スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木村 正明(きむら まさあき、1968年9月17日 - )は… 木村 正明(きむら まさあき、1968年9月17日 - )は、日本の経営者。岡山県岡山市出身。元日本プロサッカーリーグ専務理事。Jリーグ・ファジアーノ岡山の運営法人であるファジアーノ岡山スポーツクラブの前代表取締役で、現在はファウンダー・オーナー、東京大学特任教授。 岡山大学教育学部附属小学校・中学校、岡山県立岡山朝日高等学校、東京大学法学部を卒業して1993年ゴールドマン・サックスに入社。 2002年、同社債券営業部長、2003年、同社マネージングディレクター(執行役員)就任(同年就任の中で最年少)。 2005年、当時NPO法人だったファジアーノ岡山の専務理事(現同クラブ取締役)を務めていた小学中学時代の友人・森健太郎(岡山学芸館高校・清秀中学校理事長)から寄付の依頼を受けたことで、ファジアーノとの交流が生まれる。
永山 久徳(ながやま ひさのり、1968年 - )は、日本の… 永山 久徳(ながやま ひさのり、1968年 - )は、日本の実業家、歌手、作詞家、コラムニスト、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ、講演家。 岡山県倉敷市生まれ。1987年、岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1991年、筑波大学第三学群(現・筑波大学理工学群)社会工学類卒業。1993年、筑波大学大学院環境科学研究科修士課程修了。 2007年4月現在全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)青年部長(第18代)。 社団法人児島青年会議所理事長(2005年) 現在岡山県在住。職歴には東急不動産株式会社が含まれる。(講演プロフィールより) ※講演プロフィール中には倉敷市内の警備会社、福山市内の給食会社なども経営しているとの記載がある。
山海 嘉之(さんかい よしゆき、1958年6月24日 - )… 山海 嘉之(さんかい よしゆき、1958年6月24日 - )は、日本の工学者であり、サイバーダイン株式会社の創業者兼CEO、筑波大学システム情報系教授、筑波大学サイバニクス研究センター長。 日本ロボット学会理事、日本栓子検出と治療学会会長などを歴任。グローバルCOEサイバニクス国際教育研究拠点 拠点リーダー、内閣府最先端研究開発支援プログラム「健康長寿社会を支える最先端人支援技術研究プログラム」中心研究者 (サイバニクス研究コア/Center for Cybernics Research 統括)、内閣府革新的研究開発推進プログラムImPACT、プログラムマネージャ。工学博士(筑波大学、1987年)。
森本 孝(もりもと たかし、1955年9月5日 - )は、日… 森本 孝(もりもと たかし、1955年9月5日 - )は、日本の実業家、経営者。 岡山県出身。1974年に岡山県立岡山朝日高等学校を、1979年3月に東京大学経済学部を卒業。 1979年、関西電力に入社。2007年6月執行役員(従業員。会社法上の役員ではない)大阪南支店長、2011年11月執行役員企画室長、2012年4月執行役員総合企画本部副本部長、2015年6月常務執行役員(従業員。会社法上の役員ではない)総合企画本部長代理、2016年6月代表取締役兼副社長執行役員(会社法上の役員)などを歴任。2020年3月14日、代表取締役社長に就任。 2020年4月3日の衆院経済産業委員会で、関西電力の経営幹部らが多額の金品を受け取っていた問題を受けて、関電が経産省に提出した業務改善計画について「中身が不十分だ」と厳しく評価され、業務改善計画では、「原子力事業本部に対するけん制と支援の強化」として、コンプライアンス(法令順守)を所管する「本部長代理」等の設置にとどまっていることがあげられ、「本部長の下に位置付けられる職の『代理』による『けん制』に何の効果があるのか」と批判された。
岡 将男(岡 將男、おか まさお、1954年7月6日 - )… 岡 将男(岡 將男、おか まさお、1954年7月6日 - )は、日本の実業家。NPO法人公共の交通ラクダ(RACDA)会長。元中国食品工業代表取締役社長。 1954年7月、佃煮店の長男として岡山県岡山市に生まれる。幼い頃から、鉄道模型や旅客機に興味を持つ。高校は岡山朝日高校へ進学。学生時代は、鉄道模型製作に明け暮れた。その後、東京大学経済学部へ進む。大学卒業後、家業の中国食品工業へ就職。以来、常務取締役。代表取締役社長へ昇進する。 昭和50年代、営業で全国を回っていた際、「岡山」の知名度が低いことに寂しさや辛さを味わった事が、街づくりを考える原点となる。1986年、国鉄ホバークラフトの京橋就航、旧岡山空港(現・岡南飛行場)の存続を働きかける運動を母体として、未来デザイン委員会を発足させる。
