スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
赤松 明子(あかまつ あきこ、1902年〈明治35年〉9月2… 赤松 明子(あかまつ あきこ、1902年〈明治35年〉9月27日 - 1991年〈平成3年〉3月21日)は、昭和時代の社会運動家。旧姓は吉野。 東京出身。吉野作造の次女。東京女子高等師範学校附属女学校卒業。1923年3月赤松克麿と結婚。克麿の妹の赤松常子とともに総同盟・社会民衆党系の婦人運動を指導。1927年7月社民党系の小池元子(小池四郎夫人)、松岡勝代(松岡駒吉夫人)、総同盟傘下の日本縫工組合、東京電気従業員組合の女工らと労働婦人連盟を結成し、山一林組争議に参加。同年11月赤松常子らと社民党系の社会婦人同盟を結成。1928年赤松常子、阿部静枝らと社会民衆婦人同盟を結成し、婦人参政権獲得運動や母子扶助法制定運動などを推進。
青山 なを(あおやま なお、1900年〈明治33年〉7月9日… 青山 なを(あおやま なお、1900年〈明治33年〉7月9日 - 1985年〈昭和60年〉8月1日 )は、日本の文学博士で日本女性史の研究者。 1900年三浦助次郎と静の次女として東京府東京市本所区花町(現:東京都墨田区緑四丁目)に生まれる。東京女子高等師範学校付属高等女学校(現:お茶の水女子大学附属高等学校)から、東京女子大学国文科へ進み、1923年に卒業する。在学中に、垣内松三、沼波瓊音の薫陶を受け、学問史への関心を深めていく。 1928年に東北帝国大学法文学部に入学、村岡典嗣を指導者として日本思想史を研究。1931年に学士試験に合格し、その後、大学院に進学して日本女性精神史を研究する。 安井てつの勧めで、東京女子大学講師に就任。
宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月… 宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は、日本の昭和期の小説家・評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。 18歳で『貧しき人々の群』を発表し天才少女と注目された。米留学後結婚したが離婚、その経緯をまとめた『伸子』を発表。その後ソ連を訪れ日本共産党に入党。宮本顕治と結婚。再三検挙されながらも執筆活動を続けた。戦後は『歌声よ、おこれ』を書いて民主主義文学運動の出発を宣言、『播州平野』『風知草』『二つの庭』『道標』などを書いた。日本の左翼文学・民主主義文学、さらには日本の近代女流文学を代表する作家の一人である。
山脇 巌(やまわき いわお、1898年4月29日 - 198… 山脇 巌(やまわき いわお、1898年4月29日 - 1987年3月8日)は、戦前から戦後にかけて活躍した建築家、写真家。日本大学の名誉教授。バウハウスを日本へ紹介し、造形理論を教育に導入。日本のデザイン教育の方向に重要な役割を果たした。 1898年4月29日、藤田家の三男として長崎県対馬で生まれる。 1926年、東京美術学校 図案科第二部(建築科)卒業後、横河工務所に入所。横河工務所に入った頃から写真撮影を始める。また、舞台美術にも関心をもち、新興美術グループ「単位三科」にも同人として参加。 裏千家の茶人・山脇善五郎の娘で当時、東京女高師附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)生の山脇道子(1910-2000)とお見合い結婚し、山脇家の養子となる。
杉田 久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月3… 杉田 久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 - 1946年(昭和21年)1月21日)は、鹿児島県出身の日本の俳人。本名は杉田 久(すぎた ひさ)。高浜虚子に師事。長谷川かな女、竹下しづの女とともに、近代俳句における最初期の女性俳人で、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られた。家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になった。 大蔵省書記官・赤堀廉蔵と妻・さよの三女として鹿児島県鹿児島市で生まれる。父の転勤に伴い、12歳になるまで沖縄県那覇市、台湾嘉義県、ついで台北市と移住して過ごす。1908年(明治41年)、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)を卒業。
澤 モリノ(沢-、さわ もりの、1890年3月19日 - 1… 澤 モリノ(沢-、さわ もりの、1890年3月19日 - 1933年5月14日)は、日本の舞踏家である。「浅草オペラ」の時代(1917年 - 1923年)に活躍、その後、日本統治時代の朝鮮(現在の朝鮮民主主義人民共和国)で客死した。本名は深澤 千代(ふかさわ ちよ)、旧芸名は澤 美千代(-みちよ)。 1890年(明治23年)3月19日、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)出身の音楽家・深澤登代吉を父に、同じく東京音楽学校出身のたけ子を母に、深澤千代として生まれる。生地については公式に「アメリカ合衆国カリフォルニア州ニューヨーク」(一部資料ではサンフランシスコ)と書かれているが、遺族の証言では実際の生地は父の故郷、群馬県前橋市ではないかといわれている。
澤 モリノ(沢-、さわ もりの、1890年3月19日 - 1… 澤 モリノ(沢-、さわ もりの、1890年3月19日 - 1933年5月14日)は、日本の舞踏家である。「浅草オペラ」の時代(1917年 - 1923年)に活躍、その後、日本統治時代の朝鮮(現在の朝鮮民主主義人民共和国)で客死した。本名は深澤 千代(ふかさわ ちよ)、旧芸名は澤 美千代(-みちよ)。
三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 19… 三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 1932年1月18日)は、日本の作家、評論家。 京都市生まれ。京都師範学校校長・加藤正矩の娘で、加藤弘之の姪に当たる。本名・安子、旧姓・加藤。 やす子は長女であるが父正矩の正妻の子ではない。正妻には子がなく、やす子と妹は正妻を「おかあさま」実母を「ばあや」とよんで、妻妾同居の家で育った。9歳で一家は東京へ移り、やす子は府立第二高女に進んだが、病気のため退学。ついでお茶の水高等女学校に入学し、19歳で卒業。1910年(明治43年)三宅雪嶺の甥にあたる理学士三宅恒方と結婚、大正元年にはのちに作家となった長女艶子が誕生した。この頃より雑誌に評論や随筆を書き始め、5年には夏目漱石のもとで創作を学び、漱石没後は小宮豊隆に師事した。
