでに38歳となっていて、結局一軍公式戦は3試合の出場となり1年限りで引退。 指導者として非凡な才能を発揮し、昭和6年、昭和15年、昭和22年の母校福岡中学の甲子園出場は鈴木の指導に追うところが多かった。「練習は厳しく、試合はリラックス」を指導方針とし、選手が試合中に失敗しても決して怒ることがなかったが、練習では伝説の猛ノックで選手を鍛えた。