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吉岡 俊亮(よしおか としすけ、1924年 - )は、日本の… 吉岡 俊亮(よしおか としすけ、1924年 - )は、日本の理学者。東京医科大学名誉教授、学位は理学博士。 大正12年東京大学理学部卒、同学部大学院二年在学、東京大学医学部解剖学教室にて研究、東京医学専門学校教授、東京高等学校教授(旧制)、千葉大学教授、同大学文理学部長を経て東京医科大学名誉教授、東洋公衆衛生学院副学院長。東京大学において理学博士の学位を安く。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11… 日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11日 - 2018年〈平成30年〉6月7日)は、日本の社会学者。戦後の進歩的文化人の一人。英文学者日高八郎の兄。 1917年に中国の青島市に生まれる。東京高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部社会学科に進学し、1941年、卒業論文「個人と社会」をまとめ、卒業。尾高邦雄の教え子。 陸軍に召集されるが肺炎のため4か月で除隊。その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わった。 戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。
瀬尾 裕(せお ゆたか、1916年3月30日 - 1988年… 瀬尾 裕(せお ゆたか、1916年3月30日 - 1988年10月13日)は、イギリス文学者、中央大学名誉教授。 東京府荏原郡大森に生まれる。東京高等学校を経て、1940年東京帝国大学英文科卒、1944年同大学院修了。1942年逓信官吏錬成所専任講師、1949年中央大学経済学部助教授、1951年文学部助教授、1960年教授、1986年定年退職、名誉教授。フォースター『インドへの道』などを訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
八木 冕(やぎ べん、1915年7月16日 - 1988年5… 八木 冕(やぎ べん、1915年7月16日 - 1988年5月23日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 東京高等学校から、1938年東京帝国大学文学部心理学科卒業。大学院を経て、1939年東大副手、横浜専門学校講師、1944年京都帝国大学講師、1952年東大文学部心理学科助教授、1961年「動機づけに関する実験的研究」で文学博士、1964年教授、1976年定年退官、名誉教授、青山学院大学教授、1984年退職、1975年から1981年まで日本動物心理学会会長。動物心理学を専攻した。没後、正四位勲三等旭日中綬章追贈。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年… 南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本の社会心理学者。日本女子大学教授・一橋大学社会学部教授・成城大学教授を歴任。日本社会心理学会第3期・第9期・第10期理事長。 1914年、東京市赤坂区田町(現在の東京都港区赤坂)に生まれる。父は医師の南大曹(福島県出身、1878年生まれ。日本医科大学教授、日本消化器病学会会長、財団法人癌研究会理事長、南胃腸病院院長)。近藤達児は父の兄。石川千代松は母方祖母の弟。大倉喜八郎は叔母の祖父であり、林達夫も叔母の縁続きに当たる。 慶應義塾幼稚舎、東京高等学校 (旧制) 尋常科から理科乙類を経て、父親の希望により医師を志すが、父の激務に恐れをなし1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部を中退。
佐々木 洋興(ささき ひろおき、1911年10月22日 - … 佐々木 洋興(ささき ひろおき、1911年10月22日 - 2008年6月19日 )は、日本の有機化学者。民間財団法人経営者。理学博士。 1911年(明治44年)、佐々木隆興の長男として、東京に生まれた。東京高等学校修了後、東北帝国大学理学部化学科で学び、卒業。 卒業後は同大学副手に採用された。1945年、財団法人佐々木研究所研究員となり、理事を兼ねた。1958年、学位論文『グリシンから出発するアミノ酸の生成およびその関連反応について』を東北大学に提出して理学博士号を取得。1965年、慶應義塾大学教授に就任。1966年、父の佐々木隆興の後を受けて(財)佐々木研究所第2代理事長に就任。以後35年間理事長職にあったが、2001年に(財)佐々木研究所名誉理事長・特別顧問に引いた。
大島 良雄(おおしま よしお、1911年1月29日 - 20… 大島 良雄(おおしま よしお、1911年1月29日 - 2005年1月11日)は、日本の医学者。日本アレルギー学会名誉会員、東京大学名誉教授、埼玉医科大学名誉病院長。 1911年(明治44年)、北海道札幌市に生まれる。父は農学者の大島金太郎であった。1926年(昭和2年)官立東京高等学校理科2類に入学し、1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部医学科に入学した。1934年(昭和9年)、大学付属病院物療内科に入局した。1940年(昭和15年)、論文「酸性泉の人体に及ぼす影響について」により、医学博士の学位を授与される。1944年(昭和19年)に岡山大学教授となり、終戦直前の1945年(昭和20年)陸軍軍医少尉となる。
桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1… 桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1983年2月12日)は、日本の金属学者、科学・社会評論家。 東京工業大学名誉教授。専攻は金属結晶学。 桶谷清吉の長男として東京・浅草に生まれ、花柳界の中心地で育った。 暁星中学校で吉田健一と同級生。東京高校理科乙類で級長。このとき、同学年の理科甲類の級長が糸川英夫だったが、糸川の首席は「余力のあるトップ」で桶谷より遥かに優秀だったという。 東京帝国大学工学部冶金学科卒業後、フランス政府招聘留学生として1935年にブザンソン大学物理研究所に留学し、2年の滞在後、東大工学部副手を経て、1942年に東京工業大学助教授となる。 1949年にパリのフランス国立中央科学研究所研究員として再度留学。
渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 199… 渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 1993年10月15日)は、日本の物理学者(理論物理学)・情報科学者。 1910年、東京府生まれ。学習院中等科、東京高等学校を経て、1933年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業する。在学中に理化学研究所で寺田寅彦の指導を受ける。1933年、フランス政府留学生として渡仏、パリでド・ブロイに師事し、熱力学の第二法則と波動力学の研究を始める。1937年、ライプツィヒに移り、ハイゼンベルクに原子核理論を師事する。同年、後にドイツ文学者でハワイ大学教授となるドロテア・ダウアーと結婚する。 1939年、第二次世界大戦の勃発とともにドイツを離れ、コペンハーゲンのボーアの許にしばらく滞在した後、同年12月に家族とともに帰国する。
伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 - 200… 伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 - 2008年5月8日)は、日本の物理学者(理論物理学)。名古屋大学名誉教授、大阪大学名誉教授。理学博士、日本学術会議第11期会長(1953年就任)、民主主義科学者協会メンバー。公明党参議院議員(1期)。正四位勲二等(没時)。 伏見は1909年に愛知県名古屋市で生まれ、東京で育ち、東京高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科に進んだ。 そして1933年に大学を卒業するとすぐに同大学理学部物理学教室で寺澤寛一教授の助手となり、翌1934年に新設の大阪帝国大学理学部物理教室に移った。大阪では友近晋教授の下に助手として就く予定であったが、友近教授がイギリスに留学したため、菊池正士教授に誘われて原子核実験に携わった。