スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
加藤 多佳子(かとう たかこ、1989年10月29日 - )… 加藤 多佳子(かとう たかこ、1989年10月29日 - )は、日本の女性フリーアナウンサー、タレント。ニチエンプロダクション所属。 秋田県出身。秋田県立横手高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。所属事務所の先輩である坂木萌子は同じ大学、学部、ゼミの先輩でもある。高校時代は陸上部に入っていた。早稲田大学在学中の2009年に早稲田コレクションに出場(この年のコンテスト優勝者はフジテレビアナウンサーの竹内友佳)。 2010年より2年間、日本テレビイベントコンパニオン27期生として番組や各種イベントのアシスタントなどを経験。同期メンバーには『Oha!4 NEWS LIVE』にアシスタント(旧:JD)としてレギュラー出演していた石田いつか と増井渚、渋佐和佳奈 がいる。
石田 航星(いしだ こうせい、1986年 - )は日本の建築… 石田 航星(いしだ こうせい、1986年 - )は日本の建築学者。早稲田大学創造理工学部建築学科/早稲田大学理工学術院准教授。博士(工学)。 秋田県出身。2004年 秋田県立横手高等学校卒業。2009年 早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。2011年 早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻修士課程修了。2012年 早稲田大学建築学科助手。 2014年 工学院大学建築学部助教。2018年 早稲田大学理工学術院専任講師。2021年 早稲田大学理工学術院准教授。
佐藤 誠太(さとう せいた、1985年6月20日 - )は、… 佐藤 誠太(さとう せいた、1985年6月20日 - )は、NHKのアナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
豊島 ミホ(としま みほ 1982年2月15日- )は、日本… 豊島 ミホ(としま みほ 1982年2月15日- )は、日本の小説家、ライター。秋田県湯沢市出身。秋田県立横手高等学校・早稲田大学第二文学部卒。 幼少期からの将来の夢はマンガ家だった。高校2年生のとき、スクールカーストの「底辺」になったと感じたことが理由で家出し、その後保健室登校となる。高校卒業後、一浪の後、2001年に早稲田大学第二文学部へ入学。 大学1年生の夏休みに執筆した「青空チェリー」が、2002年、第1回女による女のためのR-18文学賞の読者賞を受賞。同年、『青空チェリー』を刊行し小説家デビュー。ペンネームの由来は当時東京都豊島区在住だったことと、幼馴染で豊島に作家になることを薦めた幼馴染の「ミホ」ちゃんより。
寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日… 寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣補佐官(行政改革及び社会保障・税一体改革等担当)(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(行政刷新及び広報担当)(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(国家戦略、行政刷新担当)(菅直人内閣)、衆議院議員(7期)などを歴任。 父は参議院議員や秋田県知事などを歴任した寺田典城。母方の祖父は秋田県議会議員を務めた寺田栄四郎。妻は参議院議員の寺田静。 秋田県横手市生まれ。横手市立横手南小学校、横手市立横手南中学校、秋田県立横手高等学校普通科、中央大学経済学部卒業。
齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学… 齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学者。秋田県立大学システム科学技術学部知能メカトロニクス学科 教授。同大学人工生体機構研究室(Saito Lab)代表。博士(工学)(東京大学)。 専門分野は、ロボット工学、バイオエンジニアリング、機構学。特に「大規模細胞改変技術」や薄板の弾性を利用した「巻き尺型伸縮機構」、地域課題解決のための野生動物対策ロボットの研究で知られる。 秋田県湯沢市出身。秋田県立横手高等学校を卒業。 大学院在学中、日欧産業協力センターの研修を経て、東京大学TLOの前身となる株式会社先端科学技術インキュベーションセンターの設立に関わり、1998年から1999年にかけて取締役を務めた。
