スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西田 公昭(にしだ きみあき、1960年7月5日 - )は、… 西田 公昭(にしだ きみあき、1960年7月5日 - )は、日本の社会心理学者。立正大学心理学部対人・社会心理学科教授。博士(社会学)。日本グループ・ダイナミックス学会会長、日本社会心理学会機関紙「社会心理学研究」元編集委員、国際連合安全保障理事会テロ対策委員会実行理事会研究パートナー。 信念の形成や変化のメカニズムをテーマとした研究で、破壊的カルトのマインドコントロールについて実証研究を行う。オウム真理教事件や統一協会などの多数の裁判で、鑑定人および法廷証人として数多く召喚される。日本心理学会研究奨励賞を2回、日本社会心理学会研究優秀賞を2回、日本グループ・ダイナミックス学会研究奨励賞の計5回、学会賞を受賞している。
湯本 貴和(ゆもと たかかず、1959年3月11日 - )は… 湯本 貴和(ゆもと たかかず、1959年3月11日 - )は、日本の植物生態学者。京都大学教授。 徳島県生まれ。徳島県立城南高等学校卒業。1982年京都大学理学部生物学科卒、1987年同大学院理学研究科博士課程修了、「極相植生における動物媒花植物の受粉様式に関する研究」で理学博士。 1989年神戸大学教養部助手、1991年講師、1992年理学部講師、1994年12月京都大学生態学研究センター助教授、2003年総合地球環境学研究所教授、2012年京都大学霊長類研究所教授、2016年同所長。植物と動物の共生関係の研究から始めて、現在は人間と自然との相互関係の研究を行っている。 2025年4月より日本モンキーセンター所長に就任。
山本 順寛(やまもと よりひろ、1953年1月 - )は、日… 山本 順寛(やまもと よりひろ、1953年1月 - )は、日本の工学者。東京工科大学元教授。博士(工学)。 1980年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了後、東京大学工学部反応科学科助手となる。1985年にカルフォルニア大学バークレー校生物化学科博士研究員となり、1987年に東京大学工学部反応科学科助手に復職する。その後、同大講師、助教授を歴任。2003年に、東京工科大学バイオニクス学部(現・応用生物学部)教授に就任。日本コエンザイムQ協会理事長、日本フリーラジカル学会理事、日本抗加齢医学会理事等を務める。専門分野は、生物有機化学、脂質生化学、医化学など。 坐禅と読書が趣味で、あだ名は「じゅんかん(Junkan)」。
江島 清(えしま きよし、1949年8月20日 - )は、日… 江島 清(えしま きよし、1949年8月20日 - )は、日本の実業家、工学博士。創薬ベンチャーのDelta-Fly Pharma株式会社創業者・代表取締役社長。徳島大学産学官連携推進部客員教授。 徳島県出身。徳島県立城南高等学校在学中化学に興味を持ち、名古屋工業大学卒業。東京工業大学大学院修士課程修了。ちょうどオイルショックの影響などから高度経済成長が終焉を迎え、就職難だったため、指導教官の勧めで地元徳島に戻り、1976年徳島の大塚グループ企業であった大鵬薬品工業に入社。1988年工学博士。2005年大鵬薬品工業取締役開発センター長。2007年大鵬薬品工業取締役徳島研究センター長。2010年徳島大学産学官連携推進部客員教授。
米原 謙(よねはら けん、1948年11月19日- )は、日… 米原 謙(よねはら けん、1948年11月19日- )は、日本の政治学者・歴史学者。元大阪大学教授。専門は日本政治思想史。徳島市生まれ。
寒川 賢治(かんがわ けんじ、1948年8月22日 - )は… 寒川 賢治(かんがわ けんじ、1948年8月22日 - )は日本の生化学者。京都大学医学部教授等を経て、独立行政法人国立循環器病研究センター理事・研究所所長、日本内分泌学会理事長。徳島県出身。 ナトリウム利尿ペプチドの構造を決定。アドレノメデュリンやグレリンなどの生体ペプチドホルモンを発見。 2021年、大阪大学医学部附属病院の医員(一時期国循研究所生化学部室長)が行った捏造、改竄による研究不正に関してなされた、調査委員会(仲野徹委員長)による調査によって、不正行為への関与はないが、論文2本の責任著者となっており管理責任があるとして、懲戒処分相当の認定を受けた。