藤原 真一(ふじわら しんいち、1954年 - )は、日本の… 藤原 真一(ふじわら しんいち、1954年 - )は、日本の実業家。日鉄エンジニアリング代表取締役社長。 岡山県で医師の子として生まれる。1973年岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1978年東京大学法学部卒業、新日本製鐵入社。1985年ハーバード大学ケネディスクール留学。1993年新日本製鐵原料第二部鉱石第二室長。2001年新日本製鐵欧州事務所長。2010年新日本製鐵参与。2011年新日本製鐵執行役員。2013年新日鐵住金常務執行役員。2015年新日鉄住金エンジニアリング代表取締役社長。2019年日鉄エンジニアリング代表取締役社長。 東京岡山県人会副会長。
宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は… 宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は、日本の経営者、財界人。第18代日本郵船社長。岡山県出身。
大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月2… 大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月21日 - )は、日本の実業家。全日本空輸(全日空)社長、 ANAホールディングス会長、日本経済団体連合会副会長。 現在の中華人民共和国東北部の佳木斯で生まれ、岡山県高梁市で育つ。 父親は長崎高等商業学校卒で、ブリヂストンの石橋正二郎の秘書的な仕事を経て、大連で貿易商を営み、シベリア抑留を経験した。柔道四段の腕前で、大橋もその影響で高校時代は柔道部に所属した。 1964年4月、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全日本空輸入社。 2001年4月に社長に就任。在任中は、アメリカ同時多発テロ事件や日本航空と旧日本エアシステムの統合など業界の激変に直面。
山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月3… 山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月30日 - )は、日本の政治家、実業家。元岡山県玉野市長(3期)。株式会社NICS(旧:日本情報管理システム)創業者。 大阪府大阪市にて生誕。幼少期に父の仕事の関係で岡山県玉野市へ転入する。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、中央大学法学部へ進学した。 大学卒業後は、父が経営する山根船舶工業株式会社に入社。その後、父の死去に伴い同社の代表取締役社長に就任した。社長在任中は若くして玉野青年会議所(玉野JC)の第16代理事長を務めたほか、日本青年会議所岡山ブロック協議会会長、さらには日本青年会議所(日本JC)のアジア委員長、中国地区担当常任理事、監事など数多くの要職を歴任した。
守屋 学治(もりや がくじ、1907年6月14日 - 199… 守屋 学治(もりや がくじ、1907年6月14日 - 1990年7月24日)は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。岡山県出身。 岡山第一中学校、旧制第六高等学校を経て、1926年に東京帝国大学工学部航空工学科を卒業し、同年に三菱航空機に入社した。1962年に三菱重工業取締役に就任し、常務、副社長を経て、1973年5月から1977年6月までに社長を務めた。 1976年から1984年までに日本産業機械工業会会長も務めた。 1971年に藍綬褒章を受章し、1977年にイランからホマヨウン第3級勲章と日本政府から勲一等瑞宝章を受章した。 1990年7月24日呼吸不全のために死去。83歳没。
青木 精太郎(あおき せいたろう、1906年 <明治39年>… 青木 精太郎(あおき せいたろう、1906年 <明治39年> 2月27日 - 1991年 <平成3年> 7月13日)は日本の鉄道技術者、実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。位階は正四位。 岡山県岡山市出身。旧制岡山中学校(在学中に第一岡山中学校に改称、現:岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校を経て、1928年(昭和3年)に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。当初、指導教官から日本電力への就職を紹介されたが、その年度の新卒採用がなかったため、代わりに紹介された京阪電気鉄道に入社した。当時京阪電気鉄道は、新京阪鉄道(現:阪急京都本線)の建設、名古屋急行電鉄の設立準備などをおこなっていた時期であったため、前例のない50余名もの大学・専門学校生を採用しており、のちに阪急電鉄社長を務めた森薫も同窓・同期で新京阪に入社している。
