スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
濵町 明太郎(はままち めいたろう、1993年1月11日 -… 濵町 明太郎(はままち めいたろう、1993年1月11日 - )は、高知県幡多郡黒潮町出身で東京都立農産高等学校の保健体育科講師。また九重部屋に所属した元大相撲力士。四股名は 千代の海明太郎(ちよのうみ めいたろう)であった。力士時代の身長181.4cm・体重136.0kg。最高位は西十両8枚目(2019年3月場所)。 2歳年上の兄が地元の佐賀少年相撲クラブに入っていた影響から保育園の頃から相撲を始める。 高知県立宿毛高校では相撲部に所属したものの目立った実績は残せなかった。日本体育大学入学後に徐々に力をつけ、大学2年次(2012年度)の東日本インターカレッジの団体戦で当時日本大学4年生で後に幕内力士となる遠藤聖大を得意の突き押しで撃破した。
豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6… 豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6月26日 - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士、タレント、YouTuber。本名は梶原 大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長168cm、体重154kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・下手投げ。嫌いなものはグリーンピース、レーズン、溶けていないチーズ。趣味は音楽鑑賞、カラオケ、釣り、ボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇(2012年5月場所)。 座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山、普天王らとも仲が良い。
東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高… 東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生で野球を始め、中学3年生の時に全国大会で優勝。県内強豪校からの誘いもあったが、拒否して地元の宿毛高に進学し、3年夏は県大会準決勝で明徳義塾に敗退。2000年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから4位指名を受けて入団。高卒ながら1年目から一軍で登板を果たす。 2002年は一軍で28試合に登板。2003年5月25日、対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)でプロ初先発。フレッシュオールスターに出場。イースタン選抜の先発投手を務めた。イースタン・リーグの最優秀防御率賞投手(防御率1.55)。
岡本 知高(おかもと ともたか、1976年12月3日 - )… 岡本 知高(おかもと ともたか、1976年12月3日 - )は、日本のクラシック音楽歌手。ソプラニスタ(男性ソプラノ)。高知県宿毛市出身。 股関節の難病であるペルテス病を患って小学1年生から4年生までの間、家族と離れ特別支援学校(当時は養護学校)で過ごしたが、週末の帰宅時は7歳上の姉の弾くピアノに合わせて母と歌っていた。全快し自宅に戻った小学5年生からピアノを習い始める。進学した中学校と高知県立宿毛高等学校では吹奏楽部に所属。もともとサックス奏者志望であったが、レッスンで聞かせた歌声に師から世界的にも珍しいソプラニスタの素質を見出され、師の勧めで国立音楽大学声楽科に入学する。在学中より音楽コンクールの入賞・優勝を重ね、1998年に「第九」日本初演80周年記念再現リサイタル"蘇る第九!"にソプラノ・ソリストとして抜擢された。
松下 建夫(まつした たてお、1958年2月3日 - )は、… 松下 建夫(まつした たてお、1958年2月3日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)。 長男は、2010年から2015年まで埼玉西武ライオンズの投手だった松下建太。 宿毛高から、1975年オフにドラフト外で広島東洋カープに入団。 一軍公式戦出場のないまま、1978年限りで現役を引退した。
毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、… 毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、日本の元女優。グラマー女優と称され時代劇でも活躍したが、男女関係のもつれから妻子持ちの男性を刺殺し3年間服役していた。 1933年(昭和8年)4月25日、高知県幡多郡宿毛町(現:宿毛市)の呉服商の家に生まれる。高知県立宿毛高等学校を卒業後、親戚の経営する大分県別府市の旅館でフロント係を勤めていた1955年(昭和30年)、「全国温泉旅館美女コンテスト」で「ミス温泉」に選ばれた。日本生まれの中国人ヤクザに強姦され、福岡中洲のクラブで働かされたのち、地元暴力団の親分の妾となる。 その後上京し、俳優座の委託研究生を経て大映に第10期ニューフェイスとして入社したのは1956年のことである。
柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の… 柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の教育者。 陸上自衛隊少年工科学校13期、日本体育大学体育学部卒業。1976年体育健康クラブ創設(後のタイケン学園)、「たくましさつくり理論」を提唱した。日本幼児体育協会専務理事。社団法人幼少年体育振興協会専務理事、全国の幼稚園・保育園約3200園の定期指導と巡回派遣事業を実施、国内最大の幼児体育指導団体に成長させた。当初から全国の幼稚園・保育園・スポーツ関連団体での幼児・子どもの指導に携わり、1976年より毎年実施している幼児体育健康教育講集会(旧・幼児体育指健康教育指導者講習会・研修会を含む)は、全国の幼稚園、保育園からその理論と実技について高い評価を得、同講習会の実行委員を兼任するかたわら主席講師としての後輩の指導に当たり、不毛であった幼児体育の概念をまとめ、組織化したことは現在に至るまで大きな実績をのこしている。