スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
村山 哲二'(むらやま てつじ、1964年9月19日 - )… 村山 哲二'(むらやま てつじ、1964年9月19日 - )は、日本の実業家。プロ野球独立リーグのBCリーグ初代代表。運営会社ジャパン・ベースボール・マーケティングの初代代表取締役で現会長。新潟県柏崎市高柳町(旧刈羽郡高柳町)出身。 高柳町立高柳中学校では野球部で県大会ベスト4となり、進学先の新潟県立柏崎高等学校でも野球部に所属し、秋季大会ベスト4、夏季大会3回戦まで進んだ[要出典]。 駒澤大学に進み、準硬式野球部に所属。駒澤大学北海道教養部の準硬式野球部主将を務め、北海道大会に優勝して、全国大会に出場した。1988年に駒澤大学法学部法律学科を卒業した。[要出典] 大学卒業後、外車ディーラーを経て、1998年に[要出典]電通東日本に入社。
矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日… 矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日本の実業家。ジョナサン社長、小僧寿し社長。 新潟県柏崎市出身。1977年 駒澤大学経済学部卒業。同年すかいらーく入社。1992年ジョナス(現ジョナサン)取締役、1994年常務、1996年専務を歴任。2003年3月ジョナサン社長に就任。 2006年3月すかいら-くへ移籍、同社常務執行役員MDカンパニー代表。2008年9月同社常務執行役員人事本部長、同年12月同社取締役人事本部長、ジョナサン取締役会長。2009年10月すかいらーく取締役。2010年3月小僧寿し社長に就任、2012年3月同社取締役会長。
植木 義明(うえき よしあき、1953年2月21日 - )は… 植木 義明(うえき よしあき、1953年2月21日 - )は、日本の実業家。植木組代表取締役社長。 1983年、植木組入社。1987年、取締役就任。海外事業部長、東京支店長、営業本部長などを経て、2001年、専務取締役、2004年から技術本部長、代表取締役副社長執行役員。2006年より代表取締役社長に就任した。2024年4月より社長を退任し、代表権のある会長に就任する。 横浜国立大学工学研究科大学院(建築学専攻)修了。 社長就任後は新潟県中越沖地震や東日本大震災の復旧工事、柏崎駅前の新本社建設・移転などを指揮してきた。近年は建設現場のICT(情報通信技術)対応やDX推進などにも力を入れた。
近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は… 近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社リコー代表取締役社長・最高経営責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校を経て、1973年新潟大学工学部卒業、リコー入社、厚木事業所電送機器事業部配属。1998年画像システム事業本部プリンタ事業部長。1999年画像システム事業本部副事業本部長。2000年執行役員画像システム事業本部長。2002年上席執行役員。2003年常務取締役。2004年MFP事業本部長。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役社長執行役員 CEO。2013年代表取締役会長執行役員。2016年代表取締役会長、東北電力取締役。
小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )… 小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )は、日本の実業家。カルピス株式会社代表取締役会長・社長を歴任した。現在はカルピス株式会社相談役・財団法人三島海雲記念財団名誉理事。
山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉1… 山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉10月7日 - 1982年〈昭和57年〉6月7日)は、日本の農業経済学者、実業家。筆名は柏崎次郎。旧姓・蝋山。蠟山政道の弟、小山長四郎(美峰酒類社長)、蝋山芳郎の兄。 群馬県高崎市歌川町に、蝋山政次郎の次男として生まれる。新潟県柏崎の祖父母のもとで育ち、旧制柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)、旧制第一高等学校を卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。同年山田昌吉(高崎商工会議所第6代会頭)の娘・とくと結婚し、山田に改姓。 東京帝国大学の副手・助手を経て、1925年(大正14年)京都帝国大学助教授となる。1926年(大正15年)から文部省在外研究員として1928年(昭和3年)までイギリス・ドイツ・フランスに滞在した。
渡辺 義介(渡邊、わたなべ ぎすけ、1888年4月12日 -… 渡辺 義介(渡邊、わたなべ ぎすけ、1888年4月12日 - 1956年1月6日)は、日本の経営者。日本製鐵・八幡製鐵(現・日本製鉄)社長。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。日本石油会社支配人・渡辺忠の二男として生まれ、新潟県立柏崎中学校、第四高等学校を経て、1915年東京帝国大学法科大学経済学科卒。同年文官高等試験行政科試験に合格、農商務省に入る。官営八幡製鉄所に勤務を経て、商工省に戻り、鉱山局鉱政課長を歴任する。 1934年に日本製鐵が発足すると八幡製鉄所に戻り、所長となった。その後、1942年には北支那製鉄社長に就任、鉄鋼統制会理事長も務めた。1945年、日本製鐵社長となり、鉄鋼統制会会長に就任した。
2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治… 2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治19年)11月20日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、小林酒造社長、栗山町名誉町民。旧姓は田中、旧名は栄。 1886年(明治19年)11月20日、新潟県刈羽郡(のちの刈羽郡二田村、現・柏崎市)に田中九平太の二男として生まれた。生家は造り酒屋の素封家であり、6人兄弟姉妹の5番目だった。出生名は田中栄であり、当地出身の田中角栄の遠縁にあたる。 1903年(明治36年)に新潟県立柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)を卒業。 17歳の時に北海道夕張郡角田村(現・栗山町)の初代小林米三郎の養子となり、2代米三郎を襲名して酒造業を継承した。