スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
有働 佳史(うどう よしふみ、1984年10月28日 - )… 有働 佳史(うどう よしふみ、1984年10月28日 - )は、日本のコマーシャルの企画・演出、ドラマ・映画・舞台の脚本・演出・監督、作詞家、小説家。 熊本県立玉名高等学校を経て、2007年早稲田大学社会科学部卒業。大学在学中にフジテレビ主催「ヤングシナリオ大賞」に初めて書いた脚本を応募し、最終選考に残った事をきっかけに脚本を本格的に書き始める。 映像にも興味を持ち、大学卒業後はCM制作会社「仲畑広告映像所」(現・ドラゴン東京)に入社、制作業務に携わり、その後2012年フリーに転身。現在は、CMの企画・演出、映画・ドラマの脚本・監督を生業としている。
松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日… 松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日本の病理学者、医師、医学博士。岡山大学・教授などを務める。専攻は医学(特に実験病理学、免疫学など)。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校卒業。 1987年に、熊本大学医学部医学科を卒業し、同大学で 研修医(整形外科)となる。1993年に同大学院医学研究科を修了した、同医学部助手に任じられる。同年、熊本大学より医学博士号を取得した。 1998年にはアメリカ合衆国のミシガン大学医学部に、主任研究員として留学した。帰国後、2003年に熊本大学医学部講師となり、2004年に大学院医学薬学部助教授に昇任した。 2005年に岡山大学大学院医歯薬学総合研究科教授に就任する。
坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1… 坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1999年)は、日本の医師、軍医。 熊本県玉名郡梅林村(現・玉名市)に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)を経て、熊本医科大学を卒業した。 1937年7月には上海に派遣され患者輸送部隊の医師として、負傷した兵士を野戦病院から後方へ送る仕事に従事した。太平洋戦争開戦後は軍医として徴兵され、マレー作戦に従軍し、1942年秋まで占領地を移った。 戦後は福岡県大牟田市の三井三池鉱業所病院に勤め、定年退職後に開業医となった。1952年に熊本大学より医学博士号を取得している。1975年には『肥後の子供歳時記』を刊行した。
宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年… 宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年不詳)は、日本の医師、医学者。専門は産婦人科。 熊本県玉名市出身。旧制熊本県立玉名中学校を経て熊本医科大学を卒業した。1933年に熊本医科大学産婦人科教室に入局し、講師や医学専門部の教授を歴任した。この間、1945年10月には論文「副腎の組織呼吸に関する研究」で熊本医科大学から医学博士号を取得した。 戦後の1950年から国立熊本病院の副院長兼産婦人科部長となった。1957年、熊本市内で産婦人科医院を開業した。
森本 茂喜(もりもと しげき、1898年2月10日 - 没年… 森本 茂喜(もりもと しげき、1898年2月10日 - 没年不詳)は、日本の医学者、医師。専門は内科、物理学。 熊本県玉名市出身。熊本県立玉名中学校卒業、第五高等学校を経て、東京帝国大学医学部を1923年(大正12年)に卒業。卒業後、東京帝国大学医学部病理学教室の助手となり、1932年(昭和7年)に医学博士号を授与された。 東京帝国大学医学部が外来医長制度を敷くに当たり、1935年(昭和10年)に初代の内科の外来医長となり、1938年(昭和13年)まで勤めた。1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)まで京橋病院の内科医長を勤め、辞任後は東京都で開業した。
谷口 興一(たにぐち こういち、生誕年不詳 - 2012年(… 谷口 興一(たにぐち こういち、生誕年不詳 - 2012年(平成24年)11月25日)は、熊本県出身の躰道指導者、医師。玄制流空手道、躰道を創始した祝嶺正献の一番弟子とされ、東京医科歯科大学空手道部(後に躰道部)を設立した。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て、東京医科歯科大学医学部卒業。大学入学後に玄制流空手道師範の祝嶺正献と出会い入門、そして東京医科歯科大学空手道部を自ら設立した。現役を退いたのちも躰道の指導、普及に尽力し、躰道本院最高会議議長を務めた。 1956年(昭和31年)、東京医科歯科大学に入学。当時の医学部進学課程、歯学部進学課程(現在の教養課程にあたる)は千葉大学文理学部に委嘱されていた。
生田 琢己(いくた たくみ)は、日本の医師、医学者。専門は精… 生田 琢己(いくた たくみ)は、日本の医師、医学者。専門は精神医学。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院医学研究科修了。医学博士号を取得した。 1967年(昭和42年)九州大学医学部助手、1973年(昭和48年)講師を経て1974年(昭和49年)に徳島大学医学部教授となった。同11月16日に徳島大学精神科神経科に就任し、1998年(平成10年)3月31日に教授退官する。退官後は名誉教授に推された。