村沢 義久(むらさわ よしひさ、1948年2月27日-)は、… 村沢 義久(むらさわ よしひさ、1948年2月27日-)は、日本の経営学者、環境学者。徳島県出身。徳島県立城南高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科修了(情報工学専攻)。スタンフォード大学経営大学院にてMBA取得。東京大学総長室アドバイザー。「かながわソーラープロジェクト研究会」会長。元東邦チタニウム取締役(2019年6月まで)、(株)アドバンス顧問。 1979年7月ベイン・アンド・カンパニー入社の後、ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン日本代表、ゴールドマン・サックス証券M&A担当バイス・プレジデント、及び モニター・カンパニー日本代表を歴任。さらに、 サイクロン・コマース・インク日本代表やコラボ・テクノロジー取締役を務めた後、 2003年4月より東京大学非常勤講師。
小野清美(おの きよみ、女性、1948年 - )は、日本の政… 小野清美(おの きよみ、女性、1948年 - )は、日本の政治学者、大阪大学法学研究科教授。
桑野 隆(くわの たかし、1947年11月22日 - )は、… 桑野 隆(くわの たかし、1947年11月22日 - )は、日本のロシア文化学者。早稲田大学教授。徳島県出身。
上田 寛(うえだ かん、1947年8月 - )は、日本の法学… 上田 寛(うえだ かん、1947年8月 - )は、日本の法学者。専門は、犯罪学・刑法、特にソビエト連邦・ロシアの刑法・犯罪学。学位は、博士(法学)(立命館大学・論文博士)。立命館大学名誉教授。学校法人立命館専務理事。 眉毛が薄く強面な人相であり、犯罪学を専門としていることと絡めてしばしば自虐ネタとしている。
大島 俊之(おおしま としゆき、1947年7月8日 - 20… 大島 俊之(おおしま としゆき、1947年7月8日 - 2016年2月19日)は、日本の法学者。弁護士。博士(法学)(神戸学院大学、2003年)(学位論文「性同一性障害と法」)。徳島県鳴門市生まれ。
赤松 則男(あかまつ のりお、1943年9月9日 - )は、… 赤松 則男(あかまつ のりお、1943年9月9日 - )は、日本の工学者。徳島大学名誉教授。徳島大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科博士課程電気工学専攻修了。所属学会は電子情報通信学会。 徳島県立城南高等学校を経て、1966年徳島大学工学部電気工学科卒業。大学では陸上競技部に所属し、1964年東京オリンピックで東大工町から徳島駅前まで聖火ランナーを務めた。大学卒業後、京都大学大学院工学研究科博士課程で電気工学を学び1971年に修了し、同年に徳島大学工学部助手に就任。その後、1975年に徳島大学工学部助教授就任、1987年に徳島大学工学部教授に就任。2009年に徳島大学工学部教授を退官し、徳島大学名誉教授の称号を受けた。
矢川 元基(やがわ げんき、1942年 - )は、日本の工学… 矢川 元基(やがわ げんき、1942年 - )は、日本の工学者。工学博士。佐賀県鹿島市出身。 計算力学ならびに原子力構造工学の研究者。工学博士(東京大学、論文タイトルは『構造物の応力集中に関する研究:有限領域を有する円筒殻の応力集中を中心として』)。東京大学大学院教授、東洋大学教授、原子力安全研究協会理事長、日本学術会議会員、日本応用数理学会、日本シミュレーション学会会長、IACM(国際計算力学連合)会長、韓国成均館大学校ワールドクラスユニヴァーシティ教授等を歴任。 1995年、当時の科学技術庁に設置された計算科学技術推進会議の座長として、我が国初のスーパーコンピュータ開発国家プロジェクト「地球シミュレータ」計画をまとめた。
島田 陽(しまだ よう、1936年1月27日 - )は、日本… 島田 陽(しまだ よう、1936年1月27日 - )は、日本のロシア文学者、元東京大学教授。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。徳島県立城南高等学校から、1960年北海道大学文学部露文科卒、1967年早稲田大学大学院露文修士課程修了、1970年から1971年までモスクワ大学に留学。1975年東大教養学部助教授、1988年教授、1996年定年退官。東京国際大学教授。 プーシキンなどロシア詩とプラトーノフを専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 200… 山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 2002年11月24日)は、日本の政治学者。
