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齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学… 齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学者。秋田県立大学システム科学技術学部知能メカトロニクス学科 教授。同大学人工生体機構研究室(Saito Lab)代表。博士(工学)(東京大学)。 専門分野は、ロボット工学、バイオエンジニアリング、機構学。特に「大規模細胞改変技術」や薄板の弾性を利用した「巻き尺型伸縮機構」、地域課題解決のための野生動物対策ロボットの研究で知られる。 秋田県湯沢市出身。秋田県立横手高等学校を卒業。 大学院在学中、日欧産業協力センターの研修を経て、東京大学TLOの前身となる株式会社先端科学技術インキュベーションセンターの設立に関わり、1998年から1999年にかけて取締役を務めた。
皆川 嘉博(みながわ よしひろ、1968年 - )は、日本の… 皆川 嘉博(みながわ よしひろ、1968年 - )は、日本の彫刻家、美術教育学者、秋田公立美術大学教授。専門は、彫塑表現研究、テラコッタ(素焼彫刻)の表現研究。 1968年(昭和43年)秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)生まれ、1987年3月に秋田県立横手高等学校普通科を卒業、東京芸術大学に入学し、1993年3月には同大学の美術学部彫刻科を卒業した。1995年3月、同大学の大学院院美術研究科彫刻研究領域を修了し、1998年3月、同研究科の博士後期課程美術専攻彫刻研究領域を満期退学した。 1995年4月から東京芸術大学美術学部彫刻科のティーチング・アシスタント(指導助手)を務め、同時に学校法人河合塾美術研究所彫刻科の講師を、1999年4月からは同研究所の主任講師を務めた。
泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医… 泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神療法。音楽家、評論家でもある。 1962年に秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)に生まれる。東北大学医学部卒業。精神科医。大学時代に音楽理論や作曲法の個人教授を受ける。東京医科歯科大学医学部附属病院、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時に、パリ日本人学校教育相談員を務めた。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京・広尾)院長。また、舞台演出や作曲家としての活動も行っており、「横手市民歌」等の作品がある 。
柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2… 柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2日 - )は、日本のジャーナリスト、帝京大学法学部教授。 元内閣総理大臣補佐官(菅義偉内閣)、共同通信社論説副委員長、編集委員。 秋田県平鹿郡平鹿町(現・横手市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。1984年、毎日新聞社に入社し、1988年に退社して共同通信社に入社。1993年から東京本社政治部に勤務し、2011年より編集局編集委員。2013年からは論説委員を兼任し、2018年に編集委員を外れる。2019年から編集局論説副委員長。この間、独立行政法人評価委員会臨時委員や法政大学法学部兼任講師も務めた。2020年9月16日付で総務局付に異動し、9月30日付で退社。
三浦 哲(みうら さとし、1958年12月23日 - )は、… 三浦 哲(みうら さとし、1958年12月23日 - )は、秋田県出身で東北大学大学院理学研究科・地震噴火予知研究観測センター准教授。
佐藤克廣(さとう かつひろ、1954年3月1日 - )は、日… 佐藤克廣(さとう かつひろ、1954年3月1日 - )は、日本の行政学者。北海学園大学教授を歴任。「佐藤克広」とも表記される。 秋田県平鹿郡醍醐村(現・横手市)出身。秋田県立横手高等学校卒業。1976年中央大学法学部卒業。1978年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。1979年財団法人行政管理研究センター研究員。1981年中央大学大学院法学研究科行政学専攻後期課程単位取得満期退学。1981年北海学園大学法学部専任講師。1986年北海学園大学法学部助教授。1994年北海学園大学法学部教授・大学院法学研究科教授。2003年放送大学大学院文化科学研究科客員教授(~2004年)。2015年より2018年まで北海学園大学大学院法学研究科長。
佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者… 佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者。名古屋大学未来社会創造機構客員教授、エスペック上席顧問、イリソ電子工業社外取締役。前サムスンSDI株式会社 Vice President(常務役員)、元株式会社本田技術研究所 チーフエンジニア、元秋田県教育視学監。 秋田県横手市(旧平鹿郡十文字町)出身。1972年、秋田県立横手高等学校卒業。1978年、横浜国立大学大学院工学研究科電気化学専攻修士課程を修了、本田技研工業株式会社に入社。社内研究成果により1988年、東京大学で工学博士の学位を取得。1991年、か株式会社本田技術研究所・和光基礎技術研究センターに車載電池研究開発機能を創設、1992年、同社チーフエンジニア、1997年度には名古屋大学非常勤講師を併任。