皆川 嘉博(みながわ よしひろ、1968年 - )は、日本の… 皆川 嘉博(みながわ よしひろ、1968年 - )は、日本の彫刻家、美術教育学者、秋田公立美術大学教授。専門は、彫塑表現研究、テラコッタ(素焼彫刻)の表現研究。 1968年(昭和43年)秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)生まれ、1987年3月に秋田県立横手高等学校普通科を卒業、東京芸術大学に入学し、1993年3月には同大学の美術学部彫刻科を卒業した。1995年3月、同大学の大学院院美術研究科彫刻研究領域を修了し、1998年3月、同研究科の博士後期課程美術専攻彫刻研究領域を満期退学した。 1995年4月から東京芸術大学美術学部彫刻科のティーチング・アシスタント(指導助手)を務め、同時に学校法人河合塾美術研究所彫刻科の講師を、1999年4月からは同研究所の主任講師を務めた。
大坂 昌彦(おおさか まさひこ、1966年9月28日 - )… 大坂 昌彦(おおさか まさひこ、1966年9月28日 - )は、秋田県横手市出身のジャズドラマー。 以下に挙げるユニット以外でも様々なユニットを組んで活動している。 大坂昌彦(Ds.)、佐山雅弘(Pf.)、小井政都志(B.)から成る。1990年ごろから不定期に活動。ユニット名の由来はメンバー全員の名前に含まれる「マサ」から。 多田誠司(Sax)、大坂昌彦(Ds.)、上村信(B.)、片倉真由子(Pf.)から成る。2000年7月31日にFMとやま「For You 未来倶楽部」にゲスト出演していた塩田哲嗣(B.)・多田・大坂がその場でユニットを結成し、ユニット名をリスナー募集した。ユニット名の由来は、ラジオパーソナリティーの小川もこ(M)と大坂(O)・塩田(S)・多田(T)の各頭文字を取ったもの。
竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、… 竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 秋田県立横手高等学校卒業。高校時代には野球部で活動。早稲田大学第一文学部卒業。1987年NHK入局。スポーツアナウンサーとして、主に球技系の競技の実況を多く担当している。2007年の全国高校野球の夏大会の決勝戦の実況も担当。春の大会の開会式の実況も担当。 安定した語り口調、滑舌、知識はスポーツファンの中では有名である。ファンも一定数居る。
松田 知己(まつた ともみ、1963年〈昭和38年〉9月1日… 松田 知己(まつた ともみ、1963年〈昭和38年〉9月1日 - )は、日本の政治家。秋田県仙北郡美郷町長(6期)。 秋田県仙北郡仙南村金沢西根二ツ柳出身。仙南村立仙南西小学校、同仙南中学校を卒業後、1982年に秋田県立横手高等学校を卒業。東北大学農学部に入学し、1986年3月に同大学同学部を卒業。同年4月、秋田県職員に採用された。 以後、秋田県の農政に携わり、1995年4月からは秋田県農業試験場(秋田市四ツ小屋)主任を務めた。同年8月、激しい選挙戦の末、仙南村長となった斎藤克己より助役就任の要請を受け、9月に秋田県庁を退職して助役に就く。 斎藤村長が1期で退任したのち、2000年8月の村長選に立候補して無投票当選し、37歳で仙南村長に就任した。
泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医… 泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神療法。音楽家、評論家でもある。 1962年に秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)に生まれる。東北大学医学部卒業。精神科医。大学時代に音楽理論や作曲法の個人教授を受ける。東京医科歯科大学医学部附属病院、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時に、パリ日本人学校教育相談員を務めた。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京・広尾)院長。また、舞台演出や作曲家としての活動も行っており、「横手市民歌」等の作品がある 。
柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2… 柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2日 - )は、日本のジャーナリスト、帝京大学法学部教授。 元内閣総理大臣補佐官(菅義偉内閣)、共同通信社論説副委員長、編集委員。 秋田県平鹿郡平鹿町(現・横手市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。1984年、毎日新聞社に入社し、1988年に退社して共同通信社に入社。1993年から東京本社政治部に勤務し、2011年より編集局編集委員。2013年からは論説委員を兼任し、2018年に編集委員を外れる。2019年から編集局論説副委員長。この間、独立行政法人評価委員会臨時委員や法政大学法学部兼任講師も務めた。2020年9月16日付で総務局付に異動し、9月30日付で退社。
三浦 哲(みうら さとし、1958年12月23日 - )は、… 三浦 哲(みうら さとし、1958年12月23日 - )は、秋田県出身で東北大学大学院理学研究科・地震噴火予知研究観測センター准教授。