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年… 平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家。本名は平塚 明(ひらつか はる)。 大正から昭和にかけ、婦人参政権など、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られるが、結局、その実現は、第二次大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たなければならなかった。 しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌『青鞜』の創刊を祝い、自らが寄せた文章の表題「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である(大昔は女性は自らいきいきと輝いていたが、今は自分の力で輝けない)」は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった[要ページ番号]。
田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月2… 田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日) は、日本の小説家。別名、佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)生れ。東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。代表作は『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』など。官能的な退廃美の世界を描き、人気を得た。没後、田村俊子賞が創設された。
大塚 楠緒子(おおつか くすおこ/なおこ、1875年(明治8… 大塚 楠緒子(おおつか くすおこ/なおこ、1875年(明治8年)8月9日 - 1910年(明治43年)11月9日)は明治末期に活躍した歌人、作家。夫は美学者の大塚保治(入婿)。本名:大塚久寿雄。別名:久寿雄子・楠緒・楠緒子。才色兼備で夏目漱石が恋した人として知られる。 東京控訴院長・大塚正男の長女として東京市麹町区一番町で生まれる。麹町の富士見小学校出身。東京女子師範附属女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を卒業後、佐々木弘綱・信綱の元で和歌を学んだ。1895年、小屋保治と結婚(保治は大塚姓になった)。夫が留学中、英語を明治女学校で学ぶほか、絵画を橋本雅邦に師事、ピアノや料理なども学んだ。
木村 曙(きむら あけぼの、"明治5年"3月3日("1872… 木村 曙(きむら あけぼの、"明治5年"3月3日("1872年"4月10日) - 明治23年(1890年)10月19日)は兵庫県出身の作家。本名、岡本ゑい(えい子、栄子)。 牛鍋チェーン店"いろは"の経営者木村荘平とその愛人(のち正妻)岡本政の娘として神戸市に生まれる。官立東京高等女学校(東京女子師範学校附属高等女学校/現:お茶の水女子大学附属中学校・附属高等学校)在学中、ヨーロッパで刺繍を学ぶことを望み、フランス語の学習に熱中。卒業後、文部省にフランス留学を命じられた女性から同行するよう誘われ、父荘平に留学の許可を求めたが許されず、母と共に浅草広小路の"いろは"第十支店に住み込んで帳場を担当。
小金井 喜美子(こがねい きみこ、明治3年11月29日(18… 小金井 喜美子(こがねい きみこ、明治3年11月29日(1871年1月19日) - 昭和31年(1956年)1月26日)は、近代日本の歌人・翻訳者。 近代詩の形成に多大な影響を与えた訳詩集『於母影』の共訳者として、紅一点で名を連ねるなど、女性文学者として明治期に若松賤子と並び称された歌人・随筆家である。夫は日本解剖学会初代会長などをつとめた小金井良精(良精は再婚)、長兄は文豪森鷗外、次兄は劇評家の三木竹二(森篤次郎)、孫の一人は作家の星新一。家族・知人などの回想記を多く著し、とりわけ鷗外と竹二に関する記述は、鷗外研究で重要な資料となっている。 1871年1月19日(明治3年11月29日)、石見国(現島根県)津和野で津和野藩医、森静泰(後年、静男と改名)と峰の間に長女として生まれた(本名キミ)。
十文字 こと(じゅうもんじ こと、天保暦 明治3年11月10… 十文字 こと(じゅうもんじ こと、天保暦 明治3年11月10日 / グレゴリオ暦 1870年12月31日 - 1955年5月17日)は、日本の教育者である。十文字学園の設立者である。旧姓は高畑。
一樹 千尋(いつき ちひろ、5月11日 - )は、宝塚歌劇団… 一樹 千尋(いつき ちひろ、5月11日 - )は、宝塚歌劇団専科に所属する男役。元星組組長。 千葉県八千代市、お茶の水女子大学附属高等学校出身。身長165cm。愛称は「HIRO」。 1971年、宝塚音楽学校入学。 1973年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に59期生として入団。入団時の成績は5番。星組公演「花かげろう/ラ・ラ・ファンタシーク」で鯉 のぼる(こい のぼる)として初舞台。 1974年、星組に配属。 1984年2月1日付で現在の芸名へと変更。 1990年7月1日付で星組副組長に就任。 1993年5月1日付で星組組長に就任。 1996年12月17日付で専科へ異動となる。 実在の人物から人ならぬ物まで説得力を持って演じられる存在として、専科異動後は各組に特別出演を続けている。
川村 京子(かわむら きょうこ)は日本の箏曲家である。東京芸… 川村 京子(かわむら きょうこ)は日本の箏曲家である。東京芸術大学で中能島欣一に指導される。夫は建築家の川村純一。 お茶の水女子大学附属小学校在学中の10歳の時にテレビで見た中能島欣一の演奏に感動し筝を始めた。お茶の水女子大学附属中学校、お茶の水女子大学附属高等学校を経て、東京芸術大学に進学、中能島欣一に師事した。大学卒業時には、皇居桃華楽堂で御前演奏を行った。また、三味線を都一中家元に、笛を寶山左衛門、福原徹に師事している。 ニューヨークにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムがオープンした際、イサム・ノグチに招かれ演奏を行っている。 2002年2月、アムステルダム・コンセルトヘボウにて、細川俊夫作曲の「味真野に」を、チェリストのヨーヨー・マと共演し、世界初演した。