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赤松 貞雄(あかまつ さだお、1900年(明治33年)5月2… 赤松 貞雄(あかまつ さだお、1900年(明治33年)5月21日 - 1982年(昭和57年)8月16日)は、大正末から昭和期の陸軍軍人。階級は陸軍大佐。 東條英機大将の、陸相秘書官・首相秘書官として知られる。小松崎力雄陸軍少将は兄。 陸軍大佐・小松崎清職の三男として秋田県に生まれ、後に赤松久吾の養子となる。京華中学校で学び、仙台陸軍地方幼年学校(33期)を卒業。1922年(大正11年)7月、陸軍士官学校(34期)を卒業。同年10月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第1連隊附となる。 1925年(大正14年)10月、歩兵中尉に昇進。1931年(昭和6年)12月、陸軍大学校(46期)に入学。1932年(昭和7年)4月、歩兵大尉に進み、1934年(昭和9年)11月、陸大を優等で卒業し歩兵第1連隊中隊長となる。
横井 忠道(よこい ただみち、1893年(明治26年)4月1… 横井 忠道(よこい ただみち、1893年(明治26年)4月19日 - 1961年(昭和36年)11月18日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1893年(明治26年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第25期卒業。1938年(昭和13年)4月にハイラル特務機関長に就任し、1939年(昭和14年)3月9日に陸軍歩兵大佐に進級。11月27日に留守第11師団司令部附となり、1940年(昭和15年)6月に近衛歩兵第3連隊補充隊長に就任した。1942年(昭和17年)4月に歩兵第109連隊長(第13軍・第116師団・歩兵第20旅団)に就任し、日中戦争に出動。安慶に駐屯して同地の守備に就いた。その後留守近衛第2師団司令部附を経て、1943年(昭和18年)6月28日に高知連隊区司令官に就任した。
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942… 那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 本籍栃木県。旧黒羽藩士・官吏、那須均の長男として東京で生まれる。京華中学校、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年5月、陸軍士官学校(25期)を卒業、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1923年11月、陸軍大学校(35期)を卒業。 参謀本部付勤務、台湾軍幕僚付、歩兵第19連隊大隊長、上海派遣軍司令部付、鎮海湾要塞参謀、歩兵第78連隊付、関東軍司令部付(満州国軍顧問・第3軍管区付)、歩兵第59連隊長などを歴任。1940年3月、陸軍少将に進級。 歩兵第3旅団長を経て、第2歩兵団長としてジャワ島攻略作戦に参加。
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年〈明治21年〉1月1… 安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年〈明治21年〉1月12日 - 1950年〈昭和25年〉8月14日)は、日本陸軍の軍人。陸士21期。最終階級は陸軍大佐。帝国陸軍におけるユダヤ問題の専門家として知られる。 旧松本藩士・台湾総督府官吏、安江仙政の長男として現在の秋田県秋田市中通4丁目で生まれた。安江が生まれた家は、平田篤胤の生家であった。 京華中学校、陸軍中央幼年学校予科(のちの東京陸軍幼年学校)、陸軍中央幼年学校を経て、1909年5月、陸軍士官学校(21期、同期には石原莞爾(陸軍中将)、樋口季一郎(陸軍中将)がいる)を卒業し、陸軍歩兵将校となった。 1918年、シベリア出兵に出征し、シベリアでグリゴリー・セミョーノフなど白衛軍の将校と接しているうちに、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義の古典の存在を知り、日本に帰国後同書を翻訳。