榊田 雅和(さかきだ まさかず、1958年〈昭和33年〉11… 榊田 雅和(さかきだ まさかず、1958年〈昭和33年〉11月11日 -)は、日本の実業家。千代田化工建設会長兼社長。 秋田県大仙市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1981年(昭和56年)東京大学工学部卒業。同年4月、三菱商事に入社。重機部配属となり、ニューヨークの米国三菱会社、三菱商事プラント・産業機械事業本部重機ユニットマネージャー、同社機械グループ経営計画担当補佐兼機械グループCIO、執行役員インド三菱商事会社社長を経て、2017年(平成29年)4月、常務執行役員に就任した。三菱商事では主に重機担当として製鉄プラント事業などを手掛けた。2021年(令和3年)6月、千代田化工建設に転じ、同社代表取締役会長CEO兼CWOとなり、2022年(令和4年)4月、会長兼社長に就任した。
後藤 洋(ごとう よう、1958年 - )は、日本の作曲家、… 後藤 洋(ごとう よう、1958年 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽評論家。主に、吹奏楽の分野で活動している。 1958年、秋田県生まれ。秋田県立横手高等学校在学中に作曲した「即興曲」が、1976年度全日本吹奏楽コンクール課題曲として採用された。その後山形大学教育学部特設音楽科卒業、東京音楽大学研究科(大学院)修了、ノース・テキサス大学大学院修士課程(作曲および音楽教育)修了。作曲をシンディ・マクティー(英語版)、池辺晋一郎、金田成就に師事。 2001年以来アメリカに本拠を置き、吹奏楽と音楽教育の分野を中心に作曲・編曲家、音楽評論家、研究家として活躍。吹奏楽の分野では、今日国際的に評価を得ている日本人作曲家のひとりであり、その作品はアメリカとヨーロッパ諸国で注目を集めている。
井関 健(いせき けん、1955年7月7日 - )は、秋田県… 井関 健(いせき けん、1955年7月7日 - )は、秋田県出身で北海道大学大学院薬学研究院・生命科学院 臨床薬剤学研究室教授
老松 博行(おいまつ ひろゆき、1955年(昭和30年)1月… 老松 博行(おいまつ ひろゆき、1955年(昭和30年)1月24日 - )は、日本の政治家。秋田県大仙市長(3期)。 秋田県大曲市川目(現・大仙市川目)に生まれる。大曲市立大曲中学校、秋田県立横手高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、北海道大学農学部卒業。4月に大曲市役所に入所。 2005年(平成17年)3月22日、大曲市は仙北郡6町1村(神岡町・西仙北町・中仙町・協和町・南外村・仙北町・太田町)と合併。大仙市が発足。2006年(平成18年)、大仙市役所総務部長に就任。2012年(平成24年)、副市長就任。 2017年(平成29年)2月上旬、栗林次美市長が健康上の理由により、次期市長選への不出馬を表明したため、副市長を辞任。
佐藤克廣(さとう かつひろ、1954年3月1日 - )は、日… 佐藤克廣(さとう かつひろ、1954年3月1日 - )は、日本の行政学者。北海学園大学教授を歴任。「佐藤克広」とも表記される。 秋田県平鹿郡醍醐村(現・横手市)出身。秋田県立横手高等学校卒業。1976年中央大学法学部卒業。1978年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。1979年財団法人行政管理研究センター研究員。1981年中央大学大学院法学研究科行政学専攻後期課程単位取得満期退学。1981年北海学園大学法学部専任講師。1986年北海学園大学法学部助教授。1994年北海学園大学法学部教授・大学院法学研究科教授。2003年放送大学大学院文化科学研究科客員教授(~2004年)。2015年より2018年まで北海学園大学大学院法学研究科長。
佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者… 佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者。名古屋大学未来社会創造機構客員教授、エスペック上席顧問、イリソ電子工業社外取締役。前サムスンSDI株式会社 Vice President(常務役員)、元株式会社本田技術研究所 チーフエンジニア、元秋田県教育視学監。 秋田県横手市(旧平鹿郡十文字町)出身。1972年、秋田県立横手高等学校卒業。1978年、横浜国立大学大学院工学研究科電気化学専攻修士課程を修了、本田技研工業株式会社に入社。社内研究成果により1988年、東京大学で工学博士の学位を取得。1991年、か株式会社本田技術研究所・和光基礎技術研究センターに車載電池研究開発機能を創設、1992年、同社チーフエンジニア、1997年度には名古屋大学非常勤講師を併任。
小笠原 直樹(おがさわら なおき、1951年7月18日 - … 小笠原 直樹(おがさわら なおき、1951年7月18日 - 2021年3月3日)は、日本のジャーナリスト、実業家。秋田県横手市出身。秋田魁新報社の社長などを務めた。 秋田県横手市に生まれる。秋田県立横手高等学校、中央大学を卒業。1975年(昭和50年)に秋田魁新報社(本社:秋田市)に入社し、社会部長、論説副委員長などを経て2003年に同社の取締役編集局長、2007年常務取締役編集局長に任じられた。2009年(平成21年)から2019年(平成31年)まで同社の代表取締役社長を務めた。2021年(令和3年)3月3日、外耳道がんのため秋田市内の病院で死去した。死去時点での役職は、同社の相談役であった。
