スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西田 陸浮(にしだ りくう、2001年5月6日 - )は、大… 西田 陸浮(にしだ りくう、2001年5月6日 - )は、大阪府枚方市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。MLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下所属。 小学2年生から枚方リトルリーグに入って野球を始め、その後一度は競技から離れるも、5年生から軟式野球のトルネードBBCに所属した。楠葉西中時代の当初は軟式野球部に入部したが、3年生の時から野球に本腰を入れ、北大阪ボーイズでプレーした。 東北高等学校では3年夏の宮城県大会で決勝まで勝ち進んだが、仙台育英に敗れ甲子園大会出場を逃した。3人いる副主将の1人で、中軸を任されていた。 高校卒業後は野球のためではなく社長になるための勉強がしたいという理由で渡米し、マウントフッド・コミュニティ・カレッジへ留学した。
杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋… 杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋田県鹿角郡小坂町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 小坂町立小坂小学校で野球を始め、小坂町立小坂中学校在学時は硬式野球のクラブチームである大館リトルシニアでプレーしていた。 東北高等学校に進学し、1年春から遊撃手のレギュラーに定着。同年夏に1番打者として第98回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦で藤平尚真、石川達也、増田珠らを擁する横浜に敗れ、自身も無安打に終わった。以降は宮城県大会準優勝が最高成績で、甲子園大会出場はなし。3年夏は県大会4回戦で古川工業に敗れた。 東北福祉大学に進学後は外野手へ転向し、2年秋からレギュラーに定着した。
髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新… 髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新潟県見附市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 父親はアマチュア野球で審判を務めていた。小学校2年生の時に野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属。中学生で野球をやめるつもりだったが、両親からの勧めもあり、親元を離れて宮城県の東北高等学校に進学し、野球を続けた。 高校時代は、自身の失態による練習不許可や不慮の事故による負傷などがあり、なかなか主力選手の一員になれなかった。3年生時には全国高等学校野球選手権宮城大会に出場するも4回戦で敗退。「自分のレベルではついて行けない」という理由で大学野球部からの勧誘を断り、実家に戻って長岡市の調理師学校に入学。
加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は… 加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 金剛沢小学校1年から軟式野球を始め投手、遊撃手を経験。西多賀中学校2年夏には仙台東部シニアで全国8強。東北高校に進学後は1年生にしてレギュラーを掴み、甲子園初出場。2003年夏の第85回選手権大会に六番・三塁手として出場し準優勝を経験した。3回戦の平安高校戦ではサヨナラ安打を打った。以後、卒業までに甲子園には春1、夏3の計4回出場した。高校時代は女子プロゴルファーの有村智恵とクラスメートだった。 九州国際大学に進学しても1年春季リーグからレギュラーを獲り、3年春季には初のベストナインに選ばれ、秋季リーグからは主将を務める。
ダルビッシュ 有(ダルビッシュ ゆう、本名:ダルビッシュ・セ… ダルビッシュ 有(ダルビッシュ ゆう、本名:ダルビッシュ・セファット・ファリード・有、英: Sefat Farid Yu Darvish、1986年8月16日 - )は、大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレス所属。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 投手として北海道日本ハムファイターズでは3度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。MLB(テキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス)では3度の地区優勝、1度のリーグ優勝に貢献。個人ではNPBで合計13個のタイトル(6個)・主要表彰(7個)を獲得、MLBでは合計2個のタイトルを獲得している。
真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮… 真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の元社会人野球選手。 東北高校時代はダルビッシュ有と共にチームを支え、黒い眼鏡が話題となり「マカベッシュ」、「メガネッシュ」と呼ばれた。 村田町立村田第一中学校時代にはエースとして全国大会に出場。東北高校へと進学し、2年生であった2003年に当時監督であった若生正廣の助言でサイドスローに転向した。同年の第85回全国高等学校野球選手権大会に背番号18で出場し、1回戦の筑陽学園戦でエース・ダルビッシュ有の腰痛による早期降板のあと3番手として甲子園初登板を果たし、1点差に迫られながらも最後まで投げ切り、勝利へと導いた。その後もダルビッシュとの2枚看板で近江、光星学院などの強豪校を破り、決勝へ進出するも登板機会はなく、チームも2-4で常総学院に敗れ、東北勢初の優勝とはならなかった。
佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )… 佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )は、宮城県栗原市出身の元プロ野球選手(捕手)、指導者。 東北高校在学中に主にバッテリーを組んでいた投手が、1学年上の高井雄平、1学年下のダルビッシュ有と、いずれも高校卒業時にドラフト1巡目指名された好投手であった。その結果、彼らの速球を捕球するために特に守備能力が鍛えられ、恵まれた体格と相まって、高校生レベルでは守備力・特に捕球能力の評価が非常に高く、また肩の強さの評価も高かった。3年生時には春、夏の甲子園に連続出場、夏の甲子園ではダルビッシュ・真壁賢守の後輩投手をリードしてチームを準優勝に導く。 2003年のドラフト会議で読売ジャイアンツに7巡目で指名を受けて入団する。
雄平(ゆうへい、本名・旧登録名:高井 雄平〈たかい ゆうへい… 雄平(ゆうへい、本名・旧登録名:高井 雄平〈たかい ゆうへい〉、1984年6月25日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手(投手 → 外野手、左投左打)、プロ野球コーチ。 川崎市立有馬中学校から宮城県仙台市の東北高等学校に進学する。高校時代は「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ(MLB)球団のスカウトからも注目された。東北高校の若生正廣監督からは、「投げては後藤伸也以上、打っては嶋重宣以上」という表現で、プロ入りした先輩2人と比較されるほどの潜在能力の高さを評された(全国的注目度が低かったが、仙台都市圏の同学年には名取北高に岸孝之投手がいた)。現に、投手としてストレートで最速151km/hを計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している。
渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は… 渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(捕手)。 柳生中学校から東北高校に進学し、2000年のドラフト9位で横浜ベイスターズに入団。同期入団の後藤伸也とは高校時代にバッテリーを組んでいた。福岡ダイエーホークスに指名された加藤暁彦も高校時代のチームメイト。 引退後は横浜DeNAベイスターズの球団職員として、湘南シーレックス担当、横浜DeNAベイスターズ一軍用具担当などを務め、2013年は打撃投手。2015年には中畑監督付きをし、2019年現在はチーム付き広報をしている。2022年時点でも、打撃投手が必要だと言われれば投げることもあるという。2025年からはファーム(二軍)の試合運営に携わっている。
加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は… 加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。実兄は元プロサッカー選手の加藤慎也。 1年秋は東北大会準優勝。2年次にセンバツに出場する。玉野光南高に敗れはしたが、自身は3番打者として4打数2安打と結果を残した。2年秋は東北大会ベスト4。3年次には4番打者を務めていた。ちなみに3番打者は後藤伸也である。なお渡辺雅弘ともチームメイトである。3年春は東北大会優勝、夏の県大会は準優勝。 2000年のドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから3位指名を受け入団。入団時はパワーあふれる打撃がセールスポイントであった。 プロ一年目である2001年シーズンは、ファームで経験を積んだ。
後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮… 後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮城県登米市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始め、中学1年から投手となる。東北高校では2年次に選抜高校野球に外野手として出場。秋からはエースとなり、渡辺雅弘とのバッテリーで県大会優勝、東北大会では準々決勝で光星学院に延長11回サヨナラ負け。2000年の春季県大会の仙台育英高戦で17奪三振を記録し、春の東北大会も制した。夏は決勝で仙台育英高に敗退。同年のドラフト会議にて3位で横浜ベイスターズに指名された。ダイエーに指名された加藤暁彦は高校時代のチームメイト。 2001年10月11日の中日ドラゴンズ戦で初登板を果たす。翌2002年8月4日の中日戦でプロ初勝利を挙げる。
嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北… 嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。愛称は「赤ゴジラ」。ポジションは投手(1995 - 1998)→内野手(1999 - 2004)→外野手(2005 - 2013)。 小学1年生の時に野球を始める。中学では上福岡シニアに所属し、三沢興一の2年後輩、高橋和幸の1年先輩。1年次から投手として注目を集め、3年次に関東大会に出場。また、当時埼玉栄高野球部監督だった若生正廣を慕っており、中学卒業後は若生が転職した東北高校に入学。 東北高校では2年春の第65回選抜高等学校野球大会と夏の第75回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第66回選抜高等学校野球大会と、3度甲子園に出場した。
羽根川 竜(はねかわ りゅう、1973年6月5日 - )は、… 羽根川 竜(はねかわ りゅう、1973年6月5日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高時代は、3年次の1991年に夏の選手権に出場。1回戦で礒部公一擁する西条農高と対戦するも敗退。 多彩な変化球を持つ軟投派の投手として、1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。 巨人では層の厚い投手陣に割って入れず、一軍登板を果たせないまま1996年オフに自由契約となり退団。翌1997年は千葉ロッテマリーンズに移籍し、念願の一軍登板を果たす。しかし、結果は残せずに1998年オフに自由契約となり退団。 1999年には、台湾・中華職業棒球大聯盟の兄弟エレファンツに移籍、二桁勝利を記録するなど主力投手として活躍した。
