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石井 登志郎(いしい としろう、1971年〈昭和46年〉5月… 石井 登志郎(いしい としろう、1971年〈昭和46年〉5月29日 - )は、日本の政治家。兵庫県西宮市長(3期)。元衆議院議員(1期)。 自治大臣や国家公安委員会委員長、国土庁長官、民主党副代表、衆議院議員、参議院議員等を歴任した石井一は伯父で、後に養子縁組した。また、元参議院議員の石井一二も伯父。兵庫県議会議員の石井健一郎は兄。 兵庫県芦屋市生まれ。ゆかり文化幼稚園、世田谷区立船橋小学校、早稲田中学校・高等学校卒業。1990年、慶應義塾大学総合政策学部に入学する際に石井一の養子となる。1994年3月、同大学卒業。同年4月、神戸製鋼所に就職。アメリカ合衆国ペンシルベニア大学フェルス政府研究所に留学。
富岡 芳忠(とみおか よしただ、1966年10月24日 - … 富岡 芳忠(とみおか よしただ、1966年10月24日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。兄は元参議院議員の富岡由紀夫。 埼玉県生まれ。早稲田中学校・高等学校を経て早稲田大学政治経済学部政治学科に進学。1989年早稲田大学を卒業し富士銀行に入行した。 第44回衆議院議員総選挙に栃木5区から出馬するも茂木敏充に大差で敗れ落選。第45回衆議院議員総選挙では自民党に対する逆風により茂木に8,791票差で惜敗し、比例北関東ブロックで復活当選した。 2012年11月15日、衆議院解散前日に離党届を提出し、11月21日に党を除籍(除名)された。富岡はみんなの党に移籍し、公認候補となったが、12月の第46回衆議院議員総選挙ではまたしても茂木に大差で敗れ比例復活も出来ずに落選。
富岡 由紀夫(とみおか ゆきお、1964年4月3日 - )は… 富岡 由紀夫(とみおか ゆきお、1964年4月3日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元衆議院議員の富岡芳忠は弟。 埼玉県川口市出身。川口市立朝日東小学校、早稲田中学校・高等学校卒業。1987年(昭和62年)3月、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。同年4月、富士銀行に入行。2003年(平成15年)9月、みずほフィナンシャルグループ退職。 2003年(平成15年)11月9日執行の第43回衆議院議員総選挙に、民主党公認で群馬4区から出馬するも、落選。 2004年(平成16年)7月11日執行の第20回参議院議員通常選挙に、民主党公認で群馬県選挙区から出馬し、同選挙区トップで初当選。2009年(平成21年)10月7日、民主党副幹事長に就任。
石井 啓一(いしい けいいち、1958年〈昭和33年〉3月2… 石井 啓一(いしい けいいち、1958年〈昭和33年〉3月20日 - )は、日本の政治家、建設技官。中道改革連合所属の衆議院議員(11期)。衆議院副議長(第70代)。 財務副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、公明党政務調査会長、国土交通大臣(第20・21代)、公明党幹事長代行、公明党幹事長、公明党代表(第4代)などを歴任した。 東京都豊島区生まれ。紳士服の仕立て屋を営む家庭で3人兄妹の長男として育つ。早稲田中学校・高等学校を経て、物理が好きだったことから東京大学工学部土木工学科へ進学した。 1981年、建設省に入省。道路局国道第二課橋梁係長、道路局路政課課長補佐を歴任した。公明党衆議院議員長田武士に政界への転身を請われ、1992年に退官する。
大山 忍(おおやま しのぶ、1957年(昭和32年)6月5日… 大山 忍(おおやま しのぶ、1957年(昭和32年)6月5日 - )は、日本の政治家。埼玉県八潮市長(4期)。元埼玉県議会議員(4期)。 埼玉県南埼玉郡八潮村(現・八潮市)生まれ。八潮町立第三小学校(現・八潮市立八幡小学校)に入学し、草加市立高砂小学校、早稲田中学校・高等学校を経て、成蹊大学工学部卒業。 大学時代はサッカー部に所属し、卒論は「宇宙ロケットとNASAについて」。 大学卒業後、機械メーカーのアマダでの勤務を経て、1986年から埼玉県選出の国会議員秘書を12年経験。 1997年に八潮に戻り、家業の農業を継ぐ。 2000年、埼玉県議会議員選挙に初当選(4期連続当選)。総務県民生活委員会委員、公社事業対策特別員会委員、八潮市体育協会会長を務める。
安井 潤一郎(やすい じゅんいちろう、1950年2月19日 … 安井 潤一郎(やすい じゅんいちろう、1950年2月19日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(1期)。 食料品スーパー稲毛屋元店主.NPO法人「東京いのちのポータルサイト」理事(前理事長)、「早稲田いのちのまちづくり実行委員会」実行委員長、日本ブラジリアン柔術連盟顧問(初代)を歴任。 東京都新宿区で精肉店の長男として生まれる。早稲田高校を卒業後、早稲田大学社会科学部に進学し、4年次まで在籍したものの中退。1972年に家業の(株)稲毛屋に入社。1981年の父親の死去により社長に就任[要出典]。小泉チルドレンの一人にあげられる。 2005年、第44回衆議院議員総選挙の東京比例ブロック自由民主党名簿に登載され、自民党が小選挙区で圧勝したため、衆議院議員に当選。
渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、194… 渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、1942年(昭和17年)1月28日 - 2007年(平成19年)9月16日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員。 同じ派閥で名の読みが同じ渡部恒三が会津のケネディと呼ばれたのに対し、越山会のスポークスマンと呼ばれた。 渡邊良夫の三男として生まれる。新潟県北蒲原郡黒川村(現・胎内市)に本籍があり、現在の新発田市紫雲寺地区で幼少期を過ごした。早稲田高等学校を中退後、新潟県内の会社に勤務していたが兄の渡辺肇の引退を受け、1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙に旧・新潟2区から自由民主党公認で出馬し初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・三塚博・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月2… 山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月26日 - 1999年〈平成11年〉7月14日)は、日本の政治家、弁護士。 政治改革担当大臣(細川内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院議員(8期)、民主党選挙対策委員長(初代)、日本社会党委員長(第12代)、日本社会党書記長(第12代)などを歴任。 父は日本社会党副委員長、衆議院議員、参議院議員などを務めた山花秀雄。長男は衆議院議員を務めた山花郁夫。 東京都出身。早稲田中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。22歳で司法試験に合格し、司法修習第13期を修了。司法修習の同期には堀田力、横山昭二、一井淳治らがいる。1961年に弁護士登録し、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わっていた。
星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30… 星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30日 ‐ 1992年(平成4年)5月31日) は、昭和期のジャーナリスト、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市小石川区(現文京区小石川)で、牧師星野光多の三男として生まれた。早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)を経て、静岡高等学校文科(現静岡大学)に進んだ。左翼運動に加わり、1931年(昭和6年)日本共産党に入党。1933年(昭和8年)検挙されて入獄し静岡高校を中退、1940年(昭和15年)恩赦で出獄した。同年、上海に渡り上海自然科学研究所員に就任。1941年(昭和16年)容海語学校を設立。さらに容海小学校、容海忠学校を設立し、在留日本人の指導的存在となった。
瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月1… 瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1968年〈昭和43年〉)は、日本の政治家、東京府多額納税者、鍋屋、金融業、地主・家主。東京市会議員(板橋区選出、革正会会員)、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大山出身。質商・瀬田文次郎の長男。 早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業。貸地貸家業、金融業を営んだ。 1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職。 1932年11月、板橋区会議員に当選。1933年3月、東京市会議員に当選。1938年4月、東京市参事会員に当選。
横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11… 横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11月9日 - 1964年(昭和39年)9月11日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(8期)。埼玉県多額納税者。武蔵野銀行相談役。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 埼玉県比企郡大河村腰越(現・小川町)出身。横川宗作の長男。旧制早稲田中学を経て[要出典]1917年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業。ドイツに留学し、ベルリン大学で社会学を専攻した。1924年、家督を相続した。 農業、製材業を営み埼玉県多額納税者となった。大河村信用組合長、小川無尽、横川製材各社長、武州本場絹織物工業、比企繭販売利用各組合長などをつとめた。 1927年3月28日、第15回衆議院議員総選挙の埼玉県第3区補欠選挙で衆議院議員に当選。
佐伯 卯四郎(さえき うしろう、1891年〈明治24年〉2月… 佐伯 卯四郎(さえき うしろう、1891年〈明治24年〉2月1日 - 1972年〈昭和47年〉1月12日)は、日本の実業家・政治家。日本陶器社長や、中部経済連合会会長、参議院議員等を務めた。 東京市牛込区矢来町3番地(現東京都新宿区矢来町)で、佐伯成允、満佐の4男として生まれた。東京市立愛日尋常高等小学校(現新宿区立愛日小学校)を経て、1908年3月、私立早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)を卒業した。 1912年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1914年森村組入社。1934年日本陶器取締役。1939年日本陶器常務取締役。1942年日本陶器専務取締役。1946年日本陶器取締役社長。1947年第1回参議院議員通常選挙愛知県選挙区当選(補欠、任期3年)。
遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3… 遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3月18日 - 1963年〈昭和38年〉9月18日)は、日本の政治家、官僚、実業家、弁護士。衆議院議員。貴族院議員。参議院議員。武蔵野銀行初代頭取。 埼玉県葛飾郡千塚村(北葛飾郡行幸村、幸手町を経て現幸手市)生まれ。遠藤幸五郎の二男。第二高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業後、文官高等試験に合格し、内務省に入る。朝鮮総督府に入り試補、同書記官、同秘書官を務めた。1920年、東京府産業部長、次いで千葉県内務部長、青森・三重県知事を歴任した。 1928年、埼玉3区から立憲政友会に属して衆議院議員となった。弁護士を開業し、武蔵野鉄道会社社長に就任。
河原田 稼吉(かわらだ かきち、1886年〈明治19年〉1月… 河原田 稼吉(かわらだ かきち、1886年〈明治19年〉1月13日 - 1955年〈昭和30年〉1月22日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣(第48代)、文部大臣(第50代)、大阪府知事(官選第29代)。貴族院議員、衆議院議員。 旧美作鶴田藩士の奥村就有の子として東京に生まれ、後の福島県南会津郡伊南村(現南会津町)、旧会津藩出身の農学者河原田盛美の養子となる。養父は日本における水産学の先駆者であるが、一時期近衛家の家人となっていたため、稼吉の生涯にも近衛文麿の存在が深く関わってくることになる。 旧制第一高等学校を経て1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学卒業後、内務省に入省。地方事務官、内務書記、熊本県及び長崎県警察部長を経て、内務大臣秘書官床次竹二郎に見出されて社会局労働局長、台湾総督府総務長官、兼台湾総督府交通局総長取扱を歴任後、犬養内閣のとき中橋徳五郎、鈴木喜三郎両内相の内務次官となる。
有田 八郎(ありた はちろう、旧字体: 有田 八郞、 188… 有田 八郎(ありた はちろう、旧字体: 有田 八郞、 1884年〈明治17年〉9月21日 - 1965年〈昭和40年〉3月4日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員(勅選)、衆議院議員(1期)。号は澤農。旧姓山本。新潟県平民。 新潟県佐渡郡真野村(現佐渡市真野)出身。山本家に生まれ、有田家の養子となった。早稲田中学校、第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学独法科卒業、外務省入省。 外務省ではアジア局長、オーストリア公使、外務次官、ベルギー大使、中華民国大使などを務める。1936年(昭和11年)、廣田内閣の外務大臣として初入閣。1938年(昭和13年)2月10日に貴族院議員に勅撰。
堀切 善次郎(ほりきり ぜんじろう、1884年〈明治17年〉… 堀切 善次郎(ほりきり ぜんじろう、1884年〈明治17年〉9月2日 - 1979年〈昭和54年〉11月1日)は、日本の内務官僚、政治家。 堀切良平の次男として福島県信夫郡上飯坂村(現:福島県福島市)に生まれる。旧制早稲田中学、第一高等学校を経て東京帝国大学法学科を首席で卒業後、内務省に入省し、内務監察官、兼内務省参事官・警保局保安課長兼図書課長などを歴任した。1925年(大正14年)に神奈川県知事、翌年9月には復興局長官となる。 1929年(昭和4年)4月に東京市長、翌年12月には拓務次官を務め、1932年(昭和7年)5月に成立した斎藤内閣において法制局長官に就任、翌年3月には内閣書記官長に転じて、同年12月5日に貴族院勅選議員に勅任された。
清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2… 清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2月8日 - 1963年(昭和38年)11月28日)は、日本の鉄道・内務官僚、政治家。官選和歌山県知事、衆議院議員。 富山県下新川郡大家庄村(現朝日町)出身。清水源次郎の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同大学院で学ぶ。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、鉄道院書記となる。以後、鉄道院副参事、同参事を歴任。 その後、内務省に転じ山形県西置賜郡長に就任。以後、栃木県理事官、奈良県警察部長、宮崎県警察部長、山形県警察部長、山形県書記官・警察部長、同県書記官・内務部長などを歴任。
堀谷 左治郎(ほりや / ほりたに さじろう、1863年12… 堀谷 左治郎(ほりや / ほりたに さじろう、1863年12月7日(文久3年10月27日) - 1925年(大正14年)8月30日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・岸田。左次郎と表記される場合がある。 松代藩士・岸田鉄治の二男として生まれる。1876年(明治9年)に上京し、1879年(明治12年)同人社を卒業。さらに、商業学校、早稲田中学校で学んだ。1880年(明治13年)ころ横浜の叔父・堀谷真治の養子となる。 養家の質商・米穀仲買業に従事。日本絹綿紡績社長に就任し、1892年(明治25年)東京移民会社を創設して数千人の移民を送り出した。その他、横浜実業銀行重役、横浜実業貯蓄銀行重役、安全石油監査役、横浜商業会議所議員などを務めた。
山花 郁夫 は、日本の政治家。