柴田 正敏(しばた まさとし、1950年〈昭和25年〉12月… 柴田 正敏(しばた まさとし、1950年〈昭和25年〉12月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の秋田県議会議員(6期)。 秋田県議会議長(第68代)、雄物川町議会議員(1期)、全国都道府県議会議長会会長(第73代)などを歴任。 秋田県平鹿郡雄物川町(現在の横手市)で出生。雄物川町立福地小学校、雄物川町立雄物川中学校を経て、1969年(昭和44年)に秋田県立横手高等学校を卒業。高校卒業後は東京での生活を夢見ていたが、母からの頼みで農業を継ぐことなり、卒業と同時に就農。その後、全国農協青年組織協議会委員長や雄物川中学校PTA会長を歴任。 農業を営む中で自立した農業はできないものかと悩み、自身は仲間と共同でキノコの栽培をすることとなったが、全ての農業者が自立していくためには制度を変える事が必要だと考え、1999年(平成11年)、雄物川町議会議員選挙に出馬し、初当選。
三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は… 三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は、日本の政治家。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校からお茶の水女子大学文教育学部を卒業(専攻は英米文学)。米国コロンビア大学・大学院修士課程を修了(専攻は比較教育学、女性学)。上智大学法学部に学士入学するが、後に中退。桐朋女子中学校・高校、野津田高校、駒場高校の英語教員を経て、1987年4月の東京都議会議員補欠選挙に日本社会党公認で杉並区選挙区より立候補して初当選を果たし、以後2期務める。その後、1993年1月13日、社会党に離党届を提出した。同年7月2日に都議を辞職した。同月18日第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区より無所属で立候補するが定数5に対し、8位で落選した。
栗林 次美(くりばやし つぐみ、男性、昭和23年(1948年… 栗林 次美(くりばやし つぐみ、男性、昭和23年(1948年)2月25日 - )は、日本の政治家。元秋田県大仙市長(3期)。元大曲市長(1期)。 秋田県大曲市出身。秋田県立横手高等学校から上智大学経済学部に進み、1970年(昭和45年)、同大学同学部の経済学科を卒業した。父は衆議院議員だった栗林三郎。 出版社ダイヤモンド・タイム社(現、プレジデント社)に入社して月刊誌『プレジデント』の編集や書籍の企画と宣伝を担当した。1976年以降は父栗林三郎および細谷昭雄衆議院議員の国会秘書を経て、1983年(昭和58年)、秋田県議会議員選挙に初出馬したが落選した。1987年4月の県議選では初当選を果たした。
五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)… 五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)7月18日 - )は、日本の政治家。秋田県横手市長を2期、旧横手市長を3期務めた。 武蔵大学経済学部を卒業後、都内の印刷会社勤務を経て帰郷。家業の印刷業に従事する。 1997年、当時の横手市長・寺田典城が秋田県知事選挙に立候補するため、市長を退職。寺田の退職に伴って実施された横手市長選挙に立候補し、初当選した。2001年にも再選され、2005年には無投票で3選。 2005年10月1日、旧横手市と増田町・平鹿町・雄物川町・大森町・十文字町・山内村・大雄村の8町村が対等合併し、新・横手市が誕生。それに伴い10月23日に実施された市長選挙で旧平鹿町長の柿崎幹夫ら2候補を破り、新市の市長として初当選。
島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 20… 島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。月刊誌『広告批評』の2代目編集長・発行人を務めた。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1969年に立教大学社会学部を卒業。講談社に入社し、児童図書(子ども向け百科事典や絵本)などの編集に関わった。 1971年、天野祐吉のマドラ・プロダクションに移る。『キャッチフレーズ3000選』『今日の広告』の編集に携わりながら、広告評論活動も開始した。1979年、天野と共に『広告批評』を創刊。副編集長・メインインタビュアーを経て、1988年に天野から編集長を引き継いだ。 1990年にはフジテレビ「FNN NEWSCOM」のキャスターを務めたほか、TBSテレビ「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活動した。