太田 善郎(おおた よしろう)は、日本の医師、医学者。熊本県… 太田 善郎(おおた よしろう)は、日本の医師、医学者。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院修了(医学系・内科)。 九州大学医学部講師、愛媛大学医学部助教授、佐賀県立病院・内科医長などを経て佐賀県立病院の10代目院長(好生館館長)に就任した。 その後、国際医療福祉大学リハビリテーション学部長・教授などを歴任し、現在[いつ?]は藤井整形外科の介護老人保健施設の施設長を務めている。
金堀 伸夫(かなぼり のぶお)は、日本の医師、ソングライター… 金堀 伸夫(かなぼり のぶお)は、日本の医師、ソングライター。 宮崎県高鍋に生まれる。熊本県立玉名中学校(1926年卒業)、第五高等学校を経て、熊本医科大学を卒業した。 医師業の傍ら多くの学曲を作詞した。金堀は第五高等学校在学中から作詞を始めていた。五高の寮歌「荒れろ黄煙」をはじめ、熊本に駐屯する第6師団の歌まで幅広く作詞した。また作曲もおこなっており、五高の寮歌「椿花咲く」や複数の学校の校歌、小林市(広域合併以前の旧小林市)の「市民歌」を手がけている。 戦後は、故郷の高鍋で病院を開業する傍ら、コーラス団を結成して病院の2階で練習をおこなった。
坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経… 坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経内科医)。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校、熊本大学医学部、京都大学大学院医学研究科修了。 2008年より熊本大学医学部附属病院・研修医、2012年より理化学研究所・発生再生化学総合研究センター・リサーチアソシエイト、2016年より京都大学iPS細胞研究所特定研究員などを経て2020年より理化学研究所・上級研究員(研究リーダー)を務めている。
高田 明(たかだ あきら)は、日本の医師(脳神経外科)。熊本… 高田 明(たかだ あきら)は、日本の医師(脳神経外科)。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、熊本大学医学部卒業。 2006年より熊本市立熊本市民病院に勤務し、脳神経外科部長、診療部長、首席診療部長、副院長などを歴任した。 2013年に熊本市民病院の院長に就任し、2022年に退任するまで9年間務めた。
多田隈 満(ただくま みつる)は、日本の医師、刑務医官。 熊… 多田隈 満(ただくま みつる)は、日本の医師、刑務医官。 熊本県立玉名中学校(1923年卒業)、旧制台湾高等学校を経て、長崎医科大学を卒業した。 その後、刑務医官となり、熊本刑務所を始め、各地の刑務所や拘置所に勤務した。昭和40年代には刑務医官の最高位である東京拘置所医務部長となると同時に日本矯正医学会の会長となった。1968年の第15回の日本矯正医学総会では会長として挨拶を述べている。また、受刑者に関する論文も複数残している。
西丸 雄也(にしまる かつや)は、日本の医師(内科学専門)、… 西丸 雄也(にしまる かつや)は、日本の医師(内科学専門)、医学者。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院医学研究科修了。医学博士号を取得した。 1965年九州大学医学部助手、1971年講師を経て、1973年に福岡大学医学部助教授となる。その後、教授となった。
山本 清人(やまもと きよひと、生没年不明)は、日本の医師、… 山本 清人(やまもと きよひと、生没年不明)は、日本の医師、医学者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)、旧制第五高等学校を経て、九州帝国大学医学部を卒業した。 卒業後は母校である九州帝国大学の研究員となる。他の教授や研究員が太平洋戦争に次々と応召されたため、1942年に講師の身分ながら外科部門の責任者となる。終戦後の1948年に、国立別府病院(現・国立病院機構別府医療センター)に移り、外科部長を経て、[要出典]院長に就任した。退職後は名誉院長に推された。
吉永 萌(よしなが すげる)は日本の医学者、医師。 熊本県出… 吉永 萌(よしなが すげる)は日本の医学者、医師。 熊本県出身。熊本県立玉名中学校(1910年卒業)[要出典]、第五高等学校を経て、九州帝国大学医学部を大正6年に卒業した。 専門は内科学、公衆衛生学で、大学卒業後、直ちに九州帝国大学医学部第三内科教室に入局し、助手となった。 大正13年には九州帝国大学から医学博士号を受けている。 公衆衛生学の第一人者として、昭和の初期には欧米に出張し、欧米の工場衛生や医事衛生などを視察した[要出典]。 その際の、初見を昭和12年に「吾が輩の出張報告欧米の工場衛生と医事衛生」と題して出版し、今現在でもその本は、産業医学・環境衛生学分野の初期資料となっている[要出典]。
渡辺 桂吉(わたなべ けいきち)は日本の医師、医学者。 熊本… 渡辺 桂吉(わたなべ けいきち)は日本の医師、医学者。 熊本県立旧制玉名中学校を経て日本医科大学を卒業した。日本医大卒業後は熊本県立病院[要検証 – ノート]の耳鼻科の医師となった。 また、1957年10月には熊本大学医学部から博士号が授与されている。 その後も長く熊本県立病院[要検証 – ノート]に勤務し、耳鼻科の科長などを歴任後の1983年に院長に就任した。 また、院長就任と同時に附属の看護学校(熊本医療センター附属看護学校)の校長に就任している。院長を退任後は名誉院長に推された。