加藤 将斗(かとう まさと、1972年7月23日 - )は、… 加藤 将斗(かとう まさと、1972年7月23日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)。 清原和博と同じ岸和田シニア出身でエースピッチャーとして全国大会にも出場した。東北高では1年秋からエースとなり、3年次に春の甲子園に出場。同年夏は県大会の準決勝で敗れた。高校時代は通算40勝2敗で2年生の秋には明治神宮大会で優勝投手も経験している。 1990年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。 左腕からのキレのよい速球とカーブで期待され、球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された3年目の1993年に一軍初登板を果たし、その後も中継ぎとして定着する。1994年からは先発ローテに加わり、9月23日の巨人戦では桑田真澄との投手戦を制しプロ初完封を記録。
斎藤 隆(さいとう たかし、1970年2月14日 - )は、… 斎藤 隆(さいとう たかし、1970年2月14日 - )は、宮城県仙台市若林区出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)、野球解説者。2020年以降の登録名は齋藤 隆(読み同じ)。 NPBでは横浜ベイスターズ(1993年から2005年まで在籍)と東北楽天ゴールデンイーグルス(2013年から2015年まで在籍)でプレーし、横浜時代の1998年には球団のセントラル・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に、楽天時代の2013年にも球団のパシフィック・リーグ優勝と日本シリーズ優勝にそれぞれ貢献した。また横浜時代の1996年にはセ・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得している。2006年から2012年にかけてMLBのロサンゼルス・ドジャースやミルウォーキー・ブルワーズなど5球団でプレーし、ドジャース時代の2008年、ブルワーズ時代の2011年にそれぞれナショナルリーグ地区優勝に貢献した。
佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )… 佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は日本プロ野球名球会副理事長、野球解説者・野球評論家、タレント、馬主、レーシングチーム「D'station Racing」総監督。右投右打。 NPBでは1990年から1999年までと、2004年から2005年までの2度にわたり横浜DeNAベイスターズの前身球団に在籍し、抑え投手としてNPB歴代3位となる252セーブを記録した。また2000年から2003年まではMLBのシアトル・マリナーズに在籍し、日本人のMLB選手として歴代最多となるMLB通算129セーブを記録しており、NPB/MLB通算で381セーブ(日本人史上初の通算300セーブ)を記録したことになる。
葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森… 葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。 実家は弘前城の近くで鮮魚店を営んでいた。弘前市立城西小学校時代に軟式野球の全国大会へ出場し、チームはベスト4の成績を残す。その後、弘前市立第二中学校(弘前二中)を経て、宮城県の東北高等学校へ進学。 東北高校では佐々木主浩の控え投手兼一塁手及び三塁手として活躍、2年次の秋季東北大会では不調の佐々木に代わり主戦投手として準優勝、春の選抜高校野球大会出場の原動力となる。3年次には主に6番・一塁手として夏の甲子園でチームのベスト8入りに貢献。県大会は4番をつとめたが、甲子園では佐々木に4番を譲り、自身は6番打者だった。
中根 仁(なかね ひとし、1966年8月28日 - )は、宮… 中根 仁(なかね ひとし、1966年8月28日 - )は、宮城県仙台市泉区出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ、園芸家。 小学校3年生の頃にリトルリーグで野球を始めた。幼少期はロッテの試合を見に宮城球場によく行き、有藤道世のファンだったという。仙台育英高校からも誘いはあったが、地理的に近い東北高校への進学を決定。1年夏、2年春、3年夏と3回甲子園には出場を果たしており、3年夏の1984年、1学年下の佐々木主浩や葛西稔とともに四番・右翼手で全国高校野球選手権に出場。柳井高校、日大一高を破って3回戦進出の立役者となった。高校卒業後は先輩が野球部に在籍していたことから法政大学へ進学。 大学でも右翼手を務め、クリーンアップを任されるようになった1987年の東京六大学野球春季リーグ戦で初のベストナインに外野手として選出される。
白鳥 浩徳(しらとり ひろのり、1966年5月4日 - )は… 白鳥 浩徳(しらとり ひろのり、1966年5月4日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高時代は、1年秋の県大会決勝で先発したが途中降板して敗退。以後は登板なく東北大会は優勝して1983年春の甲子園に出場。また1984年夏の甲子園にも出場するが、いずれも登板機会はなかった。このときはエースナンバーを付けていたが、1年下の佐々木主浩が実質エースのため、控え投手扱いであった。 高校卒業後は、社会人野球の住友金属鹿島に入団。1990年と1993年に日立製作所の補強選手として都市対抗野球大会に出場。1990年は準々決勝で先発して3回を投げたがチームは延長の末に敗退。1993年はエースの斎藤充弘の救援として初戦から登板したが2回戦で熊谷組に敗れた。
