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伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20… 伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20日 - )は、日本の陸軍軍人、医師、医学者、著作家。太平洋戦争に従軍した後に医師となり、国際協力事業団にも参加するなどして各国の医療事情を調査した。筆名としては伊佐 三休(いさ さんきゅう)の名も用いている。 1922年、福岡県小倉市に生まれる。幼くして朝鮮の龍山に渡り、6歳まで同地で過ごした。福岡県甘木小学校、久留米市金丸小学校を経た後、中学明善校(福岡県立明善高等学校の前身の1つ)1年を修了する。1936年(昭和11年)に広島陸軍幼年学校へ入学(第40期)、1938年(昭和13年)には陸軍予科士官学校へと進み(第55期)、翌年には歩兵第26聯隊へ士官候補生隊付として配属され、満州国・チチハル駐屯並びにソ満国境のハンダガイの守備に従事した。
諫山 春樹(いさやま はるき、1894年(明治27年)2月1… 諫山 春樹(いさやま はるき、1894年(明治27年)2月11日 - 1990年(平成2年)6月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。 福岡県出身。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年10月25日、国民政府代表との降服式典に台湾総督安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。 官吏・諫山虎鹿の二男として生れる。中学明善校、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、陸軍士官学校を卒業。1915年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。 1925年8月、歩兵第38連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、フランス大使館付武官補佐官などを経て、1930年8月、歩兵少佐に昇進。
松下 元(まつした はじめ、1884年〈明治17年〉8月10… 松下 元(まつした はじめ、1884年〈明治17年〉8月10日 - 1953年〈昭和28年〉12月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。「五省」の考案者。 福岡県出身。松下丈吉の長男として生れる。中学明善校を経て、1903年12月、海軍兵学校(31期)を卒業し、翌年9月、海軍少尉任官。日露戦争では「松島」乗組として出征し、日本海海戦では「八雲」乗組であった。1910年5月、海軍砲術学校高等科を卒業。「高雄」砲術長、「薩摩」分隊長、第1艦隊参謀などを歴任し、1914年5月、海軍大学校(甲種12期)を卒業した。 「阿蘇」砲術長、艦政局局員、イギリス出張、第4戦隊参謀などを経て、1921年1月、海相秘書官兼副官となり、加藤友三郎大臣に仕えた。