土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日… 土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日本の商学者。学位は、商学博士。早稲田大学商学部教授。秋田県横手市出身。
西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - … 西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - )は、日本の法学者。専門は現代中国法。早稲田大学教授、大阪大学教授、一橋大学教授を経て、山梨学院大学教授・客員教授を歴任、一橋大学名誉教授。 秋田県雄勝郡雄勝町横堀(現・湯沢市)出身。1978年から2002年まで日本現代中国学会理事(事務局長、常任理事等、2012年から顧問)、1981年から1987年まで早稲田大学憲法懇話会事務局長、1991年から2003年まで「社会体制と法」研究会運営委員、1994年から2000年まで日中人文社会科学交流協会評議員、2000年大学基準協会相互評価委員会専門分科会委員、2003年から2005年まで科学研究費補助金による研究課題「中国民族法制の総合的研究」代表者、2006年から2008年まで日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員を歴任。
笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - … 笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - 1996年(平成8年))は、日立製作所の元主任研究員、工学博士。 秋田県横手市出身。横手美入野高校(現秋田県立横手高等学校)卒業、1963年慶應義塾大学工学部卒業後、日立製作所日立研究所入社。同所主任研究員、日立アメリカ・リミテッド研究開発副社長、同社自動車機器事業部副技師長を経る。IEEEおよびSAEフェロー。電気学会センサシステム応用技術委員会、「自動車センサ関連調査専門委員会)委員長などを歴任。 1984年、慶応義塾大学工学博士 論文の題は「トランジスタの二次降伏耐量の研究とその自動車用電子装置への適用 」。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - … 平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - 1995年3月20日)は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 秋田県横手市に生まれる。横手中学校(現・秋田県立横手高等学校)卒、早稲田第二高等学院卒、1931年早稲田大学政治経済学部卒。 1936年同助手、1938年講師、1941年助教授、1945年教授、1954-56年社会政策学会代表幹事、1964-66年社会政策学会代表幹事、1969-72年附属図書館長、1979年定年退任、名誉教授、日本社会事業大学学長・教授、86-92年日本生産性本部会長、91年退任、名誉教授、1955年「社会政策論研究 社会政策と資本主義との関連を中心として」で、経済学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。
佐竹 義輔(さたけ よしすけ、1902年8月8日 - 200… 佐竹 義輔(さたけ よしすけ、1902年8月8日 - 2000年3月31日)は、日本の植物学者。佐竹氏一門の佐竹南家第19代当主、男爵。湯沢市名誉市民。日本高山植物保護協会会長。 1902年、秋田県で佐竹南家の佐竹義雄の次男として生まれた。旧名は佐竹義宏。次男であったため、はじめ早川家の養子となったが、兄の義質の急死に伴い佐竹南家の当主となり、男爵位を継承した。 秋田県立橫手中学校(現、秋田県立横手高等学校)を経て、東京帝国大学(現、東京大学)理学部に進む。東京大学に学位論文「Boehmeria japonica (日本産やぶまを屬)」を提出して理学博士号を取得。大学卒業後は東京科学博物館 (現:国立科学博物館) の植物研究部長に就任した。
月輪 賢隆(つきのわ けんりゅう、1888年5月25日 - … 月輪 賢隆(つきのわ けんりゅう、1888年5月25日 - 1969年8月25日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の仏教学者。秋田県仙北郡美郷町の浄土真宗本願寺派圓徳寺の住職、西本願寺(京都市下京区)の勧学。 明治21年(1888年)5月25日、秋田県仙北郡金沢村米ノ口生まれ。旧制横手中学校(現秋田県立横手高等学校)を卒業後、京都の佛教大学攻究院に進んでここを修了した。その後、金沢町米ノ口の正流山圓徳寺(浄土真宗本願寺派)の15世住職となった。 大正15年(1926年)9月、高野山大学教授となり、のち龍谷大学教授、西山専門学校教授などを務め、昭和10年(1935年)西本願寺司教となった。大学ではサンスクリット語・チベット語による文献研究にもとづいて原始仏教を教授した。
工藤 祐舜(くどう ゆうしゅん、1887年(明治20年)3月… 工藤 祐舜(くどう ゆうしゅん、1887年(明治20年)3月26日 - 1932年(昭和7年)1月8日)は、日本の植物学者。現在の秋田県平鹿郡増田町(現横手市)縫殿生まれ。植物分類学の泰斗として知られる。 父祐哲は浄土真宗の寺院通覚寺の19世住職であり、祐舜は長男であったが、のちに弟祐信を養子として寺を継がせている。 1901年(明治34年)秋田県立第三中学校(現秋田県立横手高等学校)に入学、植物好きの教師宮沢運治に傾倒し、宮沢もまた工藤を殊の外かわいがって植物採集に連れまわし、あたかも助手のような扱いであったという。中学時代、すでに海外の植物園や博物館などと標本交換をおこない、学名不明の植物を札幌農学校の宮部金吾に送ったことで2人の文通が始まった。