スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高木 敦史(たかぎ あつし、1979年3月3日 -)は、日本… 高木 敦史(たかぎ あつし、1979年3月3日 -)は、日本の小説家・ライトノベル作家。 福島県出身。福島県立安積高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。2009年、『なしのつぶて』(『“菜々子さん”の戯曲』と刊行時に改題)で第13回角川学園小説大賞優秀賞を受賞。 2010年7月、『“菜々子さん”の戯曲』で角川スニーカー文庫から発売、作家デビュー。 デビュー作である『“菜々子さん”の戯曲』は、「このライトノベルがすごい! 2012年」において、53位にランクインするなど、一定の評価を得る。 イラスト:笹森トモエ イラスト:穂里みきね イラスト:鈴木マナツ
古川 日出男(ふるかわ ひでお、1966年7月11日 -)は… 古川 日出男(ふるかわ ひでお、1966年7月11日 -)は、日本の小説家、詩人、劇作家。 福島県立安積高等学校卒業。 早稲田大学第一文学部中退後、編集プロダクションに勤務。 高校で演劇部に所属して以降演劇に関わり、1991年より舞台演出家として活動、戯曲も30本以上書いたという。 1994年、『砂の王(ウィザードリィ外伝)』(現在未完)で小説家としてデビュー。 2002年、『アラビアの夜の種族』で第55回日本推理作家協会賞・第23回日本SF大賞を受賞。 2005年、『ベルカ、吠えないのか?』で第133回直木三十五賞候補。 2006年、『LOVE』で第19回三島由紀夫賞受賞。 2006年に入って「朗読ギグ」と呼ばれる自作の音読イベントを積極的に行っており、ZAZEN BOYS向井秀徳や吉増剛造と競演するなど、活動の幅を広げている。
玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - … 玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - )は、日本の小説家、臨済宗の僧侶。福島県在住。東日本大震災復興構想会議委員。 福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の長男として生まれる。カトリック系の三春幼稚園、地元の小中学校を経て福島県立安積高等学校卒業。この間モルモン教、統一教会、天理教などに触れる。小学校3年の頃、いずれ来たるべき「死」を想って毎晩のように泣いた。また中学3年で罹った日本脳炎のため、3日間の昏睡状態を経験。意識不明中の妄想の記憶と、あとで聞かされた行動などから、あらためて「死」について考えた。高校時代は毎年家出。高三のとき出逢った哲学者星清から後の出家への動機付けを得た。
あがさクリスマス(1955年 - )は、日本の著作家。福島県… あがさクリスマス(1955年 - )は、日本の著作家。福島県立の高校学校の元国語教諭。読書大国を提言。 本名、増子 勝、福島県郡山市出身。福島県立安積高等学校卒業。早稲田大学大学院教育学研究科修了。2007年、『図書館のすぐれちゃん』を刊行。福島県立郡山東高等学校で図書館長をしていた時、その図書館に集う生徒たちとの心の交流を本にしたもの。キャッチフレーズに「読書大国」「読書の神様」「本は無限大」をかかげ、高校生の読書離れを危惧し、活動の幅を広げた。 古文漢文では、日本初の古典文学読解法の実践本『現代文de古文』(真珠書院)『現代文de漢文』(愛の四つ葉社)『3分de源氏物語』『現代文de平家物語』などを刊行。
菅生 浩(すごう ひろし、1938年6月1日- )は、日本の… 菅生 浩(すごう ひろし、1938年6月1日- )は、日本の児童文学作家。 福島県郡山市出身。福島県立安積高等学校卒業。その後、上京して砂田弘と出会い、創作活動に専念。 1975年『巣立つ日まで』で日本児童文学者協会新人賞受賞、翌年NHK少年ドラマの原作となる。1983年『子守学校の女先生』を含む三部作で山本有三記念路傍の石文学賞受賞。 八王子市、大宮市に住んだ後、現在は郷里の郡山市在住。
