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北 康利(きた やすとし、1960年〈昭和35年〉12月24… 北 康利(きた やすとし、1960年〈昭和35年〉12月24日 - )は、日本の作家。100年経営の会顧問。日本将棋連盟アドバイザー。西郷隆盛、福澤諭吉、吉田茂など、偉人の評伝を多く執筆している。 愛知県名古屋市出身。大阪市立東我孫子中学校、大阪府立天王寺高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長、業務企画部長等を経て、2008年(平成20年)6月にみずほ証券を退職。退職後は本格的な文筆業に入る。2005年(平成17年)、『白洲次郎 占領を背負った男』で山本七平賞を受賞。
黒田 勝弘(くろだ かつひろ、1941年(昭和16年)10月… 黒田 勝弘(くろだ かつひろ、1941年(昭和16年)10月25日 - )は、日本の新聞記者、作家、コラムニスト。共同通信社にてソウル支局長や東京本社外信部デスクを歴任、現在は産経新聞ソウル駐在客員論説委員及び神田外語大学アジア言語学科韓国語専攻客員教授である。旧名は勝博。 大阪府大阪市出身。第二次世界大戦中は鹿児島県に疎開し、小学2年生の時に大阪へ戻る。四貫島小学校時代は学校新聞の記者を務めた。我孫子中学校、大阪府立天王寺高等学校に進学し、高校卒業後の1960年(昭和35年)4月、京都大学経済学部に入学。 1964年(昭和39年)、京大卒業後の4月、共同通信社に入社。1年間の本社研修後の1965年(昭和40年)4月から広島支局で4年間勤務。
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日… 萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。元赤旗記者。本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。 北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。 高知県高知市出身。立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。 17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 197… 長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 1976年8月5日)は、日本の漫才作家、演出家、放送作家。 大阪府島之内出身。御津小学校、天王寺中学校、旧制大阪高校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科卒。 実子は、元NHK大阪放送局所属の演出家・長沖渉。祖父は加賀藩士で、明治維新後に大阪に出てきて商売を始める。 大阪高校在学中に左翼運動を始める一方、1925年に武田麟太郎、秋田實、藤沢桓夫と共に文学同人誌『辻馬車』を創刊。大学在学中に新人会に参加。 1929年3月、東大を卒業。 1930年、徴兵検査で歩兵第一連隊に入隊。甲種幹部候補生で10ヶ月ほど過ごし除隊後、作家に復帰。『中央公論』に「肉体交響楽」を寄稿するも軍批判とみなされ発表を見送られる。
宇野 浩二(うの こうじ、1891年〈明治24年〉7月26日… 宇野 浩二(うの こうじ、1891年〈明治24年〉7月26日 - 1961年〈昭和36年〉9月21日)は、日本の小説家。本名は格次郎。父は六三郎、母はキョウ。7歳年長の兄・崎太郎は幼時に脳膜炎にかかり知的障害があった。日本芸術院会員。 福岡県福岡市南湊町(現在の福岡市中央区荒戸一丁目)に生まれる。早稲田大学英文科中退。『蔵の中』『苦の世界』など、おかしみと哀感のある作品を独自の説語体で発表し、文壇に認められた。その後『山恋ひ』『子を貸し屋』などで作風の幅を広げた。一時精神に変調をきたすが、復活後は冷厳に現実を見つめる簡素で写実的な作風に転じ、『枯木のある風景』『器用貧乏』『思ひ川』などを発表。他に松川事件の被告を弁護した『世にも不思議な物語』などがある。
山中 峯太郎(やまなか みねたろう、1885年(明治18年)… 山中 峯太郎(やまなか みねたろう、1885年(明治18年)12月15日 - 1966年(昭和41年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、小説家、翻訳家。陸士19期・陸大退校(25期相当)、最終階級は陸軍歩兵中尉(依願免官)。 山中未成、大窪逸人、石上欣哉、三条信子などのペンネームも用いた。 大阪府で呉服商を営んでいた馬淵浅太郎(旧・彦根藩士)の次男として生まれる。幼少時に、陸軍一等軍医(大尉相当官)山中恒斎の婿養子となり、のちに恒斎の娘の「みゆき」を娶った。大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)、天王寺中学(現・大阪府立天王寺高等学校)を経て、1901年(明治33年)、大阪陸軍地方幼年学校(大幼)に入校。