スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
新山 真弓(にいやま まゆみ、1953年10月18日 - )… 新山 真弓(にいやま まゆみ、1953年10月18日 - )は、日本の元女優。本名同じ。旧芸名、笛 真弓。 東京都出身。東洋女子高等学校卒業。オフィス82に所属していた。 1970年代初頭よりテレビドラマを中心に出演を始め、1972年に放映された円谷プロ制作の特撮ドラマ『トリプルファイター』(TBS)で、早瀬ユリ(オレンジファイター)役を演じる。当時はグループ71所属の新人俳優だった。プロデューサーを務めた円谷粲は、彼女の性格から役に抜擢したという。 1973年には『ぶらり信兵衛 道場破り』(フジテレビ)に平七(木田三千雄)の妻・おあき役でレギュラー出演。1979年に出演した映画『金田一耕助の冒険』(東宝)では、『トリプルファイター』でスーツアクターを務めた吉中六と現場で再会している。
松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926… 松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926年2月15日 - 2015年2月28日)は、日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。自伝に『小説・捨てていく話』(1992年)、『自伝 じょうちゃん』(2007年)がある。瀬川康男との共著『いないいないばあ』は2020年11月24日付で339刷700万部出版されており、絵本の歴代発行部数1位となっている。 1926年(大正15年)、東京市神田区元岩井町(現・東京都千代田区岩本町)に4人きょうだいの末っ子として生まれる。西巣鴨第五尋常小学校から東洋高等女学校に進み、1943年に卒業。
近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 20… 近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日)は、日本の作家、エッセイスト。旧名:水島富枝。夫は軍事史研究家の土門周平。 東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ、東京市田端で育つ。祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった。 東洋高等女学校卒業。東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる。1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。
三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、… 三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年(大正9年)9月5日 ‐ 2012年(平成24年)2月13日)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身の女優。東洋高等女学校卒業。夫は宮阪将嘉(1997年に死別)。 家業は青果問屋であった。 東洋高等女学校卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社。そこのコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年に松竹演芸部に歌手として所属。 その後、ムーランルージュなどを経て、1954年に劇団民藝へ入団(新藤兼人監督の『どぶ』でスクリーンデビューも果たす)。 1967年に劇団を退団。 1969年から始まった『男はつらいよ』シリーズに車寅次郎のおばちゃん・車つね役として計49作で起用され、これが当たり役となる。
北城 真記子(きたしろ まきこ、1918年3月26日 - 1… 北城 真記子(きたしろ まきこ、1918年3月26日 - 1995年2月24日)は、日本の女優。東京府出身。本名は北城 ます子。 東洋高等女学校中退。1943年(昭和18年)文学座研究所に入り「怒潯」出演。戦後、1947年(昭和22年)神協劇団研究生で入り「タルチュフ」初舞台。1949年(昭和24年)に文学座に戻り「娼婦マヤ」、「道遠からん」。1953年(昭和28年)文学座自主映画「にごりえ」で杉村春子を助演。1957年(昭和32年)東映「純愛物語」「越後つついし親不知」。1960年(昭和35年)文学座の「女の一生」「メアリー・スチュアート」に出演した。 1995年(平成7年)、直腸がんのため死去。
オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - 2… オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - 2003年)は、日本の俳優。松竹少女歌劇の男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子や宝塚少女歌劇の小夜福子、葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した。松竹歌劇の黄金時代を築いた人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。 1912年、秋田県秋田市下米町に添田浩道、貞夫妻の長女(一人娘)として生まれる。本名は添田テフ。後に「順真(よしみ、『よし美』とも)」と改めている。1921年に東京府王子区中野に移り住み、以後同地で育った。
清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 19… 清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 1969年1月21日)は、日本の女優。 1903年(明治36年)5月24日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区)に生まれる。東洋高等女学校(現在の東洋女子高等学校)卒業後、新劇女優として芽生座、築地座、創作座などに参加して舞台に立つ。この間の1928年(昭和3年)、山田隆弥製作の『肉弾決笑記』で映画に初出演する。 1936年(昭和11年)、P.C.L.映画製作所(後に東宝映画)に入社。成瀬巳喜男監督の『君と行く路』、山本薩夫監督の『お嬢さん』『田園交響楽』、島津保次郎監督の『兄の花嫁』などに出演し、個性的で柔軟な演技の脇役として活躍する。戦後は、数本に東宝作品に出演したのち、東宝争議で新東宝に移る。
中原 綾子(なかはら あやこ、1898年2月17日 - 19… 中原 綾子(なかはら あやこ、1898年2月17日 - 1969年8月24日)は、大正時代から昭和時代にかけての女流歌人。 旧柳河藩士であった曽我祐保の次女として、父の任地・長崎に生まれる。父の転任に従って大阪・神戸・朝鮮へと移るが、主として東京に在住する。1915年(大正4年)に東洋高等女学校を卒業後、作歌を始めていたが1918年(大正7年)から与謝野晶子に師事し、新詩社同人としてその歌を『明星』に発表するようになる。同じく『明星』に参加していた高村光太郎と親交があり、統合失調症を病んだ妻・智恵子の自宅療養と介護に忙殺され疲弊した光太郎は、度々中原へ手紙を送っている 。 1929年(昭和4年)6月、吉井勇・秦豊吉らとともに文芸誌『相聞』(後に『スバル』と改称)を公刊、詩や戯曲を発表する。