スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
増田 隼司(ますだ しゅんじ、1998年8月13日 - )は… 増田 隼司(ますだ しゅんじ、1998年8月13日 - )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。 東海大学付属静岡翔洋高校を経て、近畿大学に進学(同期に山下令雄、坪井一真)。 2021年1月16日、2021年シーズンからのいわてグルージャ盛岡加入内定が発表された。3月21日、J3第2節のガイナーレ鳥取戦でJリーグデビューを果たした。9月11日、J3第18節の鹿児島ユナイテッドFC戦でJリーグ初ゴールを決めた。 2023年8月、SC相模原に期限付き移籍。 2024年、FC大阪に完全移籍。 いわてグルージャ盛岡
福宮 弘乃介(ふくみや こうのすけ、1998年4月8日 - … 福宮 弘乃介(ふくみや こうのすけ、1998年4月8日 - )は、愛媛県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(CB)。Jリーグ・高知ユナイテッドSC所属。 阪南大学から2021年にソニー仙台FCに加入した。 2022年をもってソニー仙台を退団。 2023年2月13日、ヴェルスパ大分に移籍。 2024年12月10日、ヴェルスパ大分を退団を発表。 2025年1月23日、J3に加盟したばかりの高知ユナイテッドSCへの加入を発表。2月16日のJ3リーグ開幕戦、栃木SC戦でスタメンの座を勝ち取り、フル出場でJリーグデビューを飾る。この年は19試合に出場した。
河上 将平(かわかみ しょうへい、1997年10月26日 -… 河上 将平(かわかみ しょうへい、1997年10月26日 - )は、山口県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・カマタマーレ讃岐所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 専修大学から2020年に藤枝MYFCに加入。 2023年7月29日のJ2リーグベガルタ仙台戦でJ2初ゴールを決めたが直後に負傷。右膝前十字靭帯断裂で全治6~8か月の大けがを負ってしまった。 2025年はカマタマーレ讃岐に完全移籍することとなった。
脇野 隼人(わきの はやと、1993年4月10日 - )は、… 脇野 隼人(わきの はやと、1993年4月10日 - )は、静岡県沼津市出身のサッカー選手。ポジションはウイングやワイドなど主にサイドで起用される。 清水エスパルスジュニアユースから東海大学付属翔洋高校(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校)に進学。卒業後はアスルクラロ沼津に所属した後、単身渡豪しAPIAライカート・タイガースFCに加入した。翌年にはシドニー・ユニバーシティFCに移籍した。 その後、リトアニア・Aリーガ(現・トップリーガ)のFKクライペドス・グラニタスとプロ契約。 2014年夏にはドイツ・ブンデスリーガ6部のFCインターナショナル・ライプツィヒへ移籍した。2015年にはフィンランドのアトランティスFCと契約、2016年にはリトアニアのFCストゥンブラスに移籍した。
望月 竜次(もちづき りゅうじ、1988年9月6日 - )は… 望月 竜次(もちづき りゅうじ、1988年9月6日 - )は、静岡県焼津市出身のサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 富士常葉大学を経て、2011年より藤枝MYFCへ入団。 2016年シーズンを最後に現役を引退した。
石井 健太(いしい けんた、1987年12月8日 - )は、… 石井 健太(いしい けんた、1987年12月8日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションは、ゴールキーパー(GK)。 小学校3年生の頃からサッカーを始める。知り合いがアビスパ福岡の前身チームでGKを務めていたためGKを志した。東海大学附属翔洋高校から、東海大学を経て2010年ホンダロックSCへ加入。2012年シーズン終了後にホンダロックSCを退団。2013年シーズンよりカマタマーレ讃岐へ移籍した。讃岐ではJ2リーグ戦5試合に出場するなどした。 2016年シーズンをもって契約満了となり退団、テゲバジャーロ宮崎に移籍。背番号は61。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟した2021年シーズンからは、規定によりトップチーム登録の選手は1番から50番以内の背番号を着用することが義務付けられており、登録選手が51人を超えない限り、それ以上大きな番号を背負うことができず、このシーズンから32に変更。
狩野 健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は、静… 狩野 健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高等学校から2005年に横浜F・マリノスに入団し、プロ入りした。プロ入り時には出身地にある清水エスパルスなど複数クラブから入団の誘いを受けたが、最終的に横浜FMを選択した。 プロ2年目の2006年からはある程度試合に出場したものの、レギュラーを獲得するまでには至らなかった。そうした状況が変わったのは2008年であった。この年、横浜FMはJ1残留争いに巻き込まれ、桑原隆から木村浩吉へ監督が交代した。木村は狩野を抜擢すると、狩野はそれにこたえる活躍を見せ、残留争いから脱出する原動力になった。
