スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷… 武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷市出身のジャーナリスト、評論家。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、明治大学政治経済学部卒業。大学在学中から週刊誌、月刊誌等にルポルタージュを発表。ビジネス、経済、先端技術分野の評論のほか、パソコン関連、インターネット関連の解説書を多数執筆。また雑誌等にエッセイ、コラムなどを多数発表している。 その他パソコン、ネットワーク関連の著書多数
伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は… 伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は、日本の経済評論家、エコノミスト、ジャーナリスト。 株式会社三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。CS-TBS番組審議委員。コメンテイターとしてテレビ番組やラジオ番組に出演することもある。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て1973年早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年 時事通信社入社。外国経済部の報道記者。1976年 ニューヨーク特派員として4年間を過ごすが、国内での記者経験はない。その後中途入社で1986年 住友信託銀行に為替営業室長として入社。資金為替部為替カスタマー調査役、市場金融部調査役、為替営業室長を歴任。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。
林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 20… 林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 2005年9月16日)は、日本のジャーナリスト・大学教員。関西大学社会学部教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。専門分野は、ジャーナリズム論・マスコミュニケーション論・新聞学・メディア論。 長野県岡谷市出身。1958年長野県諏訪清陵高等学校卒業、1962年早稲田大学第一文学部哲学科卒業。日本新聞協会入社。編集部副主管、業務部副主管を経て、1977年より編集部主管。1983年に日本新聞協会研究所研究員、1986年から再び編集部主管として雑誌『新聞研究』・機関紙『新聞協会報』の編集長を務め、1988年より日本新聞協会研究所所長。1991年、同職を退任、退職。
山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナ… 山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナリスト、翻訳家、人間総合科学大学名誉教授。長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学中国語科卒業。共同通信記者となり、ニューヨーク支局員、ブリュッセル支局長など。2000年、人間総合科学大学教授。09年定年、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - … 堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京外国語大学英米科卒業、NHK入局。ニューヨーク特派員、ジュネーヴ支局長、ウイークエンド中部初代キャスター、外信部長、解説主幹を歴任。1994年退職後は小平市教育委員長を務めた。2014年から諏訪郷友会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナ… 岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞記者。日本の平和運動や協同組合運動を中心に取材活動をしている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1958年早稲田大学政治経済学部卒業、同年朝日新聞社に入社。盛岡、浦和、静岡各支局員、東京本社の社会部員、北埼玉支局長、浦和支局次長、首都部次長、社会部次長、編集委員などを歴任。1995年退職。現在、平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員、ブログ「リベラル21」副代表。 朝日新聞の社会部にいた岩垂は仲間と「北朝鮮は地上の楽園」という記事を書いた。この地上の楽園キャンペーンは20年以上続いた。2004年7月8日、「北朝鮮の素顔」という記事で、「情報が少なかった」「十分な取材ができなかった」から想像で天国のように書いたと認めた。
伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャ… 伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学フランス語科卒業。1958年共同通信社入社。外信部、サイゴン支局長、パリ支局長、ハノイ支局長、国際局次長、編集委員次長、論説副委員長などを務めた。
野澤 隆一(のざわ りゅういち、1902年〈明治35年〉5月… 野澤 隆一(のざわ りゅういち、1902年〈明治35年〉5月28日 - 1991年〈平成3年〉3月31日)は、日本のジャーナリスト、実業家。信越放送代表取締役社長、共同テレビジョンニュース社(現・共同テレビジョン)代表取締役社長を務めた。 長野県上伊那郡伊那富村(現・辰野町)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第二高等学校を経て、1927年東京帝国大学経済学部卒業。 毎日新聞社入社。東京大学総長小野塚喜平次に懇望され東京大学学生課に勤務し東京大学新聞社を創設、主幹を務めた。小平権一のもとで大政翼賛会企画部長を務め、日本出版会理事、日本印刷工業会専務理事を経て、1951年信越放送の設立に参画し東京支社長、1955年同社代表取締役社長。
矢島 八洲夫(やじま やすお、1900年3月28日 - 19… 矢島 八洲夫(やじま やすお、1900年3月28日 - 1983年9月2日)は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。朝日新聞社常務取締役、こどもの国初代園長を務めた。 長野県上伊那郡伊那富村(現・辰野町)出身。旧制長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第八高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部卒業。1924年朝日新聞社入社。総務局長、取締役を経て、常務取締役。 1963年の村山事件の際、横田武夫(取締役)、中川英造(取締役)、安井桂三郎(名古屋本社業務局長)らとともに辞表を提出。業務関係の役員不在という異常事態に陥るが、村山長挙が社長を辞任したことで同事件は収束し復職。1964年3月、元社長で大株主の村山長挙は矢島ら復職した5人の役員の職務執行停止の仮処分申請を裁判所に提出。