金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日 - )は… 金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身の元プロ野球選手(外野手)、実業家。現在は、保険代理店・株式会社FPスタジアム代表取締役社長。 東北高では、1982年にエース兼中心打者として甲子園に春・夏と連続出場を果たす。春の選抜では1回戦でPL学園高の榎田健一郎と投げ合うが敗退。夏の選手権も、1回戦で熊本工業高の奥村高次、野村裕二のバッテリーに抑えられ惜敗した。2年下のチームメートに控え外野手の中根仁がいた。 高校卒業後は、法政大学に進学し、東京六大学野球リーグでは在学中4回の優勝を経験。当初は投手だったが、1学年上の西川佳明や同期の猪俣隆、石井丈裕ら好投手が多く登板機会には恵まれなかった。
安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )は、宮… 安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )は、宮城県白石市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 岩手県大船渡市立第一中学校卒。 進学した東北高等学校では、一塁手として、同期のエース中条善伸らとともに甲子園に4度出場。「東北の掛布」の異名を持つ強打者だった。2年生の時の1979年第51回選抜では1回戦で下関商に敗れる。同年第61回全国選手権も1回戦で済々黌高に大敗。翌1980年第52回選抜は2回戦(初戦)で松江商を破ったが、準々決勝で丸亀商に惜敗。同年第62回全国選手権は、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で下すが、3回戦で浜松商に逆転負け。
佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年… 佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年11月27日)は、宮城県出身のプロ野球選手(内野手)、高校野球指導者。 東北高校では、同期のエース・中条善伸らと甲子園に4回出場。2年生時の1979年春の選抜には三塁手として出場。1回戦で下関商に敗れる。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に大敗。 1980年春の選抜では二塁手に回り、2回戦(初戦)で松江商を降したが、準々決勝で丸亀商に惜敗。同年夏の選手権は再び三塁手に戻り、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で降すが、3回戦で浜松商に逆転負け。中条以外の高校同期に一塁手の安部理がいた。 卒業後は電電東北に入社。
中条 善伸(なかじょう よしのぶ、1962年4月12日 - … 中条 善伸(なかじょう よしのぶ、1962年4月12日 - )は、宮城県牡鹿郡女川町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。1994年からは中條としている。 中学校時代はドロップボールを駆使し、チームを東北中学校野球大会優勝に導くなどして活躍した。 東北高では、エースとして4季連続でチームを甲子園に導く活躍を見せる。1979年春の選抜では1回戦で下関商業高に敗退。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に敗退。翌1980年春の選抜2回戦(初戦)で松江商業高を降したが、準々決勝で丸亀商業高に惜敗。なお、この大会では松江商戦で勝利が決定的になった9回にリリーフ登板(一死も取れず)したのみであった。この大会を含めこれまで甲子園ではいずれも四球病に泣かされた。
及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )… 及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )は、宮城県柴田町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東北高では1977年に、同期のエース佐々木淳を擁し、左翼手として春の選抜に出場。2回戦で丸亀商に敗れる。同年夏の県予選でも決勝に進むが、佐々木が肩を故障し、1年下の薄木一弥(電電東北)が先発。仙台育英の後に広島で同僚となる大久保美智男に、延長12回の接戦の末0-1で完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社。都市対抗では試合出場がないが、1981年の日本選手権では先発出場。 1981年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。 1983年に一軍デビューを果たし中堅手として2試合に先発出場を果たすが、結果を残せなかった。
鈴木 孝行(すずき たかゆき、1957年8月24日 - )は… 鈴木 孝行(すずき たかゆき、1957年8月24日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 東北高では、1975年春季東北大会準決勝に進むが、日大山形高に完封負け。高校同期に立野清広がいた。社会人野球の電電東北に入社。1977年の都市対抗に一塁手として出場する。1回戦で新日本製鐵広畑に敗退。クラブチームの東北クラブを経て、1980年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。 1982年に一軍初登板、1984年には4試合に先発。7月7日には近鉄バファローズを相手に5回を3安打2失点と好投するが、後続が打たれ初勝利はならなかった。1986年11月、日本ハムファイターズに金銭トレードにて移籍。
立野 清広(たての きよひろ、1957年6月5日 - )は、… 立野 清広(たての きよひろ、1957年6月5日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東北高等学校から1975年ドラフト4位にてロッテオリオンズに入団。 人さし指を折った独特の握りから投げる垂直なカーブは威力十分だったが、一軍公式戦の出場がないまま1981年引退した。 引退後はロッテに残り、2003年まで同球団の打撃投手、2008年まで同球団の専任スコアラーを務めた。ロッテ在籍時代の落合博満は、打撃練習時にいつも立野を打撃投手として指名していた。