秋葉 竜児(あきば りゅうじ、1984年6月13日 - )は… 秋葉 竜児(あきば りゅうじ、1984年6月13日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2003年に名古屋グランパスエイトに入団。翌年、ベガルタ仙台に移籍。2005年限りでベガルタ仙台から戦力外通告を受けた。
小林 大悟(こばやし だいご、1983年2月19日 - )は… 小林 大悟(こばやし だいご、1983年2月19日 - )は、静岡県富士市出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。メジャーリーグサッカー・ニューイングランド・レボリューション所属。2004年11月13日、モデルの佐藤綾花と結婚した。
鈴木 良和(すずき よしかず、1982年6月1日 - )は、… 鈴木 良和(すずき よしかず、1982年6月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。 2001年湘南ベルマーレに入団。ルーキーイヤーから開幕スタメンを飾り、ドリブルを武器にJ2を席巻、2001年シーズン初頭の湘南の快進撃の原動力となった。2002年シーズンより中田英寿も背負ったベルマーレの顔とも言うべき背番号7を託されるが、怪我に泣く事が多く「7のヨシカズ」は徐々にピッチから見られなくなる。2005年シーズンには背番号を15番に変更、心機一転でシーズンに臨んだが、ポディションを不慣れな右サイドバックなどで起用されるなど、本来の力を発揮する事なく同シーズン終了後に戦力外通告。半年間のブランクを経て水戸ホーリーホックに移籍した。
佐野 裕哉(さの ゆうや、1982年4月22日 - )は、静… 佐野 裕哉(さの ゆうや、1982年4月22日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、FW。 早くからセンスの高さには注目が集まっており、東海大一中時代の全国大会2連覇の際にはエースストライカーとして活躍し、U-16代表にも選出される。清水商業高校に進学後は小野伸二2世として期待され、視野の広さ・パス能力・得点能力いずれにも長けている選手として注目されていたが、怪我の多さから満足なプレイができずに終わる。背番号は清水商業の伝統的なエースナンバーである8番。同級生だった小林大悟は後に「裕哉がつけるべき番号だった」と述べている。 東京ヴェルディに入団後も怪我により、試合出場はほとんどないまま3年間で公式戦無得点に終わり解雇される。
鈴木 孝明(すずき たかあき、1981年10月7日 - )は… 鈴木 孝明(すずき たかあき、1981年10月7日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 中学時代に、鈴木啓太らと共に全国中学校サッカー大会優勝を経験。その後、東海大翔洋高校、筑波大学と進学し、大学4年時には関東リーグ得点王(11得点)に輝いたものの、プロからのオファーはなく浪人生活を余儀なくされた。 2005年、練習生として参加していたサガン鳥栖から合格通知をもらい加入すると、開幕から全44試合に出場し15得点を挙げる活躍をした。 2006年は2得点のみに終わり、2007年に水戸ホーリーホックへ完全移籍した。2007年シーズン終了後に、戦力外通告を受ける。
鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、静… 鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 妻は女優、ファッションモデルの畑野ひろ子。サッカー選手の水野和樹および水野晃樹は従兄弟。日本プロサッカー選手会元副会長。マネジメントでは株式会社ラボーナ所属。かつてセント・フォースのアスリート部門「ゾーン」に所属していた。 2000年の入団以来、浦和レッズ一筋でプレーしたバンディエラ。2015年10月にアスリートの腸内細菌データをベースにヘルスケア・フードテック事業を展開するAuB(オーブ)株式会社を設立。 小学生時代は清水FCに所属し、1993年の第17回全日本少年サッカー大会で準優勝を経験。
川村 淳一(かわむら じゅんいち、1980年6月24日 - … 川村 淳一(かわむら じゅんいち、1980年6月24日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー、フォワード。 1999年、東海大学第一高校からJリーグ・ヴィッセル神戸へ入団。神戸では3年間プレーした。 2002年、JFL・ジヤトコサッカー部へ移籍。しかし2003年を以てチームが解散し退団。その後、ジヤトコのサポーターが中心となって設立したFCイースタン04へ加入。 2005年、地元の沼津香陵クラブ(のちのアスルクラロ沼津)へ移籍。コーチ兼任でプレーしていたが、JFLに昇格した2014年からは選手専任となった。同年シーズン終了後、現役を引退した。
阿部 謙作(あべ けんさく、1980年5月13日 - )は、… 阿部 謙作(あべ けんさく、1980年5月13日 - )は、神奈川県出身の日本の元サッカー選手。現サッカー指導者。 甲府のマッチデイプログラム「ヴァンすぽ!」3号(2003年4月9日発行)のインタビューコーナーで、10歳頃からサッカーを始め、16歳頃にプロ選手になろうと考えたと答えている。 高校時代、U-16アジア選手権に出場。2003年に大学No.1GKの肩書きとともにヴァンフォーレ甲府に入団。松永英機監督の下、鶴田達也からレギュラーの座を奪取する。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。