山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月1… 山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月18日 - 1983年(昭和58年)10月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県吉備郡総社町(現総社市)で、米穀問屋・山崎重の長男として生まれる。岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1931年(昭和6年)慶應義塾大学政治学科を卒業した。名古屋市において製陶会社で勤務したり木材関係貿易に従事した。1944年(昭和19年)に帰郷し会社経営を行う。 1948年(昭和23年)初の公選制による岡山県教育委員に選出され、1949年(昭和24年)副委員長に就任。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で岡山県第2区から出馬して初当選。
浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 19… 浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 1992年2月14日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。岡山県出身。 旧制岡山一中(現:岡山県立岡山朝日高校)を経て、1924年に神戸高等商業学校経済学部(現:神戸大学)を卒業。明治製菓での勤務を経て、1964年11月に明治乳業副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格。1972年5月から相談役を務めた。 1992年2月14日老衰のために死去。90歳没。
久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月… 久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月25日 - 1981年〈昭和56年〉9月4日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選秋田県知事。岡山県岡山市出身。 岡山県吉備郡大井村(現:岡山市)出身。久安平治郎の二男として生まれる。その後、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方警視として島根県警察部・神奈川県警察部・長崎県警察部・兵庫県警察部各勤務、警視庁警視として総監官房・特別高等部各勤務、宮城県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、宮城県内政部長などを歴任。
岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年(明治30年)4… 岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年(明治30年)4月16日 - 1989年(平成元年)9月22日)は、日本の実業家。 1972年岡山県賀陽町(現・吉備中央町)名誉町民。1978年、勲一等瑞宝章受章。1985年、岡山県総社市名誉市民。1985年、岡山県名誉県民。1987年、中国洛陽市名誉市民。 岡山県賀陽郡大和村(上房郡賀陽町を経て現・加賀郡吉備中央町)に、農業・岡崎鶴太郎の長男として生まれる。 尋常小学校1年の頃に自宅が全焼し、吉備郡総社町(現・総社市)に移り住む。旧制岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1916年第一高等学校に入学する。一高時代はボート部で活動し、また中国人留学生たちとの交流を深める。
星島 義兵衛(ほしじま ぎへえ、1885年(明治18年)12… 星島 義兵衛(ほしじま ぎへえ、1885年(明治18年)12月17日 - 1968年(昭和43年)7月25日)は、日本の実業家。元岡山県農工銀行頭取。岡山商工会議所設立者・初代会頭。 岡山県児島郡藤戸村生まれ。1905年岡山県立岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)卒業。1909年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1913年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部銀行科卒業。 星島銀行入行後、1925年岡山県農工銀行取締役。1928年岡山県農工銀行頭取。1934年初代岡山ロータリークラブ会長。1936年日本赤十字社評議員。 1943年岡山県商工経済会会頭。1944年日本勧業銀行顧問。1946年岡山商工会議所発起人総代・初代会頭。
