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土屋 敬之(つちや たかゆき、1952年〈昭和27年〉2月8… 土屋 敬之(つちや たかゆき、1952年〈昭和27年〉2月8日 - )は、日本の元政治家。元東京都議会議員(4期)。元国会議員第二、第一秘書。国会議員政策担当秘書資格 獨協大学法学部卒、法律専攻科修了、東北歯科大学中退。大学時代は民族派学生組織の全国学生自治体連絡協議会で活動。その後東武百貨店勤務、塩川正十郎・白川勝彦の秘書を経て、小沢鋭仁衆議院第一議員秘書(政策担当秘書資格取得)。 1997年に旧民主党公認として板橋区より都議会議員選挙に出馬し初当選。都議会総務委員長、都議会民主党総務会長(3期)、民主党東京都連常任幹事(2期)、民主党東京都連選対副委員長などを歴任した。2009年東京都議会議員選挙で4選したが、同年実施された第45回衆議院議員総選挙で、「マニフェスト」の中に民主党政策集インデックス2009に「議論の到達点」と書かれている外国人参政権などが明記されておらず、「政策は正直に」との寄稿を「WiLL」におこなう。
戸井田 徹(といだ とおる、1951年11月25日 - )は… 戸井田 徹(といだ とおる、1951年11月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選2回)。中華人民共和国・河南省生まれで自身のウェブサイトや著作では戸井田とおる名義を使っており、首相官邸ホームページでもそのように記載されている。 1951年、中国河南省にて戸井田三郎の次男として誕生。父三郎は学徒出陣した旧日本軍衛生兵、母は元従軍看護婦であり、両名とも終戦後も医療や看護・衛生の経験・知識のある者として八路軍に徴用され残留、その後結婚した。1953年に両親とともに帰国。父は衆議院議員清瀬一郎の秘書となり、清瀬の死後、後継者として総選挙に立候補し1972年から衆議院議員となった。
高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月1… 高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月13日 - 2023年(令和5年)10月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。 東京都議会議員(6期)、東京都議会議長(第46代)、東京都議会オリンピック・パラリンピック推進対策特別委員長、2016年東京オリンピック招致委員会理事、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、自由民主党東京都支部連合会幹事長、東京都議会自由民主党幹事長・政務調査会長、足立区議会議員(3期)等を歴任した。 東京都足立区千住生まれ。獨協中学校・高等学校を経て獨協大学経済学部卒業。1976年3月に東京都議会議員の秘書となる。1981年3月からは実家の株式会社高島製餡所に3代目として従事した。
糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉… 糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉6月4日 - )は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、衆議院議員(3期)。 東京生まれ。ゴルフ場経営で財を築いた実業家で新日本観光興業(現:新日本観光株式会社)の創立者である佐々木真太郎(1969年には所得日本一となった)と妾との間に出来た子。佐々木は二人の正妻との間には5人の子を儲け、娘婿に井口三郎(井口良二三男)がいる。幼少時は虚弱児で、4歳の時には疫痢で死線をさまよった。 東京府豊島師範学校附属幼稚園を経て、5歳のとき療養で藤沢市に転居。男の子についていけないことを危惧した母の判断により、私立の女子校である聖園女学院附属小学校(2004年に廃校)に入れられたが、女の子ばかりの学校に適応できず、4か月で私立湘南学園小学校に転校。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日… 中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日 - 2022年(令和4年)9月21日)は、日本の政治家、医師、歯科医師。 参議院議員(2期)、日本歯科医師会会長を務めた。 東京都出身。獨協高等学校卒業、日本歯科大学卒業、同大学院修了し、1964年歯学博士。論文の題は「オリゴジナミー作用に対する感受性菌に就いての研究」。日本大学医学部卒業し、医師になる。 日本歯科大学の理事長や学長、日本歯科医師会会長を経て1995年、第17回参議院議員通常選挙において自由民主党の比例区候補として出馬し初当選。派閥は平成研究会に所属した。 2000年7月、第2次森内閣で総理府政務次官を務める。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。
小池 正晁(こいけ まさあき、1884年(明治17年)2月2… 小池 正晁(こいけ まさあき、1884年(明治17年)2月23日 - 1941年(昭和16年)6月18日)は、日本陸軍の軍人、政治家。貴族院議員・陸軍軍医総監・正三位・勲二等・医学博士・男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。 日本陸軍軍医・小池正直の長男として朝鮮釜山に生れる。1902年(明治35年)第一高等学校を首席で卒業する。1909年(明治42年)12月、京都帝国大学の分科大学である福岡医科大学(現・九州大学医学部)を卒業。 歩兵第3連隊(麻布三連隊)に入営。1910年(明治43年)6月、二等軍医となり、近衛歩兵第2連隊に配属された。1912年(明治45年)1月、東京帝国大学大学院に入学した。
山本 悌二郎(やまもと ていじろう、1870年2月10日〈明… 山本 悌二郎(やまもと ていじろう、1870年2月10日〈明治3年1月10日〉- 1937年〈昭和12年〉12月14日)は、日本の政治家、実業家。農林大臣。外務大臣の有田八郎は弟。号は二峯。 佐渡国(後の新潟県佐渡郡、現・佐渡市)に、漢方医・山本桂の二男として生まれる。1882年(明治15年)に上京し、一時期二松学舎に在籍した後、獨逸学協会学校(現:獨協中学・高等学校)に転校しドイツ語を学ぶ。1886年(明治19年)に同校を卒業後、宮内省給費生としてドイツに留学し、経済学・農芸化学を学ぶ。1894年(明治27年)、帰国後は宮内省御料局嘱託、第二高等学校教授、日本勧業銀行鑑定課長を経て、1900年(明治33年)には台湾製糖(三井製糖の前身企業の一つ)設立に参画し常務取締役支配人となる。
小山 松吉(こやま まつきち、1869年11月1日〈明治2年… 小山 松吉(こやま まつきち、1869年11月1日〈明治2年9月28日〉- 1948年〈昭和23年〉3月27日)は、日本の法学者、司法官僚、政治家。学位は法学博士。検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、法政大学総長を歴任。茨城県出身者では初の国務大臣である。 水戸の米穀商・高瀬儀平次の三男として生まれ、15歳で岡山県士族・小山高光の養子となる。二松学舎の学僕(学費免除の住み込み学生)を経て、獨逸学協会学校(現在の獨協大学)専修科を卒業し、法曹会雑誌編集委員、内田康哉内閣総理大臣臨時代理の奏請により懲戒裁判所検事、大審院検事などを経て1924年(大正13年)に検事総長となり、1932年(昭和7年)に齋藤内閣の司法大臣に就任するまでの8年間これを勤めた。
松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月… 松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。族籍は東京士族。 1866年11月(慶応2年9月)、広島県広島市猿楽町(のち広島市中区大手町)生まれ。有隣の長男。広島尋常中学(広島国泰寺高等学校の前身)で、柴野登一(中村是公)、玉井喜作らと同級。1880年父親の転勤で丸亀に移り、翌1881年上京。獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)、東京大学予備門(第一高等学校)を経て1893年東京帝国大学法科大学独法科卒業、引き続き法科大学研究科で警察法を研究。 日清戦争直前の1893年内務省入省。警視庁四谷警察署長を振り出しに香川県警察部長、警保局警務課長、警視庁第二部長兼任内務書記官、兼任消防署長(のちの消防総監)などを経て1905年、警視庁第一部長となり日比谷焼打事件の鎮圧指揮にあたった。