スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
城島 茂(じょうしま しげる、1970年〈昭和45年〉11月… 城島 茂(じょうしま しげる、1970年〈昭和45年〉11月17日 - )は、日本の実業家、タレント、音楽家、アイドル、俳優、司会者、ギタリスト、ニュースキャスター。 現在は株式会社城島ファームに所属。血液型O型。愛称は「城島リーダー」や「老犬」。妻はタレントで元グラビアアイドルの菊池梨沙。 かつてバンド形態の男性アイドルグループ・TOKIOの元メンバーで、ギター、コーラス(主に高音)、およびリーダーを務めた。当時は株式会社TOKIO所属で、同事務所の代表取締役社長であった。 奈良県立奈良商業高等学校在学中の1986年7月7日、ジャニーズ事務所に入所。 入所後は平家派に所属。単独では光GENJI、男闘呼組、SMAP等とドラマ、バラエティ番組などで数多くの行動を共にする。
森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - … 森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - 2008年4月14日)は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。1970年から1974年までの登録名は森中 通晴(もりなか みちはる)。 奈良商工では2年次の1956年にエースとして秋季近畿大会に出場したが、1回戦で寝屋川高に敗れたため選抜出場はならなかった。3年次の1957年は春季近畿大会県予選の準々決勝で郡山高に惜敗し、夏も県予選で敗れて甲子園には届かなかった。 卒業後の1958年に南海ホークスへテスト入団。入団当時は制球難で、1年目は選手登録すらしてもらえず、もっぱら打撃投手が主な役割であった。2年目の1959年にウエスタン・リーグで防御率0.90を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
井尻 雄士(いじり ゆうじ、Yuji Ijiri、1935年… 井尻 雄士(いじり ゆうじ、Yuji Ijiri、1935年2月24日 -2017年1月18日 )は、日本出身のアメリカの会計学者、日本の公認会計士。カーネギーメロン大学のUniversity Professor(特別教授)。元アメリカ会計学会(The American Accounting Association)会長。 1935年2月24日に神戸市で生れる。幼少の頃より数学に興味を持ち、6歳よりそろばん塾に通う。高校1年生の時に、パン屋を営む父から経理を任される。その仕事に興味を持ち、公認会計士を志望する。1952年、奈良県立奈良商業高等学校を卒業する直前に公認会計士一次試験に合格する。1953年、同志社大学短期大学部夜間部に在学中に二次試験に合格して会計士補となる。
田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 20… 田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。奈良県奈良市出身。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。 昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループのクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った。 自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。
鈴木 昭一(すずき しょういち、1927年4月5日 - 20… 鈴木 昭一(すずき しょういち、1927年4月5日 - 2026年4月13日)は、国文学者。帝塚山短期大学名誉教授。 台湾生まれ。1951年京都大学文学部国文科卒。奈良県立郡山高等学校・奈良県立郡山農業高等学校・奈良県立奈良商業高等学校教諭、天理大学・桜井女子短期大学非常勤講師、帝塚山短期大学助教授・教授・図書館長、1997年定年退任、名誉教授、藤村記念館館長。島崎藤村を研究した。
西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22… 西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22日 - 2000年(平成12年)1月20日)は、日本の政治家。元奈良県奈良市長(2期)。 奈良県奈良市出身。1943年(昭和18年)12月、奈良県立商業学校(のち奈良県立奈良商業高等学校、現・奈良県立奈良商工高等学校)を卒業した。卒業後は1946年(昭和21年)9月に奈良市役所に入り、市長公室長、清掃部長、総務部長などを務める。1978年(昭和53年)4月から1984年(昭和59年)8月まで助役を務める。 1984年(昭和59年)9月23日の奈良市長選挙に自民党、公明党、民社党の推薦で立候補し、共産党推薦、元県議、諸派の3新人を破って当選した。