スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月1… 田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月16日 - )は、日本の編集者、実業家。 株式会社東洋経済新報社代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立杵築高等学校(31回生)卒業。1984年(昭和59年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、東洋経済新報社入社。建設、医薬、証券、機械などの産業記者、『オール投資』『週刊東洋経済』の編集部を経て、1999年(平成11年)『ベンチャークラブ』編集長、2002年(平成14年)『週刊東洋経済』副編集長、2005年(平成17年)『会社四季報』編集長、2007年(平成19年)第1編集局次長兼証券部長、2008年(平成20年)企業情報部長を歴任。 2011年(平成23年)取締役、2020年(令和2年)専務。
甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は… 甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は、日本の写真家、エッセイスト、翻訳家、ほんやら洞(京都市上京区に存在した喫茶店)、八文字屋(京都市中京区)の経営者。「自衛隊米兵人権ホットライン」発起人のひとり。大分県大分市出身。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、日本の実業家、工学博士。神戸製鋼所代表取締役社長、同社代表取締役会長、神戸国際会館代表取締役社長、関西経済連合会副会長、日本鉄鋼連盟副会長、日本知的財産協会会長等を歴任。 大分県日出町出身。大分県立杵築高等学校を経て、九州大学工学部金属学科卒業。表面処理分野研究室出身。1970年九州大学大学院工学研究科冶金学専攻修士課程修了、神戸製鋼所入社。1983年「チタンの不働態化反応と局部腐食に関する研究」で九州大学より工学博士の学位を取得。 神戸製鋼所では技術開発本部材料研究所長、開発企画部長、技術開発本部長を経て、1996年取締役に昇格。常務、専務を経て、2004年代表取締役副社長。
二階堂 暹(にかいどう あきら、1930年3月11日 - 2… 二階堂 暹(にかいどう あきら、1930年3月11日 - 2006年9月15日)は、日本の経営者。二階堂酒造社長を務めた。大分県出身。 杵築中学校(旧制)を卒業後に、実家の家業を引き継ぐ。1964年に二階堂酒造取締役に就任し、1972年には社長に昇格。1995年には会長に就任。 2006年9月15日肝臓癌のために死去。76歳没。
藤波 収(ふじなみ おさむ、1888年〈明治21年〉2月27… 藤波 収(ふじなみ おさむ、1888年〈明治21年〉2月27日 - 1972年〈昭和47年〉10月18日)は、大正から昭和にかけて活動した実業家。主として電気事業に関係した。 元は電気技術者。戦前期の大手電力会社大同電力で常務取締役まで昇進し、日本発送電理事、関東配電副社長を経て戦後は北海道電力社長・会長、電源開発総裁を務めた。大分県出身。 藤波収は1888年(明治21年)2月27日、藤波久文の六男として大分県速見郡杵築村(現・杵築市)に生まれた。生家は杵築城の旧城下町の一角である北台にあり、藤波家は父久文の代まで杵築藩士であった。収は男子6人・女子4人の兄弟姉妹の末子で、23歳年上の長兄に司法官となり大審院判事などを歴任した藤波元雄、一つ上の兄に陸軍の軍医となり軍医総監を務めた藤波正がいる。
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日… 堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日 - 1959年〈昭和34年〉5月12日)は、日本の海軍軍人、実業家。日本飛行機 社長、大日本兵器社長、浦賀船渠(現:住友重機械工業)社長を歴任した。 海軍兵学校32期首席・海軍大学校16期次席。海軍軍人としての最終階級は海軍中将。海軍の現役を退いた後の1941年(昭和16年)に、法制局長官(現:内閣法制局長官)に擬されたが、辞退した。大分県杵築市出身。 天下の秀才を集める海軍兵学校の同期生たちをして「神様の傑作の一つ堀の頭脳」 と畏敬せしめる程の、桁外れの英才であった。 からの信頼が厚く、山本権兵衛(兵2期)・加藤友三郎(兵7期)の系譜を継ぐ人物として、いずれ海軍大臣に就任することが確実視されていた。