松島 仁(まつしま ひとし、1980年4月30日 - )は、… 松島 仁(まつしま ひとし、1980年4月30日 - )は、北海道帯広市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 札幌市立羊丘中学校、静岡県の東海大一高を経て1999年に清水エスパルスに加入。帯広市初のJリーガーであったが清水ではリーグ戦4試合の出場に留まる。 2001年にヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍、翌年完全移籍。甲府では主にスーパーサブとして活躍。2年間で51試合に出場し、4得点を挙げている。 その後甲府を退団しJリーグ合同トライアウトに参加するも獲得するチームは現れず現役から遠ざかっていたが、2006年より地元のとかちフェアスカイFC(現・十勝フェアスカイFC)へ加入。また、同じ帯広にある帯広FCのジュニア・ジュニアユース・ユースチームでコーチを担当している。
川島 眞也(かわしま しんや、1978年7月20日 - )は… 川島 眞也(かわしま しんや、1978年7月20日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本サッカー協会公認A級ジェネラルライセンス保有。 清水市立商業高校から1997年にサンフレッチェ広島に加入。同期入団は若井研治、廣池寿、松岡祐弥、安武亨、岩村貴久、荒木亮次。CBとして徐々に出場機会を得て、4年目の2000年にはFWとしても出場。しかし定位置確保には至らず、2001年にSBにコンバートされる。同年7月に浦和レッドダイヤモンズへレンタル移籍されるも、出場機会は全く与えられなかった。 翌2002年に広島へ復帰。主力CBとして評価されていたが徐々に出場機会がなくなり、同年9月にアビスパ福岡へレンタル移籍し、翌年2003年に完全移籍した。
佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ、1976年5月11日 - )… 佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ、1976年5月11日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 小学1年生の時にサッカーを始める。1992年に清水市商高へ進学。柔らかいボールタッチと卓越したパスセンスを武器に、1993年の高円宮杯及び選手権を制した。1994年には背番号10を付け、総体優勝と高円宮杯を連覇。高円宮杯では両大会とも自身の得点が決勝点となった。さらに国体でも連覇を経験。 1995年に高校を卒業し、鳴り物入りで清水エスパルスに入団。しかし、クラブにとって絶対的存在のMF澤登正朗とポジションが重なったことに加え、「地元出身のスター候補」という周囲からの扱いも重荷になり、ベンチ入りも中々出来ずにいた。
川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )… 川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ科学者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)。 FIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持つ。国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位、同ゴールキーパー歴代1位の116試合を記録。4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されている(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。
伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) … 伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)。元日本代表。 小学生時代から多くのサッカー関係者に注目されていたが、当時は小柄なMFではなく長身FWだった。小学5年生時には清水市の選抜チーム・清水FCのメンバーとして1学年上の服部年宏、望月重良らと共に、小学6年生の時にはエースとして田島宏晃らと共に全日本少年サッカー大会2連覇を経験している。 東海大学第一高校に進学。同校は2学年上に森島寛晃、後にアトランタオリンピック代表となる服部年宏、岩下潤(1年先輩)、松原良香、白井博幸らを始め、後にJリーガーとなる選手が数人いたが、清水商業、清水東、静岡学園などの壁に阻まれ高校選手権には一度も出場できず、地元開催で2枠の出場があった1991年度高校総体での準優勝のみが目立った成績となった(決勝戦の相手は清水東で、後に清水エスパルスでチームメイトとなる田島宏晃、斉藤俊秀が所属していた)。
松原 良香(まつばら よしか、1974年8月19日 - )は… 松原 良香(まつばら よしか、1974年8月19日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者、実業家。Jリーグ選手OB会副会長。元サッカー選手の松原真也は兄、サッカー選手の松原后は甥(真也の息子)。 プロサッカー選手となる3歳年上の兄・真也にあこがれ小学校3年生よりサッカーを始める。真也は高校2年生の時にアルゼンチンに渡り、プロ契約を果たした。その影響を受け、自らもアルゼンチン行きを周囲に相談するが反対され断念。 東海大一高校の同学年には伊東輝悦、白井博幸、1学年上には服部年宏、岩下潤がいる。高校卒業後、特待生として阪南大学に進んだが、3日間で辞めて静岡に戻る。世代別日本代表コーチとして面識があったヤマハ発動機(のちのジュビロ磐田)の山本昌邦から連絡を受け、海外に挑戦することを勧められる。
