スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
篠﨑 国忠(しのざき くにただ、2005年6月12日 - )… 篠﨑 国忠(しのざき くにただ、2005年6月12日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 足立区立興本扇学園(小中一貫校)2年時に扇ターキーズで野球を始める。進学した修徳中学校では軟式野球をプレーし、2年時には関東大会優勝を経験している。 修徳高等学校への進学後は2年夏からエースナンバーを背負い、最速148km/hを誇る長身右腕として当時からドラフト候補と評されていた。甲子園出場経験はなく、最後の夏となった3年夏の東東京大会では準々決勝で岩倉にコールド負けを喫し敗退した。 敗退後、プロ志望届を提出したが、2023年のドラフト会議では指名漏れとなった。
三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )… 三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 6歳の時に、岡田彰布のサインボールでキャッチボールしたのをきっかけに葛飾アニマルズで野球を始め、中学時代は江戸川南シニアでプレーする。 修徳高では投手兼遊撃手、エースで4番として活躍。2年夏に都大会ベスト8、3年春では都大会準優勝をしており、この大会では被本塁打が2回戦の明星高校戦の1本だけという結果であり、球威・制球が抜群で非常に飛びにくい球筋であった。この大会をきっかけに少しずつブレイクしていった。3年夏には決勝戦の山下幸輝擁する関東一高戦で好投を見せる。打っては7回に逆転適時打を放つも8回に足がつってしまい降板、その後サヨナラで敗れて甲子園を逃す。
齊藤 勝(さいとう まさる、1988年1月6日 - )は、東… 齊藤 勝(さいとう まさる、1988年1月6日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 修徳高校時代は、2年時に夏の甲子園(第86回選手権大会)に出場。同大会の東東京大会(予選)で左ひざに死球を受けており、万全の状態ではないながらも2試合連続完封勝利を収めるなど、チームをベスト8進出に導いた。3年時の春は第77回選抜大会に出場したが、肩の故障もあり初戦敗退。同年夏も東東京大会準決勝で敗退した。 高校在籍時からプロ球団の複数のスカウトが指名対象として調査に動いたが、高校卒業後はセガサミーに入社、2006年から活動を開始した硬式野球部の創設メンバーとなる。4年間は故障の影響も残り目立った結果を残せずにいたが、5年目の2010年に頭角を現し、調子を崩していたエース・上津原詳に代わって投手陣を引っ張る中心選手となった。
遠藤 竜志(えんどう りゅうじ、1976年4月17日 - )… 遠藤 竜志(えんどう りゅうじ、1976年4月17日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。 修徳高校では2年夏に高橋尚成の控え投手として選手権大会に出場。チームはベスト8に進出したが、自身の登板はなかった。2年秋からはチームのエースとして140km/hの速球を武器に活躍。一方で同年から右肩に痛みを感じ、さらに3年になった1994年の6月には右肘に炎症を起こし、医師から登板を禁止されている。このため夏の都大会では四番・中堅手として出場し、安田学園との4回戦では登板を直訴したが監督に止められ、この試合でチームは敗れた。 卒業後はNTT関東に進み、3年目の1997年にはリリーフとして頭角を現した。
玉木 朋孝(たまき ともたか、1975年6月13日 - )は… 玉木 朋孝(たまき ともたか、1975年6月13日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手、コーチ。2011年から2022年まで広島東洋カープのコーチを務めていた。 修徳高では同期に高橋尚成、1学年後輩に遠藤竜志がいた。1年秋から四番・遊撃手を任される。3年春に腰を痛めてフォームの修正に時間がかかったものの、夏の東東京大会では準決勝で同点2点適時打を放つなど、チームの夏の甲子園出場に貢献。本大会では育英との準々決勝で公式戦9本目となる本塁打を打っている。大型遊撃手と評価されて同年のドラフトで広島東洋カープに3位指名を受け、契約金と年俸、それぞれ5000万円、480万円(いずれも推定)で入団した。
髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は… 髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者、野球評論家、スポーツキャスター、YouTuber。ホリプロ所属。 現役時代は投手として主に読売ジャイアンツで活躍し、5度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで合計3個のタイトル(2個)・主要表彰(1個)を獲得している。またMLBではニューヨーク・メッツ、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、ピッツバーグ・パイレーツ、シカゴ・カブスに所属していた。 横浜DeNAベイスターズ時代の2014年には「尚成」を登録名としていた。 東京都墨田区の下町で育ち、兄の影響で野球を始める。
髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は… 髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者。2014年の登録名は「尚成」。ホリプロ所属。
