スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
小堀 林衛 (こぼり りんえい、1912年 - 1989年)… 小堀 林衛 (こぼり りんえい、1912年 - 1989年)は、日本の実業家。小堀住研(現・ヤマダホームズ)の創業者。滋賀県出身。 1912年、東浅井郡上草野村野瀬(現在の長浜市野瀬町)に生まれる。上草野小学校高等科卒業後、大阪の石けん工場で丁稚奉公として働く。1928年、竹中工務店入社。働きながら大阪市立都島工業専修学校建築科(現・大阪府立都島工業高等学校定時制課程)で学び1932年卒業。1950年、竹中工務店退職。1951年、三成建築工業株式会社設立。その後社名変更を重ね、1965年小堀住研とする。
岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月2… 岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月27日 - 1958年(昭和33年)11月17日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 鹿児島県姶良郡、のちの隼人町(現霧島市)で岡元常助の長男として生まれる。1923年(大正12年)宮崎県立小林中学校(宮崎県立小林高等学校)を卒業。さらに市立大阪工業学校(現大阪府立都島工業高等学校)機械科を卒業した。 1929年(昭和4年)大阪川西内燃機関研究所員となる。1931年(昭和6年)朝鮮西松組に転じた。以後、朝鮮水力電気機関庫主任、国際運輸自動車部主任を経て、承徳と天津市で華北運輸公司を経営し、さらに北京市で北支工廠を経営して終戦を迎えた。
松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 19… 松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。 東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。 1895年、大阪市の天満橋筋で鉄工所を営んでいた父松田重次郎、母千代の長男として生まれる。重次郎が造船技術者として呉や佐世保など各地の海軍工廠で勤務したため、幼少期は大阪で祖母に育てられていた。 重次郎と同様に機械好きで、学校から帰ると重次郎の経営する鉄工所で手伝いをしていた。1911年、大阪市立工業学校に入学、野球部に入った。
中北 辨造 (なかきた べんぞう、1893年-1965年)は… 中北 辨造 (なかきた べんぞう、1893年-1965年)は、日本の実業家。中北製作所の創業者。 1893年、大阪天満宮の近くで江戸時代より扇屋庄兵衛を代々名乗る、呉服や質屋を営む家の三男として生まれる。1912年、旧制都島工業学校(現・大阪府立都島工業高等学校)機械科を第一期生として卒業。その後、専売局(現・日本たばこ産業)へ入社し機械設計に従事。1930年、中北製作所を創業。以後、新製品の開発に取り組み中北製作所の基礎を固める。1965年、死去。