スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
薗浦 健太郎(そのうら けんたろう、1972年6月3日 - … 薗浦 健太郎(そのうら けんたろう、1972年6月3日 - )は、日本の政治家、新聞記者。選挙活動ではそのうら健太郎の表記も用いる。 衆議院議員(5期)、衆議院財務金融委員長、内閣総理大臣補佐官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)、外務副大臣(第3次安倍第2次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、自由民主党総裁外交特別補佐を務めた。 香川県高松市生まれ(現住所は千葉県市川市市川1丁目)。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。 1996年、読売新聞社に入社。千葉支局に配属された後、市川通信部で市川市や浦安市を担当。東京本社の社長室広報部、政治部などで勤務する。
小川 淳也(おがわ じゅんや、1971年〈昭和46年〉4月1… 小川 淳也(おがわ じゅんや、1971年〈昭和46年〉4月18日 - )は、日本の政治家、元自治・総務官僚。中道改革連合所属の衆議院議員(8期)、中道改革連合代表(第2代)。 総務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、立憲民主党幹事長(第4代)兼総合選挙対策事務総長、希望の党社会保障制度調査会長、旧立憲民主党代表特別補佐、立憲民主党政務調査会長(第2代)、衆議院決算行政監視委員長、同国家基本政策委員長を歴任した。 香川県高松市松並町に生まれる。両親は美容室を営んでいた。高松市立一宮小学校に入学し、高松市立円座小学校を卒業。高松市立香東中学校、香川県立高松高等学校卒業。1994年3月、東京大学法学部卒業。
玉木 雄一郎(たまき ゆういちろう、1969年〈昭和44年〉… 玉木 雄一郎(たまき ゆういちろう、1969年〈昭和44年〉5月1日 - )は、日本の政治家、元大蔵・財務官僚。国民民主党所属の衆議院議員(7期)、国民民主党代表(初代)。 旧国民民主党代表(第2代)、同党共同代表、希望の党代表(第2代)、同党共同代表、民進党幹事長代理を歴任した。 香川県大川郡寒川町神前(現:さぬき市)に3兄弟の長男として誕生。祖父・鹿太郎は大川農協組合長、父・一将は獣医師で香川県獣医師会副会長を務めつつ兼業で農業を営み、香川県農協の畜産部長を務めた。玉木も田植えや麦蒔き、肥料や農薬の散布を手伝い、農作業から協力や共生の重要性を学んだ。 寒川町立神前小学校、寒川町立天王中学校、香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。
中山 展宏(なかやま のりひろ、1968年9月16日 - )… 中山 展宏(なかやま のりひろ、1968年9月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。国土交通副大臣、外務大臣政務官を歴任。 兵庫県西宮市生まれ。現在は神奈川県川崎市麻生区王禅寺東4丁目に在住。香川大学教育学部附属高松中学校、香川県立高松高等学校、青山学院大学理工学部を経て、早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程中退。勧角証券の債券ディーラー等を務めた後、江崎洋一郎公設秘書となる。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で、神奈川9区に自民党が公認する予定だった山内康一が解散直後に離党したことによる県連の公募で選ばれ出馬。民主党の笠浩史に77,945票差で敗れた。
植松 恵美子(うえまつ えみこ、1967年11月13日 - … 植松 恵美子(うえまつ えみこ、1967年11月13日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。三木町副町長。旧姓は木村。 香川県高松市中間町生まれ。高松市立一宮小学校、高松市立香東中学校、香川県立高松高等学校をそれぞれ卒業し、1990年3月に神戸大学教育学部を卒業する。4月に松下電器産業株式会社へ入社して8月に退社する。9月に実家が経営する北四国クレーン株式会社に入社して移動式クレーン免許、大型特殊車両運転免許をそれぞれ取得し、2001年に温泉施設を運営する有限会社「きらら」の取締役社長に就任した。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙の香川1区に元総務官僚の小川淳也が民主党公認で立候補。
三宅 伸吾(みやけ しんご、1961年〈昭和36年〉11月2… 三宅 伸吾(みやけ しんご、1961年〈昭和36年〉11月24日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣・第1次石破内閣)、外務大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、参議院外交防衛委員長、自由民主党政務調査会環境部会部会長、同副会長、同党参議院政策審議会副会長などを歴任した。 香川県志度町(現・さぬき市末)出身。農家の長男として生まれる。夜なべ仕事をする両親の背中を見て育つ。志度小学校の末分校に通い、ガキ大将として山里を駆け回る。 5年生からは自転車で峠を下り、本校に通学。この頃からサッカーを始める。
