スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山岸 忍(やまぎし しのぶ、1963年1月2日 - )は、滋… 山岸 忍(やまぎし しのぶ、1963年1月2日 - )は、滋賀県出身の実業家。 同志社高等学校を経て、同志社大学卒業。 大学卒業後の1985年に大京観光株式会社に入社。1997年に株式会社日経プレステージ(後のプレサンスコーポレーション)を設立と同時に代表取締役に就任。 現在は、株式会社TUKUYOMI HOLDINGSの代表取締役。 2019年12月16日、山岸は業務上横領容疑で大阪地方検察庁特別捜査部に逮捕された。同月23日、プレサンスコーポレーションより山岸の社長辞任が発表された。 2021年10月28日、大阪地方裁判所は、山岸の業務上横領罪での共謀の存在を認めず無罪判決を下した。11月11日、大阪地検は控訴を断念し、判決が確定した。
貸谷 伊知郎(かしたに いちろう、1959年4月25日 - … 貸谷 伊知郎(かしたに いちろう、1959年4月25日 - )は日本の実業家。豊田通商取締役副会長、在名古屋アンゴラ共和国名誉領事館名誉領事、名古屋商工会議所副会頭、メッセナゴヤ実行委員長、在日フランス商工会議所第三副会頭、アリアンスフランセーズ愛知フランス協会副会長。 京都府京都市出身。同志社高校を経て、1983年同志社大学経済学部卒業、豊田通商入社。自動車企画部部長職を経て2011年執行役員に昇格。2013年CFAO社副社長就任。2015年常務執行役員。2016年常務取締役。2017年取締役専務執行役員。 2018年から豊田通商代表取締役社長・CEOを務め、トヨタ自動車からのアフリカ営業移管への対応などにあたった。
山口 悟郎(やまぐち ごろう、1956年1月21日 - )は… 山口 悟郎(やまぐち ごろう、1956年1月21日 - )は、日本の実業家。京セラ株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、京セラドキュメントソリューションズ代表取締役会長、関西経済連合会副会長、日本ファインセラミックス協会会長、太陽光発電協会代表理事。 京都市出身。同志社高等学校を経て、1978年、同志社大学工学部卒業、京都セラミツク(現京セラ)入社。一貫して半導体部品の営業に携わり、半導体部品国内営業部長、半導体部品統括営業部長等を経て、2009年、取締役執行役員常務に昇格。 2013年から京セラ代表取締役社長を務め、携帯電話事業や太陽光パネル事業の不振が続く中、構造改革にあたった。
村田 恒夫(むらた つねお、1951年〈昭和26年〉8月13… 村田 恒夫(むらた つねお、1951年〈昭和26年〉8月13日 - )は、日本の実業家。株式会社村田製作所代表取締役会長、公益財団法人村田学術振興財団理事長、公益財団法人京都産業21理事長。京都府出身。栄典は藍綬褒章。 同志社大学経済学部を卒業後、1974年に村田製作所に入社。出雲村田製作所常務取締役、村田製作所ドイツ現地法人の社長などを経て、1989年に村田製作所取締役に就任。2003年に代表取締役副社長に就任した後、2007年に代表取締役社長に就任。2017年に代表取締役会長兼社長に就任。2020年に代表取締役会長に職位変更。 スマートフォン重要部品を小型化して普及と高機能化に貢献したという功績から、2019年秋の褒章で藍綬褒章を受章。
立石 義雄(たていし よしお、1939年(昭和14年)11月… 立石 義雄(たていし よしお、1939年(昭和14年)11月1日 - 2020年(令和2年)4月21日)は、日本の実業家。オムロン創業者立石一真の三男で、同社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。 大阪府大阪市西淀川区野里出身で、立石一真の三男である。1958年に同志社高等学校を卒業し、1962年には同志社大学経済学部を卒業した。 1963年、立石電機(現:オムロン)に入社し、徐々にキャリアを積み重ねた。1987年、兄の立石孝雄の後任として、同社代表取締役社長に就任した。「会社は創業家のものではない」との考えから、1990年に創業者の苗字を冠した「立石電機」という社名を「オムロン」へと改称した。
民秋 史也(たみあき ふみや、1938年6月10日 - 20… 民秋 史也(たみあき ふみや、1938年6月10日 - 2010年8月17日)は、京都府出身の実業家。元・株式会社モルテン代表取締役社長。クリスチャン。 同志社高校、東京大学文学部および教育学部を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。1970年にアメリカ子会社マツダ・モータース・オブ・アメリカに出向。その間、南カリフォルニア大学大学院で経営学を専攻した。 帰国後の1976年、義父の弟でありモルテンゴム工業(現モルテン)創業者の増田秀雄が体調不良により退いたため、同年より同社代表取締役社長に就任した。1979年、アディダスと技術提携したことにより、モルテンを世界的メーカーに育て上げた。 モルテン社長職ともに様々な役職を歴任、広島経済大学および広島修道大学の特別客員教授や、1986年から1994年まで広島県教育委員会委員、1990年3月から1997年11月まで広島商工会議所副会頭、広島キリスト教青年会(YMCA)理事長などを務めた。
立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 202… 立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 2022年4月12日)は、日本の実業家。オムロンの会長などを務めた。 1936年、立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真の二男として大阪市に生まれる。第二次世界大戦中の小学校時代には山でマムシや食用ガエルを捕まえるなど、活発な少年だった。1945年6月の大阪大空襲で立石電機の工場が焼けたため、会社とともに京都市に転居した。この頃に姉に連れられて日曜学校に行き、聖歌隊に入った事がきっかけで英語に興味を持ったという。 市立中学に入ったものの、自身の希望で英語教育が充実していた同志社中学校の編入試験を受け、中学1年の2学期から同校に編入した。英語への関心は根強く、同志社高校を経て、1955年に同志社大学文学部英文科に進学した。
宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月… 宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月5日 - 2026年〈令和8年〉1月5日)は、日本の実業家。第7代住友商事社長・現相談役、日本電気取締役、日立製作所社外取締役。社団法人日本貿易会会長。元日本経団連副会長。21世紀政策研究所理事長。日本機械輸出組合理事長。財団法人国際民商事法センター会長。 ニューヨークに通算9年間(1966年 - 1972年、1990年 - 1993年)駐在した米国通。在米期間中の米国の金融機関との付き合いから学んだ、リスク・リターンをベースにした「改革パッケージ」のモデルを1998年に作成。全社のビジネスラインを約250に分解し、徹底した不採算事業の整理と、不良債権処理によって、財務体質を改善した。
村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - … 村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - )は、日本の実業家。村田機械会長、京都商工会議所名誉会頭、京都文化交流コンベンションビューロー理事長、国立京都国際会館副理事長を務めている。 京都府京都市出身。1958年に慶應義塾大学法学部を卒業し、アメリカのバブソン大学大学院での修了を経て、1960年に村田機械に入社した。 1970年に社長に就任し、2003年から会長に就任した。この間、1999年から2004年まで日本繊維機械協会会長を務めた。 2001年から2007年までに京都商工会議所会頭や日本商工会議所副会頭を務め、「古典の日」の制定を宣言するなど古典の普及にも力を入れ、退任後、京都商工会議所名誉会頭。
巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003… 巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003年12月23日)は、元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。北浜の風雲児の異名を取った。 大阪市船場生まれ。同志社高等学校、同志社大学経済学部卒。アメリカンフットボール選手や応援団長を経験。卒業後、山源証券(後のヤマゲン証券、現・マディソン証券)に入社。1961年、25歳にして光世証券を創業、一代で東証一部上場企業に育て上げた。 2000年、大阪証券取引所理事長に就任。2001年、大阪証券取引所初代社長に就任。ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)を創設。 長男である大介は現・光世証券社長。
井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )… 井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )は、日本の実業家。ダイキン工業代表取締役会長兼社長を経て、同社取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員、関西フィルハーモニー管弦楽団理事長。ダイキン工業で1994年の社長就任時に3千億円台だった売上高を4兆円超に育てた。 京都市生まれ。同志社中学校・高等学校を経て、1957年同志社大学経済学部卒業、大阪金属工業(現ダイキン工業)入社、淀川製作所総務部配属。人事部長等を経て、1979年取締役に昇格。1985年常務取締役。1989年専務取締役。 1994年から代表取締役社長を務め、経営危機にあったダイキン工業を世界トップクラスの空調機メーカーに成長させ、同社中興の祖とされる。
嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014… 嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014年11月11日)は日本の実業家。ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEO、J-オイルミルズ代表取締役社長、日本植物油協会会長などを務めた。 大阪府出身。京都市立川岡国民学校(現在の京都市立川岡小学校)、同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学経済学部卒業後、豊年製油(のちのホーネンコーポレーション)に入社。1989年からホーネンコーポレーション代表取締役社長を務めた。その後、ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEOとして、味の素代表取締役社長・江頭邦雄との交渉などにあたり味の素製油との経営統合を行い、2002年に持株会社として設立された豊年味の素製油(現在のJ-オイルミルズ)の初代代表取締役社長に就任した。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道株式会社(JR東海)参与。同社初代代表取締役社長。第7代鉄道友の会会長。名は寛と表記されることが多いが、正表記は寬(儿部の右側に点が入る)。 職責以上に鉄道営業制度に精通し、フルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナーの生みの親と言われる。エル特急の誕生にも関与した。 京都市中京区で洋画家の須田国太郎の長男として生まれる。国太郎は写生旅行のため時刻表を毎月のように購入しており、読み方を教えられて幼稚園の頃から読み出した。少年時代は体が弱く、時刻表を見ながら病床で遠方への旅行を想像していたという。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海旅客鉄道(JR東海)の初代代表取締役社長である。名は寛と表記されることが多いが、正式な名前の表記は寬(儿部の右側に点が入る)である。