スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 裕三(やまもと ゆうぞう、1982年〈昭和57年〉12… 山本 裕三(やまもと ゆうぞう、1982年〈昭和57年〉12月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 掛川市議会議員(3期)、自由民主党静岡県連青年部長を歴任。 静岡県掛川市出身。掛川市立西中学校、静岡県立掛川西高等学校を経て、立教大学経済学部卒業。中学生時代から政治の道を志し、大学時代には掛川西高卒業の縁で榛葉賀津也参議院議員の事務所でインターンを経験し卒業後はリクルートHRM(現リクルート)に入社。父の死後には、実家の酒販店で働くこととなった。 2013年、掛川市議会議員に当選。以降は市議を3期連続当選。3期目の市議会議員選挙ではトップ当選を果たし2023年から歴代最年少で市議会議長も務めたが、次期衆院選に自由民主党公認で静岡3区から立候補することが決まったため、2024年8月に議長を辞職した。
久保田 崇(くぼた たかし、1976年(昭和51年)4月27… 久保田 崇(くぼた たかし、1976年(昭和51年)4月27日 - )は、日本の政治家。掛川市長(2期)。 掛川市城西出身。掛川市立西山口小学校、掛川市立東中学校、静岡県立掛川西高等学校を経て2000年、京都大学総合人間学部人間学科卒業。国家公務員一種試験(法律)に合格し、 2001年、内閣府入府(政策統括官(共生社会政策担当)付総括担当係員)。 2011年、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生後岩手県陸前高田市副市長に出向。2016年、立命館大学公務研究科教授。掛川市長松井三郎の招請を受け、2019年掛川市副市長に就任。 2021年2月、掛川市長選挙への立候補を表明。 同年4月18日の投開票の結果、元静岡県議会議員の東堂陽一ら4人を破り初当選した。
榛葉 賀津也(しんば かづや、1967年〈昭和42年〉4月2… 榛葉 賀津也(しんば かづや、1967年〈昭和42年〉4月25日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の参議院議員(5期)、同党幹事長(初代)。静岡県馬術連盟会長。 外務副大臣(野田第3次改造内閣)、防衛副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、菊川町議会議員(1期)、参議院東日本大震災復興特別委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、同内閣委員長、同政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、同外交防衛委員長、国民民主党選挙対策委員長、旧国民民主党参議院幹事長、民進党参議院国会対策委員長、民主党参議院国会対策委員長を歴任した。父は静岡県議会議員、菊川町町長を務めた榛葉達男。 静岡県小笠郡菊川町で生まれる。
長谷川 寬彦(はせがわ ひろひこ、1961年(昭和36年)9… 長谷川 寬彦(はせがわ ひろひこ、1961年(昭和36年)9月20日 - )は日本の政治家。静岡県菊川市長(2期)。 菊川市出身。静岡県立掛川西高等学校、駒澤大学経済学部、自治大学校会計コース卒業。 1984年、静岡県庁入庁。税務課長、交通基盤部理事などを歴任。2018年より天竜浜名湖鉄道社長に就任。 2020年10月、翌年1月に行われる菊川市長選挙への立候補を表明。2021年1月17日告示、24日投開票予定だったが告示日に長谷川以外の立候補者が現れなかったため、無投票で初当選した。 2025年1月19日告示、26日投開票の同市長選に投資家の横山正文を破り再選。※当日有権者数:36,163人 最終投票率:58.37% 開票結果は、当選 長谷川寬彦(63歳)無所属 現 16,696票(81.25%)、横山正文(57歳)無所属 新 3,852票(18.75%)だった。
松井 三郎(まつい さぶろう、1946年〈昭和21年〉10月… 松井 三郎(まつい さぶろう、1946年〈昭和21年〉10月6日 - )は、日本の政治家。 静岡県小笠郡大須賀町助役、静岡県庁生活文化部ワールドカップ推進室室長、静岡県庁総務部防災計画室室長、社団法人静岡県建設産業団体連合会専務理事、静岡県議会議員(2期)、掛川市長(3期)などを歴任した。 1946年10月6日、静岡県小笠郡掛川町(のちの掛川市)にて生まれた。掛川市立第一小学校、掛川市立東中学校を経て、静岡県立掛川西高等学校に進学した。高等学校卒業後は、上京して早稲田大学に進学し、政治経済学部の政治学科にて学んだ。 大学卒業後は、静岡県庁に入庁した。企画調整部の秘書課にて調整主幹を務めたのち、環境文化部の環境企画課にて企画調整主幹を務めた。
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - … 石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家、行政学者(専門は地方自治)。勲等は旭日大綬章。日本大学国際関係学部客員教授。「嘉延」の読みは「よしのぶ」が正式だが、「かえん」と呼ばれることもある。 静岡県知事(第49〜52代)、内閣府中央防災会議委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、全国知事会理事・災害対策委員会委員長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。 日本統治時代の台湾生まれ。両親はいずれも静岡県出身の日本人だが仕事の都合で台湾に滞在しており、石川は生後5年間を台湾で過ごした。1945年の終戦にともない、家族の故郷である静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)に引き揚げた。
黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日… 黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。大井川右岸土地改良区理事長。静岡県小笠郡小笠町町長、静岡県菊川市市長職務執行者を歴任した。 静岡県立掛川西高等学校を経て、東京農業大学農学部を卒業した。 1989年、静岡県小笠郡小笠町の町長に就任し、デイサービス事業の拡充など、主に福祉施策に重点をおいて活動した。 隣の菊川町との合併交渉をまとめ、発足した菊川市では市長職が決まるまでの間の市長職務執行者を務めた。しかし、菊川町対小笠町という対立を避けたいとの意向を示し、市長選挙では菊川町の町長太田順一を推し、自らは身を引いた。2005年からは、大井川右岸土地改良区理事長を務めている。
柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお、1935年〈昭和10年〉8月… 柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお、1935年〈昭和10年〉8月18日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。静岡県農業共済組合連合会会長理事、特定非営利活動法人日本茶インストラクター協会理事長。報道等では柳沢 伯夫とも表記される。 衆議院議員(8期)、国土庁長官(第31代)、金融再生担当大臣(小渕内閣)、金融再生委員会委員長(初・第7代)、金融担当大臣(初代)、自由民主党税制調査会会長、厚生労働大臣(第7代)、明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科特別招聘教授、城西国際大学学長、社団法人日本茶業中央会会長、静岡県土地改良事業団体連合会会長、全国土地改良事業団体連合会理事、河村電器産業株式会社監査役(非常勤)などを現任・歴任。
榛村 純一(しんむら じゅんいち、1934年(昭和9年)7月… 榛村 純一(しんむら じゅんいち、1934年(昭和9年)7月12日 - 2018年(平成30年)3月7日)は、日本の政治家。旧掛川市長(第8〜14代)、社団法人大日本報徳社社長を歴任した。 早稲田大学卒業後、家業である林業と製材業の経営に携わり、掛川市森林組合の組合長や静岡県森林組合連合会の会長といった林業団体の役職を歴任した。静岡県監査委員などを経て、1977年に旧掛川市長選挙に立候補し、当選を果たした。以来、連続7期にわたって旧掛川市長を務めた。在任中は生涯学習の推進を提唱し、全国生涯学習市町村協議会や全国地域づくり推進協議会にて会長を務めた。また、東海道新幹線掛川駅や東名高速道路掛川インターチェンジの設置や、掛川城の復元などを推進した。
足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月2… 足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 科学技術庁長官(第28代)、農林大臣(第43代)、衆議院議員(12期)などを歴任。 静岡県周智郡山梨村(現袋井市)生まれ。掛川中学校(現静岡県立掛川西高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1934年、京都帝国大学法学部を卒業。南満洲鉄道に入社する。戦後は静岡県農業共済組合連合会会長などを経て、1949年の第24回衆議院議員総選挙で吉田茂率いる民主自由党公認で旧静岡3区から立候補し、初当選。以後当選12回。 自民党では佐藤栄作派-田中角栄派に所属。
戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - … 戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - 1973年10月13日)は、日本の官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(3期)、徳島県知事、山口県知事、宮城県知事(第28代)、福岡県知事、北海道庁長官(第25代)、労働大臣(第8代)、建設大臣(第8代、第9代)、北海道開発庁長官(第5代、第6代)、衆議院議員(3期)を務めた。 静岡県出身。酒造業・町長、戸塚藤平の三男として生まれる。掛川中学(現在の静岡県立掛川西高等学校)、一高を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、内務省に入り香川県属となり内務部地方課に配属。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。
一木 喜徳郎(いちき きとくろう、旧字体: 一木 喜德郞、1… 一木 喜徳郎(いちき きとくろう、旧字体: 一木 喜德郞、1867年5月7日〈慶応3年4月4日〉- 1944年〈昭和19年〉12月17日)は、日本の内務官僚、法学者(公法学)、政治家。位階勲等は従一位大勲位。爵位は男爵。旧名は岡田 丘平(おかだ きゅうへい)。号は梁舟。 公法学を専門とする法学者で、帝国大学の法科大学では教鞭を執り、帝国学士院会員にも選任された。天皇機関説を提唱したことでも知られており、美濃部達吉ら後進の育成に努めたが、のちに天皇機関説事件において美濃部らとともに激しい批判に晒された。貴族院勅選議員に勅任されてからは、第1次桂内閣の法制局長官をはじめ、第2次大隈内閣の文部大臣や内務大臣など要職を歴任した。
太田 順一 は、日本の政治家。