東野辺 薫(とうのべ かおる、1902年〈明治35年〉3月9… 東野辺 薫(とうのべ かおる、1902年〈明治35年〉3月9日 - 1962年〈昭和37年〉6月25日)は、日本の小説家・劇作家。本名、野辺 慎一。福島県在住者として、初めて芥川賞を受賞した。 福島県二本松出身。旧制安積中学校を経て、1923年早稲田大学高等師範部国漢文科卒業、長野県立大町中学校教諭となる。1925年福島県立安達中学校教諭、1930年、戯曲集『黎明を待つ人々』を自費出版、1940年福島県立会津中学校教諭、1941年、懸賞小説当選作「国土」が『サンデー毎日』に掲載される。1943年福島県立保原中学校教諭。1943年、「和紙」で芥川賞を受賞。 1948年福島県立福島女子高等学校教諭、1949年福島県立福島商業高等学校夜間部教諭を経て、1952年に教員を退職。
中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1… 中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1969年8月19日)は、日本の小説家。本名は中山 議秀(なかやま よしひで)。横光利一に兄事し、無名時代の長い苦節を経て『厚物咲』『碑』で文壇に登場。以後作家として幅広く活躍した。後年は、戦国武将物や剣豪物を多く書いた。日本芸術院会員。 福島県西白河郡大屋村(後の大信村、現在の白河市)生まれ。 1918年に旧制福島県立安積中学校(現在の福島県立安積高等学校)を卒業、1923年に早稲田大学文学部英文科卒業。 早稲田大学在学中に、横光利一、富ノ澤麟太郎、小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。
久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23… 久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の造語者として有名。 芥川龍之介らと第三、四次「新思潮」同人となる。理知的な作風から、のち感傷的作風の通俗小説に転じた。作品に戯曲『牛乳屋の兄弟』(1914年)、小説『受験生の手記』(1918年)、『破船』(1922年)など。 永井龍男は義弟(永井の妻が久米の妻の妹)。 長野県上田市生まれ。父・由太郎は江戸出身で町立上田尋常高等小学校(現在の上田市立清明小学校)の校長として上田に赴任し、正雄が生まれた。父は1898年(明治31年)に小学校で起きた火災によって明治天皇の御真影を焼いてしまった責任を負って割腹自殺した。
大谷 五花村(おおや ごかそん、明治24年(1891年)7月… 大谷 五花村(おおや ごかそん、明治24年(1891年)7月27日 - 昭和33年(1958年)4月26日)は、政治家、作家。本名・五平(ごへい)。 1891年(明治24年)、福島県五箇村(現白河市借宿)に生まれる。幼名を五一郎といった。 五箇尋常高等小学校(現五箇小学校)、福島県立安積中学校(現福島県立安積高等学校)に学び、久米正雄とクラスメートになり、深い親交を結んだ。この頃より短詩型文芸に興味を持ち、川柳や里謡等を作り始め新聞や雑誌に投稿するようになった。 1912年(明治45年)4月、明治大学に進学。在学中に川柳復興運動の先頭に立って活躍した井上剣花坊について川柳を学ぶ。「大正川柳」発行の際には会員になり、後に同人となり活躍した。
鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - … 鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - 1950年5月19日)は、日本の小説家、劇作家、翻訳家。雅号は秋風。 福島県郡山市大町生まれ。旧制安積中学校を中退、旧制海城学校に転校し卒業。早稲田大学文学部英文学科卒業。卒業後は、国民新聞、朝日新聞社の記者として活躍し、大正7年に短篇小説『幻想』を発表して作家としての地位を確立する。『文章倶楽部』にて、菊池寛や野村愛正と並んで三大新進作家に数えられた。新劇運動にも参加し、日本近代演劇界に多大な貢献をした。 大正10年欧米各国を歴訪、帰国後、松竹顧問、コロムビア文芸部顧問となる。フェレンツ・モルナールの紹介に貢献した。