スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菅野 純平(すがの じゅんぺい、1991年4月16日 - )… 菅野 純平(すがの じゅんぺい、1991年4月16日 - )は、秋田県湯沢市出身の元ハンドボール選手。 秋田県立湯沢高等学校時代は2007年に日本代表U-16に選出。 2009年は第17回日・韓・中ジュニア交流競技会の日本代表に選ばれた。 高校卒業後は筑波大学へ進学し、2010年に第12回男子ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選出。 2014年に日本ハンドボールリーグのトヨタ車体へ加入。 2015年は第28回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選ばれた。 2024-25年シーズン限りで現役を引退。
おおひなた ごう(1969年8月4日 - )は、日本の漫画家… おおひなた ごう(1969年8月4日 - )は、日本の漫画家。男性。秋田県羽後町出身。東京デザイナー学院卒業。代表作に『おやつ』『俺に血まなこ』、『フェイスガード虜』、『犬のジュース屋さん』がある。主にギャグ漫画を執筆している。 デザイン会社に勤めた後に退社。若林健次、髙橋ツトム、戸田敦夫(現姓・二ノ宮 漫画家二ノ宮知子の夫)とバンドを組んでいた時期もある。マンガ家のタナカカツキ(タナカ塾)からマンガの通信教育を受けていた時期がある。 1991年、『心はマリン』(『コミックギガ』別冊・まんが動物園)でデビュー。そのサイケデリックな作風から多方面から支持を集める。タイタンとも関わりがあり、爆笑問題らと共演したこともある。
佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日… 佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日- )は、日本の政治家。秋田県湯沢市長(2期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校、中央大学卒業後、旧湯沢市役所財政課に就職。 2019年4月、当時市長だった鈴木俊夫により副市長に任命される。 2020年、鈴木の引退宣言を受け湯沢市長選挙に出馬表明。自由民主党籍を有するものの、元日本共産党員であった鈴木市政の発展的継承を訴え、2021年4月4日に行われた湯沢市長選挙に無所属で立候補。元市議の高橋大輔ら2候補を破り初当選した。 2025年、無投票で再選。
鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11… 鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11日 - )は、日本の政治家。元秋田県湯沢市長(3期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校(2学年先輩に菅義偉がいる)、岩手大学農学部農学別科畜産専攻科を卒業。大学在学中に日本共産党へ入党し、1983年(昭和58年)から湯沢市議会議員、1991年(平成3年)から秋田県議会議員をそれぞれ2期務める(1999年落選)。その後、2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙(落選)をへて、翌2002年に行われた旧湯沢市長選に出馬表明する。 「開かれた市政をつくるみんなの会」を支持母体として、黒塗り公用車の廃止や市長報酬3割カット、市長交際費半減などを公約に掲げ選挙戦を展開。
美和 剛(みわ ごう、1950年3月17日 - )は、日本の… 美和 剛(みわ ごう、1950年3月17日 - )は、日本の漫画家。以前は竹中 小虎(たけなか ことら)・佐藤 貞夫(さとう さだお)名義で執筆していた。尚、以前はローマ字表記の際にmiwagouが用いられていたが『農業ノススメ 恋と涙の就農生活』完結後の2008年からgoh miwaと表記されるようになった。 秋田県雄勝郡羽後町生まれ。秋田県立湯沢高等学校卒業。劇画家の佐藤まさあきに師事する。ビッグコミック新人賞に入選。現在、羽後町在住。芳文社発行の青年漫画誌週漫スペシャルに不定期に『業界のピンチヒッター』等を執筆。その独特のユーモアを好む読者が多い。最も影響を受けた漫画家はさいとう・たかを。
京野 公子(きょうの きみこ、1949年12月25日 - )… 京野 公子(きょうの きみこ、1949年12月25日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、秋田県議会議員(1期)を歴任。 1949年12月25日、秋田県湯沢市に生まれる。秋田県立湯沢高等学校卒業後(菅義偉の1年後輩)、早稲田大学第一文学部入学。在学中に結婚し、中退。1977年、夫と共に株式会社「協同企画」を立ち上げ。1979年、湯沢ロイヤルホテルを設立。1993年、フランスへ半年間短期留学。 1999年、秋田県議会議員選挙に無所属で出馬(湯沢市選挙区)、落選。2003年、秋田県議会議員選挙に再度出馬、初当選(湯沢市選挙区)。議会会派「いぶき」に参加。議会では農林水産委員会の副委員長を務めた。
菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日… 菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣(第99代)、内閣官房長官(第81代・第82代・第83代)、拉致問題担当大臣(第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、沖縄基地負担軽減担当大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、国家安全保障強化担当大臣(第2次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)(第1次安倍内閣)、総務大臣(第7代 )、郵政民営化担当大臣(第1次安倍内閣)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、経済産業大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、国土交通大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院議員(10期)、横浜市議会議員(2期)、自由民主党総裁(第26代)、自由民主党副総裁(第18代)、自由民主党幹事長代行(第2代)を歴任した。
齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月… 齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月16日 - )は、日本の政治家。秋田県前湯沢市長(2期)。元湯沢市議会議員(2期)、元稲川町議会議員(3期)。 秋田県稲川町(現・湯沢市)生まれ。秋田県立湯沢高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、中央大学商学部商業貿易学科卒業。同年4月、財団法人東京都ユースホステル協会に就職。 1978年(昭和53年)4月、株式会社稲庭うどん販売を設立。1989年(平成元年)4月、同社の専務取締役に就任。 1996年(平成8年)4月、稲川町議会議員選挙に初当選。 2005年(平成17年)3月22日 - 旧湯沢市・雄勝町・稲川町・皆瀬村が合併し、新市制の湯沢市が誕生。
東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は… 東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は、日本の作詞家・小説家。本名:東海林良司。 秋田県湯沢市三梨町出身。県立湯沢高校、中央大学法学部卒業。代議士秘書を経て、ソ連、北欧、フランス、東欧を放浪。帰国後放送作家を経て作詞家となる。4千曲以上もの作詞を手がける。DJ、気象キャスターの東海林舞は娘。皆瀬・国際芸術村、浅草国際大学(東海林良 作詞塾)代表。浅草ビューホテル内で、調剤薬局・浅草みやげの店ヴァラエティドラッグ東海林を経営する。
菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1… 菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1994年3月22日)は、日本の俳優。本名は同じ。愛称はスガカン。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校卒業、中央大学中退。劇団俳優座出身。田村企画を経て、東映俳優センターに所属していた。 高校卒業後、中央大学に進むが中退。 1957年(昭和32年)に俳優座養成所に第9期生として入所。 1960年(昭和35年)に座員となり、「セチュアンの善人」で初舞台を踏む。 1971年(昭和46年)に菅孝行作の「はんらん狂騒曲」上演を禁じた俳優座幹部と対立、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に、俳優座劇場で同作の造反公演劇団を行い、退団した。 劇団在籍中から、映画やテレビドラマにも出演。
佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は… 佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学、中でも経済成長理論。ニューヨーク大学C.V.スター冠講座名誉教授。 秋田県湯沢市高松出身。Ph.D(ジョンズ・ホプキンス大学)、経済学博士(一橋大学)。ブラウン大学教授を経て、ニューヨーク大学レナード・スターン経営大学院C.V.スター冠講座教授、同大学日米経営経済研究所所長、ハーバード大学ケネディスクール兼任教授、東京大学大学院経済学研究科客員教授を歴任。 独ボン大学、英ケンブリッジ大学、京都大学、一橋大学客員教授を務めた。 元全米経済研究所(NBER)研究理事。米グーゲンハイム財団賞、日経図書文化賞、読売論壇賞受賞。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。