上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月… 上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月27日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート代表取締役社長や、ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役社長を経て、同社相談役。 秋田県横手市大森町出身。秋田県立横手高等学校 卒業後すぐには就職せず、地元の郵便局長に声を掛けられ、昼は電報配達、夜は電話交換手をしていた。 1970年山形大学文理学部卒業。同年、伊藤忠商事入社。入社が内定した際、母は「下駄屋」や「反物屋」へ就職するものだと勘違いしたとのエピソードがある。経理部勤務を経て翌年、大阪畜産支部へ異動。その間海外赴任を経験し、1986年に業務本部へ異動。1989年には畜産第一課長となり、その後加工センター長、営業本部長、経営企画本部長となる。
土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日… 土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日本の商学者。学位は、商学博士。早稲田大学商学部教授。秋田県横手市出身。
西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - … 西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - )は、日本の法学者。専門は現代中国法。早稲田大学教授、大阪大学教授、一橋大学教授を経て、山梨学院大学教授・客員教授を歴任、一橋大学名誉教授。 秋田県雄勝郡雄勝町横堀(現・湯沢市)出身。1978年から2002年まで日本現代中国学会理事(事務局長、常任理事等、2012年から顧問)、1981年から1987年まで早稲田大学憲法懇話会事務局長、1991年から2003年まで「社会体制と法」研究会運営委員、1994年から2000年まで日中人文社会科学交流協会評議員、2000年大学基準協会相互評価委員会専門分科会委員、2003年から2005年まで科学研究費補助金による研究課題「中国民族法制の総合的研究」代表者、2006年から2008年まで日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員を歴任。
宇佐美 繁(うさみ しげる、1942年3月3日 - 2003… 宇佐美 繁(うさみ しげる、1942年3月3日 - 2003年2月9日)は、日本の農業経済学者。学位は、農学博士(論文博士・1970年)(学位論文「高度成長経済下における農民諸階層の状態」)。 秋田県仙北郡六郷町(現・美郷町)生まれ。秋田県立横手高等学校卒業。1964年北海道大学農学部農業経済学科卒、1969年同大学院農学研究科博士課程満期退学、農林省農業総合研究所に入所。1970年「高度成長経済下における農民諸階層の状態」で農学博士の学位を取得。1973年農林省農業総合研究所積雪地方支所勤務。1979年雇用研究室長。1980年宇都宮大学農学部助教授。1990年教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
煙山 力(けむりやま つとむ、1938年〈昭和13年〉11月… 煙山 力(けむりやま つとむ、1938年〈昭和13年〉11月28日 - )は、日本の政治家。元東京都文京区長(2期)。 秋田県仙北郡千屋村(千畑町を経て、現在の美郷町)に生まれる。秋田県立横手高等学校卒業。東北大学教育学部中退。国会議員秘書、専門学校理事を経て、1975年〈昭和50年〉文京区議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以来連続6回当選。その後区議会議長となる。後に新進党に移った。 1999年〈平成11年〉文京区長選挙に立候補し初当選する。2003年〈平成15年〉に再選。区長を2期務め、2007年〈平成19年〉に引退した。2009年〈平成21年〉4月29日に旭日小綬章を受章した。
笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - … 笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - 1996年(平成8年))は、日立製作所の元主任研究員、工学博士。 秋田県横手市出身。横手美入野高校(現秋田県立横手高等学校)卒業、1963年慶應義塾大学工学部卒業後、日立製作所日立研究所入社。同所主任研究員、日立アメリカ・リミテッド研究開発副社長、同社自動車機器事業部副技師長を経る。IEEEおよびSAEフェロー。電気学会センサシステム応用技術委員会、「自動車センサ関連調査専門委員会)委員長などを歴任。 1984年、慶応義塾大学工学博士 論文の題は「トランジスタの二次降伏耐量の研究とその自動車用電子装置への適用 」。