松浦 馨(まつうら かおる、1929年(昭和4年)6月 - … 松浦 馨(まつうら かおる、1929年(昭和4年)6月 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)。名古屋大学名誉教授。2008年瑞宝中綬章受章。徳島県出身。 日本民事訴訟法学会理事、司法試験第二次試験考査委員、法制審議会幹事、法制審議会民事訴訟法部会委員、法制審議会強制執行制度部会委員、学術審議会科学研究費分科会専門委員、名古屋弁護士会資格審査委員会委員、日本民事訴訟法学会監事、名古屋繊維取引所紛争仲介委員会委員、財団法人民事紛争処理研究基金選考委員会委員長、国際商事仲裁協会商事仲裁研究所運営委員長、日本ローエイシア友好協会顧問、財団法人民事紛争処理研究基金理事を歴任。
佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3… 佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3月7日 - 2014年〈平成26年〉5月6日)は、日本の文芸評論家、二松学舎大学名誉教授、日本基督教団中渋谷教会名誉牧師。 大正8年(1919年)、徳島県名西郡神山町生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)を経て朝鮮全羅南道光州東中学校を卒業。 昭和13年(1938年)、二松学舎専門学校入学。在学中の昭和15年(1940年)に亀井勝一郎を訪問。以後師事する。昭和16年(1941年)、二松学舎専門学校卒業。同年、日本大学法文学部宗教学科入学。同年5月、改造社が募集した第一回文芸推薦評論に『歴史と人間』が佳作入選。大学在学中の昭和18年(1943年)、創元社に入社。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。法学博士。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。キリスト教徒であったが、キリスト教徒の殉職自衛官の訴訟では国側の証人として、宗教上の人格権を否定した。美濃部達吉門下。弟子に長谷川正安、杉原泰雄、山内敏弘など。 1907年(明治40年)1月12日、静岡県三島市に生まれる。1923年(大正12年)、徳島県立徳島中学校卒業。1927年(昭和2年)、第一高等学校文科乙類卒業。1929年(昭和4年)12月、高等試験司法科合格。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は日本の法学者。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。一橋大学名誉教授。美濃部達吉の弟子。クリスチャン。
阿部 清(あべ きよし、1892年(明治25年)6月1日 -… 阿部 清(あべ きよし、1892年(明治25年)6月1日 - 1979年(昭和54年)5月24日)は、大正から昭和時代の電気工学者、通信技術者。工学博士。京都大学名誉教授。 徳島県徳島市蔵本元町に生まれる。徳島県立徳島中学校(現:徳島県立城南高等学校)、第六高等学校を経て京都帝国大学工科大学電気工学科に入学。1918年(大正7年)同校を卒業後、財団法人青柳研究所(現:公益財団法人応用科学研究所)に入る。のち京都大学講師、助教授を経て1940年(昭和15年)教授となった。この間の1935年(昭和10年)に学位論文「特別高圧回路自働遮断器」により 工学博士 (京都帝国大学)の学位を取得している。1955年(昭和30年)退官後は、同志社大学工学部教授、日本放送協会経営委員会委員などを歴任した。
那波 利貞(なば としさだ、1890年〈明治23年〉8月1日… 那波 利貞(なば としさだ、1890年〈明治23年〉8月1日 - 1970年〈昭和45年〉10月20日)は、日本の東洋史学者、文学博士、京都大学名誉教授。誠軒と号す。 1890年、徳島県徳島市生まれ。生家は江戸初期以来の藩儒の家柄。11代前の那波道円(号は活所、1595年-1648年)は紀州藩に仕え、道円の子の那波元成(号は木庵、1614年-1683年)には『老圃堂詩集』の著書がある。5代前の那波師曾(字は孝卿、号は魯堂、1727年-1789年)は春秋の学を修め、『左伝標例』の著書があり、阿波藩に使えた。以後、那波家は、利貞の父、那波韋(字は緩卿、号は蜆北)まで、代々阿波藩に藩儒として仕えた。 1898年(明治31年)、利貞が8歳の時、父の韋が亡くなり、利貞は母の旧姓多賀氏より経学の教えを受けた。