山上 岩二(やまのうえ いわじ、1885年(明治18年)6月… 山上 岩二(やまのうえ いわじ、1885年(明治18年)6月15日 - 1966年(昭和41年)12月30日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 山上脩三郎の兄として岡山県岡山区船頭町(現岡山市北区)に生まれ、1910年(明治43年)岡山市二日市町(現:北区)の地主・山上頼治の養子となり、1917年(大正6年)家督を相続する。岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)、第一高等学校を経て、1910年(明治43年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。岡山住宅土地専務取締役、萬歳酒造監査役、岡山米穀取引所理事、同理事長、岡山商業会議所会頭などを歴任した。 1924年(大正13年)岡山市会議員に当選。
明石 照男(あかし てるお、1881年3月30日 - 195… 明石 照男(あかし てるお、1881年3月30日 - 1956年9月29日)は、岡山県和気郡英保村(現・備前市吉永町)出身の実業家、銀行家。 1881年3月、和気郡英保村(現備前市吉永町)で生まれる。旧制岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、東京帝国大学へ進学する。成績が優秀だった事から、渋沢栄一に認められ、三女、愛子の娘婿となった。欧米へ留学後、第一銀行へ入行。1926年取締役、1928年常務取締役、1932年副頭取、1935年頭取となる。1943年、三井銀行との合併により帝国銀行の会長となる。その間、1920年から澁澤倉庫取締役、1932年から1935年まで澁澤倉庫取締役会長を兼務。
和合 英太郎(わごう えいたろう、1869年9月20日(明治… 和合 英太郎(わごう えいたろう、1869年9月20日(明治2年8月15日) - 1939年(昭和14年)6月11日)は、日本の実業家。大日本製氷社長。製氷業のパイオニアといわれる。また今日言うM&Aの先駆け的経営者でもあった。族籍は東京府士族。 広島市土手町出身。広島藩士・和合善男と梅子の長男。岡山中学校卒業。1890年、渋沢栄一や浅野総一郎などが株主として名を連ねる青山製氷所が設立されると同時に入社する。この時代は寒冷地から天然氷を切って輸送し販売、氷を貯蔵した氷室で食品保存を行っていた。このため大量の氷を扱う製氷業は大きなビジネスであった。 1897年、気候によって価格が左右されやすく供給も不安定な天然氷に代わり、本格的な製氷機(機械製氷)を導入した機械製氷株式会社が設立された。
藤原 元太郎(ふじわら もとたろう、1866年2月24日(慶… 藤原 元太郎(ふじわら もとたろう、1866年2月24日(慶應2年1月10日)- 1933年(昭和8年)3月6日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、岡山県会議長、岡山県児島郡八浜村長、同郡八浜町長。 備前国児島郡八浜村(岡山県小島郡玉井村、八浜村、八浜町を経て現玉野市)で、藤原久三郎の長男として生れ、1890年(明治23年)7月に家督を相続した。旧制岡山中学校(現:岡山県立岡山朝日高等学校)で学んだ。 玉井村(のち八浜村に改称)助役を経て、1892年(明治25年)10月、玉野村長に就任し、1925年(大正14年)2月まで連続して八浜村長、八浜町長を務めた。また、1898年(明治31年)岡山県会議員に選出され1915年(大正4年)3月まで在任し、1909年(明治42年)から1911年(明治44年)まで県会議長を務めた。
池田 寅治郎(いけだ とらじろう、1864年5月8日(元治元… 池田 寅治郎(いけだ とらじろう、1864年5月8日(元治元年4月3日)- 1925年(大正14年)10月23日)は、明治後期から大正期の実業家、教育者、政治家。衆議院議員。 備中国後月郡井原村猪原(岡山県後月郡井原村、井原町を経て現井原市井原町)で、宮六の二男として生れた。興譲館長・坂田警軒に師事し、同志社英学校を経て、1890年(明治23年)慶應義塾を卒業した。 岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)、慶應義塾で教師を務め、自由新聞記者となる。山陽鉄道を経て、村井兄弟商会に入り上海支店長、工業部長を歴任。1900年(明治33年)渡米してタバコ事情を視察。1901年(明治34年)に帰国し、煙草専売局技師、東京第二煙草製造所長に就任。
内田 恒太郎(うちだ つねたろう、1864年(慶應2年)1月… 内田 恒太郎(うちだ つねたろう、1864年(慶應2年)1月1日 - 1936年(昭和11年)2月10日)は、日本の会社役員。大日本麦酒(現サッポロビール)監査役。岡山県岡山市出身であり、族籍は岡山県平民。 岡山県上道郡富山村(現:岡山市)の内田武壽の長男として出生する。。1873年、家督を相続する。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制横浜商業学校(現:横浜市立大学)を経て、三井物産へ入社する。三井物産横浜支店、山陽倉庫銀行、岡山銀行等に勤務して同郷の先輩馬越恭平の知遇を得て大日本麦酒に入り、以来累進して商務課長、名古屋出張所長及び東京出張所長、取締役、監査役等を歴任する。 妻は赤龍丸事件を起こした鹿児島士族江田(ごうだ)兼親の娘雪(俗名幾子)。