泉谷 周三郎(いずみや しゅうざぶろう、1936年 - )は… 泉谷 周三郎(いずみや しゅうざぶろう、1936年 - )は、日本の哲学研究者。横浜国立大学名誉教授。 東京生まれ。1955年秋田県立横手高等学校卒、東京教育大学卒、1966年同大学院博士課程中退、福島工業高等専門学校講師、横浜国立大学教育人間科学部助教授、教授、附属横浜中学校校長、2000年定年、中部大学教授、聖学院大学客員教授。
笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 20… 笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 2024年4月12日)は、日本の歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1989年)。東京大学名誉教授。 日本古代史専攻。古代日本の武力・兵制の研究者として著名。このほか山川出版社の高等学校用日本史教科書の執筆・編纂を担当。日本歴史学会会長、横手市史編纂委員、多摩市史編纂委員等も務める。 東京市豊島区雑司が谷生まれ。父は元衆議院議員笹山茂太郎。熊本市で小学校を終え、1951年秋田県立横手美入野高等学校(現・秋田県立横手高等学校)卒業。1955年東京大学文学部国史学科卒業。1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、研究室助手となり、同年国史学科学生の樺美智子が安保闘争で死んだ時の国民葬では樺の遺影を掲げてデモ行進の先頭に立った。
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22… 千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月20日)は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。 秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。 卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。 1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。 市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日… 小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日 - 2010年(平成22年)11月8日)は、秋田県出身の詩人。第7回小熊秀雄賞受賞。本名小坂 芳太郎(こさか よしたろう)。 秋田県雄勝郡西馬音内町(現、羽後町)生まれ。旧制県立横手中学校卒。1951年(昭和26年)より郷里の中学校にて教職に就き、1989年(平成元年)羽後町立三輪中学校(教頭)を定年にて退官。教職の傍ら郷里を基底に詩作を続け、1960年(昭和35年)に思潮社より第一詩集『北方の眼』を刊行。生涯に詩集十冊のほか、評論や随筆集などを著した。1973年(昭和48年)詩「米」(『北の儀式』所収)にて第十回総評文学賞、翌1974年に第四詩集『北の儀式』にて小熊秀雄賞、1987年(昭和60年)には第八詩集『北の鷹匠』で秋田県芸術選奨を受賞している。
加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 … 加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 - 1977年(昭和52年)12月2日)は、日本の小説家、教員。 秋田県雄勝郡湯沢町(現・湯沢市)生まれ。1968年に文學界新人賞を受賞したほか、1971年から1975年にかけて四度芥川賞候補となった。 秋田県立横手中学校(現・横手高等学校)在学中に予科練に入隊し、土浦海軍航空隊で桜花特攻要員として訓練中、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)の大野岱で終戦を迎えた。復員後、秋田県立湯沢南高等学校(現・湯沢高等学校)から秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)英語科に進み、1954年(昭和29年)3月に卒業。秋田県の高校英語科教員として、横手・湯沢北 ・湯沢高校などで教鞭を執った。