白井 博幸(しらい ひろゆき、1974年6月17日 - )は… 白井 博幸(しらい ひろゆき、1974年6月17日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 1996年、U-23サッカー日本代表に選出され、相手エースの密着マーク等粘り強い守備で28年ぶりのオリンピック男子サッカー出場に貢献した。アトランタ五輪男子サッカー日本代表にも引き続いて選出され、アトランタ五輪男子グループリーグD組初戦の後半30分に交代出場。ブラジル五輪代表を降す「マイアミの奇跡」を経験した。 小学3年生のときにサッカーを始め、東海大一中、東海大一高に進学。高校の同学年に松原良香、伊東輝悦がいる。 高校卒業後の1993年に清水エスパルスに加入。
服部 年宏(はっとり としひろ、1973年9月23日 - )… 服部 年宏(はっとり としひろ、1973年9月23日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 小学生時代は清水市の選抜チーム・清水FCのメンバー。東海大学第一高校卒業後、東海大学2年修了時にジュビロ磐田に練習生として参加、そのままプロ契約し、大学を中退した。1年目から左のサイドバック・ウイングバックとしてレギュラーとして活躍。他に中盤の底やストッパーを務めることができる守備のポリバレント選手。磐田でも1999年、名波浩がヴェネツィアに移籍し、中盤構成に苦しむ中、ボランチを務める。 1996年アトランタオリンピックで、ブラジル代表の最大のキーマンとされたジュニーニョ・パウリスタのマンマーク役を務め完封した事で一躍その名を上げると、同年には日本代表にも初召集されデビューを果たす。
小島 卓(こじま たかし、1973年8月4日 - )は、滋賀… 小島 卓(こじま たかし、1973年8月4日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手、スカウト、焼肉店オーナー。日本サッカー協会登録仲介人。株式会社Mundo Rico代表取締役社長。 現役時代は守備的ミッドフィールダーやセンターバックのポジションをこなした。 東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)を経て、近畿大学に入学。布部陽功は近畿大学の同級生に当たる。近畿大学を中退後はブラジルのヒョーゴFCなどを経て、1995年6月より柏レイソル、1999年よりヴィッセル神戸でプレー。 現役引退後はスカウトに転じて、2001年から2004年まで柏、2005年から2015年まで名古屋グランパスエイトでスカウトを務めた。
岩下 潤(いわした じゅん、1973年4月8日 - )は、静… 岩下 潤(いわした じゅん、1973年4月8日 - )は、静岡県生まれのサッカー指導者、元サッカー選手。2020年から清水エスパルスユース監督。現役時代のポジションはFW。 東海大学第一高校(現・東海大学付属静岡翔洋高校)卒業後、Jリーグ開幕を控えた清水エスパルスに入団。1994年には24試合に出場し4ゴールを挙げるが(6月1日、1stステージ第18節ジェフ市原戦のゴールはJリーグ30ベストアウォーズのボレー/オーバーヘッド部門にノミネートされた。)、1995年シーズンをもって清水を退団、1996年からヴィッセル神戸に所属、その後、日本フットボールリーグ (JFL) のジヤトコ・TTでプレー。本人はその後も現役を続けるつもりだったが、清水から育成スタッフの話を聞いて現役を引退、2002年に清水のアカデミースタッフに就任する。
森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )… 森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )は、広島県広島市南区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。元日本代表で、1998年・2002年のFIFAワールドカップメンバー。現在はセレッソ大阪運営会社「株式会社セレッソ大阪」代表取締役会長を務める。 Jリーグの開幕連続得点記録保持者(7試合連続)、オールスターゲーム最多得点記録保持者(通算6ゴール)。セレッソ大阪在籍時に最も得点を取った選手。セレッソ大阪の初代8番。 広島県の大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)へ進学し、1991年に、当時JSL2部のヤンマーディーゼルサッカー部に入団。
大嶽 真人(おおたけ まさと、1971年8月31日 - )は… 大嶽 真人(おおたけ まさと、1971年8月31日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手。現在は日本大学文理学部体育学科教授。実兄は元サッカー日本代表の大嶽直人。サッカースクールでコーチ業もこなしている。
田坂 和昭(たさか かずあき、1971年8月3日 - )は、… 田坂 和昭(たさか かずあき、1971年8月3日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手で、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 1994年、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した年に入団。初年度からディフェンシブハーフ(ボランチ)のポジションを前年不動のレギュラーであった松山広淳から奪い、開幕戦から出場。平塚競技場のこけら落としとなった第2節では渡辺卓と激突し、顔面を骨折してその後1ヶ月を棒に振ったものの、復帰後は中心選手として活躍した。1stステージは岩本輝雄、名良橋晃の超攻撃的両サイドバックのフォローに追われたが、NICOSシリーズは優勝争いを演じ、田坂自身はJリーグ新人王を獲得した。
