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大椿 裕子(おおつばき ゆうこ、1973年〈昭和48年〉8月… 大椿 裕子(おおつばき ゆうこ、1973年〈昭和48年〉8月14日 - )は、日本の政治家、労働運動家。 参議院議員(1期)、社会民主党副党首、大阪教育合同労働組合執行委員長を歴任。既婚者であり、配偶者はバルセロナ出身のカタルーニャ人。 岡山県高梁市生まれ。岡山県立高梁高等学校、四国学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、四国で非正規雇用を掛け持ちしながら暮らす。この間、社会福祉士と保育士の資格を取得。 2002年にフィリピン・ネグロス島で遊学。姉が住んでいた神戸市に移り、2004年からNPO法人被災地障害者センターで務める。 2006年、関西学院大学に上限4年の有期雇用で障害学生支援コーディネーターとして就職する。
石田 芳生(いしだ よしお、1966年〈昭和41年〉7月22… 石田 芳生(いしだ よしお、1966年〈昭和41年〉7月22日 - )は、日本の政治家。高梁市市議会議員(3期)、岡山県高梁市長(1期)。 岡山県出身。岡山県立高梁高等学校を経て、広島大学法学部卒業。卒業後は土地家屋調査士事務所に勤務し、2012年の高梁市議会議員選挙で初当選。3期目の2022年10月から2024年8月まで議長を務めた。 2024年8月に高梁市長選挙への立候補を表明、選挙戦では、市の財政を見直して給食費を無償化することや市街地に公園を整備することなどを有権者に訴えた。9月30日の投開票で現職で5期目を目指していた近藤隆則を破って初当選した。当選後のインタビューでは、厳しい財政状況であるからこそ、市民目線での財政の見直し、説明責任をしっかりと果たしていく必要があると述べた。
近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月… 近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月1日 - )は、日本の政治家。元岡山県高梁市長(4期)。 岡山県高梁市出身。岡山県立高梁高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月、岡山大学工学部卒業。同年4月、高梁市役所に採用される。1996年(平成8年)4月、総務部総務課財政係長に就任。2008年(平成20年)4月、産業経済部商工観光課長に就任。同年9月、退職。 同年9月28日に行われた高梁市長選挙に出馬し初当選。10月24日に市長就任。現在4期目。 2014年(平成26年)9月28日、スピード違反で検挙される。当時高梁市は秋の交通安全県民運動のさなかであった(9月21日-30日開催)。
山本 雅則(やまもと まさのり、1955年〈昭和30年〉 -… 山本 雅則(やまもと まさのり、1955年〈昭和30年〉 - )は、日本の政治家、元地方公務員。岡山県加賀郡吉備中央町長(4期)。 岡山県御津郡加茂川町(現・吉備中央町)出身。岡山県立高梁高等学校を経て、愛知学院大学商学部を卒業。 大学卒業後の1979年(昭和54年)4月、加茂川町役場に入職。2004年の合併による吉備中央町発足後は、協働推進課長や参事、企画課長などを歴任した。2011年(平成23年)6月に吉備中央町の副町長に就任。 2012年(平成24年)9月、当時の町長(重森計一)の死去に伴う吉備中央町長選挙に無所属で立候補。新人同士の三つ巴の選挙戦を制し、初当選を果たした(山本:4,188票、他候補:2,886票、1,879票)。
福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2… 福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2日 - 2001年〈平成13年〉4月29日 )は、岡山県出身の政治家。新見市議会長を経て新見市長を3期務めた。 岡山県新見市にて生れる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、東芝を経て日本原子力研究所副理事長を務める天野昇や大学教授になる田井庄之助、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の各社の関連社長を務めた古米初男がいる。1940年(昭和15年)同校を卒業した。 その後、紆余曲折を経て新見市議会議員となり、新見市議会議長を務めた後、当時の新見市長を4期務めた赤木孜一の退任に伴う、新見市長選挙で松浦宏美と塚村正二に競り勝ち、新見市長となる。
堀 綱四郎(ほり つなしろう、1894年(明治27年)1月1… 堀 綱四郎(ほり つなしろう、1894年(明治27年)1月1日 - 詳細不詳 )は、日本の政治家である。古河鉱業の足尾銅山に勤め、社会運動を行い、愛国団体に所属した後、栃木県会議員に当選し政治家となる。その後、栃木県上都賀郡足尾町長(現:日光市)を3期務めた。大分県大分市出身。 1894年(明治27年)大分県大分市の士族である堀潜造の次男として出生する。その後、家族で岡山県へ移住し、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学。1911年(明治44年)に同校を卒業し、1913年(大正2年)旧制第六高等学校へ進学する。しかし、1年で同校を退学し帝国大学への進学をやめ、1914年(大正3年)私立の明治大学予科へ進学し、翌年、明治大学法学部へ入学する。
粕山 八郎治(かすやま はちろうじ、1892年(明治25年)… 粕山 八郎治(かすやま はちろうじ、1892年(明治25年)6月15日 - 不明 )は、日本の新聞記者であり、政治家である。岡山新聞(現:山陽新聞)の常務取締役、岡山交通取締役、岡山県議会議長を務めた。岡山県岡山市出身。 1892年(明治25年)岡山県御津郡大野村野田(現:岡山市)に粕山治三郎の次男として出生。その後、1905年(明治18年)に旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学し、同期には、映画監督となる中川紫郎がいた。1910年(明治43年)に同校を卒業し、17歳で山陽新報(現:山陽新聞)へ入社する。 山陽新報へ入社してから2年後の1912年(明治45年)、大日本帝国海軍に志願し入隊。
小山 美登四(こやま みとし、1888年(明治21年)10月… 小山 美登四(こやま みとし、1888年(明治21年)10月 - 1959年(昭和34年))は日本の銀行家・実業家・弁護士・政治家である。初代台湾高雄州協議会の会員。台湾銀行本店支配人、三蟠鉄道・昭和護謨監査役、岡山県議会議員と岡山市議会議員を務めた。岡山県倉敷市出身 1888年(明治21年)、岡山県浅口郡船穂村(現:倉敷市船穂町)の小山四郎兵衛秀男の次男として出生。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1906年(明治39年)第六高等学校に進学する。 その後、1909年(明治42年)6月に同校を卒業し、同年に東京帝国大学法科大学政治学科へ進学した。1913年(大正2年)7月、24歳で同大学を卒業し、一年志願兵として入営し陸軍二等計手になった後、1915年(大正4年)台湾銀行書記として入行した。
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日… 清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。質素な生活ぶり、岡山にゆかりがあること、歌人・書家という活動分野から、晩年は「今良寛」と呼ばれた。 岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に清水質(ただし)と妻・すへの長男として生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。中学から大学まで同級生だった友人に神社柳吉がいる。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。
則井 万寿雄(のりい ますお、1879年(明治12年)10月… 則井 万寿雄(のりい ますお、1879年(明治12年)10月24日 - 1936年(昭和11年)10月26日)は、衆議院議員(立憲政友会)であり、弁護士でもある。 1879年(明治12年)岡山県上房郡川面村(現:高梁市)出身で農業・土木請負業の則井兼十郎の次男に生まれる。川面小学校、旧制高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業後上京し、昼間郵便局でアルバイトをしながら明治大学夜間部、明治大学高等研究科で法学の研究を続け1904年(明治37年)7月修了した。 1904年(明治37年)に判事検事登用試験に合格し、高松地方裁判所に勤務したが、1年で辞した。その後、東京で弁護士を開業したが、岡山に戻って高梁で開業した。