細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 201… 細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 2014年3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任した。 秋田県仙北郡神岡町(現大仙市)出身。旧制秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)を経て、秋田大学学芸学部(現在の秋田大学教育文化学部)卒。卒業後は小中学校教員になり、秋田県教職員組合仙北支部書記長、同支部長、大曲仙北郡労事務局長、同議長、日本社会党大曲仙北総支部執行委員長などを経て、1971年秋田県議に当選し2期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙で秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選し、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - … 川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - 2016年1月24日)は、日本の政治家。元衆議院議員。秋田県雄勝郡(現・湯沢市)出身。議員当時は日本社会党に所属。 旧制県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、同和鉱業に入社。同社の労働組合の役員等に着いた後、義父である川俣清音の糖尿病悪化に伴い後継候補として衆議院議員選挙に秋田2区から出馬、当選。以後8期連続で当選し予算委員会理事などを歴任した。また党内の右派グループ「政権構想研究会」代表を務めるなど、社会党右派の実力者として君臨した。また、自民党内などでも渡辺美智雄と親交があり、隣町の出身の秋田県選出の現自民党衆議院議員金田勝年〔元外務副大臣、参議院議員〕らと親交がある。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - … 佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - 2008年5月6日)は、日本の内務官僚、自治官僚、政治家。秋田県知事を務めた。 1921年、秋田県小坂町に生まれる。秋田県第三中学校(現:秋田県立横手高等学校)、東北帝国大学法文学部法学科(現:東北大学法学部)を卒業。1946年3月 内閣戦争調査会事務局、同年 東京都経済局、1948年 秋田県総務部地方課長、1950年4月 地方財政委員会事務局税務部、1955年 大阪府総務部庶務課長、1959年 自治省財政局公営企業課長、1965年10月 自治省税務局財務課長、1966年7月 徳島県副知事、1971年9月 自治省税務局長等を歴任。 1973年11月に消防庁長官に就任。
むの たけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 20… むの たけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 2016年8月21日)は、日本のジャーナリスト。太平洋戦争従軍記者としての経験・反省から、戦後に反戦・平和を訴え続けた。 新聞『たいまつ』を創刊。農村・農業の進路、出稼ぎ問題、農民運動の在り方、地方文化やサークル活動について追求し、「自分の言葉に自分の全体重をかける」記事を書き続けた。 秋田県仙北郡六郷町(現:美郷町)の小作農民の家に生まれる。県立横手中学校(現:秋田県立横手高等学校)で教師を務めていた石坂洋次郎 に、国語・作文・修身を教わった。1932年に東京外国語学校(現:東京外国語大学)西語部文科(文学)に入学。親の仕送りで学生生活を続けることが難しくなったので、1学年を終わったところで外務省の書記生になろうとしたが「満18歳では若すぎる」との理由で願書は却下された。
畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1… 畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1981年5月23日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手。右投右打)、野球指導者。 横手中学から専修大学を経て、1934年に大日本東京野球倶楽部(翌1935年より東京巨人軍)結成へ参加しプロ入り。日本プロ野球最初のリーグ戦(日本職業野球連盟)を開始した1936年7月3日の対大東京戦に先発登板し6イニングを1失点に押さえて巨人球団史上初の公式戦勝利投手となった。1937年以降は新設したイーグルス(1940年途中より黒鷲軍、1942年より大和軍)へ移籍。1937年に春季・秋季シーズン合わせて32敗を喫しているが、これはプロ野球記録とされている中山正嘉の29敗(1940年。
佐々木 宗一郎(ささき そういちろう、1910年 - 199… 佐々木 宗一郎(ささき そういちろう、1910年 - 1997年12月20日)は秋田県横手市出身の洋画家。
平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - … 平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - 1995年3月20日)は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 秋田県横手市に生まれる。横手中学校(現・秋田県立横手高等学校)卒、早稲田第二高等学院卒、1931年早稲田大学政治経済学部卒。 1936年同助手、1938年講師、1941年助教授、1945年教授、1954-56年社会政策学会代表幹事、1964-66年社会政策学会代表幹事、1969-72年附属図書館長、1979年定年退任、名誉教授、日本社会事業大学学長・教授、86-92年日本生産性本部会長、91年退任、名誉教授、1955年「社会政策論研究 社会政策と資本主義との関連を中心として」で、経済学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。
