スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中川 コージ(なかがわ こーじ、1980年2月29日〈戸籍上… 中川 コージ(なかがわ こーじ、1980年2月29日〈戸籍上は3月1日〉 - )は、日本の戦略科学者、中国研究者、実業家。「月間中国ニュース」編集長。北京大学光華管理学院経営博士。埼玉県行田市出身。本名は中川 幸司(こうじ)。 行田市長を務めた中川直木は祖父、行田市議員の中川邦明は父。 埼玉県立熊谷高等学校を経て2002年、慶應義塾大学商学部卒業。2006年、北京外国語大学漢語進修班卒業。北京大学光華管理学院より2008年に経営学修士号、2012年に経営学博士号取得(日本人初)。 2015年から2017年までデジタルハリウッド大学特任教授。2014年から中国人民大学国際事務研究所客員研究員。2023年からIIMインド経営大学院(Lucknow・Delhi-Noida校)リサーチフェロー。
奥澤 宏幸(おくざわ ひろゆき、1962年10月31日 - … 奥澤 宏幸(おくざわ ひろゆき、1962年10月31日 - )は、日本の実業家。第一三共代表取締役社長CEO。 埼玉県羽生市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1986年一橋大学社会学部卒業。津田眞澂ゼミ出身。大学3年次にはワンダーフォーゲル部主将を務めた。 1986年三共(のちの第一三共)入社。2018年執行役員。2021年取締役常務執行役員CFO。2022年取締役専務執行役員CFO。2023年代表取締役社長COO。2025年代表取締役社長CEO。趣味は登山と読書で、毎年三峰山の三峰神社に初詣する。
江原信(えはら まこと、1958年12月24日−)は、日本の… 江原信(えはら まこと、1958年12月24日−)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長CEO。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1981年慶應義塾大学経済学部卒業。 1981年伊藤忠商事入社。2001年ジョンソンエンドジョンソン入社。2006年ジョンソンエンドジョンソンバイスプレジデント業務推進本部長。2011年カルビー入社。同年4月、ジャパンフリトレー代表取締役社長。2014年カルビー上級常務執行役員兼ジャパンフリトレー代表取締役社長。2019年4月カルビー副社長執行役員海外カンパニープレジデント兼社長補佐、同年6月カルビー代表取締役副社長。2022年カルビー代表取締役副社長COO。
渡邉 誠吾(わたなべ せいご、1955年 - )は、日本の実… 渡邉 誠吾(わたなべ せいご、1955年 - )は、日本の実業家。元大宮アルディージャ社長。 1974年、埼玉県立熊谷高等学校卒業。1978年、千葉大学人文学部法経学科卒業。同年、電電公社に入社する。NTT-ME千葉代表取締役社長、NTT東日本-千葉副社長などを歴任。50歳になったとき心に空虚な気持ちがよぎり、地元である埼玉県にまだ何も恩返しできていないのではないかと考えサッカーが好きなことなども熟考して移動希望提出の際に希望欄にNTTスポーツコミュニティという会社名を記入した。希望が叶い、2007年、NTTスポーツコミュニティ(大宮アルディージャ)社長に就任。2010年、特定の人だけで公式入場者数を決定していたがその人達が入場者数の人数水増しを行っていた。
石井 進(いしい すすむ、1953年-)は、日本の実業家。A… 石井 進(いしい すすむ、1953年-)は、日本の実業家。AGSの代表取締役会長。 埼玉県立熊谷高等学校を経て、千葉大学理学部卒業。運動神経は良いほうではなかったが中学校時代は卓球部に所属していた。 1976年 埼玉銀行入社。2003年6月 りそなホールディングス事務・システム部長。2003年10月 同社執行役業務管理部長、埼玉りそな銀行取締役。2005年 りそなビジネスサービス株式会社副社長。2006年 りそなビジネスサービス株式会社社長。2009年 AGS常務執行役員人事部。2012年 AGS取締役兼常務執行役員企画管理本部長。2014年 AGSシステムアドバイザリー株式会社社長。2015年 AGS代表取締役社長兼社長執行役員。
大島 敏(おおしま さとし、1950年9月24日 - 201… 大島 敏(おおしま さとし、1950年9月24日 - 2011年11月8日)は、日本の実業家、歯科医師。アール・ディー・シー、がってん寿司創業者。 1950年に埼玉県寄居町に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校出身。幼少期より飲食業を志していたが、弁護士か医者への道を望む両親の願いにより、東京大学への進学を目指す。しかしながら、大学闘争の煽りを受け東京大学の受験が停止されたために岩手医科大学を受け、医学部と歯学部に合格。歯学部に進学したのち、1980年、29歳で歯科医院を開業した。開業歯科医として評判は高く、その日診察・治療した患者には必ず電話をかけ、その後の経過を尋ねるなどしていた。歯科医として働きながらも飲食業経営をあきらめず、新事業のための資金を作ったのち、飲食業経営を始める。