吉村 寿洋(よしむら としひろ、1971年6月28日 - )… 吉村 寿洋(よしむら としひろ、1971年6月28日 - )は静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(サイドバック)。 現役時代は後ろで一つに結わえた長髪がトレードマークだった。2011年現在はスカパー!のJリーグ中継でアビスパ福岡ホームゲームの解説を担当している。
中原 幸司(なかはら こうじ、1970年7月27日 - )は… 中原 幸司(なかはら こうじ、1970年7月27日 - )は、静岡県榛原郡吉田町出身のサッカー選手。ポジションはGK。 静岡県の吉田町立吉田中学校、東海大一高、中央大学を経て1993年に清水エスパルスに加入、1999年に清水エスパルス引退。現役引退後に清水エスパルスユース・Jrユース GKコーチ、2004年にトップチーム GKコーチ就任、2006年 退任
濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - … 濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 東海大学第一高校を経て、日本サッカーリーグ1部・ヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に入団。ジャパンフットボールリーグを経て1995年にJリーグ昇格したが、7月にジャパンフットボールリーグ・鳥栖フューチャーズに期限付き移籍した。
澤登 正朗(さわのぼり まさあき、1970年1月12日 - … 澤登 正朗(さわのぼり まさあき、1970年1月12日 - )は、静岡県富士宮市出身の元サッカー選手(MF)、元日本代表、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)・解説者。 Jリーグの初代新人王で、1999年にはベストイレブン、日本年間最優秀選手賞を受賞。1990年代の日本を代表する司令塔の一人で、フリーキックの名手。1992年のJリーグ加盟10チームの中で唯一実業団を母体としない市民球団として結成された清水FCエスパルス(現・清水エスパルス)の契約第3号選手(第1号大卒新人選手)で、プロデビューから引退までクラブ一筋のバンディエラ。 1990年代後半、クラブ消滅危機に瀕したエスパルスにあって、主将としてクラブ史上初のタイトル(Jリーグカップ)獲得をはじめ、J1ステージ優勝(年間勝ち点1位)や国際タイトル(ACWC99-00)獲得に貢献。
加島 進一(かしま しんいち、1969年9月15日 - )旧… 加島 進一(かしま しんいち、1969年9月15日 - )旧姓(大橋進一)は、静岡県 浜松市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。1992年~94年 大塚製薬サッカー部、1995~96年 ヴィッセル神戸。現役引退後にヴィッセルJrユース監督
平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は… 平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW(センターフォワード)。東京都大田区出身。 父親の転勤もあって小学時代は埼玉県浦和市(現在のさいたま市)、中学時代は広島県といったサッカー王国と呼ばれた地域で過ごし、小学時代はFC浦和 の一員として全日本少年サッカー大会3位入賞と優秀選手に選出。中学時代はさいたま市立大谷口中学校に進学、父親の転勤にともない途中転校しクラブチームの大河FC でサッカーを学んだ。 高校進学の際には静岡県の東海大一高校へ越境入学。ポジショニングが良く、左足とヘディングを得意とした。2年時の1986年に沢登正朗やアデミール・サントスらと共に高校サッカー選手権に初出場し優勝。
熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - … 熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。国士舘大学、NTT関東を経て、1995年に柏レイソルに加入、1996年にモンテディオ山形。現役引退後に町田FCコーチ、東京農業大学監督
大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )… 大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 実弟は元セレッソ大阪所属の大嶽真人。 東海大学第一高校の主将として1986年の第65回全国高校選手権優勝に貢献、自身も決勝の長崎県立国見高校戦で2点目の得点を決め勝利に貢献。大会終了後には優秀選手に選出された。 1987年に順天堂大学に入学して蹴球部に所属。インカレで3連覇(1987、1988、1989)、総理大臣杯優勝3回(1987、1989、1990)、関東大学リーグ優勝1回(1990)に貢献する。