佐藤 政夫(さとう まさお、1950年12月18日 - )は… 佐藤 政夫(さとう まさお、1950年12月18日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高校3年時の1968年に、若生正廣との二枚看板で第50回全国高等学校野球選手権大会に出場。実際には宮城大会から先発を任されていて、本大会では1回戦で佐賀工業高校に敗れたものの、NPB球団のスカウトから注目されていた。大会後には社会人野球のチームからも数多くの誘いを受けていたが、「社会人(野球のチーム)には(自分のような)18歳の選手も30歳の選手もいて、大学(の硬式野球部)に比べればタテの世界(上下関係)が厳しくない」との考えから、高校の先輩(内野手の樋沢良信など)が硬式野球部に在籍していた地元の電電東北へ入社した。
若生 正廣(わこう まさひろ、1950年9月17日 - 20… 若生 正廣(わこう まさひろ、1950年9月17日 - 2021年7月27日)は、宮城県出身の元高校野球指導者。実兄はプロ野球選手の若生智男。 東北高校では投手。同期の佐藤政夫との二本柱であった。主将として1968年の宮城大会に臨む。先発を佐藤に任せ、四番打者、一塁手として活躍、決勝で築館高を破り全国選手権出場を決める。しかし1回戦で佐賀工に敗退した。この試合では佐藤をリリーフし、甲子園初登板を果たす。 卒業後は法政大学に進学。1年上に横山晴久、同期に池田信夫と好投手が揃い、あまり登板機会はなかった。社会人野球のチャイルドを経て1987年に埼玉栄高校野球部監督、1993年秋に母校である東北高校野球部監督に就任。
樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は… 樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。 電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。
千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県… 千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高では末永幸士投手(国士舘大学)と同期だったが、甲子園には出場できなかった。 1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから5位指名を受けたが、入団を拒否し社会人野球の日本鉱業日立へ入団する。 1968年の都市対抗野球に出場し、1回戦でリリーフとして登板するが日本新薬に敗れる。翌1969年の都市対抗野球にはエースとして出場するが、同じく1回戦で三菱重工名古屋に敗退した。 1969年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け入団。 シュート、カーブが武器の本格派で、スライダーをプロ入り後に習得する。
日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )… 日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 東北高等学校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に左翼手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に及川宣士投手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。 1962年に大洋ホエールズへ入団。1964年にイースタンリーグの本塁打王と打点王を獲得。同年のジュニアオールスターにも出場する。翌1965年もイースタンリーグ本塁打王を再度獲得。1966年には一軍に定着し、左翼手として16試合に先発出場。その後は守備固め外野手としての出場が多かったが、次第に粘り強い打撃が評価され、左投手への代打として起用される。
及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、… 及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、岩手県釜石市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東北高校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に一塁手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に日下正勝左翼手、村上宏通二塁手(阪急ブレーブス)がいる。翌年の夏は東北大会準決勝に進出、リリーフとして登板するが、保原高に敗れ甲子園出場を逸した。 1963年に大洋ホエールズに入団。同年オフには高橋重行らとともに整理対象寸前であったが、翌年からコーチ就任予定の別所毅彦に手の大きさを着目されて現役を続けることになる。別所からフォークボールを伝授され、1965年4月27日に一軍初先発、阪神タイガースのジーン・バッキーと投げ合い3安打完封、初勝利を飾る。
伊藤 勲(いとう いさお、1942年5月14日 - 2007… 伊藤 勲(いとう いさお、1942年5月14日 - 2007年5月26日)は、宮城県仙台市出身(岩手県生まれ)のプロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。愛称は「キートン」。 父親の転勤で幼少期を各地で過ごし、中学時代に仙台市に移る。東北高校では3年次の1960年に夏の甲子園に出場したが、1回戦で青森高に敗退。強肩強打の捕手として大洋や巨人なども注目したが、1959年に同校の先輩である波山次郎が大洋に入団していたこともあって、1961年に大洋ホエールズへ入団。契約金は170万円で、年俸は36万円であった。 1年目の同年から一軍でマスクを被り、7月30日の中日戦(川崎)の9回裏に蓜島久美に代わって初出場を果たす。
黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - … 黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校時代は1958年、1959年と2年連続で夏の甲子園に出場。 1960年に西鉄ライオンズへ入団。1961年9月27日に平和台野球場で行われたウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦では満塁ホームランを2本打ち10打点を記録した。
鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 20… 鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 2009年4月10日)は、宮城県出身のプロ野球選手。 東北高校から1960年に西鉄ライオンズへ入団。1962年引退。
波山 次郎(はやま じろう、1941年4月5日 - 1979… 波山 次郎(はやま じろう、1941年4月5日 - 1979年7月5日)は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(投手)。本名は尹 次郎(ユン・チャラン、朝鮮語: 윤차랑)。 1955年秋、東北高校の主催による中学生を対象とした野球大会「南光大会」が開催された。この大会に仙台市立第二中学校のエースとして参加した波山はその才能を買われ、1957年4月、東北高校野球部に正式に入部した。同年9月8日、東北高校の招聘により評定河原球場で行なわれた対早稲田実業戦で5回表からリリーフ登板し、王貞治から三球三振を奪うなど、8回まで一人の走者も許さない好投を見せたが、9回、先頭打者の王に場外ホームランを許し敗戦投手となった。
菊地 秀之(きくち ひでゆき、1940年9月7日 - 201… 菊地 秀之(きくち ひでゆき、1940年9月7日 - 2014年7月17日)は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手。 東北高校から1959年に西鉄ライオンズへ入団。1962年に引退。
小川 康雄(おがわ やすお、1940年4月19日 - )は、… 小川 康雄(おがわ やすお、1940年4月19日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1959年に西鉄ライオンズへ入団。同年退団。
佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮… 佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1958年に西鉄ライオンズへ入団。58年は11試合出場するも全て偵察要員での出場だった。 1959年に1軍初登板するも同年に退団した。
若生 忠男(わこう ただお、1937年8月22日 - 199… 若生 忠男(わこう ただお、1937年8月22日 - 1998年)は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 1970年シーズンの登録名は若生 忠泰(わこう ただやす)。 東北高校時代は若生智男・若生照元と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 1955年に西鉄ライオンズへ入団。 1957年には6月から先発陣の一角となり9勝を挙げ、同年の巨人との日本シリーズでも最終戦の第5戦に先発し、チームの2年連続日本一に貢献。背番号が見えるくらい全身を捻り、下手投げからキレの良い変化球を投げる「ロカビリー投法」で一世を風靡。 1960年には初の2桁勝利となる13勝、同年のオールスターにも選出されるが出場を辞退した。
若生 照元(わこう てるもと、1937年7月10日 - )は… 若生 照元(わこう てるもと、1937年7月10日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高校時代は若生忠男・若生智男と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。高校卒業後は1956年に中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは低目を突く速球と威力あるシュートを武器に活躍する。3年次の1958年春季リーグでは東京農業大学戦でノーヒットノーランを達成し、5年ぶりの優勝に貢献。同年の大学野球日本選手権では、決勝で立教大学に惜敗して準優勝。1年上には後に大洋でチームメイトとなる桑田武・森田斌、同期には小栗秀夫、西山弘二(広島)・本田威志がいた。 大学卒業後の1960年、本田と共に大洋ホエールズへ入団。
若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024… 若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024年6月3日)は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、評論家。 兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校元監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男(西鉄→巨人)・若生照元(中大→大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 卒業後の1956年に毎日オリオンズへ入団し、8月23日の阪急戦(駒澤)に和田功・中西勝己の3番手で初登板。9月3日の大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。 2年目の1957年は8月18日の大映戦(西京極)で初勝利を挙げ、10月23日から同24日の東映3連戦(駒澤)では2勝を記録。