三木 博計(みき ひろかず、1949年12月20日 - 20… 三木 博計(みき ひろかず、1949年12月20日 - 2022年7月14日)は、日本の実業家。元ジェフユナイテッド千葉社長。 埼玉県立熊谷高等学校を経て、1972年山梨大学工学部土木工学科卒業。同年4月に日本国有鉄道に入社。1987年、東日本旅客鉄道東京圏運行本部小山保線区主席助役。2000年、株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ常務取締役総務部長。2001年同社代表取締役専務、2004年東日本旅客鉄道株式会社東京支社品川駅長、2007年株式会社ジェイアール東日本都市開発 開発事業本部、開発企画部担当部長。 2008年から2011年までジェフユナイテッド千葉代表取締役社長。
藤重 貞慶(ふじしげ さだよし、1947年1月1日)は、埼玉… 藤重 貞慶(ふじしげ さだよし、1947年1月1日)は、埼玉県出身の日本の実業家である。 ライオン相談役。ACジャパン理事長、日本マーケティング協会会長、日本卓球協会会長、Tリーグ理事。テレビ朝日監査役。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。1969年3月ライオン油脂株式会社(現ライオン株式会社)入社。営業を皮切りに、マーケティング、商品企画、国際事業などを担当。2004年3月代表取締役社長。創業家以外で初めてライオンの社長に就任。2012年1月代表取締役会長。2016年3月から相談役。 2017年11月、旭日中綬章を受章。 2019年5月、日本マーケティング協会会長に就任。
清川浩男(きよかわ ひろお、1945年 - )は、日本の実業… 清川浩男(きよかわ ひろお、1945年 - )は、日本の実業家。三菱マテリアル元副社長、宇部三菱セメント元社長。 1945年生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1970年一橋大学法学部卒業。同年三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。三菱マテリアル副社長、同社顧問、ピーエス三菱社外取締役、宇部三菱セメント(現・UBE三菱セメント)社長(2009年~2012年)、日本経団連労働法規委員会労働安全衛生部会会長を歴任。母校(高校)の同窓会では、顧問を務める。趣味は家庭菜園で自宅の近くに畑を借りている。
須田 征男(すだ ゆきお、1943年6月13日 - )は、日… 須田 征男(すだ ゆきお、1943年6月13日 - )は、日本の実業家。2014年から2018年までに北海道旅客鉄道会長を、日本交通協会理事も務めた。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、東京大学工学部を卒業した後に、1968年に日本国有鉄道に入社した。東日本旅客鉄道東京支社長、取締役、常務を経て、2002年6月に東鉄工業社長に就任し、2008年6月に会長に就任した。
浦野 文男 (うらの ふみお、1943年 - ) は、日本の… 浦野 文男 (うらの ふみお、1943年 - ) は、日本の実業家。PENTAX代表取締役元社長。 1943年に埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、東京大学工学部精密工学科卒業。UCLAエンジニアリング・デパートメント大学院留学。1968年旭光学工業株式会社(2002年にペンタックスに社名変更)入社。1989年取締役に就任。2000年に代表取締役社長に就任。M&A、他社とのライアンス、工場の統廃合等を実施し、収益性の向上と財務体質の改善を果たす。2007年HOYA顧問に就任。HOYAとの合併を目指すが、失敗に終わり社長を解任。日本カメラ財団評議員、TERARECON,INC.社外取締役、俯瞰工学研究所理事、オンコリスバイオファーマ社外取締役、SESA代表取締役会長、株式会社ジナリス社外取締役、(株)エクスキャリバー代表取締役、(株)アップドラフトコム社外取締役、AVRJapan(株)社外監査役。
小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 201… 小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 2018年5月23日)は、日本の実業家。日比谷松本楼元代表取締役会長・社長、関東外食産業協議会初代会長、日本フードサービス協会元東京支部長。 本名、小坂 明(こさか あきら)。 日比谷松本楼創業者、小坂梅吉の孫。小坂光雄の息子として日比谷松本楼の家に生まれる。日比谷公園生まれの日比谷公園育ち。銀在の泰明小学校に通う。 埼玉県立熊谷高等学校をへて、1954年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。 家業である日比谷松本楼に入社。日比谷松本楼代表取締役社長(3代目)、会長を歴任した。 経営者として、松本楼の歴史を信用を第一に考え、流行は追わず「とにかく良質なものをサービスで満足してもらう」ことを日々繰り返し、歴史を延長していくことを使命として事業運営を進めた。
根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日… 根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日本の実業家。東邦チタニウム社長、日鉱エンジニアリング社長。 埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制浦和高校を経て、1940年、東京帝国大学工学部卒業。 大学卒業後、日本鉱業に入社。金属事業本部金属加工部長、倉見工場長を経て、1968年、理事金属加工事業本部管理室長、1969年に取締役、1973年、常務、1976年、専務、1979年、日鉱エンジニアリング社長となる。日鉱エンジニアリング退社後、東邦チタニウム社長となる。 チタニウム協会副理事長、日本伸銅協会理事も歴任した。
柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> … 柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> 8月19日 - 2000年 <平成12年> 1月16日) は、日本の実業家。六代目秩父鉄道社長。日本民営鉄道協会副会長。位階は正五位。 秩父市で秩父鉄道4代目社長・柿原亀吉の6人兄弟の長男として生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1937年、東京商科大学卒業。謙一自身はこれで学校は終わりだと思っていたが、陸軍経理学校に入学させられた。 大学卒業後、一年半ばかり家業を手伝っていたが、1934年に補充兵で応召。その後9年間兵役に従事。大尉となる。 戦後、秩父鉄道に入社。1947年に取締役経理部長となり常務取締役を経て、1969年に六代目社長に就任。
井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)は、日本の実業家。赤城乳業の設立者。 「味覚の天才」といわれていた。 埼玉県大里郡深谷町(現在の深谷市)に生まれる。1930年、旧制熊谷中学校を卒業した。 1938年、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。 広瀬屋商店は天然氷を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、1949年には冷菓製造に乗り出し、1960年には合資会社赤城乳業と社名を変更した。1961年には組織変更して株式会社赤城乳業を設立した。 1964年、『赤城しぐれ』を開発した。 1961年から1987年まで社長を務めた。
森 章(もり あきら、1907年12月12日 - 1991年… 森 章(もり あきら、1907年12月12日 - 1991年11月10日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。埼玉県出身。 旧制熊谷中学を経て、1928年に東京高等工業学校電気科を卒業し、同年に沖電気工業に入社。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1963年に専務を経て、1966年11月に社長に就任。1972年11月に会長に就任し、1976年6月に相談役を経て、1979年6月から特別顧問を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1978年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年11月10日肺炎のために死去。83歳没。
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月1… 鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日 - 1979年(昭和54年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位勲一等。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。高岳製作所元取締役。三井銀行(現・三井住友銀行)元常任監査役。東京光学機械(現・トプコン)元監査役。 埼玉県大里郡寄居町の吉田正治の次男として生まれた。早くに父を亡くし、義兄の医師・幾瀬量(娘は幾瀬マサ)の世話になる。幾瀬の先輩の伊藤新作(日本煉瓦製造営業部長)を紹介され懇意になり、望まれて伊藤の末期養子及びその妻伊藤乃ふの養子となる。 旧制熊谷中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部を卒業。大学卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行にて監査役・常任監査役を歴任。
松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月1… 松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月10日 - 1964年〈昭和39年〉3月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で生まれる。旧制熊谷中学を経て、1925年(大正14年)、早稲田大学政治経済科を卒業した。 その後、松崎製糸社長、埼玉繊維工業社長、丸佐生糸取締役、日本輸出生糸保管監査役、日本製糸協会常任幹事、ジャパン・シルク・アソシエーション理事などを務めた。 1933年(昭和8年)5月、1937年(昭和12年)5月、1942年(昭和17年)7月の3回、熊谷市会議員に選出されている。またこの間、1939年(昭和14年)5月15日から1942年(昭和17年)7月20日まで第3代同副議長を、1944年(昭和19年)6月1日から1945年(昭和20年)4月25日まで第5代同議長を務めた。