池田 豊人(いけだ とよひと、1961年〈昭和36年〉7月1… 池田 豊人(いけだ とよひと、1961年〈昭和36年〉7月15日 - )は、日本の建設・国土交通技官、政治家。香川県知事(公選第20代)。無所属。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校を経て、東京大学工学部土木工学科を卒業。1986年3月、東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了。大学時代は橋梁を専攻した。国家公務員採用I種試験(土木)に合格し、1986年4月に建設省に入省。 2018年7月31日から国土交通省道路局長を務め、2020年8月1日退官。 2020年より京都大学客員教授。 2022年3月まで、日本製鉄顧問を務める。 2022年3月、同年夏の香川県知事選挙に自由民主党香川県連が池田を擁立する方針を決定。
梶 正治(かじ まさはる、1953年(昭和28年)1月21日… 梶 正治(かじ まさはる、1953年(昭和28年)1月21日 - )は、日本の政治家。香川県丸亀市長(2期)。元香川県議会議員(4期)。 香川県丸亀市出身。下関市立名池小学校、高松市立勝賀中学校、香川県立高松高等学校、神戸大学経済学部卒業。1975年(昭和50年)4月、香川県庁に入庁。医務課、県立病院勤務のさながら自治労運動に参加。1990年(平成2年)、香川県庁を退職。衆議院議員の加藤繁秋の公設秘書となる。 1995年(平成7年)4月、香川県議会議員選挙に出馬するも、落選。1996年(平成8年)、行政書士試験に合格し開業。1998年(平成9年)8月30日執行の香川県議会議員補欠選挙に出馬するも、落選。
砂川 敏文(すながわ としふみ、1948年(昭和23年)1月… 砂川 敏文(すながわ としふみ、1948年(昭和23年)1月21日 - )は、日本の政治家・元官僚。元北海道帯広市長(3期)。 香川県大川郡志度町(現・さぬき市)出身。高松高校を経て、1970年帯広畜産大学畜産学部卒業。同年、農林水産省農地局入省。その後、北海道開発局と北海道開発庁を交互に渡り歩き、北海道開発庁大臣秘書官、北海道開発局帯広開発建設部次長、北海道開発庁考査主幹等を歴任し、1997年北海道開発局官房調整官を最後に退官。その後、1998年4月の帯広市長選挙に出馬し当選。以後連続3期当選。 2010年の市長選に出馬せず引退。 「環境に対する配慮と、福祉におけるユニバーサルデザインの推進」を掲げ、市の行財政改革にも着手。
真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日… 真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。香川県知事を務めた。 日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(ソウル市)生まれ。香川県木田郡下高岡村(現三木町)出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。1963年(昭和38年)4月農林省に入省。農林水産省大臣官房企画室長、水産庁漁政部長、環境庁水質保全局長、農林水産審議官などを務め、1996年(平成8年)7月退官。同年8月国際協力事業団副総裁に就任。1998年(平成10年)9月、香川県知事に就任。 県知事としては、大的場健康体育センター、津田病院、栗林公園動物園の閉鎖や公共事業の縮小、県職員の人件費カットなどによる行財政改革に取り組んだ。
森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日-… 森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日- )は、日本の政治家、官僚。 運輸大臣(第77代)、北海道開発庁長官(第71代)、衆議院議員(8期)を歴任。香川県坂出市出身。 香川県坂出市出身。父は内科の開業医で、森田は3人兄弟の長男であった。地元の坂出高校に入学したが、大学受験を考慮し、香川県内では最難関の進学校である高松高校へ転校した。 森田は東京大学理科二類に入学し、法学部に進んだ。 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後の1957年大蔵省に入省(官房文書課配属)。東海財務局、アジア経済研究所出向(1960年-1961年メルボルン大学留学)、外相秘書官、国際金融局課長補佐、主計局主計官補佐、銀行局保険第二課長、理財局資金第二課長などを歴任。
平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22… 平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22日 - 2009年〈平成21年〉7月16日)は、日本の政治家、実業家。 労働大臣、参議院議員(5期)、四国新聞社社主、同取締役会長、西日本放送代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)などを歴任。旧姓は穴吹。 香川県高松市に生まれる。東京都立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)に入学。香川県立高松高等学校へ転校し、1950年3月、同校を卒業。 1955年、学習院大学政経学部政治学科卒業。参議院議員平井太郎の秘書となる。間もなく太郎の長女温子と結婚し、女婿となる。1958年、太郎が社長を務めていた四国新聞社に入社。1966年、同社の常務取締役に就任。
藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17… 藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任した。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。証券会社、日本電信電話公社勤務を経て、1963年衆院選に初当選。(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選10回。自民党内では三木→河本派に属し沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任。農水大臣時代は、諫早干潟事業続行決定に対して環境破壊との批判があった。
脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ … 脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ 1997年(平成9年)12月12日)は、日本の政治家。1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民。 高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。 前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。
成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日… 成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日 - 1979年〈昭和54年〉3月9日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党政策審議会長・書記長・委員長を歴任した。 香川県高松市出身。肥料商で高松市議会議員をつとめた成田鷹次の子として生まれる。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て、第四高等学校(現・金沢大学)、東京帝国大学(現・東京大学)法学部へと進む。高松中では野球部のマネージャーも務めており、1学年上に梶原英夫、三原脩がいた。大学卒業後、三井鉱山に入社する。1941年、三井化学に転属となり、1943年には文書課長に昇進した。第四高等学校時代には後に社会党の参議院議員となる亀田得治と同じクラスだった。
鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年(明治29年)2月2… 鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年(明治29年)2月29日 - 1947年(昭和22年)3月3日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。高松市長。 香川県高松市古馬場町で「伏石屋」鈴木幾次郎の長男として生まれる。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第三高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。東京の高田商会に勤務した。 1925年(大正14年)に帰郷し、高松市会議員に当選。その後、市会議長(1934年(昭和9年)3月から1938年(昭和13年)3月まで)、四国水力電気高松出張所長を務めた。 1942年(昭和17年)第21回衆議院議員総選挙において、翼賛政治体制協議会推薦で香川1区から立候補したが落選。
綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9… 綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9月6日 - 1972年〈昭和47年〉3月24日)は日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。衆議院議員(7期)、衆議院議長(第53代)、運輸大臣(第29・30代)。香川県出身(出生地および選挙区は大分県)。杵築市名誉市民。 戦前は立憲政友会に所属。1939年の政友会分裂に際しては正統派(久原房之助総裁)に与した。大政翼賛会発足による政党解消後は翼賛議員同盟、翼賛政治会、大日本政治会に所属した。 終戦後の1945年11月、旧日政会系の日本進歩党結党に参加。日政会を母胎にしたとはいえ進歩党所属議員の大半は政党解消以前は立憲民政党・政友会革新派・政友会統一派に所属しており、政友会正統派に所属していた議員で進歩党結党に参加した者は綾部以外では猪野毛利栄、西川貞一、依光好秋、高畠亀太郎、中井一夫、三善信房の6名のみである。
大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)… 大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)2月9日 - 1945年(昭和20年)2月9日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 大西行礼の長男として香川県三木郡氷上村長楽寺(現三木町長楽寺)に生まれる。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部を卒業する。1930年(昭和5年)に家督を相続した。 1924年(大正13年)高松百十四銀行取締役に就任し、同年琴平電鉄を創立し社長となる。ついで四国水力電気取締役、屋島登山鉄道社長を経て、1943年(昭和18年)企業統合により高松琴平電気鉄道社長に就任した。