内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は… 内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者。現在は清水エスパルス強化部長。 東海大一高校3年次に第65回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。同学年には大嶽直人、1学年下には澤登正朗、三渡洲アデミールらがいた。中央大学卒業後、日立製作所へ。大学時代の2年後輩に、のちに日立入りする沢田謙太郎がいる。Jリーグ発足後に清水エスパルスに加入。クラブ草創期のDFの中心選手として活躍した。1996年、守備陣の層の薄かったサンフレッチェ広島へレンタル移籍。翌1997年にヴィッセル神戸へ移籍し2年間プレーし引退。 引退後は母校である東海大翔洋高校の監督・コーチを務めたあと、2006年から清水エスパルスのスカウトを務めた。
佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、… 佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。
三渡洲 アデミール(さんとす アデミール、Ademir Sa… 三渡洲 アデミール(さんとす アデミール、Ademir Santos、1968年3月28日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1995年に日本へ帰化した。帰化前の名前はアデミール・サントス。長男は元プロサッカー選手で現在はモデルの三渡洲舞人。 三人兄弟の末っ子としてバイーア州に生まれ、サンパウロで育つ。12、13歳ごろからCAジュベントスに所属。ジュベントスではブラジルに留学して間もないころの三浦知良と友人になり、彼の父・納谷宣雄の仲介によって1985年5月に日本の東海大一高に編入した。 1985年度の第64回全国高等学校サッカー選手権大会は静岡県予選の決勝で敗退。2年生になる前には日産自動車サッカー部から誘いを受けたが、引き続き東海大一高でのプレーを選ぶ。
山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2… 山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2013年4月8日)は、広島県広島市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者、常葉大学サッカー部監督。 広島市の少年サッカークラブ・大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)へ進学。 1986年に早稲田大学に進学し、同大学ア式蹴球部に入部。同年に日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1次予選に出場した。1990年にJSL1部のヤンマーに入団するも、Jリーグ創設に伴い発足した清水エスパルスへ移籍し、左サイドバックとしてプレー。オーバーラップを武器として、1992年から1995年までの間にJリーグ通算31試合に出場した。
杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は… 杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 順天堂大学在籍時に日本代表Bとして参加した第9回アジア・カップの予選全4試合(国際Aマッチに相当する公式戦だが、日本代表Bとしての出場のため日本サッカー協会は記録から抹消)に出場 したほどの小柄だが運動量豊富なテクニシャン。 大学卒業後は、ヤマハ発動機に正社員(総合職)で入社し、GHP営業部に配属された。また同期入社の中山雅史と同じくヤマハ発動機サッカー部に入部した。しかし、Jリーグ開幕の1993年にJリーグ参加の叶わなかった為、ヤマハ発動機を退社。 清水エスパルスに移籍し、1996年を最後に引退した。
江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は… 江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 富山県富山市の出身で、小学6年時に岩瀬少年団の一員として全日本少年サッカー大会に出場し優秀選手に選出された。 中学から高校にかけて郷里の富山を離れて静岡県にサッカー留学。東海大学第一高校では2学年上に行徳浩二、同期に郷司弘和、1学年下に杉本雅央や山田泰寛らがいる。1年時には日本ジュニアユース代表に選ばれ、シンガポールで開催されたライオンシティカップ(16歳以下の国際大会)に出場した。高校選手権は1年時と3年時の静岡県予選で決勝進出を果たすも、1年時は清水東高校に、3年時は藤枝東高校に敗れたため出場はならなかった。
行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )… 行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。 サッカー選手の行德瑛は子にあたる。 ユース代表の経験を持ち、西ドイツ留学後、日本サッカーリーグのトヨタ自動車に加入し、3シーズンにわたってプレーした。Jリーグの発足を前に引退。 1994年以降、清水エスパルスのコーチングスタッフを歴任。2002年3月にJFA公認S級コーチライセンスを取得。2003年12月にはリーグ終了後に解任された大木武監督に代わってトップチーム監督に就任。天皇杯で清水をベスト4に導いた。2005年には清水エスパルスユース監督としてJユースカップに優勝した。
行徳 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )… 行徳 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。