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7… 松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7日 - 1944年〈昭和19年〉9月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。 埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた。 また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行)取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任。
根岸 耕一(ねぎし こういち、1886年11月 - 1933… 根岸 耕一(ねぎし こういち、1886年11月 - 1933年11月2日)は、日本の実業家、映画製作者である。日本活動写真(現在の日活)で本社支配人、向島撮影所長、常務取締役を歴任した。日活向島撮影所で初めて「監督制度」を敷いた人物である。 1886年(明治19年)11月、埼玉県に生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校を卒業後、東京に出て、旧制・明治大学商科を卒業する。 1919年(大正8年)、ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国の映画産業を視察する。もともと羊毛事業に関わり、3年間をアメリカで過ごした。 帰国後間もない1923年(大正12年)2月、日本活動写真社長の藤田謙一の推挙により、満36歳で取締役支配人に就任する。
石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)… 石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)9月30日 - 1960年(昭和35年)9月1日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員。 埼玉県榛沢郡新戒村(のち大里郡新会村、現:深谷市)で生まれる。埼玉県立熊谷中学校を卒業した。 日本蹄鉄社長、釜渕木材工業取締役、釜渕産業取締役、日米工業会長などを務めた。 政界では、民主党埼玉県副支部長を務め、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙で埼玉県地方区から立候補して当選(任期3年)し、その後、国民民主党に所属して参議院議員を一期務めた。議員退任後、埼玉県モーターボート競走会長を務めた。1957年3月、埼玉県大里郡豊里村(新会村の後継自治体)育英資金として10万円寄付より同年9月28日に紺綬褒章受章する。
高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月… 高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月30日 - 1972年(昭和47年)9月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県榛沢郡、のちの大里郡深谷町(現:深谷市)で、高田惣五郎、ひこ夫妻の二男として生まれる。旧制熊谷中学卒業。 深谷物産専務取締役、深谷商業銀行取締役、深谷製材社長、武蔵土地証券社長、富岡製織取締役、大里郡織物同業組合織物研究会長、深谷商工会副会長、関東商事社長などを務め、商工業の振興に尽力した。 1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
櫻澤千藏(さくらざわ せんぞう、1884年4月23日 - 1… 櫻澤千藏(さくらざわ せんぞう、1884年4月23日 - 1949年7月7日)は、日本の実業家。日東製粉(現・日東富士製粉)元社長。 埼玉県児玉郡東児玉村で生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、中央大学卒業。その後、北海タイムス記者となり活躍する。1908年、埼玉公論を主宰し埼玉公論社長となる。 1912年、松本米穀製粉会社に入社し支配人を経て、取締役となる。満州北支の治安回復とともに事業の大陸進出を進める中心人物となり日東製粉を、三大製粉会社といわれるまで成長させる。1948年、日東製粉社長となる。青柳製作所専務取締役。 郷里の埼玉県新井村に、農民武徳殿や農場を寄付し、熊谷市の小学校跡に児童公園をつくるなど篤行の紳士としても知られる。
清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 195… 清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 1952年)は、日本の実業家、政治家。埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)創業者。 中山道熊谷宿の宿屋「清水屋」(現・大盛商店)で生まれる。第15代当主。1900年、旧制埼玉県第二中学卒業。1907年、熊谷駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や熊谷五家宝の駅売りを初めて行った。1915年、熊谷町選出で、大里郡会議員となる。1933年、熊谷市市政施行後議員に当選し2期務め、初代市会議長に就任する。1936年、熊谷市第一土地区画整理組合が設立されると、同組合長に就任。東京諸新聞販売、埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)を創業する。