佐貫 亦男(さぬき またお、1908年(明治41年)1月1日… 佐貫 亦男(さぬき またお、1908年(明治41年)1月1日 - 1997年(平成9年)6月28日 )は、日本の航空技術者、航空宇宙評論家、作家、エッセイスト。 秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)生まれ。秋田県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)卒業、1931年(昭和6年)に東京帝国大学工学部航空学科を卒業した。 東京帝国大学卒業後、軍命で日本楽器製造(現ヤマハ)に赴きプロペラの設計を行う。陸軍の九七式戦闘機を担当した。1941年に、ユンカース社からフルフェザー機構・圧縮木材製プロペラ技術導入のため、第二次世界大戦最中のドイツに出張する。 しかし同年6月に、独ソ戦開戦のためにドイツからソビエト連邦に直行するシベリア鉄道経由の帰路が絶たれ、1943年11月まで在独し、その後中立国を迂回する形で帰国した。
鈴木 清(すずき きよし、1907年4月29日 - 1993… 鈴木 清(すずき きよし、1907年4月29日 - 1993年2月18日)は、日本のプロレタリア作家、政治家。 秋田県平鹿郡旭村(現・横手市)出身。横手中学から山形高等学校へ進学するも社会運動にかかわって中退。 山形高校在学中に紺野与次郎らとともに社会主義運動に入る。その後上京し、東京合同労組書記などを経て職工になる。1929年、四・一六事件に連座し逮捕される。ほどなくして創作活動に入り、『監房細胞』(1931年)などの小説を著し、日本プロレタリア作家同盟の秋田支部を結成して活動した。作家同盟解散後も創作活動を続けたが、1940年には東北農業研究所を設立、農村での改良運動にかかわる。 第二次世界大戦後は政治活動も行い、1946年には旭村の村長職もつとめた。
佐竹 義輔(さたけ よしすけ、1902年8月8日 - 200… 佐竹 義輔(さたけ よしすけ、1902年8月8日 - 2000年3月31日)は、日本の植物学者。佐竹氏一門の佐竹南家第19代当主、男爵。湯沢市名誉市民。日本高山植物保護協会会長。 1902年、秋田県で佐竹南家の佐竹義雄の次男として生まれた。旧名は佐竹義宏。次男であったため、はじめ早川家の養子となったが、兄の義質の急死に伴い佐竹南家の当主となり、男爵位を継承した。 秋田県立橫手中学校(現、秋田県立横手高等学校)を経て、東京帝国大学(現、東京大学)理学部に進む。東京大学に学位論文「Boehmeria japonica (日本産やぶまを屬)」を提出して理学博士号を取得。大学卒業後は東京科学博物館 (現:国立科学博物館) の植物研究部長に就任した。
笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 … 笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。秋田県横手市出身。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)などを務めた。 秋田県立横手中学校、第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学英法科卒業。農林省入省。販売改善課長、埼玉県経済部長、米穀課長、本省会計課長などを経たが、その後、山林局長のときに、戦時中の政府・軍部の方針であった里山伐採・平地林伐採運動について『行き過ぎのないように』との局長通達を全国の林務課長あてに出したことが、全国知事会で問題となり、熊本の営林局長に左遷させられる事態となった。本省の局長が営林局長に降格されることは、いまだかつてないことであった。
富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 197… 富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 1979年12月25日)は、日本の武道(合気道・柔道)家。教育学者(武道論)。日本合気道協会、秋田県角館町(後の仙北市)出身。 満州建国大学教授、早稲田大学教育学部教授を歴任、合気道創始者・植芝盛平の高弟として成立期の合気道に理論面で影響を与え、自ら考案した競技合気道の普及発展に努めた。講道館柔道創始者・嘉納治五郎が柔術を柔道に昇華させたように、合気道をより昇華させることを目指し、合気道の乱取り稽古を考案し導入した。富木の合気道は乱取り稽古を行うなど、他の会派と異なる点も多く、区別するため、「富木流合気道」、「富木合気道」と通称される(ただし、富木自身はこの呼称を用いておらず、「新合気道」「合気道競技」と命名していた)。