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横道 誠(よこみち まこと、1979年 - )は、日本の文学… 横道 誠(よこみち まこと、1979年 - )は、日本の文学者。専門は文学・当事者研究。京都府立大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科研究指導認定退学。文学博士(京都大学)。ドイツ文学の研究の傍ら、宗教2世(エホバの証人2世)、発達障害(自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症)などの当事者として、数多くの自助グループを運営している。 著書・編著に『みんな水の中:「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』『唯が行く!:当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』『イスタンブールで青に溺れる:発達障害者の世界周航記』『みんなの宗教2世問題』などがある。 1979年、大阪市生まれ。
向井 正(むかい ただし、1945年5月 - )は、日本の天… 向井 正(むかい ただし、1945年5月 - )は、日本の天文学者、惑星科学者。神戸大学名誉教授。日本惑星科学会元会長。21世紀COEプログラム「惑星系の起源と進化」拠点リーダー。京都情報大学院大学教授。 大阪府大阪市住吉区出身。大阪府立住吉高等学校を経て京都大学理学部物理学科卒業、同大学院修了。 光散乱の理論を用いた天文学的観測や探査機測定によって、惑星間塵の空間構造とその起源を研究している。また、探査機はやぶさに搭載するためのレーザー高度計を開発し、小惑星イトカワの内部に無数の空洞があることの発見に繋げたり、散乱円盤天体の分布から惑星Xの存在を仮定してその予想軌道を計算したりといった業績がある。
川本 皓嗣(かわもと こうじ、1939年10月28日 - )… 川本 皓嗣(かわもと こうじ、1939年10月28日 - )は、日本の比較文学者。東京大学名誉教授・大手前大学名誉教授。日本学士院会員。前大手前大学学長。元日本比較文学会会長。 1939年、大阪府大阪市で生まれた。大阪府立住吉高等学校を卒業し、東京大学教養学部に進学。教養学科フランス科で学び、卒業。その後同科イギリス科に学士入学したが、1965年に中退し、同大学大学院比較文学比較文化専攻に進んだ。博士課程を中退して渡仏し、パリ大学に留学。 トロント大学客員教授、インディアナ大学高等研究所フェローを経て、1971年に東京大学教養学部フランス語助手に採用された。1973年、同英語科講師に就いた。1977年に助教授、のち教授昇格。
古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -… 古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -2016年6月29日)は、日本の天文学者。理学博士(1969年)。東京大学東京天文台助教授、国立天文台助教授を歴任。専門は、位置天文学・天体力学・測地学。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)在学中からアマチュア天文家として活動。アマチュア天文家としては戦時中の1944年に福岡市を本拠地とする筑紫天文同交会に入会し、主に変光星の観測を行った。筑紫天文同交会が1947年3月に解散してからは変光星の観測結果をアメリカ変光星観測者協会や日本天文研究会に報告していた。 1953年浪速大学(現・大阪府立大学)工学部工業化学科を卒業したが、プロの天文学者を志し京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻に進学、上田穣に師事した。
島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 201… 島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 2016年4月16日)は、日本の国文学者。瑞宝中綬章受章。 1926年、大阪府大阪市生まれ。住吉中学校、大阪第一師範学校を経て、京都大学文学部に進学。1950年、同大学を卒業。 卒業後は、市岡高校、住吉高校で教諭を務め、その後、佐賀大学文理学部助教授に就いた。愛知県立大学助教授に転じ、後に教授に昇任。その後、大阪大学教授に就任。1978年、学位論文『連歌史の研究』を大阪大学に提出して文学博士の学位を取得。大阪大学を退任後は、名誉教授となった。その後は武庫川女子大学で教鞭をとった。 自身も歌人として歌を詠み、歌誌『マグマ』、『日本歌人』に所属。
吉田 仙太郎(よしだ せんたろう、1926年2月 - 201… 吉田 仙太郎(よしだ せんたろう、1926年2月 - 2015年4月)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。大阪女子大学名誉教授。関西チェコ / スロバキア協会顧問。 大阪府生まれ。。旧制大阪府立住吉中学校、旧制大阪高等学校、広島高等学校を経て、1951年に京都大学独文科卒。岡山大学講師、大阪女子大学助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。 トーマス・マンやホーフマンスタールなど主に20世紀のドイツ語作家について研究した。フランツ・カフカが専門。新潮社「全集」版では膨大な手紙を訳・担当した。大阪女子大学時代の弟子・中堂恒朗によれば、その訳業は学会でも高く評価されたという。 1963年から、大阪府立大学と大阪女子大学との混声合唱団EWA CHORで顧問を務めた。
西垣 脩(にしがき しゅう、1919年5月19日 - 197… 西垣 脩(にしがき しゅう、1919年5月19日 - 1978年8月1日)は、俳人、国文学者。 大阪市東区住吉町に生まれる。帝塚山学院小学校から大阪府立旧制住吉中学校(現在の大阪府立住吉高等学校)に進む。1937年、旧制松山高等学校(現在の愛媛大学)に入学。このとき、教授の一人川本臥風の指導を受け、松山高校俳句会で活躍。1940年に松山高校を卒業して東京帝国大学文学部国文科に入学。在学中は臼田亜浪に学び、二五会において大野林火、中村草田男、加藤楸邨らと句作に励んだ。1942年、大学を繰上卒業して出征するも、病気入院中に所属部隊がサイパンで玉砕し、九死に一生を得る。 復員後、帝塚山学院女学部教諭、東京都立武蔵丘高等学校教諭を経て、1954年に明治大学助教授。