スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日… 平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日 - 1984年〈昭和59年〉1月1日)は、日本の俳優。長野県伊那市出身。本名:古村 彰(こむら あきら)。 1958年(昭和33年)、長野県辰野高等学校を卒業。東京で薬品会社や日通品川に勤務していたが、新聞で目にした吉田義夫のインタビュー記事に感銘を受けて俳優を志し、会社を辞めて吉田に弟子入り。その後、1960年(昭和35年)5月に東映京都撮影所に大部屋俳優として入社。ヤクザ映画のチンピラ役や時代劇の斬られ役などの脇役で数多くの映画やテレビ時代劇に出演。東映京都に籍を置きながら1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までは京都の劇団くるみ座にも研究生として在籍し、演技を学んだ。
山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 20… 山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 2013年5月20日)は、長野県出身のプロ野球選手。 辰野高校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1958年の二軍の国鉄・大洋との北海道遠征では、青函連絡船で函館に着くと朝市で毛ガニを両手で抱えきれないくらい買ってくるなど、めぼしい駅に着く度に地元の名物を買い込んできたほか、買い出し・列車の手配など、マネージャー兼任で活躍した。また、巨人軍合宿所の小山寮長の信頼が厚く、そのうち副寮長格になって寮長の隣の部屋に住んでいたという。しかし、広田順・藤尾茂・森昌彦ら強力な捕手陣の壁を崩せず、一軍試合出場は1959年の2試合のみで、1960年に引退。
小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 200… 小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 2009年5月3日)は、日本の実業家。湖池屋の創業者。長野県諏訪市出身。 高校卒業後に上京し、職業を転々とし、1958年には湖池屋を設立し、社長に就任。1995年にフレンテ会長に就任し、2006年には名誉会長に就任。1994年3月には会長に就任。 2009年5月3日肺炎のために死去。81歳没。
瀬戸 團治(せと だんじ、1905年9月13日 - 1991… 瀬戸 團治(せと だんじ、1905年9月13日 - 1991年7月1日)は、日本の彫刻家。 長野県上伊那郡朝日村(後の辰野町の一部)に生まれる。伊北農商学校(後の長野県辰野高等学校の前身)を卒業後、地元で酒屋へ奉公に出たが程なくして辞め、1924年に上京し、鶴田吾郎や中川紀元、曽宮一念の下で画家を目指したが、1929年に小学校教員となるため帰郷し、郷里の小学校の教員として11年間勤めた。 この頃から斎藤素巌の下で、彫刻にを学び、1936年から日展に出品を始め、毎年出品し続けた。1933年、構造社展で初入選し、第二次世界大戦後には1949年から1951年にかけて、日展で3回連続特選となり、後には日展の審査員、評議員などを歴任した。