酒井 忠晴(さかい ただはる、1970年6月21日 - )は… 酒井 忠晴(さかい ただはる、1970年6月21日 - )は、埼玉県三郷市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。 修徳高等学校では本来は遊撃手であったが強肩を買われ、2年生からエースとなる。1987年夏の東東京大会決勝に進むが帝京高の芝草宇宙と投げ合ったが、準優勝。翌1988年夏はエース、1番打者、主将として再度、東東京大会決勝に進むが、日大一高に3-4で惜敗し、準優勝。1988年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから5位指名を受け、入団。 プロ入り後、すぐに内野手登録となった。 1989年はアメリカの教育リーグに留学した。 1991年シーズンから控えとして一軍に定着した。 1992年シーズンには、シーズン中盤に種田仁が欠場したこともあり、遊撃手として37試合に先発出場。
関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪… 関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 修徳高から東海大学に進学。大学時代は1年秋からベストナイン(3回)、2年春に首位打者、MVPを獲得するなど活躍。1年次の明治神宮大会では初戦の東北福祉大学戦で1学年上の荻原満が好投するなかで逆転サヨナラ本塁打を放つ。大学では同期に若林弘泰、1学年下に佐久間浩一がいた。 1988年のプロ野球ドラフト会議にてヤクルトスワローズから5位で指名され入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はプロゴルファーに転身し、現在は東京都で関根毅ゴルフスクールを主催している。
福原 峰夫(ふくはら みねお、1957年9月20日 - )は… 福原 峰夫(ふくはら みねお、1957年9月20日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 現役時代は、NPBパシフィック・リーグの阪急ブレーブス(1989年からオリックス・ブレーブス、1991年からオリックス・ブルーウェーブ)一筋で二塁手として主に守備で活動。好守備を見せた一方で、打撃面でも意外性を持っていた。引退後は、オリックスをはじめ、日本(NPB)・韓国(KBO)各球団でコーチを歴任。 選手時代の愛称は「ミネ」または「ちん」。 修徳高校時代は野球は高校でやめるつもりでいたが、当時の部長の強い勧めで仕方なく法政大学に進学。江川卓の2年後輩であり、江川世代の卒業後は東京六大学リーグ優勝には届かなかった。
森 一晃(もり かずあき、1956年3月19日 - )は、東… 森 一晃(もり かずあき、1956年3月19日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。1977年と1978年の登録名は森 浩一。 修徳高から社会人野球・クラブチームのオール北斗を経て、1976年オフにドラフト外で大洋ホエールズへ入団。 1982年限りで現役を引退した。
辻 正孝(つじ まさたか、1950年1月5日 - )は、東京… 辻 正孝(つじ まさたか、1950年1月5日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 習志野高から移った修徳高では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で鳴門工に敗れる。森二郎(駒沢大から電電東北を経て電電東京)がチームメイトだった。1966年のプロ野球第一次ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名されるが入団せず。 その後、社会人野球のいすゞ自動車に入社。そこで野球をしていたところ、グローバルリーグの東京ドラゴンズに引っ張られ入団。 東京ドラゴンズでは4番を打ち、守備はうまくはないが、長打力が光る主砲であった。その後、グローバルリーグが解散し、1年間のブランクがあったものの、中日ドラゴンズの入団テストを受け合格。
成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - 201… 成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - 2011年4月21日)は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 幼少期は秋田県で過ごす。足立区立第四中学校の同級生にはビートたけしがいた。修徳高校では1年生の時、1962年夏の都大会決勝に進み、春の選抜で準優勝した日大三高のエース・井上治男(早大 - 日本石油)と投げ合うが、倍賞明(日大 - 全鐘紡 - 日産自動車、倍賞千恵子の弟で倍賞美津子の兄)に適時打を喫し完封負け。 3年生の1964年夏も都大会決勝に進出。出澤堯・大矢明彦のいた早実高を破り、第46回全国高等学校野球選手権大会に出場。修徳高を春夏通じて初の甲子園出場に導いた。
吉田 秀雄(よしだ ひでお)は、日本の元アマチュア野球選手(… 吉田 秀雄(よしだ ひでお)は、日本の元アマチュア野球選手(捕手)。 修徳高等学校では、捕手として1968年秋季東京大会準決勝に進むが国士舘高に敗れる。翌1969年夏の甲子園都予選も準々決勝でエース但田裕介を擁する堀越高に敗退。 駒澤大学に進学。東都大学野球リーグでは在学中1972年秋季リーグ、1973年秋季リーグの2回優勝。1973年春季リーグでは首位打者となり、直後の日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。同年の明治神宮野球大会では、同期のエース赤津宏二(日立製作所)とバッテリーを組み、決勝で田尾安志のいた同志社大を降し優勝を飾る。ベストナイン(捕手)2回受賞。赤津以外の大学同期に栗橋茂、木下富雄らがいた。