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佐々木 宗啓(ささき むねひら、1963年1月8日 - )は… 佐々木 宗啓(ささき むねひら、1963年1月8日 - )は、日本の裁判官、法務官僚。法務省大臣官房司法法制部参事官や、仙台地方裁判所所長等を経て、東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所所長。 東京都出身。神奈川県立横須賀高等学校を経て、中央大学法学部卒業、同大学院修士課程修了。大阪地方裁判所判事補、前橋地方裁判所判事補、東京地方裁判所判事補、釧路地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、司法研修所教官、法務省大臣官房司法法制部参事官、東京高等裁判所判事、仙台高等裁判所判事、仙台高等裁判所事務局長、東京地方裁判所部総括判事等を経て、2017年から文部科学省研究開発局原子力損害賠償紛争和解仲介室長を務め、原子力損害賠償紛争解決センターでの福島第一原子力発電所事故和解仲介手続きに従事。
鈴木 昭久(すずき あきひさ、1961年6月 - )は、日本… 鈴木 昭久(すずき あきひさ、1961年6月 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通省中部運輸局長、運輸安全委員会事務局長を経て、日本観光振興協会副理事長。 神奈川県出身。神奈川県立横須賀高等学校を経て、1984年東京大学法学部卒業、運輸省入省、大臣官房観光部計画課配属。1997年運輸省神戸海運監理部運航部長。1999年運輸省大臣官房企画官(海上交通局担当)。2001年国土交通省大臣官房企画官(政策統括官付)。2002年国土交通省大臣官房人事課企画官。 2004年国土交通省鉄道局総務課鉄道企画室長。2005年国土交通省航空局管制保安部保安企画課長。2007年国土交通省総合政策局海洋政策課長兼内閣官房内閣参事官。
永塚 誠一(ながつか せいいち、1958年〈昭和33年〉2月… 永塚 誠一(ながつか せいいち、1958年〈昭和33年〉2月6日 - )は、日本の経済産業官僚・外交官・自動車産業経営者。国際協力機構(JICA)理事、経済産業省製造産業局自動車課長、近畿経済産業局長 、商務情報政策局長を最後に退官し、2014年より日本自動車工業会の副会長・専務理事を10年にわたり歴任。現在は三菱ふそうトラック・バスの代表取締役会長、シャープ取締役及びタクマ取締役。 神奈川県出身。神奈川県立横須賀高等学校を経て、1976年(昭和51年)に東京大学経済学部を卒業し、通商産業省(現経済産業省)に入省。後に米国ブラウン大学経済学大学院にて修士号取得。
鈴木 茂樹(すずき しげき、1956年〈昭和31年〉5月2日… 鈴木 茂樹(すずき しげき、1956年〈昭和31年〉5月2日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 総務審議官(国際担当)、総務審議官(郵政・通信担当)、総務事務次官などを歴任した。情報漏洩の科により2019年12月20日付で停職3ヵ月の懲戒処分を受け、即日辞職。総務省退官後、NTTからの違法接待も発覚した。株式会社横須賀テレコムリサーチパーク代表取締役社長、一般社団法人CRM協議会副会長。 神奈川県横須賀市出身。東京大学農学部農業経済学科卒業。国家公務員採用上級甲種試験(試験区分:経済)に合格し、1981年、郵政省入省。 2001年、総務省大臣官房秘書課調査官。同年、総務省総合通信基盤局国際部国際経済課長。
愛甲 次郎(あいこう じろう、1933年 - )は、日本の通… 愛甲 次郎(あいこう じろう、1933年 - )は、日本の通商産業官僚。通商産業省出身者としては初めて特命全権大使を務め、クウェート国及びバハレーン国を駐箚した。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、1955年東京大学法学部卒業、通商産業省入省。ハーヴァード大学フェロー等を経て、1974年通商産業省貿易局長期輸出保険課長。1976年経済企画庁調整局経済協力第一課長。1978年通商産業省生活産業局総務課長。1980年在アメリカ合衆国日本国大使館公使。 1982年資源エネルギー庁次長。1983年から通商産業省出身者として初めて特命全権大使を務め、クウェイト国、バハレーン国を駐箚した。1986年ソニー取締役。
田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8… 田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8日 - 1995年〈平成7年〉9月18日)は、日本の官僚、政治家。三重県知事を務めた。 神奈川県横須賀市生まれ。旧制神奈川県立横須賀中学(現:神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1942年(昭和17年)京都大学農学部卒業。農林省から三重県秘書課長、企業庁長、三重県副知事を歴任。1971年(昭和46年)9月、副知事を退任した。 退任後は三重テレビの副社長となった。その後、1972年(昭和47年)、次期衆院選に旧三重1区から民社党公認で立候補することを表明した。しかし、知事の田中覚が同じ三重1区から立候補を表明。これを受け、急遽離党して三重県知事選挙に立候補することになった。
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月1… 荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月18日 - 1974年(昭和49年)8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。 横須賀中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。 1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。 1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館附武官補佐官に在任。