鳥養 利三郎(とりがい りさぶろう、1887年2月8日 - … 鳥養 利三郎(とりがい りさぶろう、1887年2月8日 - 1976年9月24日 )は、日本の電気工学者。工学博士(1925年)。京都大学名誉教授。元京都大学総長。従二位勲一等、元日本学士院会員、文化功労者。京都市名誉市民。徳島県生まれ。 黎明期の日本の電気工学界を支えた重鎮。高電圧過渡現象の測定や高周波焼入に関する研究で業績を上げた。また、教育行政においても手腕を発揮し、京都大学総長・電気学会会長・大学基準協会副会長などを務めた。特に、京都大学総長としては、戦後の混乱期を支えた名総長として知られている。
リチャード・クドウ(Richard Roksabro Kud… リチャード・クドウ(Richard Roksabro Kudo, 1886年7月25日 - 1967年6月3日)は、アメリカ合衆国の原生動物学者。日本の徳島県出身で工藤 六三郎(くどう ろくさぶろう)といったがアメリカに帰化した。農学士、理学博士。
林 鶴一(はやし つるいち、1873年(明治6年)6月13日… 林 鶴一(はやし つるいち、1873年(明治6年)6月13日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の数学者、数学史家。京都帝国大学理工科大学助教授、東北帝国大学理科大学教授を務めた。 徳島県生まれ。旧制徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)、第三高等学校を経て、1897年(明治30年)に東京帝国大学理科大学数学科を卒業。東京帝国大学では高木貞治・吉江琢児と同期であり、藤沢利喜太郎による「藤澤セミナリー」に参加して、「e及びπの超越に就て」という課題の報告を提出した。 東京帝国大学卒業後に京都帝国大学理工科大学助教授を務めたが、その職を辞し、松山中学校教師や東京高等師範学校講師に就いた。
喜田 貞吉(きた さだきち、1871年7月11日(明治4年5… 喜田 貞吉(きた さだきち、1871年7月11日(明治4年5月24日) - 1939年(昭和14年)7月3日)は、第二次世界大戦前の日本の歴史学者、文学博士。考古学、民俗学も取り入れ、学問研究を進めた。 現在の徳島県小松島市(阿波国那賀郡櫛淵村)に農民の子として生まれる。櫛淵小学校、旧制徳島中学校、第三高等学校を経て、1893年(明治26年)23歳で帝国大学文科大学に入学し、歴史研究を学んだ。内田銀蔵や黒板勝美と同級生となった。1896年(明治29年)国史学科を卒業し、同大学院に入学。坪井九馬三などを指導教官とし、研究題目を「日本の歴史地理」に定める。この間の1899年(明治32年)、幸田茂友共著で中等教科書『日本地理』『外国地理』を刊行する。
藤田 豊八(ふじた とよはち、1869年10月19日(明治2… 藤田 豊八(ふじた とよはち、1869年10月19日(明治2年9月15日) - 1929年(昭和4年)7月15日)は、明治・大正期の東洋史学者。文学博士。号は剣峰。 阿波国美馬郡郡里村(現・徳島県美馬市)に生まれる。徳島中学校、第三高等学校を経て、1895年(明治28年)帝国大学文科大学漢文科卒業。 早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じるかたわら、1896年小柳司気太・田岡嶺雲らと東亜学院を創立、「江湖文学」を創刊した。上海に渡り、1898年東文学社を設立、1904年広州では教育事業に協力、1905年蘇州の江蘇師範学堂を設立、1909年北京大学の教習として招聘されるなど中国の教育水準の向上に尽力した。
石川 美子(いしかわ よしこ)は、日本のフランス文学者、明治… 石川 美子(いしかわ よしこ)は、日本のフランス文学者、明治学院大学名誉教授。専門はロラン・バルト研究、風景画論、自伝研究。 徳島県板野郡藍住町出身。徳島県立城南高等学校から京都大学文学部フランス文学科、東京大学大学院人文社会系研究科を経てパリ第7大学で博士号を取得。専修大学助教授を経て、2001年より明治学院大学文学部フランス文学科教授。 20世紀フランスの哲学者で批評家、ロラン・バルトを中心に現代批評、自伝文学、旅行記、風景画に関しての著作、翻訳を手がけている。